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二. 彼

 

 ここしばらく、ずっと体がいたかった。

 いたくて ねむれなかった。

 いきをするとね、のどがいたくなるんだ。

 ツバをのんでもね、のどがいたくなるんだ。

 体をうごかすとね、むねがいたくなるんだ。


 それなのに今日はちょっと良いみたい。

 いきが少し楽になった。しずかだ。


 たぶん、良くなってきたんだよ。

 これなら今日はねむれるかもしれない。

 明日はもっと良くなっているかもしれない。


 だからねむろう。


 目をとじると、うかぶのはあの女の子のこと。


 ある日とつぜん父さまがつれてきた、しゃべらない女の子。

 母さまにせわをするようにと言って、おいていった小さな女の子。


 家族はみんな死んでしまったときいた。

 ひとりぼっちのかわいそうな女の子。


 話しかけてもなにも話してくれなかった女の子。


「あたしがきたよ」


 ああ、そうか。話せるようになったんだったね。

 いっぱいおはなしして良かったな。


 あの子はぼくと話してくれるんだ。

 あの子はぼくに、ことばをかえしてくれる。

 あの子はぼくの名前をよんでうしろをついて歩いてくる。


 かわいいと思った。


 いっしょにいたいと思った。


「おはなしして!」


 おはなし……。

 話したいことはたくさんある、と思う。


 前によんだ本の話とか。


 兄さんたちが話していたちょっとこわい話とか。


 まだ話していないことが、話したいことがたくさんあるんだ。


 君と話したくて、こえがききたくていっぱい本をよんだんだよ。


 どんな話ならわらってきいてくれるのかな。

 そんな、かなしそうなかおじゃなくてね、わらっているかおが見たいな。

 おこってるかおとか、うれしそうなかおとか、びっくりしたかおもいいな。


 けれどぼくは話したくない。

 こわいんだ。


 話すとのどがいたむかもしれない。

 けど、どのくらいいたむのかわからない。

 もしかしたら、いたくないかもしれない。

 分からない。分からないからこわくて話せない。


 それでもこれは言わなくちゃいけない。


「あっちいけ!」


 この部屋にいたらあの子はしかられる。

 こんなばっちい部屋にいちゃいけないって。

 なにかわるいものがうつるかもしれないからって。


 やっぱりまだ、いたかった。

 口をそででおさえて女の子の方を見る。

 かなしそうなかお。


 ごめんね。ごめんね。

 そう言いたいけどこわい。

 こわくて言えない。

 ぼくはなんておくびょうなんだろう。

 いたいのがこわいんだ。


 せいているうちに大人が来て、女の子をそこから引きずり出す。


「いやあああ」


 女の子はさけぶ。


 たぶん、しかられるんだろう。

 いいつけを守らないあの子がわるい。


 女の子のさけぶこえはにがて。

 あたまがキンキンする。あたまがいたくなる。

 だからさけばないで。

 しずかにして。


 それでもそれを毎日くりかえす。


 どんなにしかられてもその女の子は来る。

 あそんでくれる人はほかにもいるだろうに。

 どうしてそんなにぼくにかまうのかわからない。

 毎日女の子はここに来る。


 おはなししてと言う。

 おきてと言う。


 ごめんね。

 ぼくもそうしたいよ。

 それでもね、体をおこすのがつらいんだ。

 体をうごかすとね、むねがいたくなるんだよ。

 なにか話したいと思ってもいたみがこわくてなにも話せない。うごけない。

 ツバをのみこむこともいたくてできない。

 おくびょうでごめんね……。




 ぼくはもうなにもできないのかもしれない。


 それなのにその子は来る。


 もう来なくていいよと思うのに。


 それでも来てくれるのをうれしく思う。


「あたしがきたよ。おっきして!」


 今日もそう言って、ぼくの体をゆする。


 やめて。さわらないで。

 ずっときがえていないんだ。

 ゲボとツバにまみれたきものだ。

 ばっちいだろう。


 やっとねむれそうだったのに。

 今はちょっとだけねむりたいんだ。

 ごめんね。


 おきたらまたおはなししよう。

 明日はおきられるかもしれないから。

 だからちょっとまっててね。


 だからそんなにさわらないで。

 あっちにいって。

 ぼくはばっちいから。

 

 けれど体に力が入らない。


 どうしたらつたわるんだろう……。


「いやあああ! いやああ、あ!」


 やっと大人が来てその女の子を引きはがす。


 それでいい。


 けれどやっぱり女の子のさけぶこえはキンキンする。

 しずかにしてほしい。


 やっとねむれそうだったんだ。

 ちょっとだけでいいからさ。

 そうだ、おきたらお手玉しようよ。


 ドンッ


 とつぜん体が大きくゆれた。

 うでになにかがつよく当たった。


「……ゲッ、ケホッケホッ」


 せく。

 びっくりした。


 いたい。

 いたい。

 くるしい。

 いきができない。


「ケンッゲッゲッゴポ……」


 はいた。


 でもなにも出てこなかった、と思う。

 しばらくはのどがいたくてなにも口にしてないんだからさ。


 でも口がぬれてきもちわるい。

 すっぱいへんなあじ。

 さびたクギみたいなあじ。

 カミソリがのどから出たみたい。


 のどがいたい。


 むねがいたい。


 ネットリしたかみの毛が口に入る。


「……汚い。ほら、行きますよ」


 ピシャリとふすまのとじる音。


 行ってしまう。

 いかないで……。


 それでもすぐにまたねむれそうになってきた。

 よかった。ねむろう。

 

 ちょっとねるだけだよ。

 おきたらさ、明日になったらさ、

 あの子とおはなしして、あそぶんだから。

 そうだ、あやとりもしよう。

 ふたりでできるやり方もあるみたいなんだよ。



 ねておきたらね、もっと良くなってるよ。

 明日になったら、いたいのもなくなってるかもしれない。

 そうしたらさ、あの子といっぱいおはなしするんだ。

 それから、それからね……。



 そうだ、あたたかくなったらさ。

 白いお花をつみに行こうよ。


 いっぱいさいているところを知っているんだ。

 君はすごいねって言ってくれるかな。


 そうしたらさ、それで花かんむりを作ろう。

 君にきっとにあうと思うんだ。

 よろこんでくれるかな。


 黄色のお花もつみに行こうよ。

 くきをおると白いちちが出るんだ。

 それは苦いんだけどね、ふくと大きい音がなるんだ。

 きっと楽しいよ。


 そうだ、むらさき色のお花もさくよ。

 ぼくはそのお花がすき。あまいんだ。

 君もすきになってくれたらうれしいな。


 いっぱい知っててすごいねって君はまた言ってくれるかな。

 言ってくれたらうれしいな。

 笑ってくれたらうれしいな。


 だからさ、あたたかくなったらお花をつみに行こうよ。

 

 おきたらそう言おう。



 いっしょにお花をつみにいこう。


 君といっしょに行きたいんだ。


 ああ、でもその前にあやまらなきゃいけないね。

「あっちいけ」なんて言ってごめんね。

 本当はそんなこと思ってないんだ。

 ごめんね。


 おきたら、そう言わなきゃ。


 本当はどこにもいかないでほしいんだ。

 ずっとそばにいてほしいんだよ。


「あっちいけ」なんてウソだからね。

 ごめんね。


 もうそんなウソ言わないようにするから。

 だからさ……。


 君はまた来てくれるかな。

 来てくれたらうれしいな。


 ああ、ちがうね。

 ぼくが行かないといけないんだ。

 君のところに行かないと。


 おきたら、君のところにいちばんに行くよ。

 だからちょっとだけまっててね。


 そうしたらね。

 あのね。

 君につたえたいことがあるんだ。



 ぼくといっしょにいてくれてありがとう、って。


 これからもいっしょにいてほしいんだ。


 だからどこにもいかないで。


 ぼくといっしょにいて、って。



 つたわるといいな。


 あたたかくなったら、いっしょにお花をつみにいこう。 



 それからまた、ふすまの開く音。


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