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第一話 「たそがれ」

 数時間後。アネッテの姿は、赤い絨毯が敷き詰められ、重厚な木製テーブルとイスの置かれた会議室にあった。


(思った以上に詰んでる……)


 それがミッテ公国アネッテ・ユーバーファル第一公女の率直な感想であった。

 アネッテは会議室のテーブルに置かれた戦況図をにらみながら、暗澹(あんたん)たる気持ちになる。

 しかし軍議に参集した面々の空気は、アネッテの心境に反するように弛緩したものであった。

 

 この場にいるのは、アネッテを含めて六名。

 テーブル奥中央の議長席に座ったアネッテの左手に座すのが、ミッテ公国宰相・ゴットロープであり、軍議は彼の発言より始まった。


「公女殿下に改めて申し上げますが、間もなく同盟国であるインヴェイド王国が援軍を率いてやって来てくれることでしょう。それに呼応して我らも討って出れば、自ずと挟み撃ちする形になります。後ろから王国軍が、前からは我ら公国軍が。さすればいかにトリオンフ帝国と(いえど)も袋のネズミ同然。撃退は容易(たやす)い。ただ待ってさえいれば、我らミッテ公国の勝ちは揺るがぬのです」


 さながら、物分かりの悪い少女に言い聞かせるかのように、宰相・ゴットロープはアネッテを無表情に見つめながらそう言った。

 そしてそれに追従するかのように、太った一人の男が立ち上がる。

 ミッテ公国シュタイルハング要塞駐留軍司令イーヴォ大将であった。


「さようさよう。宰相閣下のおっしゃるように、我らはただ待つだけでよい。幸いにして、我が輩の率いたシュタイルハング要塞駐留軍はほぼ無傷で健在。しかもシュタイルハング要塞からの戦略的撤退も無事成し遂げ、既に首都防衛の任に就いております。トリオンフ帝国から守り切るなど実に容易い。公女殿下におかれましては、軽挙を控え、我らに万事お任せの上、心安らかに吉報をお待ちいただきたい」


 イーヴォ大将はそう言うと、小娘を説得するのは難儀だとばかりに、軍人らしからぬ緩み切った体を沈めるように椅子へと着座する。

 

 要するに、この二人が言いたいのは、“全てを我々に任せ、公女は飾りらしく大人しくしていろ。ちゃんとやっているから、余計な口出しはむしろ迷惑”ということであった。


(ダメだこれ……全く話にならない……)


 アネッテは両手を口の前で水平に組むと、頭痛を押さえるようにぎゅっと目を瞑る。


(それにこいつら……完全に負けパターン入ってる……)


 彼女にはこのパターンに見覚えがあった。

 以前、戦略シミュレーションゲームでオンライン複数対戦を行ったとき、劣勢に陥った同盟国間の会議チャットがこんな感じだったのだ。

 

【こうなるといいなぁ→こうなるだろ、たぶん→いや、こうなるに違いない!】


の、ダメ三段活用。

 

 人間、苦しいときほど甘すぎる希望的観測にすがりたくなるのだ。

 そしてすがったあげく、自らの想定(というより願望)通りにいかないと理不尽に怒り出す。

 それがアネッテが何度か見てきたものであり、今まさに目の前で繰り広げられている光景でもあった。


(はぁ……)


 アネッテはため息をつくのを慌ててこらえ、なんとか心中だけに留めた。

 そしてアネッテは、目の前に置かれた地図に目を向ける。


 アネッテは思う。

 宰相の言うインヴェイド王国からの援軍であるが、恐らくは来ない。

 宰相が主導して進めたという王国との交渉で、どういうやり取りがあったのかはわからない。

 しかしアネッテが思うに、王国はどうとでも取れる玉虫色の回答を寄越したのであろう。そして状況が好転すれば嬉々として参戦し、美味しいところをさらっていくつもりなのだ。

 というか、アネッテが王国側ならそうした。

 何せインヴェイド王国は昨年帝国と戦い、辛勝したばかりだ。

 軍に損害を出しながら得たものは、自国の領土から帝国軍を追い払っただけで、他には何もない。

 今は軍を再編成するのに手一杯であり、とてもミッテ公国と帝国との争いに正面から関与するだけの余裕は無いであろう。

 というか、欲を言えば正直あまり関与して欲しくない。

 下手に関与させると、今度は王国によって公国が併合される、あるいはうまくしのいだとしても公国の利権を奪われることになるかもしれないのだ。

 残念ながら、ミッテ公国は吹けば飛ぶような小国に過ぎない。帝国に加えて王国まで食指を伸ばして来るようでは、とても守り切れるとは思えない。


(……ってか、うるさいっ!)


 先程から自らの考えをまとめるべく、沈思黙考していたアネッテの耳には、入り口付近に座る二人の軍高官達の軽口がずっと入ってきていた。


「それにしても、ただ待っていればいい戦というのも実に退屈なものですな」

「なんのなんの。我らには子守りという仕事が残っておりますぞ」

「はははっ、それは実に厄介極まりない仕事ですな」

「さようさよう。子供が一人だけならばまだしも、近頃は物わかりの悪い子供ばかりで困っておるのです」


 思わずアネッテは声のした方を睨み付けたが、睨まれた二人の軍高官はどこ吹く風だ。


「いかがされましたかな公女殿下?」

「いやぁ、最近私の親戚連中に子供が増えましてな。その躾に手を焼いている次第でしてな。誠にお恥ずかしい話だ。はっはっはっ」


 どう見てもアネッテに対する当て付けであり、そもそも本当に“親戚の子供”とやらがいるのかも疑わしくはある。

 その証拠に、先程の二人はアネッテを見て、にやついた笑みを浮かべていた。

 そしてアネッテからわざとらしく視線を外すと、会話を続ける。


「それにしても――こうして見るとイーヴォ大将のシュタイルハング要塞からの撤退は真に英断でしたな」

「然り然り。イーヴォ大将が要塞駐留軍をこうして無傷で首都に引き連れて来てくれなんだら今頃どうなっていたことか」


 二人の軍高官に水を向けられたイーヴォ大将は、さも今気づきましたとばかりに「おや?」と二人を見る。

 そして、


「なんのなんの。我が輩もシュタイルハング要塞を棄てるのは苦渋の決断であったが、公国に忠を捧げる臣として、公女殿下のおわす首都の防衛に勝るもの無しと、こうして馳せ参じた次第。それがたまたま宰相閣下の方針と合致しただけのこと。真に賞賛されるべきは、宰相閣下でありましょうな」


と、ゴットロープ宰相を持ち上げた。


「いやいや。いかに私がインヴェイド王国から援軍を引き出せたとて、軍の力が無ければこうしてコーヒーを楽しむ余裕は無かったはず。イーヴォ大将を始め、軍のお歴々には感謝しておる」


 ゴットロープ宰相は居並ぶ軍高官を見やり、軽く頭を下げた。


(バカバカしい……)


 一連のやり取りを白眼視していたアネッテは、しかし、しおらしく見えるように(うつむ)いてみせる。

 

 どう考えても、イーヴォ大将がシュタイルハング要塞からの撤退したのは彼の不手際によるものだ。

 宣戦布告からまさに電光石火。即座にシュタイルハング要塞に押し寄せた帝国軍に慌てふためき、要塞駐留軍の掌握を諦め逃げ帰って来たに過ぎない。

 おかげで帝国軍は無人の広野を進むがごとくミッテ公国の中央を通過し、こうして首都にまで攻め上ってきた。

 そしてそれをさも戦略的撤退であったかのように、末席に座った二人の高官を使ってこの場でゴットロープ宰相に認めさせたに過ぎない。

 

 ゴットロープ宰相もゴットロープ宰相で、軍の協力無くして首都を支えることは不可能であることを知っている。だからこそここでイーヴォ大将の進退問題から、それが原因で軍が混乱するようなことは避けたい。

 ならばイーヴォ大将は戦略的撤退をしてきたことにして、そのまま首都防衛の指揮を執ってもらおう。なにせイーヴォ大将は宰相に対して比較的従順なのだから、とでも考えたのであろう。

あとまぁ、ついでに言えば、ゴットロープ宰相とイーヴォ大将を始めとする軍高官の協力関係を公女アネッテの眼前で見せつけ、以降の余計な口出しを防ぐという目的もあったか。


(茶番劇そのものね)


 彼らの思惑がわかった以上、アネッテはこれ以上の議論に意味を見出せなくなっていた。

 ならば、彼らの思惑に乗ったふりをして、しおらしくしてみようと思ったのだ。

 そしてそれを見たゴットロープ宰相は、“用はすんだ、公女の相手はこれまで”とばかりに静かに自らの席を立つ。


「では、公女殿下。殿下の宸襟(しんきん)を騒がす帝国軍とのことは全て我らにお任せいただき、殿下はどうぞ安らかにお過ごしくだされ」


 そう言い残して、会議室をあとにした。


「では殿下。我が輩も首都防衛の任がある故、これにて失礼いたす」


 そしてイーヴォ大将もそう言って立ち上がり、二人の高官を引き連れて扉の外へと出ていく。


 残ったのはアネッテともう一人の軍高官だけであった。

 アネッテは、この会議室に入って以降一言も発しなかった無口な軍高官に、何か言いたいことがあるのかと視線だけを向けた。


 しかし彼は一言も発することなく、すまなそうな瞳だけをアネッテに向けると、静かに立ち上がった。


 そして脇を締めた見事な敬礼をアネッテに向け、一言も発さずに会議室を後にした。


「はぁ……」


 一人取り残された会議室で、アネッテはため息を吐いた。

 窓の外を見やれば、陽が沈もうとしている。


 黒髪を肩口で揃え、整った眉を下げた自らの顔が窓に映る。


「なかなかの美少女じゃない」


 アネッテ・ユーバーファルになる前の彼女であれば、鏡を見ても絶対に口にしなかったであろうし、思いすらしなかった言葉であった。


「ホント、テキストデータだけ(文字だけ)なんてもったいない」


 いったいどれくらいの時間が経ったであろうか。

 しばらく窓の外と、窓に映った自らを眺めていたアネッテに、ふいに声がかかった。


「殿下、お茶をお持ちいたしました」


 アネッテが振り返ると、先ほどの執事が扉の外でワゴンを持って待っていた。


「そうね、いただこうかしら」


 アネッテはそう言って、執事の入室を促す。


 執事はワゴンとともに入室し、アネッテの前にお茶の準備を進めていく。


 琥珀色の液体がカップに当たり、紅茶のいい匂いがアネッテの鼻孔をくすぐった。

 先ほど執事が入室する際に扉を閉めたせいだろう。紅茶の香りが、会議室全体に広がるのをアネッテは感じていた。

 そうして出された紅茶の入ったカップをアネッテは、ぼんやりと見つめた。

 陽は未だ落ちきってはいないものの、カップに描かれた柄は見えにくくなっている。


「これは、ブルーローズ、かしら?」

「はい、さようでございます」


 出されたカップを眺めながら、アネッテはそう執事に尋ねた。


「いい味ね」


 アネッテは少しだけ口に紅茶を含むと、そう(つぶや)いた。

 執事は軽い目礼だけで返す。


 陽が沈もうとしている。

 もはや窓に映った自らの顔すらも、アネッテには判別することができない。

 黄昏時が終わる。まさにそんな時であった。

 にわかに会議室の扉が開かれる。


「公女殿下に、申し上げたき由あって参上(つかまつ)った。何卒お取次ぎ願いたい!」


 そう言って入ってきた青年は軍服を身に着けていた。

 しかし顔はよく見えない。


そこにいるのは誰(誰そ彼)ですか?」


 アネッテは扉の前にたたずむ青年にそう問いかけた。

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