ジーン 2
コトコトと馬車が揺れる。
私はジーン様と向かい合っていた。
ルビーさんはあのあと、なにかを思い出したように慌しく屋敷の奥に戻っていった。
ジーン様に私を託して。
呆然と見つめ合っていた私達は、ロビーの喧騒を抜けてきた騎士達が駆け寄ってきて、やっと意識を落ち着かせることができた。
取り敢えず、事情聴取をされ、ジーン様の判断もあり、家に帰ってもいいことになった。一人で帰ると言ったのだが、ジーン様が聞きたいことがあるからと送ってくれることに。
黄色の目の覚めるような馬車のなかは、煌々としたランプの明かりで照らされている。
「酷い顔だ」
ジーン様は、私の頬を優しくさすった。
手袋越しに体温を感じて、切なくなる。
人はこんなに温かい。
先ほどの肉欲の残像が、まだ目蓋に焼き付いている。
あの人達はなにを求めているのだろう。
ジーン様と同じ温かさを持っているとは思えないほど、賤陋だった。
「あなたはなぜ傷付いた」
「傷付いているなんて!」
逆だ、私が傷付けた。サバル様に嘘をついた。
自罰的なことを思うたびに、ひそひそと心の奥で声がする。
そうやって自己嫌悪に陶酔しているだけーー。
「私は……私は、ただ驚いただけです。ジーン様があの場所にいらっしゃったから」
「意外だったか」
「はい」
「そうか」
ジーン様は眉を顰めて、手を引っ込めた。
「ジーン様がなぜあの場所におられたのか、教えてはいただけませんか」
「可能ではある。……ききたいか?」
力強く頷く。話をききたいというのと、私の話をしたくないという思いがあったからだ。ジーン様は言葉を整理するためか、熟考したあとに口を開いた。
「マフィアだ」
「マフィアですか」
「ああ、あの場で、麻薬の密売が行われる予定だった。ああいった場では他人にかまけられる者は少ない。犯罪の種がいくつも芽吹く」
「麻薬、マフィア」
凄い。探偵小説のなかみたいな話だ。あるいは劇。現実にあることだなんて、欠片も思えない。
そのうち隣国のスパイが出てきて、国を巻き込む陰謀が展開しそう。
「我が国は澄ました者が多いが、幾度も隣国と争い、勝敗を決してきた。野蛮の名を誰もが隠し持つ恐ろしき国だ。たとえば、五年前、異人の国で泥華が流行った」
「泥華? そういえば、ロイスにきいたことがあるような。麻薬の名前ですよね」
「多幸感や幻覚を感じる時、華の香りがするらしい。さらに虚脱すると体が泥に沈んでいるように鈍い。そこから、泥華という。今回もその泥華が売買される予定だった。なぜ異人の国で流行ったと思う?」
あの時ロイスはなんと言っていたのだったっけ。
確か、そうだ、この国は半分は異人の金で出来ているって。
「流行らせたのだ。この国が。依存性の高い泥華を最初は安く、そのうち価格を六倍も跳ね上げさせた。その頃には宝石を積んでも、どんな外交に不利な条約をのんでも異人たちは泥華を求めるようになった」
「なぜ、我が国はそんなことをしたんでしょうか」
「金儲けのため、優位な立場を保つため、いろいろある。女子供を手に入れやすくするためというのもある」
女子供を手に入れてどうするのだろう。
首を傾げた私に、色っぽい微笑を見せて、ジーン様がぽっと照れた。濡れた唇、気懈げな姿。それなのに、純真。困ってしまう。こっちまで顔が赤くなってきた。持ってきていた扇ではたはた、あおぐ。いけないことをしているみたい。
「異人たちは私達とは異なる種族だ」
ジーン様が一拍置いて、ゆっくり言葉を溢した。
「肌の色が違うのだ。それに手足の数も」
昆虫のように?
一気に、異人たちへの恐怖心が膨れた。
姿形が違う。それは人間と言えるのだろうか。
ぶうんと虫が頭を一回りした気がした。
「我が国は彼らを家畜として飼う準備をしている。今回の麻薬密売はその家畜の売買も一緒に」
臓腑が焼け爛れたようなどろどろとした痛みがした。
「貴族達はそういった異形に興味を示し、娯楽として扱おうとする。マフィアはそう思ったらしい。あの夜会で、異人の競りも行われるはずだった」
ジーン様は両手をきつくあわせた。
「私はアルセーヌからその話をきき、主催者であるルソール男爵を問い詰めた。しかし、口を割らなかったので、彼と懇意にしている劣女を訪ねたりした」
ーールソール男爵が経営している店にいるらしいな。熱心に通っているそうだ。
ルビーさんの言葉を思い出す。なるほど、話を聞くために、劣女の元に通ったんだ。
「ジーン様がよく、その、劣女のところに行けましたね」
「……嫌悪感がないと言えば嘘になるだろうが、私も理解できるようになった。清濁併せ持つのがこの世だと。不愉快だが」
ジーン様は、マフィアの悪事を暴くためにやってきた。
ルソール男爵はマフィアと密接な関わりがあるのだろう。そうでなければ、主催する場で異人は売れない。じゃあ、あの場にいた人達はそのことを知っていた?
だから、ルビーさんは私をジーン様に任せて奥に去って行ったのかな?
サバル様とルビーさんの顔が浮かぶ。
今、二人が目の前にいたら、きっと顔を背けてしまう。この感情はなんなのだろう。異人達を人間じゃないと思ったときにもひりりと感じた心を浚う感情。
淫らなことをしている人を見て汚いって思うものよりも、もっと薄暗い感情だ。深海魚がいる深い海の中に沈んでいくような虚脱感。
それがなんなのか、私には分からないのに、ただ嫌な感じだけはするのだ。心が拒絶している、なぜか。
「こちらも聞いていいか、夫人。貴女は、マリー嬢に頼まれてきたと言った。だが、それは貴女を利用するためにマリー嬢が仕掛けたことだった。そうだな」
「そうなんでしょうか」
まだ、信じたくなかった。
マリー嬢。
昔は心がぽっきり折れてしまうような酷いことを何度も言われた。家具が服を着て紛れている以上に屈辱的なことを。でも、今の彼女と私にはなんの違いもないと思っていた。
でも、彼女は家具が偉そうに立ち振る舞っていると思っていた? 昔から今までずっと?
私が味方を増やし、社交界で地位をつけ始めたから仕方なく仲良くしていた?
「おそらくは。自分の友人をなぜあのような場に行くように頼む? 普通ならばしないことだ。己の婚約者が関わっていることならば尚更、友人ではなく自ら出向く」
「じゃあ、マリー嬢にはサバル様への気持ちもなかったのでしょうか。あんなに、サバル様が好きだと言っていたのに」
「気持ちは変わる。変化しない石にはなれない」
どんよりしてしまう。人って多情だ。
愛人を何人も持つ私が辟易してしまうぐらい。
「マリー嬢は貴女を裏切った。制裁を加える気はある?」
「そんなことをしても意味がないです」
「なぜ?」
「人って虐げられると憎悪の感情でいっぱいになっちゃうんです。それは幸福では決して癒せない。癒せるのはさらなる憎悪の感情です。それを永遠繰り返す。終わりなんかない」
憎悪も快楽も人を堕落させる。
他の事を考えられなくなり、鎖で縛られたように狭窄になってしまう。
ロイスが言っていた。
人は簡単に理性を飛ばす。憎しみや快楽みたいな感情が関わることでは、歯止めがきかないのだって。
それをきいて思った。恨んでも仕方がないんだ。忘れた方がいいんだって。
「ジーン様、だから忘れた方がいいんです。忘れたら、元通りです」
「なにもなかったように振る舞うと?」
「聞いてください、ジーン様!」
眉間に皺を寄せて困惑するジーン様の手を握る。手袋の上から、ジーン様の体温をじんわりと感じる。
ちょっぴり誇らしい。今、ジーン様と一緒にいるんだぞとマリー嬢に自慢してやりたくなる。それぐらいならば、許して欲しい。
「私、マリー嬢に貸しを作ったんです。マリー嬢は軍事系の家系ですから、いざって時に馬車馬のように活躍してもらいますとも」
言った後に、額から汗がこぼれた。
こういう言い方ってあまりよくない?
直接的過ぎたかな?
慌てて取り繕う寸前だった私を、ジーン様の笑い声が遮った。
ぽかんとジーン様を見つめてしまう。大笑いしているジーン様、初めてみた。
「貴女は、強欲だ」
「え?」
これって、褒められている?
「忘れていた。貴女が強かであることを。思いつめた表情ばかり見せるから、花のように繊細なものだとばかり」
「そんなにか弱かったらこの五年間以上、貴族なんてやってられません。世を儚んで引きこもってます」
「強いのだな、貴女は」
「そうですとも。だから、ジーン様。私を心配する必要はありません」
「私ならば、そう振る舞うことは出来ないだろう。なぜならば私は裏切られることが、死ぬより屈辱的だと考えるからだ」
貴族は名誉の死を優先する。肉体よりも精神の死を重きに置く。妖精王の血をひくというのもそれを助長している。でも、私みたいな人間からすれば、一度心が壊れても這い上がることは出来ると思う。精神の死は肉体の死より軽い。
ああ、だから、私は貴族らしく振る舞えない?
王子であるジーン様は、立場上そうできないのは分かる。地位の高い人ほど、自由はない。心が高貴であることを求められるから。
「疎んじられることは苦痛で、悪意を向けられるのも苦楚だ。軽んじられれば、同じだけ相手を踏み付け、なじってやりたくなる」
「ジーン様って案外過激……いや、なんだか野生的と言いますか」
「上に立つということはそういうことを消すことだ。私にもそれなりに醜い部分があり、それを巧妙に隠し、清らかだと偽っている」
そういって語るジーン様を清らかだと思うのは間違っている?
本当に狡い人は誰にも明かさず、清らかだと演じている人だと思う。きっぱりと汚い部分があると自覚しているジーン様は綺麗な人だ。
「貴女は強欲だが、清廉な人なのだな。私ならば、ここで弱ったふりをして取り入ろうとする」
「ジーン様は、きっとそんなことしないです」
「どうだろう。だが、先ほど貴女が弱っていればいいと思った」
「なぜ?」
尋ねると、ジーン様は身震いするほど蠱惑的な美貌を近付け、秘めやかに告げた。
「慰めることができればと。私は貴女の慰み者だ」
「その、慰み者というのは語弊があると思うのですが」
「なぜ? 弄ばれている。心外にも。私は貴女の夫になりたいとさえ思っているのに」
「ジーン様、私、人妻です!」
「不道徳だと分かっている。だが、貴女のことを想っているのは本当だ」
あざとく、信じてはくれないのかと囁かれ、顔が紅潮する。なんだって、ルビーさんといい、ジーン様といい、惑わせるようなことを言うのだろう。
欲望の口がぽっかり開いているみたい。堕落の道に誘っている?
これ以上爛れた愛人関係を続けていては駄目な気がする。
もともと、愛人を五人も持つようになったのは、偶然とある病気が原因だ。五人とも、一応私に多少なりとも好意を抱いてくれているらしいけれど、いつまでも愛人関係を続けるわけにはいかない。
それに、私はロイスという夫がいる。清算するべきだと思うのに、踏ん切りがつかない。助けて貰ってばかりで、今更突き放すようなことが言えない。
正したいのに、いつもうやむやになってしまう。
あまりにも考えこんでいたせいか、ジーン様が苦笑した。
「そう思い悩むということは私にも可能性があるのだろうか」
「ジーン様、あの」
「いや、いい。答えはまた聞くことにしよう。どうやら、夫人には迎えが来ているようだ」




