ルビー・クルビン4
紳士達に紛れて、私がその中央の道を通ると、あからさまに好奇の目で見られた。じわりと体を突き刺す視線に耐えられなくなって、顔を下げる。普通の夜会や舞踏会で見られるのとは全く違う。粘っこくて、執念がこもっている。自分が小動物になった気がする。この人達に襲われたら敵わないって、本能的に気がついていた。
男性と女性の違いというのもあるけれど、人の尊厳を踏み潰してやろうという悪意が、この人達にはあるのだ。誰よりも優位に立ちたい。偉大でありたい。そう、心の声がもれているよう。ぎっとりとした暗い欲望が、充満している。
「そういえば、わたしはその婚約者を知らない。どんな奴なの?」
ルビーさんが尋ねてくれたので、意識がルビーさんに集中する。
「ログ伯爵の長男、サバル様。社交界では、奥手と有名です」
「あの壁とも言われる背の高い奴? へえ、女の遊びはしない堅い奴だと思っていたけど」
「実際、男爵令嬢以外と噂はなかったんです。だからこそ、一途になっちゃったんじゃないかって、心配されているんだけど」
うーんと、顎に手をあててルビーさんが小首を傾げる。
「男爵令嬢は、おかしな奴だな。そもそも伯爵の長子とどうやって知り合ったんだ」
「それが、よく分からないんですよね。伯爵家が呼ばれる夜会は私も呼ばれるくらい格調高いものでしょうし。そういった場所に男爵令嬢が招待されるのかと。女の人ならば、お茶会があるのでもっと出会いやすいんですが」
「まだ婚約しただけだから、お茶会に伴うのもおかしな話だしな。どうやって出会ったかも謎だが、どうしてこの夜会にいるのかも謎だな。やはり王子目的か?」
私としてはやはり、ジーン王子がこういった品位に欠ける場所にやってくるとはとても思えないのだけど。
「そういえば、アルセーヌ卿も声をかけられたと言ってました」
アルセーヌという名をきいて、ルビーさんの顔が陰った。アルセーヌ卿。ロイスと同じ、四公爵家の三男。そして、私の愛人その三。
ーーきいてくださいよ、お嬢さん。たたが男爵家の令嬢が、俺に言い寄ったんですよ? 許せませんよね。
うきうきと私に迫って来た記憶が蘇る。アルセーヌ卿は貴族主義だ。ルビーさんとは折り合いが悪い。
「あれに、か? また、男爵令嬢も可哀想に」
ルビーさんが一気に男爵令嬢に同情的になる。
機嫌が悪い時にやる髪を叩く仕草をしている。アルセーヌ卿、嫌われてるな……。
「だが、あれに会うことが出来るなんてますます謎だな。どうしたらあの勘違い男に会えたんだ」
「どこかの夜会の庭か何かで会ったと言っていたような」
「警備が雑なところだったのか。あれでも四公爵家の一人だろう」
「そうなんですよね。だから、アルセーヌ卿も怒り心頭で。もうあの家とは懇意にならない! って言い出して。招待客のなかに男爵令嬢を連れてきた人がいたんじゃないかって言ったんですけど」
「あの男が、俺が来るのにそんな野卑な女を連れてくる奴がいるってだけで憤死ものですとかなんとか言ったんだろう」
大当たりだ。
アルセーヌ卿は貴族らしい傲慢さを抱いた人だ。貴族がひくとされる妖精王の血を至高としている。貴族以外を家畜の血と蔑み、差別しているのだ。彼にとって、市井の生まれは蔑視の対象。故に男爵令嬢を限りなく嫌っている。だから、養子であるルビーさんにも厳しくて、二人の仲は良くないのだ。
「嫌味な奴だ。たまに馬に蹴られてしまえと思うね」
なかなかグロいことを。馬の脚力って、人を殺してしまう力を持っていたはず。遠回しに死ねって言っている。
「まあ、疑念は置いておくとして。どうそのサバルを説得する気だ」
「二人はお互いに勘違いしているだけなんです」
「勘違い?」
ルビーさんが肩を抱いて、顔を寄せる。
どうにも私の声が聞き取りづらいらしい。私からもルビーさんに近付いてはっきりと口を開く。
「伯爵令嬢が浮気をしているって、サバ……婚約者が言ったらしいの」
うーん、まただ。ルビーさんの瞳が険しくなった。やはり名前を呼んではいけないらしい。
「浮気ねえ。伯爵令嬢というぐらいだから、そういう誘惑は多いのではないの」
「伯爵令嬢は婚約者にお似合いと言われるぐらい奥手なんです。今まで恋人もいたことがない。婚約者一途な人なんですよ」
ーーサバル様はね、イライザ様。
鈴の鳴るような声で伯爵令嬢ーーマリー嬢は言った。花を愛でるような澄んだ瞳で。
ーーわたくしが悪戯でベットにチーズを置こうが、刺繍が苦手なせいで指にぐさぐささしちゃって布地が血塗れになろうが、それが君の美点だからと言って認めて下さったの。
外をかけるのが大好きなマリー嬢は、淑女らしいことが苦手だったという。家庭教師になぜできないのかと何度も折檻され、心を折られるような言葉を幾度も浴びせられてきた。だが、サバル様と婚約が発表され、否が応でも淑女とならねばならないとき、サバル様はそのままでいいと言ってくれたのだ。マリー嬢にとって、それはがんじがらめにされてきた淑女という檻から脱出できた瞬間だった。それから、嫌いだった淑女になるための勉強も、サバル様の隣に立てる人間になるべく、率先して行うようになった。そしてようやく結婚までこぎつけたのだ。
いまでも外に出る癖は治らないし、刺繍も血が出なくなっただけだけど、と、マリー嬢は笑って言った。この人はサバル様しか目に入らないのだな、微笑ましく思った。
貴族がここまで一直線に婚約者だけを見つめるのは稀有なことだ。一方通行だったり、そもそも二人とも相手に対して興味がない場合が明らかに多い。だから、愛人を囲み、享楽を愛する。
貴族はある意味孤独だ。穏やかな時間よりも退屈しない刺激的な生活を望む。
でも本当は、長閑で朴訥とした生活に憧れている。たまに夫婦で喧嘩して、子供がお腹を空かせて帰ってくる。隣の奥さんと気兼ねなく話をして、今日の晩飯はなににしようかなと頭を悩ませる。そんな恵まれた日々を、素敵だと羨ましがっている。でも退屈だと一蹴したいのだ。高い地位にいる人ほど、その傾向は強い。平民が煌びやかな貴族の世界に憧れを持つように、貴族も平穏無事な暮らしを切望するのだ。
「伯爵令嬢が浮気するなんてありえない。おそらく、伯爵令嬢をよく思わない誰かが流したんだと思います。けど、その人は伯爵令嬢をあまり知らなかったみたい。男性と浮気していた事実があったら、もっと騒ぎになっているはずだもの」
ジーン王子の婚約破棄の一件で、結婚前の男女が誠実を欠くような行為は慎むべきという風潮になっている。
特に女性は婚約者以外の男性と談笑したり、肌を触れたりするのは御法度だ。
疑惑がのぼれば、注目され、あらぬ疑いをかけられる。貴族の目は至る所に存在する。ほぼ、隠すことは不可能だ。
「分からぬことがまた増えた。なんだか、誰かしらの陰謀が垣間見えるな。あるいは」
言葉を止めて、ルビーさんがまじまじとある紳士へと視線を向ける。白い仮面を被った、銀髪の紳士だ。ルビーさんの視線に気が付いたのか、紳士もこちらに視線を寄越した。
ルビーさんの腕を引っ張る。知り合いなのだろうか。
仮面を被った状態でも分かるということは深い仲なのかもしれない。
誰と尋ねたが、ルビーさんは頭を横に振ってぷいっと紳士から視線を逸らした。紳士も訝しげな視線をこちらに向けていたが、他の紳士に声をかけられて奥のほうへ消えていく。
「いや、まさかな。いるはずがない」
「ルビーさん?」
ルビーさんははっとしてぎこちなく私に微笑んだ。なんだか、誤魔化そうとしている?
「あの男、少し身長があったからな、伯爵の長子かと思ったが違った。それよりも、イライザ、この先私と離れぬように。なにかあっては恐ろしい」
額をつんつん突かれる。なんで?!
「お前は時に災厄をもたらす悪魔よりも厄介ごとを運んでくる。下手なところで怪我でもされたら心臓が止まる」
いやいやなぜそんな嵐の元凶みたいな言われ方をされなければ。確かに、稀なる現を運んでくると軟禁をされていたことはあるけれど。それだって、私が原因ではなかったような気がしなくもない。私のせいみたいにするのは控えてほしい。誤解です。
「そう膨れず。深海魚みたいだよ」
例えが分かりずらいうえに嬉しくないです!
深海魚って、水圧のせいで目がぱんぱんに腫れていたり、異形だったりするはず。陸に上げられたら、いつも押し潰されていた内臓が口から出るときいた。このあいだ図鑑で見た、目が空洞で、口が小さい深海魚の絵は震え上がるほど怖かった。やっぱり、嬉しくない。というかルビーさん、どの部分が私と深海魚、関わりがあると?
「そうだ、今度水槽を買ってあげる。なにか魚を飼うとよいよ」
深海魚を飼えということだろうか。もしかして、ルビーさんって深海魚好き? そういえば私に図鑑を貢いだのもルビーさんだ。深海魚の魅力を徐々に教え込ませようとしている気が!
「え、えっと、ルビーさんのオススメは?」
ルビーさんが、くすくすと笑いながら私を指差す。だから、私は深海魚じゃない!




