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俺を含めた7人のオペレーターが暗殺ターゲットとしていたザフィーの遺体をアヴィアーノ空軍基地へ持ち帰り、基地司令の許可を得て100発の45ACP弾薬を支給されて拳銃の射撃訓練を終えた夜に、大西洋に展開していた原子力空母ジョージ・ワシントンから1機のRH-53シースタリオンが飛び立ちアヴィアーノ空軍基地へ向かっていた。
RH-53シースタリオンは、1973年に航空対機雷戦を念頭に運用された米海軍の掃海ヘリコプターである。米国コネティカット州ストラトフォードに本社を有するヘリコプター製造メーカーであるシコルスキー・クラフト社が1962年に米海軍から航空対機雷戦ヘリコプターを求めた事で開発が行われ大西洋を中心に展開されており、同型機は米海軍以外にもイラン海軍と日本の海上自衛隊においても運用されている軍用ヘリコプターである。
ちなみに、ザフィーが乗船していた大型クルーザーの船舶火災についてはモナコグランプリの開催期間中に発生した火災事故として大々的に取り上げられはしたが、大型クルーザー以外に延焼したわけではなくモナコグランプリも影響を受けることなく無事に開催できたため、船舶火災によって乗船していた10名近くが死亡したことに衝撃を受けはしたが大々的に騒がれるような話題とはならなかった。また、合衆国政府からもモナコにおけるザフィーの暗殺等に係る情報は一切発表されていないばかりか、レンタルされた大型クルーザーはザフィーの代理人とされる人間が手続を行い、その際に借主となったザフィーは偽造された身分証明書を提示しているので、表向きは架空の富裕層が大型クルーザー内のガス爆発によって生じた船舶火災事故は、その真相が明らかになることなく哀れな民間人一家が火災事故により一家全員が死亡した痛ましい過失事故として片付けられている。
アヴィアーノ空軍基地のヘリポートに原子力空母ジョージ・ワシントンから飛び立ったRH-53シースタリオンが、基地のヘリポートに着陸すると機内からは、大型のケースを抱えた軍医数名が降りてきた。アヴィアーノ空軍基地からは2台のジープがヘッドライトを点灯して着陸してきたRH-53シースタリオンの近くに停車し、2台のジープの助手席から降りた隊員は、軍医が抱えていた大型ケースを受け取り大事そうにジープの荷台に積み込む。RH-53シースタリオンから降りた軍医達は、それぞれジープの後部座席へ乗り込むとジープはアヴィアーノ空軍基地の中央建物へ向かって行った。
その頃、俺達7人のオペレーターはアヴィアーノ空軍基地の司令官室に召集が掛けられ全員が集められていた。
基地司令官からは
「今、原子力空母ジョージ・ワシントンから3名の軍医が当基地に到着した。軍医からの説明を受け、諸君らが持ち帰った死体がザフィー本人であることが科学的に証明されれば今回の作戦での諸君等の任務は終了となり、その後は諸君等にそれぞれ個別のミッションが、この部屋で私から言い渡される事になる。DNA検査結果が判明して諸君等に参集を掛けるにあたって当基地からの外出は一切認められないので、そのつもりでいるように」
との説明を受け終わるとタイミング良く、司令官室のドアがノックされた。
「入って、よろしい」
基地司令官が言うと、司令官室のドアが開き基地隊員がドアの前で
「失礼します。只今、原子力空母ジョージ・ワシントンからジョンソン軍医ほか2名が当基地に到着いたしました」
と比較的大きな声で告げると、眼鏡を掛けた細面の白人男性を先頭に3人の男性が司令官室に入室してきた。最初に、入室してきたのがジョンソン軍医なのだろうか、頭髪を短くして縁無し眼鏡を掛け痩せた標榜で見た目の印象は神経質そうな科学者と言った感じのする白人男性だ。その白人男性の後から続いて入室してきた2人の男性も海軍の制服よりも科学者等が着用している白衣の方がが似合う瘦せ型体形の白人である。
3人は、司令官室に入室すると応接セットのソファーに腰掛けている俺達オペレーターに一瞬だけ視線を送ってきたが、直ぐに基地司令官へ視線を戻すとアヴィアーノ空軍基地司令官が座っている重厚な木製デスクの前に整列して
「ジョンソン少尉以下2名は、原子力空母ジョージ・ワシントンからアヴィアーノ空軍基地に到着しましたので、こうして基地司令官に挨拶させて頂いた後は、早速にもモナコ公国から回収された死体が国外逃亡中のイラク国家元首本人なのかを持参いたしました検査キットによって、簡易検査となりますがDNA検査を実施します」
縁無し眼鏡を掛けたジョンソン軍医が、直立姿勢で基地司令官に敬礼しながら報告すると
「簡易検査と言ったが、本格的なDNA検査を実施してデルタフォースのオペレーターによって襲撃したターゲット本人に間違いないと証明できないのかね?」
基地司令官は、デスクに両肘を突いき組み合わせた両手に顎を乗せながらジョンソン軍医に質問をする。
「いえ、簡易検査と申し上げましたが、検査結果に余程の特異なデータが検出されない限りは、今回実施する簡易検査でもターゲット本人であるかを判別するのに問題はありません。ただし、我々が簡易検査を行う際に死体から別の検体を採取して持ち帰り、その検体をアメリカ本国へ送って政府の検査機関で詳細な検査を行う必要があると認識しております」
ジョンソン軍医が再び敬礼しながら説明するのを黙って聞いていた基地司令官が
「簡易検査については了解した。それで、これから君達が行う簡易検査の結果が判明するのに、どの程度の時間を要するのかね?」
ジョンソン軍医を見詰めながら再び質問を投げ掛けると
「これから、運ばれてきた死体の唇内側から粘膜を採取した後、その粘膜からDNAを抽出して本国のデータベースとの比較作業を行いますので、少なくとも明日の昼前までには検査結果が得られるものと想定しております」
ジョンソン軍医が敬礼して答えると
「了解した。君達が検査を行う為の部屋を用意しているから、ドアの外で待機している基地隊員が案内するので早速検査に取り掛かりたまえ。以上、下がってよろしい」
基地司令官が3人の軍医に伝えると、3人の軍医は直立姿勢で基地司令官に敬礼をしてから、踵を返して司令官室のドアへ向かう。ジョンソン軍医が司令官室のドアを開けると、俺が座っている位置から廊下に待機していた空軍の制服姿となっている背中が見えた。
3人が司令官室を退出してドアが閉められると、基地司令官が俺達オペレーターを見ながら
「オペレーターの諸君達も聞いていたと思うが、明日の昼前には検査結果が判明するので諸君達が襲撃したターゲットがザフィー本人であるかが分かる事になる。そこで、諸君達は明日の13時に再び司令官室に参集してもらい、検査結果を受けた後の諸君等へ下される命令を私から受領してもらう。以上だが、何か質問はあるかね?」
基地司令官が説明するのを聞いた限りでは、改めて何か基地司令官に尋ねるような事もないので俺を含めたオペレーター全員が黙っていると
「質問もないのであれば、全員下がってよろしい」
基地司令官から退出するよう言われたので、俺達全員は座っていたソファーから立ち上がり、基地司令官に向かって敬礼をしてから司令官室のドアへ向かい退出し、各自に宛てがわれているベッドのある部屋へ向かう。
俺は、自分のベッドがある部屋に戻ると射撃訓練の際に支給された45ACP弾薬20発が残っているボール紙製の箱をバックパックのサイドポケットに仕舞う。明日の昼には検査結果が判明して、俺達がモナコ公国から持ち込んだ死体が本命のターゲットなのかが分かる事になるが、何れにしても明日の昼過ぎには新たなミッションが基地司令経由で与えられて、そのミッションに従って行動していく事に変わりはない。本来ならば、アヴィアーノ空軍基地から支給された45ACP弾薬は、発砲されることなく残弾となった分は返却する必要があるのだが、新たなミッションがEU圏内であれば最寄りの米軍基地にでも赴かない限り、市民が銃器所持を制限していない国であっても9×19ミリメートル弾薬が9ミリパラベラム弾薬と呼ばれてメジャーとなっているEU圏内では、45ACP弾薬は合衆国ほどには需要が少ないので弾薬の入手に苦労するなので、アヴィアーノ空軍基地へ提出する書類には支給された100発の45ACP弾薬は消費したと適当に記載して20発の45ACP弾薬を確保させてもらう事にした。
例え俺が、デルタフォースのスナイパーであったとしても与えられたミッションの全てが、ボルトアクションライフル銃やセミ・オートマチックライフル銃のみの使用とは限らず、ケースによっては支給されたコンバット・ユニット・レイル拳銃だけを携行して行動する事も過去に何度も経験しているので、米軍基地からの補給が容易な状況でない限りは45ACP弾薬のストックが多いのに越したことはない。
翌日、俺は基地の食堂で昼食を摂り終えてから基地司令官室へ赴くと、既に5人のオペレーターが司令官室のソファーに腰掛けていた。俺が、空いているソファーに腰を下ろし司令官室の壁に掛けられている時計の針が13時になろうとしたタイミングで、残り最後の1人であるオペレーターが駆け足で司令官室に飛び込み慌ただしくソファーに腰を下ろした瞬間、司令官室のドアが開いて基地司令官が入室してくる。
俺達は座っていたソファーから立ち上がると、そのままの姿勢で司令官に敬礼する。
基地司令官は、ゆっくりとした歩調で俺達の脇を通り過ぎデスクの椅子へ腰掛けると
「全員、楽にしたまえ。座ってよろしい」
基地司令官の声を聞いてから、俺達は再びソファーに腰を下ろす。俺達全員がソファーに腰を下ろすのを確認してから
「早速だが、今から1時間半ほど前になるが諸君等がモナコから持ち帰った死体がイラク国家元首ザフィー本人であることが確認された。諸君等も承知の通りジョンソン少尉等が採取した検体を本国へ送り、本国の政府検査機関で確定検査を行ったうえでイラク国家元首の死亡を確定させることになるが、簡易検査によってザフィー本人である事を否定するデータが検出されていないので、イラク国家元首逮捕作戦は現時点をもって完了とする」
基地司令官は一旦言葉を切るが、それを聞かされた俺達全員が特別な感情を表す事はなかった。ここに居る全員を含めてデルタフォースのオペレーターは、それぞれ内容の違うミッションにはなるが合衆国の国益にとって障害となる人物の暗殺を経験してきており、その経験数も1度や2度ではないので異常な事かもしれないが慣れてしまって感覚が麻痺しており感慨等に浸るような事がない。
司令官室内は、一瞬静けさに包まれるが基地司令官が言葉を継いで
「そこで諸君等への新たなミッションだが、諸君等は当基地からジョンソン少尉等と一緒に原子力空母ジョージ・ワシントンへ移動して、その後にC-2グレイハウンド輸送機でアメリカ本国へ帰還してもらう。詳細な日時は、本国へ帰還してからになるが諸君等全員は、デルタフォースの適性射撃テストを受験してもらうそうだ」
それを聞いて俺を含めたオペレーター全員から僅かの微笑みと「オウッ」という声が漏れた。
俺も含めて全員が、それぞれのミッションに従事するようになって暫く本国の土を踏んでいない。適性テストを受験するにしても、仮にテスト結果が悪かった場合はデルタフォースのオペレーターとしての適性がないと判断されて、一般の部隊に転属となるだけの話であり、それ以上のペナルティがあるわけでもない。加えて、与えられたミッションで派遣された先で、反米感情が強い地域ではアメリカ人というだけで襲われるケースがあるだけでなく、米軍特殊部隊の隊員である事が分かれば、単に自らの名前を売り込むためだけにミッションとはまったく無関係な地元ギャング等が無謀な戦いを挑んでくるので、常時緊張感を維持していなければならない。
それを考えれば、本国でも武器を携行した輩に襲われ事件に巻き込まれるケースがあるかもしれないが、本国以外の派遣先で殺しに慣れているような連中を相手にするよりは遥かに気持ちが楽である。
大した荷物があるわけでもないが、司令官室を退出した後、俺を含めた7人のオペレーターは各自の荷物を纏め始める。俺は、自分のバックパックをベッドの上に置くとバックパックのサイドポケットに忍ばせていた20発の45ACP弾薬が残っているボール紙製の箱を取り出して基地の備品装備係へ向かい、報告書を書き間違えたと言って新たな用紙を貰うと正直に20発の残弾があった事を記して、残った45ACP弾薬を返却した。
これから本国へ一時的ではあるが帰還するのであれば、何も45ACP弾薬の在庫が厳しいアヴィアーノ空軍基地から弾薬を着服してみたところで意味はないと思い直したからで、如何に米軍の制式採用拳銃が9×19ミリメートル弾薬を使用するモデルになったとしても、デルタフォースや海兵隊等の特殊部隊では現在でも45ACP弾薬を使用する銃器類が使用されており、本国の基地には潤沢な在庫を抱えているので、実弾訓練の場合であっても弾薬を出し惜しみするような事はなく、希望する弾薬数を支給して貰える。
20発の45ACP弾薬の残弾を返却してから、纏めた荷物を提げて基地司令官から伝えられた出発時刻の10分前にアヴィアーノ空軍基地滑走路の端にあるヘリポートへ歩いて向かうと、そこには数名のデルタ・オペレーターとジョンソン軍医を含めた3人がおり、その後ろにはメインローターをアイドリング回転させているRH-53シースタリオンの機体が見えた。




