最終話 やさしさに抱かれて
『不思議の国のアリス』のネタバレを含みます。あらかじめご了承下さい。
「結構、人がいるね。バズム君、あっちの方に降りよう」
ペイズリーはそう言って、遊んでいる子供たちや見守る親、デートを楽しむ恋人たちなどがいる場所から離れた、公園の一番奥まった場所を指差しました。バズムはペイズリーの言葉を理解している様子で、低い声で「ニャ~」と鳴いて、3世が指示した場所に向かって徐々に高度を下げてゆき、おおきな翼を豪快にひろげて着陸した後、どれほど精巧に作られたロボットでも真似できないようなうつくしい動きで翼を折りたたみました。普通なら着地すれば砂煙が舞い上がるはずですが、バズムは3世と同じように魔法を使っているので、砂はひと粒も舞い上がりませんでした。
3世は杖を地面から1メートルほどの高さに浮かせて停止させました。そしてヒョイと飛び降りるとすぐに、上に向けてひらいた手のひらの上に杖を乗せ、
「トヤグレ、ファテ・バツ!」
と呪文を唱えました。すると杖は白く発光し、手のひらサイズの小さな棒になりました。3世はそれをジレのポケットに突っ込んでから、バズムの背中に乗っている三人を手のひらに乗せ、慎重に地面に移動させました。それから3世はこめかみに指先を当て、精神の集中をし始めました。そして、公園にいる人々が自分たちの方を見ていないことを確認してから、呪文を唱えました。
「トゥレイ・フェメイ、レヴェニーツィ・ラ・ディメンスネア・ヴォアストラ!」
ラクラミキオアラたちは光につつまれました。その光は徐々におおきくなり、やがて消えるとそこには元のおおきさに戻ったラクラミキオアラ、ドイナ、エレナの三人が立っていました。
ペイズリー3世はラクラミキオアラの目を真っすぐ見て、少しいたずらっぽく微笑みながら、こうききました。
「ラクラミキオアラ、どうだった?『物語の宝石箱』を見に行く冒険は。…楽しかった?」
ラクラミキオアラは、"何を言ってるんだよ、この人は!"と思いました。
「あのさぁ…楽しいとか、そんな、のんきなレベルの話じゃないんですよっ!!ドロシーに会えて、モモにも会えて、アリスさんはすぐにどっか行っちゃったけど…カシオペイアにも、ブリキのきこりさんにも、かかしさんにも会えて…カルキノスにも…全部、全部、信じられない出来事だよ!!こんなにたくさん、夢が叶うなんて…」
ラクラミキオアラの目には涙が浮かんでいて、いまにもこぼれ落ちそうでした。
「だけどね」
ラクラミキオアラは一度ぎゅっと目を閉じてから、おおきく開きました。頬をつたってひとすじの涙が流れ落ちました。
「夢が叶ったのと同じくらい、嬉しいことがあるの」
「えっ?何?何が嬉しかったの?」
ドイナがききました。
「ドイナ、分からないの?ペイズリーも?」
「うん、分からない。教えてよ」
ラクラミキオアラは顔を赤らめて、少し小さな声でこう言いました。
「あなたたちに出会えたこと、あなたたちと友達になれたことに決まってるでしょ…。言わせないでよ、恥ずかしいんだから…」
ラクラミキオアラの言葉をきいたドイナと3世は、真顔で顔を見合わせてから、同時に吹き出しました。
「ちょっと、ラクラミキオアラ!急にそんなストレートに言わないでよっ!!こっちが恥ずかしいよ!!」
ドイナが目を丸くしてそう言うと、3世も、
「お前って、ほんと面白いやつだよな!!」
と言って微笑みました。
「これっきりで、もう会えないなんてこと、無いよね!?また遊んでよっ!?」
不安と強気が混ざったような声で、ラクラミキオアラがききました。
「バッカだな〜、お前。会えるに決まってるだろ?」
ペイズリー3世が、微笑みながら言いました。普段はラクラミキオアラに振り回されっぱなしの3世ですが、そのときの彼は、まるでラクラミキオアラのお兄ちゃんであるかのように頼もしく見えました。
「もう会えないなんてことになったら、わたしの方が泣いちゃうよ!ていうか、わたしラクラミキオアラに、明日学校終わってから空いてるか、予定をきこうと思ってたくらいなんだけど!?」
ドイナもそう言って笑いました。笑ってはいましたが、ドイナは瞳を潤ませて、もらい泣きしそうになっていました。
「ちょっと!ラクラミキオアラのせいで、わたしまで泣いちゃいそうだよ!もうっ!」
ドイナはそう言って、泣きながら笑いました。ラクラミキオアラは、「ごめん!!ドイナごめん!!」と言って、一緒に笑いながら泣きました。
「わたし、明日めちゃくちゃ空いてるのっ!!ドイナ、一緒に本屋さん行きたい!!わたしたちが出会った本屋さんに!!」
「うん。いいよ!行こうね」
ドイナはやさしく微笑んで、ラクラミキオアラを抱きしめました。
「ラクラミキオアラ。わたしの家にも、いつだって、遊びに来ていいからね。あなたなら、いつだって大歓迎よ!」
エレナもやさしく微笑みながら、言いました。
「エレナさん…!ありがとうございますっ!!女王さまに会うことができたのは、エレナさんだけじゃなくて、アレックスさんのおかげでもあるんです。もちろん、ドイナのおかげでもあるし、ペイズリーや、1世おじいちゃん、バズムちゃんのおかげでもある。みんなのおかげで、わたしの夢は叶ったんです。アレックスさんは"みんなの帰りを待ちましょう"って言っていたし、やっぱり一度エレナさんのお家に戻って、アレックスさんと1世おじいちゃんにお礼を言って、冒険の報告をした方がいいと思うんですけど…」
ラクラミキオアラがそう言うとエレナは、
「今日は、暗くなる前に必ずあなたを無事にお家まで送り届けるよう女王さまに言われているから、報告はまた今度にしましょう。これからは、来たいときはいつでもウチに来ていいんだから…ね?」
とやさしく言いました。
「はい!ありがとうございます!わたし多分、毎週、行っちゃいます!!」
「あら、ほんとに!?嬉しい!」
エレナはそう答えて、笑いました。社交辞令ではなく、二人ともほんとうにそう思っていました。
「ラクラミキオアラ、おれのことも忘れないでくれよなっ!?ドイナと二人だけで遊びたいときもあるだろうけど、たまにはおれも、誘ってくれよな!」
ペイズリー3世がそう言うと、ラクラミキオアラは、
「え〜!?どうしよっかなぁ〜!?ペイズリーは乙女心を全然分かってないからなぁ〜!」
と言ってニヤニヤしました。
「キャハハハ!状態だよ、ペイズリー!これからも、わたしとドイナの、乙女のワガママをたくさんきいてもらうつもりだから、よろしくねっ!!」
ラクラミキオアラの言葉をきいたドイナは、
「それ、最高っ!!ペイズリーの杖に三人乗りして、いろんなところに連れて行ってもらお!ラクラミキオアラ!」
と、目を輝かせながら言いました。3世は「え〜!!いろんなところって…一体どこだよ!?」と不安そうにききましたが、ラクラミキオアラとドイナは、
「そんなの、まだ言えるわけないじゃん!先に言ったら、つまんないしぃ〜!」
「ラクラミキオアラ、まだ決めてないだけでしょ、それ!」
「えっ!?バレた!?」
「バレバレだよ〜!!」
などと言って、楽しく盛り上がっていました。
別れを惜しむかのように公園でしばらく話をしていた四人でしたが、エレナが、
「あら、いけない。ちょっと話し過ぎちゃったわね。そろそろ暗くなり始めるから、ラクラミキオアラをお家まで送りましょう」
と言ったので、みんなで一緒に歩いて、ラクラミキオアラをお家まで送りました。それからドイナは鳥の姿になってラスノフの林に帰り、3世は杖にエレナを乗せバズムと一緒に、1世が待つエレナの自宅に向かいました。
別れ際、ラクラミキオアラは別れの挨拶をしました。
「エレナさん。送ってくださって、ありがとうございます。ドイナとペイズリーも、ありがとうね。エレナさん、またお家に、必ず遊びに行きますね!ペイズリーも、また遊ぼうね!ドイナは明日、またこの公園で!」
それからラクラミキオアラはバズムにも、お礼を言いました。
「バズム君、送ってくれて、本当にありがとう。また必ず会おうね!また女王さまのところに必ず行くから、そのときは亜空間への転送、またお願いね!」
バズムは「ニャ~」と答えて、ラクラミキオアラの足首に顔をスリスリしました。
玄関のドアを開けてお家に入ったラクラミキオアラを出迎えたのは、お母さんとお父さんのやさしい笑顔でした。
「いま、パーティーの準備をしているからね!あなたは今日の主役だから、手伝わなくていいのよ!ゆっくりソファでくつろいで、待っていてね!」
お母さんはそう言ったのですが、ラクラミキオアラはそのときも、"アニーを尊敬しているわたしに、のんびりソファで待つなどという選択肢は無いっ!!"と、いつもの"アニー癖"を発動させました。
「手伝わせてっ!!」
そう言ってラクラミキオアラは横歩きでお母さんに接近し、お母さんの手首を人差し指と中指で挟みました。びっくりして「ひゃっ!!な、なに!?ラクラミキオアラ!?」ときいたお母さんにラクラミキオアラは、
「わたしはラクラミキオアラではありませんっ。カルキノスですっ。蟹さんです」
と真顔で言いました。真顔と言ってももちろん、ふざけてわざと作っている真顔です。本物のカルキノスに会ってきたので、久しぶりにカルキノスの真似をしたくなったのでした。
「もう、ラクラミキオアラったら!」
お母さんは笑いながら言いました。
「ところで、あなた今日、どこに遊びに行っていたの?なんだか、すっごく目を輝かせて帰ってきたけど」
お母さんにそうきかれたラクラミキオアラは、こう答えました。
「えへへ…どこにも行っていませんよ〜!ずっとお家にいたもんね〜」
それはもちろん、ラクラミキオアラがふざけて言った冗談でした。まさか"亜空間に行って、森の女王さまや、ドロシーや、モモに会ってきた"と正直に言うわけにもいかないので、冗談を言ってごまかしたのです。正直に言ったところで、さすがに信じてもらえるわけはないと彼女は思っていました。
「あら、そうだったの〜!?ちっとも気がつかなかったわぁ〜!あなたがずっとお家にいたなんて。冷蔵庫の中にでも隠れていたのかしら!?」
お母さんは明るい性格なので、ラクラミキオアラと同じように冗談で返しました。
「ふふふ…そうかもね〜!」
二人はそんな調子でキッチンで冗談を言い合っていましたが、しばらくするとラクラミキオアラはだんだん、眠くなってきました。目がトロンとしてきたラクラミキオアラを見たお母さんは、
「あとはお母さんがやるから、あなたはソファで寝ていなさい。自分の部屋のベッドでもいいわよ。出かけていたから、きっと疲れてるのよ」
と言いました。
「…ふぁ〜…だから…出かけてないんだってば…むにゃむにゃ」
ラクラミキオアラはあくびをして、半分寝ているような声でさっきの冗談を繰り返しました。
「はいはい。分かったから、おねんねしましょうね〜」
お母さんはわざと赤ちゃんをあやすような口調でそう言って、ラクラミキオアラの手を引いてベッドまで連れて行きました。
「お母さん…大好きぃ…」
そう言ってすぐに眠りに落ちたラクラミキオアラの頭をお母さんは微笑みながらやさしく撫で、キッチンに戻っていきました。
二時間ほど経ったときラクラミキオアラは、誰かに起こされたわけでもなく、ひとりでに目を覚ましました。そしてすぐに彼女は、慌てた様子で部屋を見回しました。
"あれっ!?お城…わたし…お城に行ったよね…!?"
"ドイナと…鳥の妖精のドイナと友達になって…!"
"魔法使いのペイズリーとも、友達になって…!"
"『物語の宝石箱』から出てきた、ドロシーやモモと会ったんだよね…!?"
ラクラミキオアラは、覚えていたことをひとつひとつ、心の中で挙げていきました。
"夢なんかじゃない。確かにあれは、実際に起きたことだった。絶対にそうだ!"
ラクラミキオアラは自分に言いきかせるように心の中でそう叫びましたが、ひとつひとつの内容があまりにも非現実的なことだったので、次の瞬間には、
"もしかしたら、全て、寝ているときに見た夢だったのかも…"
と、考えたくないことを考えてしまいました。『不思議の国のアリス』が夢オチだったことも、頭をよぎりました。
"もしかして、アリスと同じパターンなの…!?"
ラクラミキオアラは、泣きそうになりました。
"ドイナも、ペイズリーも、やさしい女王さまも…みんな、夢だったの!?"
ラクラミキオアラの目に涙が浮かび、こぼれ落ちました。
「嫌だよ…全部、夢だったなんて…嫌だよ…!夢が叶ったと思ったら夢だったなんて、笑えないよ…悪い冗談だよ…」
不安で胸がしめつけられたラクラミキオアラは、思わず右手を胸に当てました。そのとき、何か小さなものに手が触れました。
「あっ…!」
それは、ウシャ・マーレの泉のほとりでペイズリー3世がプレゼントしてくれた、淡いピンク色の石のネックレスでした。
"夢じゃなかった…!やっぱり、夢じゃなかった…!"
涙があふれてきて、止まりませんでした。ペイズリー3世も、ドイナも、ドロシーも、モモも、女王さまも…みんな、いるんだ!本当にいて、わたしは、本当に会ったんだ!
ラクラミキオアラは、3世がくれた小さな石を、ぎゅっと握りしめました。
「ラクラミキオアラ〜!準備できたわよ〜!」
ラクラミキオアラを呼ぶお母さんのやさしい声が、きこえてきました。誕生日パーティーが始まるのです。けれども、ラクラミキオアラはすぐには立ち上がれませんでした。少しでも動いたら、小さな石が消えてしまいそうな気がしたからです。
消そうとする誰かから守るかのように石を握りしめたまま、ラクラミキオアラは窓から空を見上げました。
宝石箱の中で輝いていた物語の星たちと同じように、数え切れないほどの星が夜空に抱かれ、きらきらとやさしく輝いていました。
〈了〉




