ルビー・クルビン3
数刻後。
馬車のなかで私は膝を抱え震えていた。なんとか、馬車のなかで淫らな行為をすることは阻止できたが、軽率すぎた。いくら過去に囚われていたからといって、あそこまで忘我していいはずがない。
とくんと心臓が跳ねた気がした。もしかして――。
想像もしたくないある可能性に蓋をする。
私と真逆に、ルビーさんはすこぶる機嫌がよさそうだった。私の乱れたドレスを整え、化粧をなおしてくれた。ルビーさんに唇を触れられたとき、野性のようなルビーさんを思い出して、恥ずかしいのなんのって。それを、しげしげと見つめられ、口から火を噴く思いだった。
ルビーさんは同性だ。だが、私と体つきから違っていた。筋肉質で、柔らかいけど鍛えられている。男性らしさをそこに感じて、赤面してしまう。意図的に男性らしい仕草をしているからだろうか。洗練された男性の美がある。足を組むときなんか、優雅で、とても上品だ。
声も、かなり中性的で、女と思えば女、男と男と思えば男にきこえる。
貴族では、恋の遊びは最大の娯楽だ。同性同士の退廃的な交わりは、宗教的には禁止されている。
だが、貴族はいつも退屈している。禁忌とされる遊びに目がない。同性同士との交わりでは子供を孕まないからと享楽に耽る者も多い。
ただ、その、私とルビーさんは清く正しいお付き合いをこれまでしてきたわけで。そりゃあ、口付けぐらいしてたけど、あんな貪るような口付けははじめてだった。うぐぐと呻いてしまう。今まで羊だと思っていた人は、実は羊の皮をかぶった狼だった気分というのだろうか。
ルビーさんは、いつも私が拒めばすぐにやめてくれる人だったから、油断していたんだと思う。愛人らしいこと、あまりしていなかったし。過保護だな、甘やかしてくれるなとは思っていたけど。いつもは、つんと叱ってくるし。友達のように思いつつあったのだ。
「もっとしてあげたいことが沢山あったのだけど?」
声にひかれて、顔をあげるとシャツのボタンを嵌めているルビーさんがいた。意味ありげな視線を向けると、婀娜っぽく笑う。
「今度、わたしの屋敷においで。お前が望む鞭以外の、もっといいことを教えてあげる」
なぜだろう、教えられたら最後。ロイスのもとに帰れない気がする。というか、待って。鞭は別に望んでいない。
「お前には見せられぬと思い込んでいたわたしが解放できそうで嬉しいよ」
そんなに隠されたルビーさんがいる?
見てみたいような、見てみたくないような、複雑な気分になっちゃう。
「男など興味なくなるぐらい楽しい」
ご、ご遠慮します。
「お前を満足させられると思うが?」
ふふと艶っぽく唇に笑みを浮かべる。
「わたしも貴族めいて来たね。享楽が、とても面白い」
もとから、ルビーさんは貴族っぽく麗しかったです。
「お前と狂った生活をするのも悪くない」
夢心地のようなとろけた眼差し。
はっと我にかえる。ルビーさんとはじめて会った日の、射抜くように滾っていた憎悪が消えている。あのときは畏れるばかりだったルビーさんが、こんなに安らいだ表情をしている。それなのに、嬉しいと思えない。ただ、なにか決定的なミスを犯してしまったような気持ちになった。
これは、驕った考え方なのだろうか。まるで、私と関わったばかりに、高潔だったルビーさんが地の底まで引きずり落とされたのではないかと思った。
この人はそれをまだ知らないだけなのではないか。事実を知ったら、罰を与えられるのではないのか。罰を与えて欲しいのに、知って欲しくない。心がぐらぐらと天秤のように揺れる。
「お、お手柔らかに」
結局、悩みに悩みぬいた結果。そんな言葉しか出てこなかった。
夜会の会場は、尖塔をいくつも連ねた古城のようだった。魔王の城って言葉がよく似合う、不気味な建物。あたりには、箱馬車がたむろしている。人気の少ない、大きな柱の近くに止めてもらう。古語がかかれた柱だ。古語は神語とも呼ばれ、選ばれた賢者以外には読めない。
ルビーさんに仮面をつけてもらう。お揃いの、赤い宝石を埋め込んだ豪奢な目元だけの仮面だ。私もルビーさんにつけてあげて、彼女のエスコートで、外に降りる。
怪奇小説に出てきそうな、おどろおどろしい建物。玄関扉からは赤い絨毯が、舌のように庭まで伸びている。
私たちと同じように仮面をつけた紳士淑女たちが、自ら捕食されるために、建物のなかに入っていく。
「今、この怪奇的な様式が流行っている」
こっそりとルビーさんが教えてくれた。
なんでも、このおどろおどろしい幽霊みたいなつくりは、今、流行っている建物の様式らしい。美術は百年ごとにがらりと趣きを変えるときいたことがある。
今は古典ではなく浪漫を求める風潮らしい。
この建物も、ありし昔、妖精や竜が跋扈していた日々の面影を求めている証なのだとか。
「古いものは歴史を感じるということらしいね? この頃の貴族は刺激が足りないらしくてね、こういう陰惨を好む。幻想的といえば聞こえはいいが、埃っぽくてわたしは嫌いだ」
同意しちゃう。私も恐怖以外を感じない。このなかに入ったら、出てこれなくなったりしないよね?
そういえば、周りの人達は、女性もいるけど圧倒的に男性が多い。女性はいかにも付き添いって感じ。気取った紳士たちが今日ばかりは仮面の奥の瞳に興奮を抑え込めてない。変な汗が流れ落ちる。なんだか、やっほい、俺たちのパラダイスへ行くぜ! みたいな、知りたくもない熱気を感じる。
なにか、おかしなことが夜会で行われるんじゃないか。だって、その、劣花館の出資パーティーだ。入ったら、淫らなお姉さんたちがお相手してくれるサービス付きとかじゃないよね?
うわっ、もしかして、この人達、それが目当てできている? でも、女性を連れてる人もいるし。いやでも待って。連れて歩いている女性、すっごくスキンシップが過剰じゃないだろうか。淑女らしくなく、胸元を大きく開いているし。もしかして、この人達も劣女なのだろうか。
「イライザもわたしに縋ってくれて構わぬけれど?」
「る、ルビーさん!」
「どうしてそう、食べられる寸前の羊みたいな顔を? 面白い。いじめてやりたくなるのだが」
からかっている場合じゃないです。
「もしかして、淫靡こそが正義の世界に迷い込んでしまうかもしれませんよね、このままじゃあ」
「そうなるだろうね」
「そうなるだろうねって、え! 本当に、男性が狂喜乱舞するような夜会なんですか!?」
「言っただろう、女性向けの仕事をしていないと。出資者の心を掴むならば、当たり前のことでは」
「紳士のためのサロンより淫猥なものがここに!?」
どんなところに来てるんですか、男爵令嬢!
う、うう、行きたくない。男性が熱狂的に喜ぶ場所の検討はだいたいついている。だけど、今更行かないというわけにも。せっかく、ルビーさんについてきて貰ったわけだし。ええい、女は度胸。
意を決して、ルビーさんの手を引っ張る。愉快そうに帽子をおさえて、一緒に歩いてくれる。ルビーさんもいるし、なんとかなるはず。婚約者を見つけて、説得するだけなのだから。
建物の中に入ると、使用人らしき人物が招待状を確認した。ルビーさんの隣で、じいっと待ちながら、あたりを見渡す。女性をエスコートした頭一つ飛びぬけて大きい婚約者を探すためにだ。だが、ここにはそれらしい人物はいなかった。先に会場に行ったのだろうか。それともまだついていないのか。どちらだろうと、思案しているうちに確認が終わった使用人からこちらへと扉を示される。
私はルビーさんとともに行こうとしたが、使用人が首を振る。どうやら私一人だけ来いと言っているようだ。
「わたしのものになにか?」
ルビーさんが尊大な口調で言った。手をぎゅっと掴まれる。招待状は正規のものだったはず。なのになぜ、私だけ別の場所に移されそうになっているのだろうか。
あと、ルビーさん。わたしのものって凄い破壊力です。
「衣装替えを。旦那様のお好みに合うように仕立てさせていただきます」
さすがルビーさん。男の人だと思われている。いや、ちょっと待て。そのサービスって、まさか、連れてこられた女性全員に行われるものだろうか。
なんだか恐怖が駆け寄ってくる気が。
だって、連れてこられる人たちはおそらく愛人、しかも肉体的な関係を目的とした人たちだ。彼女らを連れてきた人間の好み。つまり、どんなに衣服面積が狭かろうと、媚態であろうとも着させるということだ。
頭がくらくらしてきた。中に入ったら、淫靡という言葉では表せない狂乱の宴が広がっている。絶対に。
「へえ、仕立ててくれると。どうする、イライザ」
裸同然の姿でルビーさんの前に出てきたら卒倒する自信がある。
「お前の媚態も、見てみたい気がするけれど」
ご、ご、ご冗談を。
「だが、次はわたしの屋敷でと言ったばかりだものね」
いや、行きませんからね。
ルビーさんは、杖で床をカツンと鳴らした。そうして、使用人へ嘲るように笑みを浮かべる。
「淑やかな女を抱く時の優越感はどんな幻惑な女よりも優れたものだ。服で着飾らずともこの子であるだけで、わたしを興奮させる。可愛らしいこれをお前たちに触らせるとでも? 思い上がりも甚だしい。おどき」
使用人は表情を変えず一礼すると新しい組みへと近付いていく。
ルビーさんは私の腰を抱いて、ぐっと体を密着させた。
杖を鳴らしたせいで、視線が私たちに集まっている。あそこまで言われた私に興味を抱いたのか、男性のざらついた眼差しを感じる。どう考えても言われるほど顔面が整っていないのに、略奪という言葉がそれほど男たちの矜持を擽るのだろうか。あわよくば味見をしてみたい。そう言われているかのような、欲望の詰まった視線を向けられている。
「男どもは汚い。なんて獣のような瞳だろう。奴らは女を嬲ることしか頭にない。嬌声をきかねばと生きられぬと抜かす連中さ」
ルビーさんは侮蔑と憎悪を浮かべ、貫くようにあたりを見渡した。
ルビーさんが憎んでいるのは、劣花館でも、劣女でもなく、男という人間だ。
この人は、男を憎んでいる。
そのことを、今更思い出した。ルビーさんは、男になりたがる。男になって、自分のように慰み者になった自分を助けたいのだろうか。だから、出資しているのだろうか。そうすることで自分が救われたと満足できるのか。尋ねることが出来ない疑問が次々と現れる。
「だがね、イライザ。お前ごときが誰に捧げようというの」
手袋が子宮の上を撫でる。愉快げに緩められた口元には嗜虐の笑み。子宮が痙攣しているのがルビーさんに伝わっていたらどうしようと恥ずかしくなる。
「わたし以外に触られたくもないだろう? 男どもに蹂躙されたくはないな」
「ルビーさん」
今日のルビーさんは発禁ものだ。平時に会ったときに、素面でいられる未来が見えない。きっと、かちこちに固まるに違いない。今日のルビーさんは色っぽ過ぎる。
「そうやってわたしにすがっておけば悪いようにはしないよ。おや、顔が真っ赤だ。意地悪が過ぎた?」
ごめんねと言われながら、首元に口付けられる。この前の仕返しだと気がついたときにはもう遅かった。ちくりと首筋に痛みが走る。ぎょっとして、ルビーさんを見上げる。彼女は、しまったとばかりに目を見開いたが、すぐに余裕を取り戻して腰をぐっと抱いた。
「さあ、行こうか。婚約者を探さねばね」
そうだ、そうだった。一刻もはやく婚約者を見つけなければ、ロイスが浮気してしまう。
ロイスがこんなところに来て、女の人と遊んでいる姿なんて見たくないし、見たら相手の女の人にすっごく酷いことをしたくなるに決まってる。
伯爵令嬢の気持ちがよく分かる。婚約者がこんなところに来て、自分ではない女に現を抜かしているのだ。乗り込んで相手の女を殺してやるとよくいわなかったものだと思う。
ただ、それに近いことは言っていたけど。
伯爵令嬢には、私が必ず説得して婚約者を今晩屋敷に向かわせると伝えてある。そうでもしないと自分も潜入すると言いかねなかった。
いいきかせるだけで理解してくれる、分別のある令嬢でよかった。
玄関には、庭まで伸びていた絨毯が敷き詰められている。中央に、紳士が進んでいく大きな道が。先ほど使用人が示していた扉は左側にあり、女の人たちが続々と中に入っていった。私はルビーさんとともに真ん中の道を進んだ。