29
翌日の午前中、包みを持ってコーディネーターがモナコにおいて俺達がアジトとしているマンションの部屋を訪れて来た。持っていた荷物は、今回のターゲットが乗船している大型クルーザーへ襲撃を実行する6人のオペレーターが使用するルガー・マークⅣ22/45エリート拳銃を携行していく際に収納するPVC(ポリ塩化ビニル)製の防水バックであった。
6人のオペレーターが大型クルーザーに襲撃を行う際には、当然に大型クルーザーに乗り込む必要があるが、6人のオペレーターを大型クルーザーまで送迎するボートを直接大型クルーザーに接舷させてしまっては、明らかに大型クルーザーに乗船しているターゲット達に対して不審者が乗り込んでくるのを知らせてしまうようなので、ある地点まではボートで大型クルーザーに接近した後は、6人のオペレーターは海を泳いで大型クルーザーへ向かい襲撃を行う事になる。その際に携行しているルガー・マークⅣ22/45エリート拳銃を海水に浸してしまうわけにはいかない。
ルガー・マークⅣ22/45エリート拳銃の撃発機構は、ハンマーによる打撃方式ではなくストライカー方式となっており、このタイプのセミオートマチック拳銃では例え銃器のメンテナンスであっても撃針が挿入されているストライカーホールには異物が入り込むのは厳禁とされている。昨今、米国のLE機関(法執行機関)の多くが使用しているグロック拳銃の取扱いマニュアルにも拳銃のメンテナンスクリーニングの際にストライカーホールにガンオイルを挿すなと明確に記載されているくらいなので、使用するルガー・マークⅣ22/45エリート拳銃の携行にあっては防水を施すのは重要となる。更に、今回のミッションではルガー・マークⅣ22/45エリート拳銃の使用に際しては専用の消音器を装着する事になるので、消音器も海水に浸されては消音器の内部が隔壁で仕切られている部分に海水が侵入する状態となり、発砲によって生じる高温の発射ガスによって消音器内部に溜まった海水が高温に熱せられる事で、海水が急激に蒸発させられるので弾丸が消音器内を飛翔するのに弊害が生じるだけでなく、消音器自体も場合によっては破損する事態を招き、結果としてルガー・マークⅣ22/45エリート拳銃が使用できなくなる恐れがある。そのような事態を回避するためにコーディネーターが準備物として持ってきたのだ。
コーディネーターは、用意した防水バックを6人のオペレーターに配り終えると俺の方へ近寄り、ジーンズの右前ポケットから何かを取り出すと
「あなたには、こちらをお渡ししますので紛失しないように管理してください」
そう言って右手を俺に向かって差し出した。差し出された右の掌には1本の鍵が乗せられている。
「これは、屋上の鍵・・・」
俺はコーディネーターの顔を見詰めて呟くと
「ええ、そうです。私は、これから大型クルーザーへ襲撃する6人のオペレーターの方々と行動を共にして大型クルーザーに接近するため手配したボートの乗り場まで案内しますので、6人のオペレーターの状況は無線で知らせますが、屋上へ出るタイミングはご自身の判断でお願いします」
コーディネーターは、右手に持っていた鍵を俺がいる目の前のテーブルに置いた。俺は無言で頷くとテーブルの上に置かれた鍵を自分が履いているジーンズの右前ポケットに仕舞った。
それから、隣の部屋に割り当てとなった3人のオペレーターが俺と他の3人に割り当てられた部屋へ入って来るとコーディネーターと6人のオペレーターは打ち合わせを始める。モナコグランプリは、今日から練習走行が始まることもあり部屋の外は、朝から結構騒がしいのだが6人とコーディネーターの打ち合わせが終わるあたりで外の方から複数のF1マシンからエンジンを始動させた轟音が響き渡ってきた。
米国のフォーミュラーレースであるインディカーでは2.2リットルV6ターボエンジンを使用しているが、F1マシンでは1.6リットルのハイブリットターボとなっており名称もエンジンとは言わずにパワーユニットと言うそうだ。
俺も過去にインディカーレースを米国のオーバルコースで観戦した経験があるが、排気量の違いなのか聞こえてくるパワーユニットの轟音が多少なりとも違うように感じるが、1日中ではないもののレースに興味がない人間からすれば単に騒がしい騒音公害と受け取られるのは間違いがないくらいにうるさい。
そのパワーユニットの轟音を耳にしたコーディネーターは
「それでは出発しましょう。練習走行とは言え多くの人間はF1マシンの走行に関心が向かうので丁度良いタイミングです」
と言って席を立つと6人のオペレーターも無言で一斉に席を立ち部屋から出て行った。
それを見送った俺は、徐に自分の荷物であるSPR300ライフル銃が収納されている黒いナイロン製のケースを右手に提げて玄関に向かうが、途中でキッチンの冷蔵庫に入れておいた500ミリリットルの水が入っているペットボトルを取り出してSPR300ライフル銃が収納されているナイロン製ケースのサイドポケットへ突っ込む。
これからターゲットが乗船している大型クルーザーを監視するので屋上へ向かうつもりであるが、今から屋上へ向かってもミッション開始までは少なくとも4時間以上の時間がある。しかし、その間にターゲットが乗船している大型クルーザーが何等かの事情で停泊場所を移動したり、場合によってはモナコの沖合から離脱する可能性も捨てきれないのでスナイパーの俺は、単にミッション開始の際に襲撃する6人のオペレーターを援護するためのライフル銃発砲を行うだけではなく、予定通りにミッションがスタートするまでの間にターゲットを監視・捕捉してターゲットに予定外の行動が見られた場合には他のメンバーへ連絡してミッションを実行するかどうかの可否判断を行うのだ。
ただ、4時間以上の時間があるので食事の心配をする向きもあるだろうが、これまで経験した数々のミッションでも1食抜きというのは普通の事で、例え1食を抜いたとしても狙撃に支障を来たすことはないが、流石に喉の渇きだけは極力回避したい。何故なら、今回のミッションではモナコグランプリが開催される時期は初夏であり晴れていれば日差しも強いし、日中は暑さもあり日向では多少とも発汗するので、水分の補給まで我慢していれば場合よっては熱中症を発症して軽度の熱中症であっても正確なスナイピングに支障を来たし兼ねない。そのためにも最低限の準備として500ミリリットルの水を用意するのである。
部屋の玄関を出て施錠した俺は、なるべく音を立てないように階段を使って屋上へ向かう。このマンション内にもモナコグランプリ観戦を目的にして部屋をレンタルしている連中がいるだろうから、立入り禁止とされている屋上へ出れるのが分かればマンション内にいる人間が絶好の観戦場所として俺の後を着いてくる可能性があり、そうなれば邪魔になって俺の役割を確実に果たす事ができなくなる。
音を立てることなく階段を最上階まで登り終えた俺は、コーディネーターから渡されていた鍵を使って屋上へ出るためのドアの鍵を開錠して、屋上へ出ると直ぐにドアを閉めて施錠する。
屋上へ出た俺は、日陰になっている所で海側を見るのに最適な場所へ移動してから提げていたSPR300ライフル銃が収納されているナイロン製のソフトケースをコンクリートの上に置いて腰を下ろす。
下ろしたナイロン製ソフトケースを手元に引き寄せて、サイドポケットに突っ込んでいたペットボトルを取り出してから日陰となっているコンクリートの上に置き、ソフトケースのジッパーを引き下ろして、未だマガジンを装填していないSPR300ライフル銃を取り出し、次いでソフトケースのサイドポケットからスコープの対物レンズと同じくらいの径となっている黒色のキルフラッシュというパーツを取り出してスコープの対物レンズに装着した。
キルフラッシュとは、晴天時の日中にスコープを使用した場合にはスコープを向ける方向によっては日光を反射して光が見えてしまうので戦場等では敵に居場所が悟れる事になるのを防ぐ目的で、黒色の金属で網戸のように作られているキルフラッシュをスコープの対物レンズ前に装着して日光が反射するのを極力抑えるのだ。
キルフラッシュをスコープの対物レンズに取り付けたマガジン未装填のSPR300ライフル銃を構えて、倍率を4倍にしたスコープの接眼レンズを利き目である左目で覗く。
晴天である事に加えて太陽の光が眩しい日中という時間帯でもあるので、昨日の日没後に双眼鏡で見た時よりも格段に鮮明な画像が見える。光量によって画像が鮮明に見える事を確認した俺は、一度スコープの倍率を2倍に落として広い視野を確保してからターゲットが乗船している大型クルーザーを探し始める。
周囲にも数多くのクルーザーや大型ヨットが停泊しており、数隻の船が昨日に双眼鏡で見た時よりも若干なりとも停泊位置を変えているようだが、幸いにもターゲットが乗船している大型クルーザーは停泊位置を移動していなかったので、大した時間も掛からずに見付ける事ができた。
そこで俺は、2倍に落とした倍率を再び4倍に戻してから大型クルーザーを仔細に観察して見るが、大型クルーザーには誰一人として乗船者が見当たらない。恐らく、モナコグランプリの第1回練習走行を間近で見るためにザフィー一家と警護の人間はボートを使ってピットエリアがある陸上へ出向き、大型クルーザーは留守の状態なのだろう。特に第1回の練習走行であれば各F1チームも時間的に余裕があるので、国家予算の一部とは言え半ば私有化して金銭的に余裕があるザフィーであれば家族や警護メンバー全員のスポンサー用パスを入手するのは造作もない事で、一般の観戦チケットとは違いパドックの辺りまで比較的自由に出入りが可能なのでチームの広報担当者が対応してくれるだけでなくドライバー等と直接会う事もできる。
無人の大型クルーザーが、昨夜と同じ位置で停泊しているのを確認した俺は、SPR300ライフル銃を収納していたナイロン製ソフトケースのサイドポケットから喉に装着する咽喉マイクとイヤフォンが一体となった物と連絡用の小型無線機を取り出して、咽喉マイクを喉の部分に取り付けイヤフォンを左耳に差し込んでから小型無線機のマイクとイヤフォン用のジャックを介して接続した。そして、小型無線機の電源を入れてから予め指定されている周波数チャンネルに合わせてから
「こちら観察班、こちら観察班、親鳥達は餌を探しに行ったのか巣の中は空になっている。繰り返す、親鳥達は餌を探しに行ったのか巣の中は空になっている」
暗号で、ターゲットの大型クルーザーに襲撃を行うために送迎用ボートの乗り場へ赴いている6人のオペレーターとコーディネーターへ連絡を入れた。
モナコグランプリに限らず、比較的メジャーなレースでは各チームやレース運営スタッフ、レースを中継するメディアにレース会場を警備する警察等の多くが無線を使用しており、レース会場周辺は多くの電波が飛び交っており、ちょっとした偶然で無線が混線して俺達が使用している無線の周波数が傍受される可能性があるので、仮に俺達の会話が傍受されたとしてもミッション内容が露見しないように無線を利用した会話では全て暗号で行う事にしている。
現時点でのターゲット達の状況や大型クルーザーの停泊状況を連絡した俺は、四六時中スコープで監視している必要もないので、海から吹き付ける風を日陰で受けながら響き渡るエンジン音とモナコグランプリを観戦している観客の声援を聞きながら、時折ペットボトルの水を口に含んではスコープを覗いて周囲の状況を把握していた。
約1時間の練習走行が終了すると騒がしく響き渡っていたエンジン音が聞こえなくなったが、モナコグランプリを観戦している観客達がお気に入りのドライバーの追っかけや周囲の飲食店等に移動し始めたのか雑踏の音が徐切れ目なく屋上にまで聞こえてくる。
昼過ぎに行われたF1マシンによる練習走行が終了した時点で、幾らか陽も傾き出し初夏とは言え日本等と比べてヨーロッパは湿度が少ないので、長時間日陰にいると肌寒さを覚えてくる。何せ、この時期にはTシャツの上にレザージャケットを羽織っている連中がいるくらいなので、俺もネイビーの薄手となっているサマーブルゾンを羽織ることにした。
徐々に陽が暮れ始めたモナコの街は、暗闇に沈むどころか各所で催されるグランプリを支えるスポンサーのためのパーティ会場から放たれる眩いばかりの光の渦で日中と変わらぬくらいに明るいだけでなく、会場から漏れ出るBGM等で街全体が騒がしい。
そんな華やかに催されているパーティの最高潮が過ぎた頃、暗がりの海上へ向かう1艘の大型ボートがあった。俺は、そのボートの存在を認識するとSPR300ライフル銃に300AAC ブラックアウト弾薬が10発装填されているマガジンを叩き込んでからハンドガード先端部分に取り付けているバイポッドの2本の脚を起して屋上外側の壁上部に設置して、座り込むような姿勢のシッティングで4倍のスコープを覗きボートを観察する。そのボートは、ボートの何倍もの大きさで停泊している白い大型クルーザーに近付き接舷すると、数人の男達が暗がりに溶け込んでいた大型クルーザーに乗り移るのが見えた。




