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ジーン

 私もルビーさんも帰る気満々だったのだけど、ロビーのほうが急に騒がしくなった。探ってくるとルビーさんが様子を伺いに行ったので、私は廊下のステンドグラスを眺めていた。

 妖精王は背から虹色の羽を生やし、嘆きを落としている。

 貴族は妖精王の血をひく。だから、貴族の涙が流れると四季が狂うのだという。

 私が使用人だった頃、仲良しの庭師が教えてくれた。

 嵐の訪れは貴族様の涙が一雫こぼれたから。高貴な方は天候さえ振り回す。昔は本当に信じていた。高貴な方は私達と違う存在なのだと。

 屋敷から出てきて五年以上経つ。あの嵐の丘はどうなっているんだろう。

 記憶のなかで、あの地特有の人を突き放すような風が音を立てて吹く。あの丘に建てられた不気味な屋敷は、いつだって陰鬱だった。妄執が積み上げた罪悪の館。けれど、窓枠が風に揺らされる音が耳に残っている。その音はどこか懐かしい。

 郷愁にも似た思いを、天井を見上げながら感じていた時だ。

 神経質な声が高いところから降ってきた。

 振り返ると退廃的な雰囲気を纏った彼がいた。しかし、見つめる瞳の熱は烈火の炎のようだった。純粋な怒りが気懈げで淫靡な口元に現れている。


「こんなところで何をしておられるのか、公爵夫人」


 色っぽい見た目とは裏腹に、きびきびとした言葉の粒が私の頭をごんごんとどついていく。

 まさか。

 まさか、本当に来ていたなんて。


「説明していただきたいがよろしいか、夫人」


 潔癖で有名な彼が私を見下ろしている。


「そうでなければ貴女の慰み者である私がなにをしてしまうか」


 手袋をした指が私の髪を掬い上げる。


「お分かりだろう、夫人」


 第六王子、ジーン様。

 彼は私の愛人の一人だ。




「じ、じじ、ジーン様」


 狼狽えた私を、ジーン様はじっくりと見つめた。

 黄金を溶かしたような絢爛な髪と瞳を持つ王子様は、ぱちりと瞬きする睫毛まで罪深いほど金だ。これが本物の金だったら、一生贅沢ができるかもしれない。いや、卑俗な考え方なのだろうけど。


「夫人、私はそこまでじという音は多くないが」


 あくまで冷静に、ジーン様は返した。

 その返しにますます慌てる。真面目すぎてはずれた答えを出すのがジーン様だ。慌てるな、慌てるな。

 心をどれだけ諌めても、ばくばく、音が出てる!

 ジーン様がどうしてという言葉と、どう言い訳しようかという悪の心が競り合い、祭のようにせわしない。


「どうしてこんなところに」


 ジーン様の眉間に皺がよる。罰が悪そうに俯いて、上唇を舐めた。その姿にジーン様も動揺していることに気がつく。


「それは」

「イライザ!」


 ルビーさんが靴音を立てて近づいて来る。

 そして、私の近くにいたジーン様に気がついてはあ?! と素っ頓狂な声を上げた。


「おい、イライザ、なぜ、第六王子がここにいる」

「クルビン男爵? なぜ、ここにいるのだろう」

「それはこちらの台詞だが、王子様。噂は本当だったということか? というか、待て、なぜ仮面をつけていない? ここをどこだと」

「ルソール男爵が秘密裏に行っている商売のパーティーだろう?」

「そうだ、そうなのだが、分かっているのになぜ……」

「仮面をつけると、視界が暗くなる」


  ただでさえこの屋敷は薄暗いのだからと、ジーン様は言った。

 ルビーさんが額をおさえる。私も、なんだか落ち着かない。おろおろしてしまう。

 そういえばルビーさんが言っていた。ルソール男爵の経営する店に通っているって。ジーン様、もしかして、その人目当てに?


「王子様、誰の入れ知恵だか知らんがね、ここはお綺麗な方には似合わぬ場所だろうよ」

「美醜で出入りする場所が定まっているとは初めて知った」

「……イライザ。わたしが悪いのか、それともこの王子様がぬけているのか、どちらだ」


 ジーン様がぬけているほうだと思う……。

 なぜジーン様がここに?

 ジーン様はこういった、人の淫らなところが大っ嫌いだったはず。なのに、淫楽の宴に参戦されているんだろう。男性ってやはり逸楽が好きなのかな。切なくなる。


「なぜこのような珍事に。それに、騎士団どもが来ているし。どうなっている」

「騎士団が来ているの?」

「ああ、ロビーは騎士どもと使用人達でごちゃ混ぜだ。はやく帰らぬと面倒事に巻き込まれるぞ」

「はやいな。待てと令を出したはずだが」

「ジーン様、なにか知っていらっしゃる?」

「知っているもなにも、私が動かした」

「なるほど? 栄誉職とはいえ、王子様は騎士の長たる大騎だったか」


 大騎。確か、この国には軍の数が、季節と同じ数あり、それぞれ春、夏、秋、冬が頭文字となっている。ジーン様がまとめているのは、冬帝師団だ。師団長を大騎、あるいは総師(そうし)と言って王族や上位貴族が栄誉職として就任する。


「風俗法に抵触するわけでもあるまいに、なぜこんなところに騎士団を派遣した?」

「今は詳しくはいえない」


 それにしてもとジーン様が落胆したような声を落とした。


「二人揃ってここにいるということは、事件に関わりがあるとみていいのか」

「事件とやらがなにかは知らないが、誤解するな。わたしとイライザの目的はくだらないものだぞ」

「気を持たせるな。一体なんだと?」


 ルビーさんがため息を吐きながら、億劫そうにマリー嬢とサバル様の話を語った。

 すると、ジーン様が眉間に何本も皺を寄せて、渋面を湛える。

 どうしたのだろう……。

 首を傾げると、ジーン様が何度も言葉を推敲するようにいいよどんで、やがて明確な意思を持って言葉を吐き出した。


「マリー嬢は本当に浮気をしているはずだが」


 一瞬、頭の中が真っ白になった。

 えと声がぽろっと漏れた。


「アルセーヌからきいていないのか。今、彼はマリー嬢と付き合っている」


 背筋が寒くなる。頬を平手打ちされたような衝撃だった。

 弁明をしなければと、言葉を探す。だって、マリー嬢はサバル様に対して献身的だった。健気に、サバル様を改心させて欲しいと私に言ってきた。なぜ、ジーン様はそんな冗談を言うのだろう。

 おかしいなあ。

 溢れた笑い声は掠れていた。


「偽りを述べていると? だが、それなりに知られた話だぞ」


 そういえばなぜサバル様の方が心敗れたような顔をしていたのだろう。浮気をしているのはサバル様のはずで、マリー嬢は。

 混乱していた。理解するのを嫌だって否定している。

 でも、どこか分かっている。マリー嬢のほうが浮気をしていたんだって。そして、サバル様が当てつけのように……。

 でも、じゃあお茶会で泣き付いてきた彼女は?

 切々と馴れ初めを語った彼女は? 一体なんだと言うのだろう。


「ルビーさんも知っていた?」


 そうだ、さっきのルビーさんの台詞。

 ーー女に弄ばれ踊っているとも知らず。

 この台詞、ルビーさんが、マリー嬢の浮気を知っていたから出た言葉なんじゃないかな。


「……イライザ、貴族の世界は陰険だ。お前は、伯爵令嬢にとって理想の駒だったのだろうよ。社交界に疎く、悪評を潔癖ゆえに遠ざける。人がよく、仲立ちをする。せっせとこんなところにまで来てしまう」


 崩れ落ちそうになる。

 駒という言葉が辛い。私だっていざという時にロイスの為になるからと受けた。でも、それだけじゃない。純粋に助けたかった。

 胸がじくじくと痛む。利用されるって凄く嫌だ。心の中に土足で入られたみたい。

 マリー嬢にとって、私はなんなんだろう。頼めば、なんでも言うことをきく、都合のいい存在?

 それとも、私をいまだに家具としか見ていないのか。命令すれば靴さえ舐める、矜持なき者?

 どこまでいっても、私は貴族になんかなれないのか。

 ならばなんで、私に泣いて乞いたりするんだ。

 ささくれだった心が、もう考えるのをやめようと誑かしてくる。


 ーー俺以外を愛さぬと約束しておきながら。

 歯を噛み締める。逃げることは許されない。

 私は、サバル様にどんなに酷なことを告げていたのだろう。偽りの感情、偽りの愛情。貴族らしいきらきらして、天国に似た、地獄。

 約束はするもの。そして破られるもの。

 みんな、破らずにはいられないのか。


「ロイス」


 どうしよう。どうしたらいい。

 悲鳴を上げたいぐらい、心が疲れている。だってあんまりだ。

 私を馬鹿にしている。

 思い浮かんだ言葉にますます泣きたくなった。

 傲慢だ。自分本位で、傷付くことを恐れている。

 結局、サバル様が傷付こうともどうでもいいの?

 軽んじられている、馬鹿にされているとそっちにしか目がいかない?

 醜さが匂い立つようだった。汚物に塗れた自分がドレスを着て、貴族の真似をしている。

 さぞ滑稽だろう。だから、軽んじられるのだ。

 そんな後ろ暗いことを思ってしまう。


「それにしても、そうか、サバルが。あの男も俗人ということか」


 ジーン様が軽蔑したように吐きすてる。

 その言葉が、私に向けられているようで怖い。

 ジーン様は険しい顔をしたまま、ちらりと奥のーーロビーの揉め事を隣国のことのように感じているだろう人達に視線を投げた。

 彼らはいまだ、享楽を貪り、悦楽に酔いしれ、甘い声と淫らな香りを振りまいている。熟した果実のような肉体を曝け出し、汗と液を飛び散らせる。ぷくりと腫れた喉仏が、女の軟体動物のような足が、欲望を体現しているよう。


「ここにいる俗物を一層できればさぞ気持ちいいだろうね?」


 冷酷なまでに冷ややかな眼差しで、狂ったように交わる彼らを見ている。

 ルビーさんが少しだけ傷付いたような視線をしながらそう呟いた。


「違いない。人間とは汚れた生き物だ」


 断言されたその言葉に、抗う術がなかった。


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