中編
「ただいま。ママ」
家に帰った俺は、普段は姉も口にしないような口調で言ってみた。
母は驚愕の表情を見せて――俺に抱きついてヘッドロックしてきた。
「かわいい、かわいいわ。杏ちゃん。私、女の子ほしかったのっ!」
「姉貴は女の子じゃなかったのかっ」
母の衝撃発言に、俺は思わず素でつっこみを入れてしまった。
「あら? 何か言った?」
「ううん。何でもないわ」
「そうよねー。お母さん――ううん。ママは都合の悪いことは聞こえない耳をしているもの」
「はは……」
ちょっと怖い。
よくこんな人相手に、半引きこもり生活が出来ていたと思う。
玄関先で母のおもちゃになっていたら、父が帰ってきた。
休日出勤、お疲れ様だ。助かった、とばかりに、俺は母から抜け出して父を出迎える。
「パパ。お帰りなさい」
「……し、失礼。家を間違えたようです。飲み過ぎたかな」
父よ。なぜ帰る。ていうか、仕事じゃなくて飲んでいたのか。
「やだなぁ。杏だよ。パパったら」
「黙れ。杏のふりをした似て非なる悪魔め。清純派眼鏡っ子になってもだまされないぞ。この私が成敗――」
「だまりなさい」
無事、母によって父が成敗された。
正気に戻った父が、母に詰め寄るようにして聞く。
「本当に杏なのか。あの科学にすべて偏り、女の子っぽさゼロで、実は父さんより収入が多くて父さんは肩身の狭い、あの杏なのか」
「そうなのよ。やっぱりあなたを選んだ私の目に狂いはなかったわ」
「あぁ。亜久里っ」
「……えっと。親z……じゃなくて、パパとママ? 二人が結婚した理由って……?」
「1に顔、2に身体、3に財力よ」
一つもまともなのがない。
しかも父もその通りだとばかりにうなずいているし。
ある意味、相性ばっちりなのかもしれない。
「あとこれで、能城がしっかりしていれば……」
父がしみじみとつぶやいたとき、玄関が開いた。
「うーっす。ただいまー」
俺――もとい姉が帰ってきた。
ぼさぼさだった髪の毛はきれいに整えられ、軽く染められていた。眼鏡も丸い眼鏡から流行のものに変わっていた。服の着こなし方も、乙女ゲーに出てくるキャラのようにぴしっと決まっている。
「能城。まぁまぁ、知的美少年になって」
「父さんの若い頃にそっくりだ。ううっ。よかった。母さんが浮気していた訳じゃなかったんだ」
何でだろう。
二人の発言を聞くたびに、存在が消えそうになる。
姉も同様のようで、ばつが悪そうだった。
「それにしても能城ちゃん、うまく化けたねー。それだけ綺麗になる手間を惜しまないのなら、どうして男の子のときしなかったの? なかなかの素材じゃない」
「その言葉、そっくり姉貴に返すよ」
「なるほど。それもそうだね」
夕食の後、二階の部屋に戻って、俺たちは顔を合わせて笑った。
出来の悪い弟と天才な姉だが、こういうところは一緒らしい。
「さて。明日から学校だけれど、どうする? 戻る?」
「まさか。せっかく美少女になったんだ。これからが本場だ」
母の異常な溺愛ぶりには困惑したが、悪い気はしない。町を歩いていたときも感じていたけれど、美少女として、クラスの男子を翻弄できるのかと思うと、ぞくぞくする。
「失敗したりしない? 大丈夫?」
「心配ない。清楚系美少女のイメトレはばっちりだ。それに美少女は正義。この容姿なら、むしろ『ドジっ子』でごまかせる」
口調こそ姉の前なのでこうだが、今の俺はちゃんとぺたんことした女の子座りをしている。仕草にぬかりはない。股関節の違いか。前はできなかったのに。
「姉貴こそ大丈夫か?」
「全然だいじょうぶだよ。むしろこんな美少年になったんだもん。しっかり能城ちゃんをイメージアップさせちゃうからっ」
いくら天才でもこれほどの美少女を放っておいた姉である。
ちょっと心配だったが、俺も姉のふりをしているのだから、おあいこだ。
お互いの健闘を祈って、俺は自室(今は姉の)を後にした。
♂ ♀ ♂ ♀
俺たちは電車で二駅の、近所の同じ高校に通っている。知識も金も問題ない姉が近所の公立高校を選んだ理由はただ一つ、家から一番近かったからだ。
そういうわけだから、高校には、ひとつ学年が上でも小中からの見知った人間もいる。
「――よし」
俺は軽く深呼吸して、姉のクラスに足を踏み入れた。席の場所、簡単な友人関係は姉から聞いている。
教室に入ると、ざわめきが起きた。クラスの視線が俺に集まる。
男のときは、苦手だった他人の視線。
だが、今は違う。自分が美少女だと自覚しているので、逆に快感だ。
教室の中に見知った顔を見つける。
「おはよう。羽黒くん」
俺は特訓した笑顔スキルを使用して、挨拶した。
「えーと。どちらさまでしょうか」
「やだ。羽黒くんったら。八戸杏だよ」
教室が――震えた。
「まじで」
「天変地異か。にげろ」
「結婚してください」
「きゃー、かわいいー」
やはり美少女は偉大だった。
揉みくちゃにされながら、姉に教わった自分の席につく。
「お、おはよう……八戸さん」
席に座ると隣の男子生徒が挨拶してきた。確か、三沢というんだっけ。姉とどういう関係かは知らないが、少なくとも俺(能城)とは関わりない人物だ。
だがそのようなことは関係ない。
ぴんときた。こいつ、俺に惚れたな。
こんな俺でも片思いの経験くらいはあるから、何となく分かるのだ。
「おはよう三沢くん。ん? どうしたの」
「い、いや……」
俺が可愛らしく小首を傾げると、三沢は顔を赤くして視線をそらした。
ふっふっふっ。
俺は男だけあって、男が興味のないネイルに力を入れてアピールするような勘違い女と違う。男がどう喜ぶかを知っている。
「ねぇ三沢くん、この問題だけど」
必殺、上目遣い!
「今日は、暑いね」
奥義、胸チラ下敷き仰ぎっ。
「ねぇ? 腕相撲しない?」
最終兵器、お手手つなぎっ!
効果は絶大だった。
身長150センチの細腕の俺が、男子の三沢に勝ってしまったくらいだ。長く手を繋いでいたくて、手加減していたのは見え見えだった。
ふっ。男などちょろいものだ。
俺たちの様子を見て、「次は俺と」と、男たちが群がって来た。
だが俺は、恥ずかしげにうつむいてしまう。
失敗しない。俺は、清楚系美少女なのだ。
派手に男を取っ替え引っ替えしていては、イメージが崩れるし、周りの女子生徒から反感を買う恐れもある。報復という名のイジメを受けたらたまらない。
「ちょっとぉ男子ー。八戸さんが困ってるじゃーん」
「大丈夫。怖かったねー。よしよし」
今度は女子が寄ってたかってきて、慰められる。
近くにいた男子も俺の容姿にだまされて、軽い調子で手を出してくることがない。
完璧だった。
美少女は、最高だ。
ちやほやされるのは新鮮だった。みな、できの悪い俺を、蔑んだ視線ではなく、好意的に見てくれる。話題の中心になるのは、さすがに恥ずかしくて戸惑うが。
人と話すのは苦手だったけれど、だんだん慣れてくる。コミュニケーションがとれるようになって、さらに自信もついてきた。
家に帰っても美少女は続く。
「ねぇねぇ。杏ちゃん。これを着てみてー」
いつの間に買ったのか、母の手には大量の服があった。
「もぉ。ママったら、仕方ないなぁ」
こうして即席の撮影会が行われる。アイドルになったみたいで悪い気はしない。なぜ着ぐるみまであるのかは分からないけれど。
姉には悪いが、撮られた写真は黒歴史としてもらおう。
一方で、姉も俺の体で楽しんでいるようだった。
学校でクラスメイトと話している姉をちらりと見たけれど、自然に溶け込んでいた。自分の姿を傍から見るのは不思議な感じだが、意外と男だった自分も悪くなかったのかもしれない。
――ていうか、クラスメイト(男)を見る姉(俺)の目が微妙に生暖かく感じるのは気のせいだろうか。元に戻ったとき変なうわさが立っていないことを祈ろう。
「ねぇねぇ。能城ちゃん。今日電車で帰りにね、私、痴漢に間違われちゃった。てへ」
「っておい、祈っているそばから、お前は俺の人生を台無しにするつもりかっ」
「偶然だって。なんか女の人の身体が近くに来てね。むらむらして少し触っただけでこうなっちゃうんだね」
「それを痴漢というだっ!」
戻ったときが、怖い。
「幸い、相手女性に訴える意志はないみたいだったから、問題なかったよ。能城ちゃんのイケメン度のおかげのだね。『※ただし』ってすごいんだねっ」
「それを元女の姉貴が言うかなぁ」
「しかも連絡先までもらっちゃった。今度は別のところで会いましょうって」
「捨てなさい」
俺は頭を軽く抑えた。心配になってきた。
けれどもしかしたら、姉は入れ替えの縛りで、自家発電できないから、辛いのかもしれない。
何となく聞くのは恥ずかしかったが、それを尋ねると姉は胸を張って答えた。
「大丈夫。性欲精力抑制剤を飲んでいるから」
「そんなのあるのか」
「ちょっと副作用あるけれど」
「おいっ」
「大丈夫だよ。間違いを犯して、能城ちゃんを勝手に魔法使いになれる権利を手放さないようにするから!」
「だから――」
「あ、でも……」
姉が恥ずかしげに言う。
「……男の子同士だったら、権利は大丈夫、だよね?」
「もっと悪いわっ」
俺はある格言を思い出した。
バカと天才は紙一重。――今更だけど。
美少女のふりをするのは問題ないが、それでも慣れないこともある。例えば、体育の着替えとか。
風呂やトイレで自分の身体を見るのは構わない(無修正のエロサイトで見てたし)が、他人の身体の場合は、別に女子の着替えを覗きたくて姉の体になったわけではないので、なんか申し訳ない気持ちになってしまう。入れ替えの縛りのおかげか、変に興奮することないのは助かるが。
体育の授業をやっていると、この身体の非力さに驚かされる。運動音痴なのは姉弟そろって同じみたいだが、小柄な分、それをよりいっそう感じさせられる。勉強も運動もできる美少女って言うのは貴重というか、本人が相当の努力しているんだろうな。
「ふふ。美少女になっちゃっても、運動が苦手なところは変わらないね」
休憩していると、一人の女子生徒が話しかけてきた。
南部野乃。姉の親友らしい。男のときの俺とは接点がないが、結構可愛いらしい容貌をしている。
そんな彼女が少し寂しそうに続ける。
「でも杏ちゃん、変わったよね。やっぱ恋、かな」
「え?」
思わず聞き返してしまう。恋って……この姉が?
「やだなぁ。科学部の野辺地先輩のこと。分かってるんだから」
ま、まさか、姉にそんな人物がいたとは。
男×男にしか興味がないと思っていた姉に、好きな人だと?
美少女になるのは問題なかったが、天才である姉の知識に付いていくのは無理があったので、姉が出入りしているらしい科学部は避けていた。
けれどこれは一度覗いてみる価値はありそうだった。




