8:故郷より
太陽が山裾から這い上がってきた。朝の光が村を包み込み、人々が家畜が目を覚まし始めていた。
見慣れた山野や家々の屋根が見えてきてやっと、私は、ああ帰って来たのだなあと感じた。こんなに小さかったけとも思っていた。
はじめに私が出会ったのはクル爺だった。最初私とは気付かなかったらしく、上目がちに少し私を見上げてからそっぽを向いてしまったが、私が傍により肩を叩いてやると、感嘆の笑みを浮かべて飛び上がった。
何せ小さい村だから、私が帰ってきたという知らせは瞬く間に村中を駆け抜けた。十年前にふいに村を出たっきりの若者が戻ってくるとは誰も思わなかったようで、ほんとうに熱烈な歓迎ぶりだった。
村人たちはそのほとんどが高齢だった。若者は私のように町へ出て行ってしまい、あとにはこうして老人たちだけが残されてしまったのだという。
「何しとったんだね、十年も」
クル爺にそう訊ねられて、私はこの十年間に起きた出来事を思い出してみた。
村を出たことに何ら明確な理由がある訳ではなかった。ただこんなに小さなところで一生家畜の世話をしながら過ごすことにふいに嫌気がさして、親にすら何も言わずに飛び出した。それからは、定住をせずあちこちの街々を放浪しながら過ごす日々だった。
不思議なことで、こう話してみようとするとあまり思い出が浮かばなかった。旅というものが、私の身に心に染み付いてしまっていたのかもしれない。今こうして故郷にいる時でも、心では次にどこを訪れるかを無意識に考えてしまっている。
それでは何で急に、ここを訪れようなどと思いついたのだろうか。やっぱり、心のどこかでは懐かしき故郷に帰りたいと思っていたのかもしれない。
十年のうちに、村は変わってしまっていた。私は老人たちに取り囲まれながら、ゆっくりと風景を見渡してみた。廃屋になった家が何軒かある。もう使う人がいなくなってしまったのか、橋が取り壊されている。それ以外にもいくつかなくなった物がある気がしたが、あんまり思い出せなかった。
「もう、明日には、行っちまうつもりなのかい?」
皺の寄ったおばあさんがそう聞いてきた。私はしばらく滞在するつもりだと答えたが、老人たちは、ずっといればいいのに、と口々に呟いた。
旅人というのは、常に変化に餓えている。ずっと同じところにいるとうずうずしてきて、また放浪の旅に身を浸してしまう。
だから、十年越しに訪れた故郷も、今までめぐって来た様々な町や、人々やら、そういう通過点の一つに過ぎないのかもしれない。
空には大きな羊のような雲がひとつ、ぽっかりと浮かんでいる。止まっているように見えるけれど、目を凝らして、腰を据えて、じっくりと眺めていれば、僅かずつ動いていることがわかる。
この手記も終わりに近づいてきた。まず墓標の町ツェガイラを訪れて、海岸沿いのフロイへ。それから船に乗って航海しシクリフ大陸へ。ラギザード、ペルミト、リューンを経てゴルドへ渡った。
ゴルドに着いて以降のことは、あまり手記に書いていない。カゲロウに会ってから、私は、何だか今の今まで旅を支えてきてくれた道しるべのようなものを失ったような気持ちになっていて、筆を取る気にならなかったのだ。
カゲロウは、生きることへの不安と絶望が大きすぎて、押し潰されてしまったのかもしれない。ひとり、孤独な旅をしている最中ふいにカゲロウのことが頭に浮かぶことがある。最初のうちは、暗鬱な心持になっていたものだが、次第に、私は孤独ではないのだ、という思いを抱くようになっていった。
誰しもが旅人なのだ。私が出会ってきた人々も、カゲロウも、皆、前も後ろもよくわからないままに、それでも前に進んでいこうとしていたのだ。
旅人は皆、そういう狂気に満ちているのだと思う。
だから旅は面白いのだとも思う。
最後まで読んでくださりありがとうございました。