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本当に微かではあるが「ガンッ」というスチールターゲットに7.62ミリメートル弾が着弾した音が聞こえてきた。
1秒前には大きな声で「タイムアップ」と叫んだ黒人教官が、ニヤリとした表情を浮かべると
「本当に運の良い奴だ。今回も2つ目のターゲットをヒットした際の発砲は時間内なので、聞こえた命中音を有効とする」
右手に持っていたバインダーに挟んでいる記録用紙の合格欄に、殴り書きで自分のサインを記入し終えたと同時に、曇天の空から大粒の雨が降り出してきた。
俺がSR25M110SASSセミオートライフル銃を専用ケースに仕舞い、双眼鏡やシューティングレスト等の荷物を持って黒人教官とジープへ辿り着いた時には、土砂降りの状態となり黒人教官と俺は全身びしょ濡れの有様となっている。加えて、外気温も低くなってきているようで全身から体温が奪われて徐々に寒さを感じるようになってくる。
スコールと言っても過言ではなく、滝のように降り出した雨の影響で10メートル先が白く霞んで視認することができない。恐らく、どんなにスコープの倍率を上げてみたところで距離のある場所に設置されているターゲットを探し出すのは不可能と思える。しかも、上空には黒い雲が周囲を覆っており暫くは雨が止みそうな気配も感じられない。
黒人教官も突然訪れた悪天候に
「テストを一旦中止して基地へ戻る。貴様のテストについての取扱いは基地へ着いてから確認するので、最初に居た控室で待機するように」
と叫びジープの運転席へ向かうとバインダーを裏返しに助手席へ置くと、俺に急いで荷台へ乗り込むように急かしてくる。纏めた荷物を抱えて俺が荷台へ乗り込むと、勢い良くジープをUターンさせて基地へ引き返す。
運転の荒い黒人教官のせいで、荷台に座っている俺はジープのタイヤが跳ね飛ばす泥を頭から浴びるが、泥を浴びた傍からシャワーのような雨が直ぐに泥を洗い流してくれる。全裸でシャワーを浴びているわけではないので、切れ目なく降り注いでくる雨は身に着けている衣服に沁み込んで、身体に張り付くだけではなく重くなってくる。
降雨を避けるための装備を施していないジープを飛ばして基地の建物に辿り着いた頃には、走行中に吹き付けてくる風も加わり身体中の体温が奪われるので、歯がガチガチと音を立てるくらいに全身が震えていた。
仮に実践の場であっても、このような気象状況下では余程の事情でもない限り長距離狙撃を行うことはない。滝の様に大量の雨が降っていては、如何に高性能なスコープを使用したとしても確実にターゲットを捉えられることはできない。しかも、銃器から放たれた弾丸の軌道は例外なく放物線を描き、射程が長距離の場合に弾丸がターゲットに命中するのは、引力の影響を受けている弾丸が下降している状態の時になるので、滝のように降ってくる雨によって弾丸のドロップ量は晴天時に向かい風を受けている時よりも段違いに大きく、そのドロップ量を想定しろと言われてもイメージできない。
その点では、黒人教官が下したテストの一時中断は正しかったと言える。最も、テストを無理に継続したとしても豪雨が降り続く状況では、周囲の音も聞こえ辛くなるので長距離にあるスチールターゲットに7.62ミリメートル弾が命中してもヒット音を聞き取ることが可能か甚だ疑問ではある。
全身びしょ濡れの俺は、ジープからSR25M110SASSセミオートライフル銃を収納した専用ケースと双眼鏡やシューティングレスト等を抱えて降りると、一目散に控室へ向かい濡れた荷物を控室の床に置いて、シャワー室へ向かい全身に絡み付く衣服を苦労して脱ぎ、すっかり水分を含んで重くなった下着等の衣服をランドリー洗濯機へ放り込んでスタートボタンを押す。
それから温水のシャワーを浴びると漸く身体が温まってきたので、寒さが原因であった全身の震えが止まる。本来ならば、日本に居た頃のように浴槽の湯舟に浸かって身体の芯から温まりたいところだが、基地のシャワー室には浴槽等は備え付けられていないので温水を溜めて湯舟にすることができない。
以前、日本の陸上自衛隊との共同演習に参加した時に、陸上自衛隊が準備してくれた浴室テントを利用した際、簡易的であっても浴槽があった事を思い出し一瞬だが日本への郷愁が湧いてくる。
シャワーを浴び終わり、脱衣所で濡れた頭髪をドライヤーを使って乾かし終えると、ランドリー洗濯機へ放り込んだ下着等の衣服が仕上がっていた。皺だらけの衣服ではあるが乾燥している服を身に着けると人心地がつく。
シャワー室を出た俺は、その足で基地内の食堂へ向かうことにした。
テストでは、大して身体を酷使したわけではないが滝のような降雨を浴びて体温を奪われたために身体が発熱しようとしているのか空腹を感じる。兎に角、黒人教官が控室へ戻ってくるまでに急いで空腹を満たしてしまいたかったので、フィラデルフィアで有名なフィリーチーズステーキを細長いバゲットのようなパンに挟んだハンバーガーをオーダーする。
このハンバーガー1つと生野菜ジュース1杯を胃に送り込めば、余程の大食漢でもない限り空腹を満たすことが充分にできる。
昼食を急いで食べ終えて、控室に戻ってみると黒人教官が訪れたような形跡はなかった。ずぶ濡れ状態で一刻も早くシャワー室へ向かいたいと思っていたので、控室の床へ乱雑に置いた品々を見るとシューティングレストは水分を含んで外側のナイロンが黒っぽく変色しており、SR25M110SASSセミオートライフル銃の専用ケースや双眼鏡からは床へ垂れた雫が床に溜まって水溜まりとなっている。
特に、7.62×51ミリメートルNATO弾薬が入っている弾箱は段ボール紙製という事もあって雨を含んで段ボールが潤けてしまい、今にも箱が壊れしまいそうだ。
俺は、その弾箱を慎重に床から持ち上げると基地の備品係へ向かい、残弾となった7.62×51ミリメートルNATO弾薬を返却する。
備品係は、俺が持っている弾箱の状態を見るとプラスチックトレーと雑巾を持って俺が立っているカウンターへ来ると弾箱から7.62×51ミリメートルNATO弾薬を1発ずつ取り出して雑巾で水気を拭き取り7.62×51ミリメートルNATO弾薬をプラスチックトレーへ置いていく。昨今の弾薬は、品質が向上しているので簡単に状態が悪くなることは稀だが、雨水等に濡れた状態のままで放置していれば薬莢部分に錆が発生しても不思議ではない。薬莢部分に錆が発生すると当該部分は脆弱化するので、知らずに脆弱化した弾薬を発砲させようものなら燃焼した装薬によって生じる発射ガスの圧力に錆びた部分が耐え切れずに裂けて、銃器を破損させることになる。単に銃器のみが破損するだけなら良いが、仮にフルオート射撃で使用した場合には、薬莢が裂けたことで弾丸を押し出す圧力が弱まりバレル内で弾丸が留まるような停弾となれば、正常に発砲された後続の弾丸が停弾に命中、結果としてバレルが破裂して重大事故を引き起こしてしまう。
そういった意味では、目の前の備品係が行っている対応はプロフェッショナルな仕事と言える。全ての7.62×51ミリメートルNATO弾薬の外側から水気を拭き取ってプラスチックトレーに入れた担当者が、そのプラスチックトレーを弾薬保管室へ持っていく前に、俺に向かって報告書の用紙をカウンターに差し出す。
俺は、カウンターに置かれているペン立てから1本のボールペンを取り出して備品係が差し出した報告書へ必要事項を記入してから、使用したボールペンをペン立てへ戻すして弾薬保管室から戻って来た備品係の担当者へ報告書を示すと、俺が記入した報告書を取り上げて目を通し
「オーケーです。これで、この報告書は預かります」
と言って自分の席へ戻っていく。
俺は頷くと、踵を返して控室へ戻る。控室には、床のタイルにできた水溜まりの中に置かれているSR25M110SASSセミオートライフル銃の専用ケースやシューティングレスト、双眼鏡があるので、それらを全て教壇の机の脇へ移動させておく。床の水溜まりを拭いておきたいのだが、基地内の清掃は委託している業者が行うので控室内に清掃用具が備えられたロッカー等はない。加えて、清掃業者が清掃用具を置いている場所も知らない俺は、床の水溜まりが気にはなるが諦めてパイプ椅子に腰掛けて黒人教官の登場を待つことにした。
大して待つことなく黒人教官が控室に入室してくるので、俺はパイプ椅子から立ち上がり入室してきた黒人教官へ敬礼する。乾いた戦闘服に着替えた黒人教官が教壇の上に立ったところで、俺はパイプ椅子に腰掛けると
「スナイパー適性テストは、ご苦労であった。協議の結果、貴様のスナイパー適性テストは2つのステージで終了として、適性テストは合格とすることになった」
無表情ではあるがギョロリとした目で、俺を見詰めた黒人教官がスナイパー適性テストの結果を告げると続けて
「そこで貴様には新たなミッションが与えられるので、これから貴様は寝床へ向かって荷物を纏めたなら、本日の16時00分までに当基地の此処に来い。詳細な指令書を受領したら、貴様を地中海で展開している原子力空母ジョージ・ワシントンへ送る。それから、更に黒海沿岸のジョージアへ向かいミッションに従事してもらうので、移動中に指令書へ目を通して間違いのないようミッションを実行すること。以上だ」
ミッションの内容も知らされてない時点において、目の前の黒人教官に質問する事もないし、これから寝床へ戻って準備するにしても他に用事もないので指定された時刻に遅れる心配もないので、パイプ椅子から立ち上がった俺は
「イエッサー」
と黒人教官へ敬礼する。
敬礼された黒人教官は、俺を見ながら一度頷いたが自分の足元へ視線を向けると
「ここに置かれた品物に残弾が入っているはずの弾箱がないが」
と聞いてくるので
「雨に濡れて段ボール紙の箱が壊れそうでしたので、自分が備品係へ返却しておきました」
敬礼をしながら黒人教官に答える。
「そうか、雨に濡れた弾薬は一刻も早く適性な保管が必要なので良くやった。残りの物は当方で処理するので、貴様は直ぐに寝床へ戻って支度をしろ」
黒人教官の一言を聞いた俺は敬礼したままで
「それでは失礼させていただきます」
と黒人教官へ告げて控室を退出した。
この場でミッションの詳細な説明がなく、移動中に指令書へ目を通せという事は暫く海外へ派遣され、調べものをやらされた挙句に暗殺作戦が待ち受けているのだろう。
相変わらず人使いが荒いと思いながら基地の廊下を寝床へ向けて歩く俺だが、決して高くはない危険手当等が含まれたサラリーを貰っている以上、仕方のない事だと割り切って自分を納得させる。
寝床へ戻ると使い込んでいるバックパックを引き寄せるが、今回も戻ってきてからバックパックの中身を全て取り出しているわけでもないので、せいぜい下着類等を新たに詰め込めば準備完了となる。
荷物の準備が整えば、これと言った時間潰しの用事もないので黒人教官から言い渡された時間には充分過ぎるくらいの余裕があるものの基地の控室へ向かうことにした。
これで俺が喫煙者であれば、控室近くの喫煙所で数本の煙草を灰にしながら時間を潰せるのだろうが、生憎俺は煙草を吸わない。特に、デルタフォースのスナイパーとなってからは、ミッションで狙撃を指示されているターゲットが現れるまでの間に待機している際、気を許して喫煙を行えば吐き出した煙等で相手に存在がバレないとも限らない。実際、これまで経験したミッションでも共に行動したオペレーターのなかに喫煙者がいて、そいつが喫煙したことで大事なチャンスを逃した事は1度や2度ではない。
そんな経験から煙草への興味は全くなくなっていた。




