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大型クルーザーに乗り込んだ男達のうち1人は、真っ暗な船内へ入って暫くすると大型クルーザーの照明が点滅して昼間に見ていた以上に大きく見える大型クルーザーの全容が明らかになる。
もう1人は、アルミ製と思われる梯子のような物を用意して送迎用のボートからザフィーとその家族が大型クルーザーへ乗り移れるように準備をしている。
大型クルーザーの照明が点灯して周囲が明るくなり、足元の状態がハッキリとしてくると最初に大型クルーザーに乗り移った2人の護衛がサポート役となって、ザフィーとその家族や残りの護衛が次々と大型クルーザーに乗り移っていく。
全員が大型クルーザーへ乗り移り、アルミ製の梯子が外されると送迎用のボートは舳先を反転させてモナコの街へ戻っていった。
その様子を逐一無線で、俺は大型クルーザーへの襲撃を実行する6人へ連絡していると
「こちら観察第2班、これからウミスズメの巣へ向けて出発する。繰り返す、ウミスズメの巣へ向けて出発する」
コーディネーターの男から大型クルーザーへ向けて襲撃を実行するために、ボートが出発することを暗号で伝えてきた。
俺は、SPR300ライフル銃を屋上の立ち上がり壁に2本のバイポッドを乗せて、片膝を屋上のコンクリート床に着いたシッティングの射撃体勢を取って大型ボートの監視を継続する。
今回、俺が行うかもしれない狙撃は射程距離が300メートルくらいと比較的距離が短い部類となるが、大型クルーザーが停泊しているのは外海ではなく湾内なので大きな波が発生することはないが、それでも小さいとは言え大型クルーザーは波間に揺られることになるので、大型クルーザーに乗船している人間を捉えた場合には多少なりとも上下に動いているだけでなく、現在の時点で吹いている風は11時から5時の方向への向かい風が弱いながらも吹いている。加えて、ターゲットが乗船している大型クルーザーと俺が居るマンションの屋上は位置関係からSPR300ライフル銃を発砲するのは完全に撃ち下ろしになっている。
銃器に関しては、撃ち上げや撃ち下ろしの状態で発砲した場合には弾道が低伸する傾向があるのでゼロインを完璧に行ったスコープであってもレティクルセンターで狙った箇所よりも上部に着弾する。また、今回使用している300AAC ブラックアウト弾薬は一般的には低伸性に優れた性能を有しているので射程距離が変化してもスコープの上下修正となるエレベーションの修正量が少ない。これまで、300AAC ブラックアウト弾薬を使用する経験が初めてである俺としては、今回の状況で300AAC ブラックアウト弾薬の着弾が如何ほど上方に移動するものなのかイメージが湧かない。
そんな事を考えながら大型クルーザーの様子を眺めていると、3人の護衛が船外に出て周囲を警戒し始めた。一人は舳先付近に立って主に前方を監視し、残りの2人は左舷と右舷に分かれて大型クルーザーの側面と後方に睨みを利かせているので、それ以外の護衛は船内の各フロアに配置してザフィーと家族を警護しているのだろう。大型クルーザーの警備体制を無線を使って6人のオペレーターへ暗号で伝えると1人のオペレーターから
「今から移動用の車を降りて、徒歩でウミスズメの巣にアプローチを開始する」
と左耳に装着しているイヤフォンに暗号連絡が入ってきた。
大型クルーザーへの襲撃班を送迎するボートは、船外機を装備した10人乗りのゴムボートなので、大型クルーザーへのアプローチをするにしても船外に周囲を警戒する護衛が配置されるのは予め想定しており、接近するにしても一定以上の距離まで近付いたら、6人のオペレーターはゴムボートから海に入水して泳いで大型クルーザーに突入する事になる。
当初の予定では、少なくとも大型クルーザーから500メートル手前まで接近した後、ウェットスーツを着用してダイビング用のゴーグルとシュノーケルを装着した6人は大型クルーザーにアプローチをするのだが、大型クルーザーに乗船する際は船尾に海面と同じくらいの位置に突き出しているボードを利用する事にしている。しかし、オペレーター達がボードに這い上がる瞬間は如何に注意をしても海水が滴る音が発生するので、その音で護衛が船尾に接近した際には、近寄ってきた護衛を排除するのも俺の役割である。
俺は、4倍の倍率にしたスコープ越しに大型クルーザーの右舷と左舷に居る護衛の様子を監視していると、右舷側にいた護衛が船尾側に顔を向けて暫く海上へ視線を走らせているのが分かった。明らかに大型クルーザーへアプローチをしている6人のオペレーターが、泳いでいる際に発した音を捉えて何らかの不審さを感じているのかもしれない。
「こちら観察第1班、親鳥が第2班のアプローチに気が付いて注意を向けている」
と6人のオペレーターに連絡をしてやると
「こちら観察第2班、あと少しで巣へのアプローチを完了する」
シュノーケリングをして接近しているためか、多少聞き取り難い音声で返答が返ってきた。その直後、右舷側で船尾に注意を向けていた護衛が船尾方向へ歩き出した。
俺は、船尾方向へ向かった護衛の鳩尾辺りに赤色に発光させているレティクルのセンターを合わせる。因みに、昨今のスコープは殆どレティクルを発光させる機能が備えられている。通常レティクルは、発光機能を起動させずに接眼レンズを覗くと黒色のラインとして見えるのだが、ターゲット自体が黒色系の服装を着用している場合や背景が黒色系の場合にはレティクルのラインが同化して射手は自分が狙おうとしている狙点を捉える事ができなくなってしまう。そこで、レティクルのラインを赤色やグリーンに発光させる事でレティクルラインを鮮明化する事で正確に狙点を捉える事を可能にしている。また、発光させた光度も数段階に可変させるようになっている。
ターゲットとしている護衛の鳩尾にレティクルのセンターを合わせているが、波の影響なのかユックリではあるが上下に動いているのが分かる。狙っている護衛が船尾に向けて歩いている状態ではあるものの、波によって上下に動いている狙点がレティクルセンターと合わさるタイミングを計り、護衛が船尾近くまで移動して夜の海上を覗こうとした瞬間にレティクルセンターが鳩尾へ戻ってくるタイミングで俺はSPR300ライフル銃のトリガーを引き絞った。
バレルの大部分が消音器に覆われているSPR300ライフル銃から小さいと言っても映画やドラマのように「ブッシュ」とは言い難い発砲音が聞こえると、想像以上に反動が少なくボクシングで左肩にジャブを受けた感じで銃口が上方へ跳ね上がるマズルジャンプが少ないのでスコープからターゲットが見えなくなるような事がない。
俺は、急いで右手でボルトを操作するためのボルトハンドを握り、上方へ90度盛り上げるとボルトハンドを手前に引いた。エジェクションポートから300AAC ブラックアウト弾薬の空薬莢が右45度の角度で飛び出したのを右目で捉えると手前に引いていたボルトハンドを前進させる。
ボルトハンドを握っている右手にはマガジンの最上部に装填されていた次の300AAC ブラックアウト弾薬を押し出してチャンバーへ送り込んでいるを感じ取り、ボルトの前進が止まった所でボルトハンドを90度引き下ろしてチャンバーを完全に閉鎖し、次弾の発砲に備えてターゲットとした護衛をスコープに捉えると鳩尾を狙って発砲した着弾は、俺の予想よりも上方の弾道となったようで護衛の左頸動脈に着弾して喉を貫通した弾丸は、右頸動脈付近から体外へ飛び出たようで被弾した護衛は両手で首の頸動脈を抑えているが両手の指の隙間から血が溢れているのがスコープの接眼レンズに映し出されている。
また、ターゲットと300メートル近く離れているので判別がつかないが、被弾した護衛は口を開けて声を出しているように見える。仮に、被弾した護衛の声が周囲を警戒している他の2人に聞こえていれば厄介な事になると思い、急いで前方と左舷にいる護衛をスコープで見てみるが被弾した護衛の方へ向かう気配がない。それを確認した俺は、再び被弾した護衛にスコープを向けると被弾した護衛の足元が覚束なくなっていた。このままの状態では少なからず海へ転落する事になり、間違いなく大型クルーザーに乗船している連中に異常事態が発生している事が分かってしまう。
襲撃班の6人が確実に大型クルーザーに乗船するのを援護する意味でも、船外で監視している2人の護衛を狙撃すべく左舷の護衛へスコープを移動させようとした瞬間、被弾した護衛の下方から白い肌の手が2本伸びてきて倒れそうな護衛の身体を支えている。
俺は、左舷の方へスコープを移動させるのを止めて被弾している護衛の下方へスコープの対物レンズを向けると、大型クルーザーの船尾から突き出している海から乗船するためのボードに這い上がったウェットスーツ姿の2人のオペレーターが被弾した護衛の身体を支えていたのだ。
2人のオペレーターは静かに被弾した護衛を倒すと、1人のオペレーターが右前の腰に準備していたコンバットナイフを抜き出して、倒した護衛の喉を切り裂くと腹部の数ヵ所にナイフを突き刺してから、未だ海面で乗船準備をしている他のオペレーターに死体となった護衛を引き渡す。
死体を受け取った4人のオペレーターは静かに死体を海中に沈める。
被弾した護衛は左右の頸動脈を狙撃されているので、暫くすれば確実に死亡するのは軍人である俺達には一目で分かるのだが、それでも敢えて被弾した護衛の喉と腹部をナイフで切り裂くような事をしたのは止めを射すという意味合いではなく、どちらと言えば直ぐに死体が発見されるのを遅らせる目的のほうが大きい、海に投棄した死体は確実に沈むとは限らず体内に存在する空気で海面を漂う可能性があるほか、仮に海中に沈んだとしても初夏を迎えたモナコの海は海水温が比較的温かいので、内臓等が腐敗を始めてガスが発生した場合には口や鼻くらいでは体内に充満したガスが抜けきれず、腹部に溜まったガスが浮き輪代わりとなって海中に沈んだはずの死体が海上を浮遊して発見されるのは間違いない。しかも、頸動脈に被弾した死体からは多量の血液が流失しているので塩分が少なくなった身体は浸透圧の関係で多くの水分を取り入れる事となって死体全体が脆くなり、海中でちょっとした海流による刺激を受けた場合には首や脇などは簡単に身体から千切れてしまい比重が軽くなれば頭部や腕が海上に浮かんでくる事にもなる。
特に、皮膚表面は水分を含んでくると小皺等が無くなり老人であっても水死体の場合は年齢の判別がつかなくなる程である。更に、水分を多く含んでしまった皮膚表面は異常に脆く、ちょっと触っただけでも表面が剥がれてしまう。仮に、素手で水死体を触ろうものなら、掌に水死体から剥がれた皮膚が付着して石鹸を使ったくらいでは簡単に取れないばかりか強烈な腐敗臭が掌にこびり付き、その強烈な臭いによって1カ月くらいは食事も摂れなくなってしまう。
俺が狙撃した護衛の死体処理が終わったオペレーター達が次々と大型クルーザーに乗船して水中ゴーグルとシュノーケルを外すと、腰に取り付けていた午前中にコーディネーターから渡された防水バックからルガー・マークⅣ22/45エリート拳銃と専用の消音器を取り出すと、ルガー・マークⅣ22/45エリート拳銃のバレル先端に取り付けられているマズルキャップを捩じり外し消音器を取り付ける。
消音器をルガー・マークⅣ22/45エリート拳銃に取付け終えたオペレーターは、拳銃の後部をパチンコのゴムを引っ張るような仕草のスリングメソッドと呼ばれる方法でボルトを後方へ引いてマガジンに装填されている22LR弾薬をチャンバーへ送り込み発砲準備を終える。
6人のうち2人は、ルガー・マークⅣ22/45エリート拳銃を構えて左舷と前方で外の監視を行っている護衛を始末するために大型クルーザーの前方へ向かう。それと同時に4人のオペレーターは、船内へ一斉に進入して次々とルガー・マークⅣ22/45エリート拳銃から放たれる22LR弾を急所へ送り込んで対象者を次々に即死させていく。恐らく6人のオペレーターが突入を開始して5分も掛からぬうちに全員が死体と化していった。
その様子をスコープで監視していたが、22LR弾であれば、専用の消音器によって映画やドラマのように発砲音が殆ど聞こえる事もないので、周囲に停泊している大型ヨットやクルーザーに乗船している連中は、直ぐ目の前で10人近くが暗殺されている事に気付くことなく、それぞれの船内でお祭り騒ぎをしている。
6人のオペレーター達は、射殺した人間が確実に死亡しているのを1人ずつ確認して全員が死亡しているのが分かると
「ウミスズメの観察は終了した。ウミスズメの観察は終了した。迎えの車を寄越してくれ」
暗号で送迎用ボートに連絡を入れると続け様に
「観察第1班、雄の親鳥に標識タグを取り付けるので一時的に捕獲する。雌の親鳥が帰ってくるかもしれないので引き続き観察していてくれ」
と俺に暗号で監視を継続するように伝えてきた。
少なくとも今回のミッションでは、前回のような失態を犯すわけにはいかないので、ザフィーの遺体を回収してDNAレベルの検査を行い、確実にザフィー本人を暗殺した事を確認しなければならない。そのためには、送迎用のボートに用意している死体収納袋にザフィーの死体を入れて回収しなければならいのだ。




