第十六話 宵
地平線のほの明るい太陽の名残も、星を灯す夜の闇にかき消されようとしている。
影を落とす地面は墨色に染まり、空より一足先に眠りについている。
ーー緊迫した静寂、皆一様に微動だにしない。
沈黙を破ったのは祿菟だった。
「......分かってはいるとは思いますが、私もただであなた方が頷くとは思っていません。何のために私が彼らを連れているか、よく考えてからご決断いただきますよう」
あくまで沈着に。
その男は、シャボン玉を飛ばすように軽々しく言葉を吐いた。
彼の十数名の部下たちが携行するそれは、この闇の中でもその光沢を失ってはいない。彼の掛け声ひとつで、私達を殺さない程度に殺すその武器は火を吹くだろう。銃口を向けられてもいないのに、額がじりじりと嫌な緊張を漏らしている。
「私は...嫌です」
自然と口をついてでた。言えばどうなるか、分かっているのに。
私はすぐに彼らが銃を上げると思ったが、実際は祿菟が困ったように微笑んだだけだった。
「本当に良いのですか?今あなたが承諾すれば、私がお借りするのはあなただけです。一日後には元通りの状態で返すことも約束しているでしょう。それに、拓巴。君に渡そうと思っていたそれですが、彼女が承諾するなら、瓶に取り付けた起爆剤の爆破はしないことを約束します。......ですが抵抗されると言うなら...」
「俺もそいつに賛成だ」
矢津千もそう言い切る。
「あいつは誰よりも他の奴を思ってやれるやつだ...誰かを差し出して得たもので元通りになったとしても喜ぶわけがねぇ」
祿菟の目をしっかり見据えて言った。
「......それはそれは......残念です。私も彼女のはしゃぐ姿を見たかったと言うのに...」
その言葉が、矢津千の心の琴線に触れたようだった。
にわかに激昂する様子が、彼の放った膨大な殺気で肌で感じられる。恐怖の潜在本能が悲鳴を上げている。
「そこまで言えるとはな......どこまでクソ野郎だ、お前?」
「...口に気をつけなさい」
祿菟は口角を薄く上げて穏やかに笑った。
脊髄が凍るような冷ややかな声で、そいつは遂に言った。
「ーー失敗作如きが」
彼がいい終わるが早いか、矢津千の立っていた場所に巨大な亀裂が走り、それに沿うように瓦礫が吹き飛んだ。
撃たれたのではなく、彼が超速で地面を蹴り前方に突っ込んだと分かったのは、男の体が木の葉のように宙を舞い、向かいの廃ビルに激突したのを見てからだった。
矢津千は凄まじい速度で殴り飛ばしたのだ。
向かいのビルには直径三米ほどの穴がぽっかり空いた。私は何が起こったのか分からずぽかんとし、何が起こったのか分かってからはますますぽかんとした。
濛々煙が立ち込める中、しかし祿菟は何事も無いかのようにめり込んだ手足を引き抜き、そこに立ち上がった。
矢津千の眼光は、敵を切り裂くナイフのように尖っている。
「...妹が......鈴が何だと?」
祿菟はなおもいやらしい微笑を浮かべている。
「勘違いしないでください」
右手を前方に、ゆっくり掲げる。
「貴方もですよ」
十数人の部下達が、その銃口を遂に上げた。
矢津千は動じることなく、佇んでいる。
「いやはや、平和的に解決したかったのですが、うまくいかないものですね。みんな揃って私を否定するとは」
くつくつと笑い、そして波立つ湖畔が静止するように、表情を消した。
「撃て」
静かだが、よく通る声。
ーー刹那の躊躇もなく、彼らの鉄芯はオレンジ色に輝く炎を吹いた。




