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1、前編

『どうだい? 来週に日曜日、ボクとデートしないかい?』


 テレビに映る選択肢の中から、俺は迷わず「いいえ」を選択した。

 ふっふっふ。悪いなイケメンくん。その日は親友の美紀ちゃんと図書館デートの予定なんだよ。


 休日の昼下がり。

 俺は、姉から無理やり押し付けられた乙女ゲームに興じていた。

 断じて男好きではないが、やってみると意外と面白い。

 女になりきってちやほやされるのは悪くない。

 それに禁断の百合ルートもあるみたいだし。


「あーあ。俺もゲームの主人公のような可愛い女の子に生まれていたらなぁ」

 陰鬱な男に生まれて、家と学校の往復の毎日。

 親しい友達もなく、休日は部屋にこもって一人ゲームと、半引きこもりのような生活を送ることなく、ゲームのように、明るく楽しく過ごせて、毎日が充実していただろうか。


「そんな能城ちゃんに朗報登場っ。最高の装置を作ったよーっ」

 まるで俺の心を読んだかのように、部屋に飛び込んできたのは、年子の姉である八戸杏だった。上背だけはある俺と違って姉はちっちゃい。身長150センチほどで華奢な体つきをしている。

 だからといって、かわいいと言えるかどうかは別。

 ぼさぼさの長髪は無造作に後ろに縛られただけで、分厚い牛乳瓶のような眼鏡をかけている。身に着けている服も、色気も可愛らしさもない白衣だ。


 だが頭は良い。

 というか、変な方向に。


 姉はいわゆるマッドサイエンティストである。自室の隣に実験室を作って、そこで日々奇妙な発明品を生み出している。

 そのどれもが世の中の常識を覆しかねないノーベル賞のものだが、それゆえに世に出回ることはほとんどない。

 そもそも、まともな物の方が圧倒的に少なく、ほとんどは、はた迷惑な失敗品だ。


「で、今回は?」

 俺は、ゲーム機を置いて聞く。

「よくぞ聞いてくれました!」

 姉は小さい身体で俺の手をぐいぐい引っ張って、隣の自室に連れ込んだ。

 相変わらずごった返した姉の部屋の真ん中に、いわゆる、ピコピコハンマーがあった。

「これは『肉体入れ替え装置』なんだよ。これで対象の相手の頭を叩くと、『お前は俺で、俺がお前』状態となるのだー」

「ほー。そりゃすごいなぁ」

 突拍子もない話だが、姉が作ったのなら本物なのだろう。


 だがひとつ疑問が。

 なぜ姉は俺の身体を値踏みするようにじっとり見ているのか。


「ふっふっふ。これで、あたしは生まれ変わるのだ。もうチビとは言わせない。能城ちゃんの肉体で、あたしをバカにした女の子たちを取っ替え引っ替え遊んで捨ててやるんだ。そして、ゆくゆくは禁断のBLの世界へ――」


 姉もほかの女子と同様、男同士の絡みがお好きだ。


「――って勝手に俺の体を使うなっ。そもそも、俺の意志は」

「そんなのあるわけないじゃない」

「うっ」


 言い切られた。

 女尊男卑。姉と弟。天才と半引きこもりのオタク。

 どちらが強いのか、一目瞭然だった。


「……まぁいつものことだし。好きにしてくれ」

 俺はため息をつくと、姉の前に座り込んだ。

 こうでもしないと、姉の身長で俺の頭を叩けないからだ。

「うん。素直な能城ちゃんは好きだよ」

 姉は満足げにうなずくと、ピコピコハンマーを振り上げた。

「それじゃ、いくよー」


 ゴツっ!



「――いてぇ。なんで、『ピコ』じゃなくて『ゴツ』なんだよっ」

「あたしは別に、ピコピコハンマーだと言ってないよ。能城ちゃんが勝手に勘違いをしただけだもん」


 頭上から低い男の声が聞こえた。

 顔を上げると、目の前に、不細工で不機嫌そうな大男が立っていた。


「誰だ、お前」

「やだなー。能城ちゃんだよ。鏡を見たことないの?」


 その言葉で、目の前の男の正体が分かった。そっか、俺だ。

 入れ替え装置は成功品だったようだ。


「そういえば最近自分の顔なんて見てなかったな。不細工な男の顔なんて見たくないからな。髪やひげの手入れも手探りで十分だし、写真を撮ったのだって、中学の卒業文集以来か」

 自分の身体を外から見るというのは、意外と新鮮だ。

「それにしても俺、こんなに大きかったか」

「あたしが小さいからね。どう? 女の子の体は」

「あ、そっか。俺は今姉貴なのか」

 姉に理不尽に身体を奪われただけかと思っていたが、入れ替え装置なのだから、そういうわけか。

 頬を触る。手のひらも相対的に小さくなっているのか、特に小さくなった気はしない。それにしても、肌にしろ、手のひらにしろ、男の俺と変わらないくらい荒れ放題だな。

 続いて、手を離し視線を下に向ける。薄汚れた白衣にダボダボズボン。色気も可愛らしさもないが着心地は悪くない。

 その汚れた白衣の胸の部分がかすかに膨らんでいた。


「……」

 言っておくが、姉の胸を触りたいとはみじんも思ったことはない。

 姉萌えなどという言葉は、姉のいない幸福な人物が作り出した幻想であると思っている。

 だが自分の胸を自分で触るのは問題ないはずだ。姉の物と考えなければ、魅惑的な膨らみ(それほど大きくないが)であることには変わりない。

 けれどせっかく、魅惑の果実が目の前にあるというのに、不思議と触ろうという気持ちが起きない。


「言っておくけれど、勝手にあたしの身体を弄くり回されたらやだから、入れ替わったら、そういう気持ちが起きないよう設定されているんだよ。無理にしようとしても、全身に強烈な筋肉痛のような痛みが走るようになっているから」

「おい」


 思わず姉の発言につっこみを入れる。

 そして気づく。


「ん、てことは、設定上、姉貴もできないんだよな?」

「えっ、えぇぇっ」


 姉が大きな声を上げて驚いた様子を見せた。

 そして飛び跳ねるように、隣の俺の部屋に入り込む。

 扉越しに、うぎゃ。ぐぇぇ、という悲鳴が聞こえた。

 俺はため息をついて、扉を開け部屋に入った。

 汚らしい下半身を露出した男がピクピクしていた。周囲には雑誌という名のおかずが散らばっている。

 ていうかなぜこんな短時間に、俺がこっそりと隠していたものを見つけるか。


「ううぅぅ。失敗したー。あたしの夢を打ち砕くとは、さすが能城ちゃんだねっ」

「いや。俺はなにもしてないが……」

 ていうか、ズボンを穿いてほしい。

「でも自家発電なんて所詮は、代替行為だよね。能城ちゃん、安心して。あたしは絶対、能城ちゃんを魔法使いにはさせないから。美少年にイメチェンして、必ず脱DTしてあげるねっ」

「余計なお世話だっ」

「あ、ごめん。勝手に魔法使いになれなくしちゃったら嫌だよね。する前に、ちゃんと能城ちゃんに許可を取るからねっ」

「いや、そうじゃなくって……」

「それには、まずは掃除だよねー。こんな部屋じゃ女の子も呼べないし、気も滅入っちゃうもんね。というわけで、能城ちゃんも掃除手伝ってね」

「なんで俺がっ」

「なら、フィギュアやDVDやらポスターは、勝手に処分していいかなぁ」

「すみません。手伝わせてください」


 こうして掃除が始まった。

 が。


「お、重い……。手も届かない……」

「ふははは。これが男か。半引きこもりの運動不足にも関わらず、これほどの力とは。素晴らしい。素晴らしいぞ。鍛えれば、これ以上の力が手に入るというのか!」

 姉が、どこかの魔王様になっている。

 以前から、姉はちっちゃいと思っていたが、こう入れ替わると、改めて男女の体格差に気づかされた。



「疲れた……」

 掃除が終わって部屋を追い出された俺は、姉(今は俺)の部屋のベッドに横になっていた。

 発明品やら工具やらは、部屋に隣接してある専用のスペースに押し込められているのだが、普通の居住スペースも、マッド(以下略)なだけに混沌としている。まともなのが、ベッドの上くらいしかないのだ。

 ベッドの上で仰向けに寝ていると、二つの膨らみが上下しているのが見えた。

 触ってみた。柔らかい。だがそれ以上の感情はない。禁忌設定のせいか、内心で筋肉痛を恐れているからかは分からない。

 髪の毛に触れる。無造作に一本に縛られた髪の毛は、ベトベトざらさらしていて、女の子憧れのサラサラとした髪の毛にはほど遠い。


 姉のとばっちりとはいえ、せっかく女の子になれたというのに。

 どうせなら美少女が良かった。……いや、待てよ。


「姉が俺をイメチャンしようとしているのなら、俺も美少女になってみるか?」

 俺は美少女が好きだ。

 それゆえに、女性の生態についてもそれなりに把握している。生理現象はもちろん、服や下着・化粧の仕方だって、下手すれば、姉より詳しいかもしれない。

 変態? いや、女性の心を理解した紳士だ。

 せっかく女の身体を手に入れたんだ。

 俺の知識をフルに生かして、姉を美少女にさせるのも悪くない。


 というわけで、ベッドから起き上がった俺は、姉の部屋を漁った。

 だが半ば予想はしていたが、この部屋には残念なほど、女子力向上アイテムがなかった。

 仕方ない。ならば買うか。

 姉は妙な発明品を、世の中の迷惑にならない程度に売ったり貸したりして、父以上の収入を稼いでいる。机の引き出しを開ければ、スーパーのレジ並に現金紙幣が無造作に入っている。金の問題はない。


「問題は何を着ていくか、だが……」

 まさに服を買いに行く服がない状態だ。この格好で堂々と外出できるほど神経が図太かったら、半引きこもりにはなっていない。

 姉はどうしていたっけ? そして少し考えて気づく。

 ――あ、そうか。制服か。

 姉とは同じ学校に通っている。見慣れた制服が、部屋に飾られていた。

 紺のプリーツスカートと、紺の襟に赤いリボンがついたごく一般的なセーラー服である。

 こんな体でも現役女子高生なのだから、休日だろうと制服姿で出歩いても問題ないはずだ。

 俺は今着ている服を脱いで下着姿になった。萌えることないのは、姉の身体だからというより、入れ替えによって『自分』の身体になっているからだろう。


「……ていうか、腋の手入れくらいしろよな」

 小さな姉のことだから生えていないかと思ったが、そのようなことはなかった。生え放題だった。夏なのに。こちらも後で処理せねばならない。

 白衣を畳んでおき、セーラー服を手に取る。下着姿になるのには抵抗なかったが、セーラー服を着込むのには元男として、少し抵抗があった。


「うむ」

 けれど、物で埋もれた鏡の前に立って己の姿を映すと不安もなくなった。

 いつも高校に通っている姉の姿だ。変態男が女装しているようには見えない。姉の体なのだから、当たり前だが。

 スカートをはくという背徳感があったが、これなら問題ないだろう。

 男女問わず、制服というのは便利なものだ。


 準備を終え、部屋を出る。

 すると、隣の扉から同じように制服を着た「俺」が姿を見せた。

 なるほど。考えることは同じか。

 ――健闘を祈る。

 お互い目で語り、家を出た。



 入るのにかなり勇気が必要だったが、まずは美容院で、背中まで無造作に伸びている髪の毛を、ばっさりと切った。姉からすれば髪の毛は命ではなく、邪魔だけれど切るのも面倒なもの(本人談)だ。

 むしろ時間をかけてカットしたことに、感謝されてもいいはずだ。

 ついでに肌の手入れもしてもらった。かさかさで薄汚れていた肌が少しはまともになっただろう。

 美容院で、中身が男の俺でも問題なく対応してもらえたことに自信がつき、続いて向かった先は、眼鏡屋である。

 ちまたでは「眼鏡っ子」などともてはやされているみたいだが、俺の持論では、美少女に眼鏡などという付属は不要だ。もちろん、けもの耳・しっぽも同様だ。美少女という芸術品に、余計なものを付け加えること事態、罪なのだ。

 姉が付けているのは牛乳瓶の底のようなグリグリ眼鏡をコンタクトに変えるつもりだった。

「いや。待てよ……」

 だがそこで俺は気づく。眼鏡を取ったら美少女というのは、漫画の中の幻想だ。姉のど近眼だと、かえって瞳が小さく見えて逆効果かもしれない。

 俺は鏡の前に立って、髪の毛に触れた。姉の身長体型を考えて、美容院で髪型をおかっぱ頭にしてもらった。

 おかっぱ頭に眼鏡――これはもしかして、至高の組み合わせではないか。

 そこで縁の薄い眼鏡を試してみた。

「おおっ」

 似合いすぎて、俺を見る店員の目が怖かった。

 清楚な少女の出来上がりだった。

 髪の毛を切って眼鏡を変えるだけでここまでとは、姉、恐るべき。

 だが甘い。女の子の道はこんなものではない。今はまだ、単なる清楚な少女だ。これを美少女に変えるのだ。


 続いて向かったのは、エステである。姉がなにも手入れしていなかった肌をつるつるにしてもらった。ついでに永久脱毛を受けた。

 ドラックストアに行き、化粧品も購入する。幼い容姿の姉に派手な化粧は不要だが、チークやリップクリームは必須だろう。トイレの後手を洗わないようなものだ。一緒に購入した手鏡を見て、笑顔の練習も欠かさない。表情だけで印象は大きく変わるのだ。

 女らしい仕草も、どんな仕草が可愛いか萌えるか、そんなことを考えながらアニメや漫画を見ていたので、それを実践するだけだ。問題ない。


 こうして日が暮れかけるころ、一人の美少女が誕生した。


 姉の元が良かったのか、俺の努力のたまものか、財力のおかげか、自分でも驚くほどの美少女に生まれ変わった。

 道を歩けば、十中八九の男が振り返る。女性も同様だ。「あの子、かわいー」という声が耳に入ってくる。快感だった。

 思えば、小さい頃から勉強ができる姉と違って、俺は目立たない子供だった。劣等感から人との接触を断って、半引きこもりのオタクになってしまったが、周りから褒められることが、こんなにも気持ちのよいものだとは知らなかった。


「よし。こうなったら、徹底的になりきってみるかな」

 姉の言葉じゃないけれど、俺に目もくれなかった男どもを、この体で手玉にとってみるのも悪くないかもしれない。





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