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無能令嬢と氷の皇帝 ~古代の叡智を目覚めさせた夜~  作者: 九十九 文


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第5話「遺跡の扉と、二人分の未来」



 翌朝、アリシアは姿を消した。


 正確には、手紙を一枚残して。


   「少しだけ、行きたい場所があります。

    一人で行かせてください。

    三日で戻ります。

    AJ」


 ハインツが慌ててレオンハルトに報告した。皇帝は手紙を読んで、三秒黙った。


「追え」


「は?」


「追う。一人で行かせない」


「陛下、手紙には一人でと……」


「一人で行かせない、と言った」


 ハインツが小声でぼやいた。「……これが恋というものか」


  *  *  *


 アリシアが向かったのは、帝国南辺の「カーラの遺跡」だった。

 古代魔導王国時代の遺跡で、現在は立入禁止区域に指定されている。


 なぜここに、とレオンハルトは訊かなかった。

 アリシアが向かった理由は、彼女の横顔に書いてあった。


 馬を降りて遺跡の外壁に辿り着いたとき、アリシアは石板に彫られた紋章を見て足を止めた。


「……知っている紋章ですか」レオンハルトが横から問うた。


「母の形見、銀のコンパスにこれと同じ紋章が刻まれています。母は私に一度だけ言いました。『いつかこの紋章の意味がわかる日が来る』と」


 アリシアはコンパスを取り出した。銀色の小さな器具。蓋を開けると、内側に同じ紋章と、短い文字列が刻まれていた。


 彼女はそれを石板にあてがった。


 遺跡の外壁が、低い音を立てて動いた。


  *  *  *


 中は広大だった。


 松明を手に進みながら、二人は何百年も時間が止まったかのような回廊を歩いた。石の壁に古代語の碑文が刻まれ、床には精巧な魔法陣が描かれている。アリシアはそれを一つひとつ読みながら進んだ。


「……わかりますか、この言語」


「古代魔導語です。現代語とは大きく違うけれど、工学記述の部分は共通点が多い。読めます」


 また「読めます」か、とレオンハルトは思った。そして、もうそれに驚かなかった。


 最奥の扉の前で、アリシアが立ち止まった。

 扉に、長い碑文が彫られている。彼女はそれを声に出して読み上げた。


 読み進めるうちに、彼女の手が微かに震え始めた。


「……アリシア」


「待ってください、今……」


 彼女が読み終えた。

 松明の炎が揺れる中、しばらく動かなかった。


「何が書いてあった?」


「……私の血脈は、この古代魔導王国の正当な継承者だと。母方の家系が、三百年前にこの王国が滅亡したときに各地へ散った継承者の子孫で……この遺跡は、継承者が戻ることを想定して封印されていた、とのことです」


「つまり」


「私がここに来たのは、偶然じゃなかった。母が私に伝えたかったのは、これのことだったんです」


 アリシアは長く息を吐いた。それから、扉に手を当てた。


「お母さん……」


 低い声だった。

 十年間、誰にも言えなかった言葉の重さを含んだ声だった。


 レオンハルトは何も言わなかった。

 代わりに、そっと後ろから彼女の肩に手を添えた。


 力を込めるのではなく、ただそこにある、という重さで。


 アリシアは驚かなかった。

 ただ、その手の熱を確かめるように、少しだけ肩を傾けた。


 体温が伝わってくる。指の輪郭が、ドレス越しにはっきりとわかる。彼の心拍が掌から伝わってくるような気がして、アリシアは自分の胸の奥が静かに温まるのを感じた。


(この人の体温は……温かいな)


 ただそれだけのことが、なぜか泣きたいほど有難かった。


  *  *  *


 扉を開けた先は、広大な円形の空間だった。


 天井は高く、中央に巨大な機械が眠っていた。石と金属と魔法陣が組み合わさった複合装置。数百年の時を経ても、細部まで精巧に保たれている。


「……これは」


 アリシアが息を呑んだ。


「古代魔導文明の動力炉の原型……! 現代の私の研究が、ここから始まっていたんだ……!」


 目が輝いていた。

 研究者の目だ。泣いていた瞳が、今は炎のように輝いている。このギャップを、レオンハルトは好ましく思った。


「これを全部、解析できますか」


「できます。絶対できます。一年……いや半年でやってみせます」


「言い切ったな」


「言い切りました」


 アリシアが振り返って、真っ直ぐにレオンハルトを見た。


 そのとき彼は決めた。

 ここで伝えよう、と。


  *  *  *


 円形の空間の中央で、レオンハルトはアリシアの前に立った。


「一つ、聞いていいか」


「はい」


「この遺跡の解析を終えた後――どこへ行くつもりだ」


「……帝国に戻ります。顧問の契約がまだありますから」


「契約が終わったら?」


「……次の研究を」


「帝国でか?」


 沈黙。


「……どこでも、いいと思いますが」


「帝国でやれ」


 アリシアが目を細めた。「それは命令ですか」


「頼みだ」


「帝国皇帝が、臣下に頼み事を?」


 レオンハルトは息を一つ吐いた。


「……臣下としてではない」


 アリシアの目が、かすかに揺れた。


「俺は今、皇帝として話していない。一人の男として話しているのだ」


 彼はアリシアの正面に立ち、彼女の手を取った。

 右手で、彼女の細い指を包む。指先が冷えていた。アリシアはいつも工房にいるから、寒い場所にいることが多い。その冷えた指の感触が、レオンハルトの胸を締め付けた。


「お前は俺に、孤独ではないことを教えてくれた。俺の周りに何百人いても、誰も私を『レオンハルト』として見なかった。お前だけが、最初から『目が澄んでいる』と言った」


「あれは……ただ事実を」


「わかっている。お前に計算はない。だからこそ、俺には響いたのだ」


 彼の右手の温度が、彼女の冷えた指を通じて全身に広がっていくように感じた。心臓が少し速くなっていた。アリシアは自分の鼓動を、確かに意識した。


「俺の隣にいてくれ。この国の未来を、共に創ってほしい」


 声が低く、静かで、飾り気がなかった。


「ただの皇帝ではなく――お前を愛している一人の男として、頼む」


 アリシアは動かなかった。

 しばらくの間、ただレオンハルトの目を見た。


 澄んでいた。初めて会ったときと変わらず、その目は澄んでいる。嘘をつく人間の目は濁るものだ。この人の目は、三ヶ月たっても、こんな場面でも、澄んでいる。


 目の奥が熱くなった。

 アリシアは今度こそ、逃げなかった。


「……私も」


 声が出た。震えていたかもしれない。だが、確かに出た。


「私も……あなたを」


 続きが言えなかった。だから、言い換えた。


「だからこれからは……あなたの孤独も、私が預かります」


 レオンハルトの手が、彼女の手を少し強く握った。

 それだけで、温度が倍になった気がした。


 二人はしばらく、その遺跡の静寂の中で向かい合っていた。

 松明の炎が揺れる。古い石の匂い。数百年分の時間が積もった静けさの中で、アリシアはやっと息ができるような気がした。


「レオンハルト」


「ん」


「私はあなたの『盾』になります。あなたは私の『剣』でいてくれますか」


「……お前が盾では、少し心配だな」


「どういう意味ですか」


「盾のくせに、前に出そうだからな」


 アリシアは一瞬止まり、それから笑った。


 声を出して笑った。

 それは、彼女がこの三ヶ月で初めて見せた、心からの笑顔だった。


 レオンハルトはその笑顔を見て、ただ静かに思った。


(ああ、これでよかった)


  *  *  *


 二人が古代機械に近づいたとき、機械が音を立て始めた。


 低い唸り。石の床を伝う振動。魔法陣に光が灯り、連鎖するように壁面の術式が次々と輝きだす。


「起動している……!」アリシアが目を見張った。「継承者が触れることで、自動起動する仕組みが……!」


 機械の中心部に、光の柱が立った。


 そして、その光の中から声が響いた。


 古代の言葉であったが、意味は伝わった。


「……鍵と剣が、ついに揃った……」


 天井の奥、光の届かない暗闇に向かって、その声は言った。


「目覚めの時が来た……世界を変える力と、それを守る剣が……」


 二人は顔を見合わせた。


「……どういう意味だと思いますか」アリシアが問う。


「さあな」レオンハルトが答えた。「お前が解析するのだろう。楽しみに待っているぞ」


「手伝ってくれますか」


「剣なんだろう。お前の隣にいる」


 アリシアはもう一度、小さく笑った。


 機械が轟音を立てて完全に起動する。遺跡の壁面が光で満ち、数百年の時を経た古代の叡智が、今まさに目を覚ます。


 扉の奥の奥、さらに深い暗闇から、別の気配が動いた。


 待ち望んでいた者が。


 この力を奪おうとする者が。


 しかし今は、まだ関係ない。


 アリシアは、隣に立つ男の手を握った。

 それだけで十分だった。


 二人は揃って、光の中へ踏み込んだ。


  

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