青春の終わりに1
3000字程度が読みやすいと書いてあったので、2分割してみました。
「判定!」
凛とした声が鳴り響き、私は目を閉じて祈った。
何に?
分からない。
今まで、何かの結果を祈ったことなどなかったから。
わずか数秒の判定が出るまでの時間が、私には永久に続くかのように感じられた。
やがて、周囲から歓声とため息が聞こえ、私は主審の告げる声の前に察してしまった。
それでも、祈った。
「赤!判定勝ち!赤!3位!」
祈りは届かなかった。私の青春は終わった。
決勝戦は友人が戦っていたにもかかわらず私は上の空で、結果も覚えていない。
ともかく、私の大学4年間は、この3年半が過ぎた夏にほとんどすべてが終わってしまったのだ。なぜ、こんなにも悔しいのだろう。なぜ、こんなにも脱力感が残るのだろう。
昔付き合っていた大好きだった彼氏と別れた時よりも、大学受験で本命の大学に落ちた時よりも、はるかに切なかった。
3年半前。大学1年の春。
私は心躍らせて新入生になったわけじゃなかった。第一志望の大学に落ちて、滑り止めの大学に入学したからだ。本音を言えば、留年したかったが家庭のお財布事情がそれを許さなかった。それに後悔はない。最初から分かっていたことだし、姉は2年生の短大を選択した中、私は4年生に行かせてもらっただけで十分感謝している。悔しかったのは一回で志望校に合格できなかったこと。合格できなかった自分への憤りを、1か月で整理することができず、整理できないままに入学式を迎えていた。
ぼんやりと数日大学に通い、オリエンテーションを受けていた中で出会ったのが合気道部だった。明らかに充実している目の輝きを放つ先輩たちの勧誘に、行ってみようかなという気持ちになった。合気道なんていうマイナー武道(そんなこと言ったら諸先輩方に大目玉くらいそうですが)はもちろん知らなかった。私は中学時代は陸上部だったが高校時代は帰宅部でバイトをしていたので運動をしていなかった。大学に行ったら体を動かしたいななんて思っていたわけじゃないけど先輩たちの勧誘と私自身のモヤモヤを切り替えたくてとりあえず部活に参加した。それが私の合気道部生活の始まり。
半年くらい経って、私は合気道に向いているんじゃないかと思うようになった。合気道には運動神経や体格の大きさ、筋力がなくとも、うまくなれる何かがあった。何かしらのセンスは必要なのだろうが、それは一般的なスポーツや武道、格闘技とは異なる要素であるように感じられた。先生や先輩に褒められることも多く、日々が楽しく過ぎていった。その頃には、第一志望校に受かってたら合気道部に入れなかったし良かったと思うようにもなっていた。
部活動と授業をしっかりとこなし、少女漫画に出てくるような華やかなキャンパスライフとは程遠い、白馬の王子様とも、グイグイ言い寄ってくるイケメンとも、見た目はいいけどどこか覚束ない母性本能くすぐる甘いマスクくんとも、出会うことない体育会系な3年間を過ごした。でも、楽しかった。
試合に勝ちたいという欲がずっと強かったわけじゃないのに、日々が楽しくて充実していて、それだけで十分だったのに、最後の試合は勝ちたかった。
4年間合気道というトーナメント形式の種目と向き合って分かったことがある。
私は負けず嫌いだ。そして、2位より3位の方が好きだ。勝って終われるから。それが4位って。大会に出場した選手の中で、唯一2回負ける人。それが4位。4位で終わりたくはなかった。いや、2位でも4位でも、一緒。最後に勝って仲間と笑って終わりたかった。
自分の試合が終わった後、判定が出るまでのわずかな時間の中であがった歓声に聞きなれた友の声がなかった時、私の耳は敏感に私の負けを告げていた。その聞き覚えには絶対の自信があるくらい、私はこの3年半を友だちと一緒に過ごしたんだなぁ、と思った。
そんな事を考えながら表彰式までの時間が過ぎていった。
私には呆然と過ぎて言った時間であっという間だったように感じられたが、実際には判定のわずかな時間の何百倍もの時間が過ぎ去っていた。
驚きが1つだけあった。
先生方の講評の中で若い先生がご挨拶をされた。その先生の講評は、今までに聞いたことないものだった。
「皆さん、大会お疲れ様でした。勝負の世界なので、勝った人もいれば満足のいく結果に…。」
先生はそこで言葉を詰まらせ上を向いた。そして、
「違うな。」
そうつぶやいた。
「私が皆さんに伝えたいのはこういうありきたりな挨拶じゃないと気づきました。でも、私が皆さんに伝えたいことを伝えるにはこの挨拶という場はあまりに短すぎる。ので、もし興味がある人がいたらこの後私のところに来てください。皆さん、大会お疲れ様でした。」
先生はそう仰ると私たちに向けてごく自然に立礼をされた。その立礼があまりに綺麗で、しばらく目を奪われたことを私は今も忘れない。そして、この人の話を聞きに行こうと思った。
私は4位という結果にとても満足はできなかったが、敢闘賞という賞をいただいたため入賞者という扱いで写真撮影などに参加した。挨拶された先生が帰ってしまわないかと、ちらちらと目で追いかけていた。若い先生は周りの偉い先生方から何かひどく叱られているように見えた。私は写真撮影が終わると、その先生の所へ向かった。他には学生は集まっておらず、私は変わり者なのだろうかと思った。
「先生。」
先生は帰り支度なのか審判用のネクタイを外し、ハンドバッグにしまっているところだった。私は後ろから声をかけた。先生は振り返り私を見た。まなざしには暖かい光があり、なんかすごい人だなと感じた。
「はい。」
と先生は返事をしてくださった。
「先生のご挨拶のお話に興味があって伺いました。是非、お聞かせ願えるでしょうか?」
私は先生の目をしっかりと見て言った。3年半武道と過ごした人間として恥ずかしくない態度で話しかけたいと思った。私はかなり緊張していたがそこだけはこの先生に見てもらいたいと思った。先生の表情が緩み笑顔になった。たぶん先生はとてもイケメン顔ではない。でもその時の私にとってその顔は、竹内涼真や山崎賢人を凌ぐイケメンに見えた。自分の頬が紅潮していないか唐突に不安になって、先生から目線を外した。さっきまで恥ずかしくない態度って思ってたのにー!!と目線を外した直後に後悔した。
「聞きに来てくれてありがとうございます!いやぁ、あんな挨拶しちゃったもんだから、先生方に叱られてしまいました。当然なんですけどね。聞きに来てくれた人がいて助かりました。良かった良かった。」
先生はすごく朗らかにそう仰りました。私が改めて先生を見ると満面の笑みで笑っていました。笑顔で見え隠れする歯がきらりと光る真っ白な歯じゃなかったところが現実的で、竹内涼真は凌がないな。と私も現実に引き戻されました。でも、先生の笑顔はやはり暖かく私もつられて笑いました。
「ハハ、高田さんは笑顔が似合いますね。1年生の時、白帯の部で優勝したでしょう?良い技だなと思っていましたよ。」
先生は笑顔のままでしたが、私は驚愕しました。はじめてお話しさせていただく先生が私の名前を憶えていて、2年3年と大会で成果を出していなかった私の1年の時の結果を覚えていてくださったなんて、と。驚いた後、自然と涙がこみあげてきて頬をつたいました。先生は大層驚いて、
「あ。すみません!!思慮が足らず。私の話を聞きに来てくれたんでしたね。」
と慌てて取り繕った。私は先生にいらぬご心配をおかけしている自分が恥ずかしく顔を手で覆ったが、その仕草は大泣きをする仕草にも見えることに気付き、すぐに手を顔から離し、先生に向かって少し大げさに手を振って見せた。
「そういうことじゃないんです。私こそ済みませんいきなり泣き出しまして。先生が私のことを知っててくださったことが嬉しく。」
言葉にしたら余計涙があふれてきて止められなくなりました。すると周りから、
「おや?佐伯先生。学生を泣かしてはだめですよ。」
と他の先生からの声がかかりました。先生は
「申し訳ありません。」
と答えたが、
「あれ!ホントに泣かせたんですか?困るなぁ。」
とからかわれ、
「いや、違うんです。そういうことでは決して。」
と慌てていました。
「わはは。じゃあお先ね。」
と、からかっていた先生がお帰りになると、
「はい、本日はありがとうございました。お疲れ様です。」
と、先生が立礼された。私も一緒に立礼した。あの綺麗な立礼の隣で私が礼をしていて、私の立礼はひどく無様ではないだろうか、と気になった。先生は立礼から直ると私の方を向き、
「からかわれてしまうので涙をしまってもらえると嬉しいです。泣かしておいてなんですが。」
とはにかんだ。私は、はい。と頷き目元をこすった。先生方が大きな声で話をされたことで、周囲の注目を少し浴び、私が今ここにいるということに気付いた同門の友達が何人か近づいてきた。近づいてきた友人たちは先生に一礼すると、
「高田。何してんの?」
と私に問いかけた。
「ご挨拶の時のお話が気になってお伺いしたいな、って。」
と私が答えると友人は、自分も気になる!と言いちょっとみんなに声かけてくるよ。と呼びに行った。すぐにうちの大学の生徒が集まりちょっとした輪になった。
「あはは。観衆がたくさんになって緊張しちゃうな。」
先生はそう言うと、私たちの方にはかしこまらなくていいから崩して聞いてください。と促した。そして先生も胡坐をかいて座られたので、私も正座することにした。私の正座を見ると先生は、
「武道家ですね。」
と私に微笑みかけた。私は、やはり竹内涼真を凌ぐかもしれない。と改めて思った。
前作「妖怪が出た!」を書いている途中で他のものも書きたくなって書いてみた小説です。
楽しんでいただけたら幸いです。