目覚め、ちゃぶ台の女神
転生機会 プロローグ
気がつくと、誠二は畳の上に座っていた。
いや、正確には畳ではない。畳に似た、青白く発光する謎の敷物の上だ。目の前には、これまた見覚えのあるようなないような、木製のちゃぶ台。その向こうに、一人の女がぐったりと突っ伏していた。
――美女、である。それも、尋常でないレベルの美女だ。白銀の髪、透き通るような肌、この世のものとは思えない神々しさ。ただし、目の下には濃いクマが刻まれ、突っ伏した拍子にちゃぶ台に額をぶつけて「いてっ」と小さく呻いている。
(……夢か? いや、死んだんだよな、俺)
「ん……。ああ、来ましたか」
女はのそりと顔を上げた。神々しさとクマの同居は、率直に言って新鮮な光景だった。
「あの、すみません。ここは?」
「わたくし、この世界を管理している女神です。名乗るほどのものでもないのですけど……あー、お茶、飲みます? 一応、出しときますね」
言うが早いか、女神は湯呑みを二つ、どこからともなく取り出してちゃぶ台に置いた。作法もへったくれもない、実に雑な所作だった。
(神様って、もっとこう……厳かなもんじゃなかったっけ)
「田中誠二さん、でしたね。……脳梗塞、お疲れさまでした。あれは痛かったでしょう」
「いや、それより……自分、死んだんですよね?」
「死にました。おめでとうございます、と言うべきか、ご愁傷様と言うべきか、迷うところですけど」
女神はそう言いながら湯呑みに口をつけ、はあ、と深いため息をついた。
(既視感がすごい。前世の飲み会で、部長の愚痴聞いてたときと同じ空気だ)
「聞いてくださいます? わたくし、もう本当に、疲れてるんです」
「……はあ、どうぞ」
「わたくしの管理してる世界、魔法があるんですよ。それも結構強力なやつが」
「魔法、ですか」
「ええ。……で、これがまずかった。魔法さえあれば火も水も食料もどうにかなるもんだから、誰も技術を発展させようとしないんです。鍬一本改良しようともしない。水車も発明しない。魔法でどうにかなるから、いいや、って」
「はあ」
「おまけに魔獣ですよ、魔獣。魔力が濃い土地だから、魔獣もやたら強いのが湧く。おかげで人間、ちょっと村の外に出ただけで簡単に死ぬんです。人口、全然増えないんですよ。わたくし、これでも一応、豊穣とか繁栄を司る側の神なんですけど……もう、何百年もずっとこの調子で」
女神は湯呑みをコトリと置き、こめかみを揉んだ。
「同僚の神々には『管轄の世界も碌に発展させられないのか』って嫌味言われるし、上には『そろそろ結果出してくれます?』って詰められるし……」
(うわ、これ完全に板挟みの中間管理職だ)
誠二は思わず、心の中でそう呟いた。三十年近く会社員をやっていれば、こういう顔には嫌でも覚えがある。上と下に挟まれて、誰にも褒められないまま、ただ結果だけを求められる顔だ。
「もう、わたくし個人の力じゃどうにもならないところまで来てて。それで、外から魂を連れてくることにしたんです。この世界の『当たり前』に染まってない、よそ者の知恵が欲しくて」
「それで、自分が呼ばれたと」
「そうです。すみませんね、こんな面倒な世界に付き合わせて」
女神は本当に申し訳なさそうに、深々と頭を下げた。
(神様に頭下げられると、逆に居心地悪いな……)
「――で、力については、ご相談させてください」
女神は居住まいを正した。といっても背中は丸まったままだったが。
「本来なら、勇者召喚みたいに、強力なスキルや武器をドカンと与えるのが定番なんですけど。正直、わたくし、そこまで力ないんです。魔力も予算も限られてて。だから、誠二さんに何か一つ、ご希望を伺ってから、できる範囲でお応えしようかと」
「予算、ですか」
「予算です。世知辛いでしょう。わたくしも辛いんです」
(神様の口から予算なんて単語聞くとは思わなかったな……)
誠二はしばらく黙って考えた。前世、力を持て余して喧嘩に明け暮れる人生に憧れはなかった。強力な魔法で無双する自分の姿も、正直あまり想像がつかない。
「特別な力とか、そういうのは、別に要りません」
「え?」
「ただ、健康でいたいです。それだけで、十分です」
女神は、ぱちぱちと瞬きした。
「……それだけで、いいんですか? もっとこう、剣とか、火力の高い魔法とか、要求してもいいんですよ?」
「はい。健康なら、あとは自分の力で何とかします」
女神はしばらく黙って誠二を見つめていたが、やがて、ふにゃりと相好を崩した。
「……いい人ですね、誠二さん」
(そんなに褒められることか、これ)
「わかりました。それでは――」
女神は湯呑みを両手で包み込み、うんうんと一人で頷きながら考え込んでいた。
「健康、健康……。うーん、ただ健康なだけだと、この世界、普通に魔獣に襲われて死んじゃうかもしれないですし」
「あ、いや、そこまで大層なものは」
「せっかくだから、頑丈にもしておきましょうか。あ、でも頑丈なだけだと、老いて動けなくなるのは変わらないですね。それも困る」
「あの、聞いて」
「だったら――」
女神の目が、名案を思いついた子どものように輝いた。誠二は、そのとき初めて、微かな胸騒ぎを覚えた。
「不老不死にしちゃいましょう!」
「――は?」
「いやあ、これなら完璧です。病気にもならない、老いもしない、死にもしない。健康の究極形ですよ、これ。誠二さんのご希望、ばっちり叶えられます」
女神は自分のアイデアに満足したように、パン、と両手を合わせた。
「あの、待ってください。そこまでは望んで――」
「ついでに、体も二十代前半くらいに若返らせておきますね。五十歳の体のまま不老不死っていうのも、それはそれで気の毒ですし」
「いや、あの、話を」
誠二の抗議は、最後まで聞き届けられなかった。女神はすでに、鼻歌交じりに何やら光る紋様を宙に描き始めていた。
(前世の会議で、こっちの説明を最後まで聞かずに『わかったわかった、それでいこう』って進めちゃう役員、何人もいたな……。あれと同じだ、これ)
「あのですね、女神様。健康って、そこまで大袈裟な話じゃなくてですね……」
「大丈夫です大丈夫です、細かいことは気にしないでください。……よし、これで良し、と」
女神は満足げに頷いた。誠二の意見は、最後まで一度も採用されなかった。
「それじゃあ誠二さん、向こうで良い人生を。あ、名前ですけど、この世界だと『タナカセイジ』は発音しづらいかもしれないので、『セージ』とでも名乗ったらいいと思いますよ。田中誠二の『セイジ』っぽくて、ちょうどいいですし」
「せめて、名前くらいは自分で決めさせてください」
「あら、気に入りませんでした? いい名前だと思ったんですけど」
誠二がため息をつく間もなく、女神は軽く手を振った。
「それじゃ、行ってらっしゃい。困ったことがあっても、わたくしはもう手出しできないので、そこは頑張ってくださいね! 応援してます!」
(語尾にハートマークでもつきそうな調子だな……。さっきまでの愚痴聞き空間、どこ行ったんだよ)
誠二がそう思った瞬間、視界が暗転した。
――勝手なものだと誠二は思ったが、不思議と腹は立たなかった。どうせ二度目の人生だ。不老不死という、いささか過剰すぎる贈り物ではあったが、少なくとも「健康」の一点においては、これ以上ないほど満たされたことになる。
(まあ、いいか。今度は誰にも文句を言わせず、自分の裁量で生きてやる)
そう思った瞬間、意識は完全に途切れた。




