七十話 試練
新メニュー『カレーライス』を追加してからまたいくつかの月日が流れた。
一時はカレー旋風によって狂乱のような忙しさだった店も、今では開店当初の爆発的な忙しさから少し落ち着きを見せて地に足のついた安定した営業を続けていた。それにしても相変わらずどのメニューも大好評でピーク時の行列が途絶えることはないが、嬉しいのはほぼ毎日顔を出してくれる「常連客」が圧倒的に多い事だ。
そしてこの数ヶ月で店にとっての変化は従業員の成長だった。初回の反省会から始まった地道なトレーニングの成果もあり、アイリスとルナの調理補助の技術やセリアの給仕は完璧。そればかりか調理のほうも俺が任せられるほどにまで二人は腕を上げていた。
営業終了後の片付けを終え、誰もいない静かな客席に俺はアイリスとルナを集めた。
「今日も一日お疲れ様。……実は今日集まってもらったのは、この店を次の段階に進むために二人に『ある試練』を出したいと思ったからだ」
俺が真面目な表情で切り出し、席に座っていたアイリスとルナの背筋がピンと伸びていた。
「試練……ですか、カケルさん」
アイリスが少し緊張した面持ちで俺を見つめている。
「ああ。二人のここ数ヶ月の努力と技術の向上は、本当に素晴らしいと思ってる。俺が指示した通りに動くだけなら、もう言うことは何もない。……だから、次は『自分の料理』を作ってみてほしいんだ」
「えっ……!?自分の、料理……?」
ルナが驚いて目を丸くした。
「そうだ。二人がそれぞれ自分でメニューを考え、食材を選んで、試作を繰り返して納得のいく『一品』を完成させてみてくれ。もしそれが合格点に達している良いものであれば、正式に店のメニューとして追加しようと思っている」
「私たちの作った料理が、お店のメニューに……!」
ルナの顔がいつの間にか火が灯ったように明るくなったが、隣のアイリスは深く考え込むような表情になった。
「ただし、下手な料理はしてくれるなよ。今ある料理をアレンジするのもいいが、簡単な料理だったら問答無用で却下だし、場合によっては厨房担当から外すことになるかもしれないからな」
それを聞いてルナは深刻な顔になりアイリスもさらに考えるようになる。
「期限は今から二週間だ。その二週間、アイリスとルナは必要であれば仕事をしなくてもいい。仕込みも接客もしなくてもいいから、店の厨房を使って納得がいくまで料理の開発に専念してくれ。店のほうは俺とセリアの二人でなんとか回せるから」
「カケルさん、でも……ただでさえ忙しいお店を二人だけで大丈夫なんですか?」
アイリスが落ち着いて制止しようとした。
「心配するな、負担はかかるがどれだけ忙しくなっても回せないことはない。二人は余計な心配を捨てて、自分の料理のほうに集中してくれ」
アイリスもルナも感動したように目が潤む。
「よし、話は以上だ!二週間後、二人の度肝を抜くような一皿を楽しみに待ってるぞ!」
「「――はいっ、カケルさん!!」」
二人の強い返事が、夜の店内に響き渡った。
翌日からの二週間、店は宣言通り俺とセリアの二人体制での営業となった。とりあえずアイリスとルナの優秀なサポートに慣れてきてた身体には二人が抜けた穴はキツかった。俺は厨房で文字通り神速の如く動き回り、セリアは残像が見えるほどの無駄のない動きで満席の客席を縦横無尽に駆け抜けた。「カケル、セリア、無理すんなよ!」と声をかけられながらなんとか二週間を無事故で乗り切った。
店の厨房からは営業中や閉店後でも何かを炒める音や、スパイスや出汁の複雑な香りが漂ってきていた。
二人の表情は最初は色々と考えているような感じで三日もするとかなり深刻な顔になり、一週間後は絶望なんじゃないかという顔にまでなっていた。
それもそのはずだ。料理人として一から自分の料理を作るというのはどんな課題よりも難しい。既存である料理でなら練習すれば作れるようになるし回数を重ねれば重ねるほどうまくなる。しかしなにもないところから料理を作るとなるとそれなりのスキルや知識が必要になる。
そんな難しい課題を二週間で、というのはさすがに短いとも思ったが二人ならできると信じている。
そして約束の二週間後。夜の営業を終えた店の厨房でついに二人の「自分の料理」を披露する時がやってきた。
「カケルさん、セリア。二週間、本当にお店を守って頂きありがとうございました。私たちの、前向きで最高の答えを持ってきました」
アイリスがどこか清々しく、自信に満ちた表情で一歩前に出た。
「カケルさん!早く食べてほしくてもう待ち遠しいです!」
ルナも充実感に満ちた大きな笑顔でトレイを抱いている。
審査員席として整えられたテーブルに俺とセリアが並んで座る。まず最初に料理を運んできたのはアイリスだった。
「私からの料理は、こちらの『特製出汁の玉子焼き』です」
白いお皿の上に鎮座していたのは見事なまでに美しい黄金色をした綺麗な玉子焼きだった。
過去にオムレツを作ったことはあったが、その味付けを色々と試したんだろう。結果としてだし巻き玉子という感じになっていた。
「カケルさんに教えてもらったココ鳥の骨と、干したキノコから取った『出汁』の味に惹かれていました。それを極限まで贅沢に卵の中に閉じ込めました」
俺は早速、箸で一切れを切り分けて口に運んだ。
「……へぇ――美味いな、これ……!」
口の中でふんわりとした食感の卵が「とろける」ように崩壊した。やがて溢れ出てくる濃厚で優しい出汁の旨味が口いっぱいに広がる。計算された塩加減と卵の自然な味。アイリスの「きっちりとした生真面目さ」が、ミリ単位の火加減と巻きの技術として、これ以上ない形でこの美しい玉子焼きに昇華されていた。
「素晴らしいです、アイリス。この優しい味わい、驚くほど染み渡ります。これは間違いなく街の人々や女性のお客様にも大人気になります」
セリアも一口食べて、うっとりとした表情で絶賛した。
「出汁を使って作る玉子焼きはだし巻き玉子という。自分でここまでの味に行きついたんなら合格だ、アイリス。明日からすぐにでも出せるクオリティだ」
「……!ありがとうございます、カケルさん……!」
アイリスがホッとしたように胸に手をあて、美しい笑顔を咲かせた。
「次は私の番です!カケルさん、我慢しないでくださいね!」
続いてルナが、豪快に大きなお皿をテーブルにドンっと置いた。
「ルナの特製メニューは、これです!『たっぷり野菜とスパイスのカレー』!」
目の前に出られたのは、肉と細かく刻まれた野菜が入っていて汁気を完全に飛ばすまでじっくりと炒め上げられたカレールーがご飯の上にたっぷりと乗った料理――『キーマカレー(ドライカレー)』だった。
「カケルさんのカレーを毎日見ていて思ったんです。あの美味しいルーをもっとガツンと味わえて、お肉と野菜もいっぱいとれるものにならないかと!味を濃厚にするために水を加えず野菜と調味料の水分で煮詰めました!」
まさかのキーマカレー。当然俺は教えたこともないしヒントも与えていない。アイリスもそうだったが料理の発想は二人とも抜群にいいのだろう。
俺はスプーンを入れ、ご飯と一緒に口へ運んだ。
「うん!――しっかりできているな……!」
口に入った瞬間、力強い肉汁と細かく刻まれた野菜の旨味、そしてガツンと尖ったスパイスの刺激が弾ける。水分を飛ばしている分、旨味が定着されている。
「すごいもんだ、ルナ。このカレーは『キーマカレー』と言うんだ。それをここまで自分流にアレンジして仕上げるとはな。もちろん合格だ」
「やったぁぁぁ!!カケルさんに褒められたーっ!!」
ルナが両手を上げて飛び跳ね、横にいたセリアも「本当に美味しい、ルナ。その勢いが味にそのまま活きていますね」と喜んでいた。
「二人とも、本当に見事だ。どれだけのものを作れるか心配ではあったが、しっかり成長してくれてて嬉しいよ。この二品は近々メニューに加えよう」
二人の試練は100点満点以上の大成功で幕を閉じ、二つの新メニューを出すことで決定した。
そして迎えた新メニューの解禁日。
数日前からアイリスが店内に「アイリス・特製だし巻き玉子定食」と「ルナ特製・ごろごろドライカレー」の予告ポップを大々的に貼り出していたこともあり、街の噂は瞬く間に広がった。
開店の時間、扉が開いた瞬間に店内に雪崩れ込んできた客たちの注文は異様な熱気を保っていた。
「おい!アイリスちゃんの定食をくれ!彼女が俺のために作っていると思うだけで今日の依頼は何でもこなせる気がするぜ!」
「はいっ!ご注文ありがとうございます!『アイリスのだし巻き』入ります!」
「こっちはルナちゃんのカレーだ!間違いなく食ったら元気でまくりだろ!仕事もはかどるぜ!」
「はーい!『ルナのドライカレー』お願いします!」
アイリスとルナが厨房の中で生き生きと、そして信じられないほどのスピードで料理を仕上げていく。
『だし巻き玉子』はその圧倒的な美しさと優しい出汁の味でガテン系の冒険者の心を一瞬で鷲掴みにし、客席からは「おい、なんだこれ……優しすぎて涙が出てくるぞ……」「実家の母親の料理より癒される……」という感動の声が漏れていた。『ドライカレー』はスパイスがしっかり効いていてテンションを上げさせている。「これぞ冒険者のための飯だ!」「最高すぎる!」と、若い男たちの間で凄まじい注文数を叩き出していた。
その日は用意していた卵もドライカレーのルーも、お昼過ぎには綺麗に底を突くほどの「大爆発」となった。
厨房の片隅で二人が並んで楽しそうに料理をしている姿を、俺はセリアと並んで見つめていた。
「……お二人の背中、また大きくなられて。本当に、素晴らしい『料理人』になられました」
セリアが目を細めながら呟いた。
「ああ。本当に頼もしいよ。だけどまだまだこれからだ。いつか俺が店を空けても安心して任せられるようになるまでは、しっかり頑張ってもらわないとな」
夜の部の営業も無事に終わり、大成功の熱気が残っている店内で全員でガッチリとハイタッチを交わした。
全ての片付けを終え、深夜の王都の道を俺は一人で歩いていた。足の疲れは心地よく、胸の中にあるのは自分の料理が認められた時以上の、言葉にできないほどの幸福感だった。




