ロイス・オズフェル3
ルビーの首飾り。膨らみを出すためのペチコート。ふわふわなパニエ。精緻な刺繍が施してあるブラウスに革の靴。腕輪とイヤリングはお揃いのパール。大きなダイヤモンドの指輪。華冠のような髪留めにきゅっとくびれを作るためのコルセット。そして、妖精の粉をふりかけたようにきらきらしているドレス。
「あとその帽子を。うん、イライザ。似合っている。この帽子に似合う服も購う?」
羽がついた洒脱な帽子をかぶせ、きらきらと目を輝かせて、ロイスが尋ねてくる。
つい騙されそうになるのをこらえて、大きな声で主張する。
「ロイス、買いすぎ!」
そうかな? と素知らぬ顔をして首を傾げるロイスが恨めしい。
一年間の食費が、今日一日で装飾品に変わった!
めまいだけではなく、悪寒もしてきた。ありえない。
ロイスの浪費癖はいつものことだけど、今日はいままでで一番ひどい!
湯水を使うように、お金を消費している。
もういっそのこと店ごと買い取るかって恐ろしい言葉がきこえた! 貴族の財力は異次元すぎる。国中、金で覆い尽くせるのでは?
「君が似合いすぎるのが悪い。イライザのために仕立てられた服ばかりじゃない?」
昨日の夜、ロイスに連れられて屋敷へ帰り、お仕置きを実行された。
ただでさえ、息も絶え絶え、瀕死状態だった私に手加減なんかしなかった。
ロイスは意地悪だ。もう、朝日が昇っていたもの。口付けで、失神する経験は初めてだった。
しかも、起きてみたら、屋敷に仕立て屋や服屋、宝石商達が押しかけてきた。唖然とする私を、ロイスが急かして、着せ替え人形のように服で着飾らせた。
今日は一日屋敷にいるつもりだったけど、こんなことになるなんて聞いていない。
だいたい、ロイス、似合う似合うって、なんでもかんでも買いすぎだ。
商人の皆さんがこいつちょろいって目でロイスを見ているの、気がついてないの?!
ついでに、私にこの女にそこまで貢ぐか? みたいな顔を向けているよ。あってます……普通、見目麗しいロイスに私が買い与えるのが正しい絵面だよね。
貴族と愛人の図みたいな。
もしかしたらこいつ意外と……みたいな胡乱な眼差しさえ向けられている!
床に寝っ転がって、悶えたい。だんだんと顔が熱くなってきた。
「僕もお揃いを仕立てようかな。お揃いって素敵な響きだと思わない?」
奇声を上げたくなった。鳥肌が逆立つような、変な気分だ。
「そうして街に出て、本屋を巡ろう。人形館を覗いて、辛いものを食べて、君が泣きそうになる姿も見たいし。夜になったら、湖にでも行って星が落ちていくのを見る?」
おもわず、ぷっと笑いそうになる。
全部、ロイスが大好きなことだ。
本が好き、人形が好き、辛いものが好き、星を見るのも好き。
そして、私の好きなことでもある。
ロイスと行くなら、なんでも楽しい。
「ロイスの服をいっぱい買うんだったら、賛成」
そのとき、仕立て屋さん達の目が野生的に光った。待ってましたとばかりに、次々とロイスにあいそうな服を勧めてくる。
興奮した馬のように迫まる仕事人達に囲まれ、ロイスが珍しく動揺した。私もこっそりと服をすすめる。
……うん、ロイスがなんでもかんでも買う買うと言う意味がわかったかも。
私が、お金をたくさん持っていたら、勧められた全て買っていた。
ロイスってなんでも似合う。
二人ともぐったりとソファーで沈没していた。
買い物って体力を使う。散々、着せ替えられたロイスも疲弊しているようでぱたりと倒れ込んだままびくともしない。
虫のように這いずって近寄る。
えいっと勇気を出して手を握った。
暑くなる頬をもう片方の手で撫でて、熱を取る。
「ありがとう、ロイス」
「……お礼を言われるようなこと?」
「うん。……ロイス、約束ってやっぱり破られるものなのかな」
「昨日、僕に隠れていった場所でなにかあったの?」
「う、ロイス、まだ気にしている?」
「無論。もっと仕置きしてあげてもいいけど?」
唇を近づけてくるロイスを交わしながら、昨日のことを思い出す。
淫らな宴。心の叫び。
憧憬と焦燥。自尊心がばらばらになり、踏みつけられた。それでも立たなければいけなかったサバル様。
私の言葉を、どう思ってきいていたのだろう。
「マリー嬢とサバル様。約束していたんだって。私だけを愛するって。マリー嬢もきっと約束したときは愛していたんだ」
ふーんとロイスは気のない返事をした。
「気持ちは変わる」
「うん」
もし、心が石でできていたら、よかったのだろうか。
それとも、最初から約束などしなければよかった?
肥大化した希望は絶望に変わる。高い場所から真っ逆さまに落ちていくように。
私が作り上げた虚像の責任をどう取ればいいのだろうか。
「人の心が石でできていたら、恋だの愛だのと惑ったりしない」
「そうかな」
「だって、ぐらつかない心を持っているならば、まず相手を好きではないことを貫き通すだろう。柔和に変えることができるから、人は恋に落ちるんだよ」
「じゃあ、しかたないって諦めなくちゃいけない?」
「どうして? 気持ちが変わるならば、また変えればいい」
はっとして顔を上げた。なにか光明が見えた気がした。
「失ったものは、また手に入れなくては。奪ってでも。そうしないのは臆病か興味を失ったからか、どちらかだよ」
「できるかな」
「できる」
ロイスはきっぱり言い切った。
嚥下するように何度も頷いた。できるんだ。きっと。
それに、マリー嬢もやり直したいと思ったから、私に頼んだんじゃないだろうか。
そうだとしたら、私のやったことは嘘じゃない。
正当化しようとしていると自覚している。でも、ほんの少しでも可能性があるんだったら、そうだったのだと思いたい。
ああ、心が石でなくてよかった。そうじゃなければきっと、このまま鬱屈した思いを悶々と抱えていた。
変えてくれたのは、ロイスだ。魔法使いは言葉ですら、人を変える力を持つ。
「ロイス、ありがとう」
「君は僕に感謝しすぎなんじゃないの」
ロイスの声が優しい。
何百いっても足りない。もっと伝えたい。
だって、私が人間でいられるのは、ロイスのおかげだ。
ロイスがいるから、私は、嵐の丘から、あの罪悪の館から抜け出すことができた。使用人ではなく、イライザとして生きていける。綺麗な服を着て、お腹いっぱい食事できる。ロイスと対等におしゃべりできて、手も繋げられる。
とても贅沢なことばかりだ。
「ありがとう」
ぎゅっと手を強く握られた。
斜陽が陰影をつける午後。
屋敷が少しだけパニックになった。夜が迫るこの時間に、お客様が来たらしい。
でも、報告してくれた侍女の態度がどこかおかしい。いつもはキビキビした子なのに、すごくやつれてる。
近くにある椅子を勧める。ロイスは近くのソファーで寝っ転がって本を乱読していた。恐縮する侍女を座らせ、事情をきく。
「奥様に令嬢のお客様がきたのですが……」
もしかして、マリー嬢だろうか。
ひっそり息をのむ。会うのが少し、怖い。
「こんな時間に来られるような知己の方でもありませんでしたし、それに今日は旦那様に商人以外入れるなと厳命されていましたので、奥様も旦那様もいらっしゃいませんと言ったのです」
ちらりと本に目をやったままのロイスに視線を投げる。
そんなこと命令していたんだ、ロイス。
貴族の訪問ルールは、訪ねる時間まで指定されている。知らない人を訪ねるときは、紅茶を飲む前。親密な人を訪ねるときは、月が笑っていても大丈夫。
夕方は、夜の前。夜に来るには親密過ぎない人が訪ねてくる時間帯だ。侍女が見たことがないと判断したってことははじめて屋敷を訪問してきた人なのだろう。マリー嬢ではないのだと安心する。
侍女は困った顔をして、先を続けた。
「でもあまりにしつこくいるはずだと言われて。なんとか、ネロ様に頼んでお帰り頂いたのですが、訪問カードを渡されませんでした」
「そうなんだ」
訪問カードは屋敷を尋ねたとき、不在票として渡すカードのことだ。名前がかかれていて、どんな人が訪ねてきたのか知ることができる。高位の人がやってきたら、その訪問カードを玄関に置いて自慢する貴族もいるほどだ。
「名前は言われなかった?」
「はい。ただ、奥様を出せとばかり」
訪問カードを預けていかなかったってことは、貴族の方ではないのかもしれない。
必要ならばまた来るだろう。誰だったのだろうと疑問を持ちつつ侍女を下がらせる。しばらくしてネロさんがやってきた。
ネロさんはこの屋敷の家令だ。家の全てをとりしきっている四十歳半ばの男性。
ネロさんもロイスと同じ魔法使いらしい。
白いシャツにサスペンダー。ポケットからは懐中時計の鎖が覗いている。
だらけた私達を見るなり渋面でパンパンと手を打つ。反射的にぴしっと背を伸ばした。
この屋敷にやってきてすぐ、私はネロさんにマナーレッスンしてもらった。
淑女は常に淑女らしく!
そういって、食事の仕方、立ち振る舞い、果てには言葉のアクセントまで躾けてもらった。私が公爵夫人としていられるのは彼のおかげだ。
「ロイス様、下品です」
「知らない。僕は僕が読みやすいと思った姿で読むよ。だいたい、家で品格を問われる機会がある?」
「今は社交界シーズンなのですから、普通ならばこの屋敷はどこもかしこも人だらけになるはずなのですよ」
「普通はね。だが、僕は隠士の長で、爵位はあった方が便利だから王にかえしていないだけのお飾りだ。真っ当な貴族とは言えまい。だいたい、僕がいきなりここでサロンを開く、夜会をすると言いだしたら、困るのは君らだろうに」
「私も困る」
同意するとうんうんと上機嫌に頷かれた。
夜会とかサロンとかわからないことがいっぱいだ。夜会は何回か他の人のところに行ったことがあるけれど。サロンって芸術家や劇作家、それに音楽家を呼ぶ上流階級の知的な集りだよね?
ネロさんが呆れたとばかりに私達を見ている。
「お二人とも」
「ネロはいいの? 僕が突然、イライザ以外にお金使い始めるんだよ。ああ、お客様のために金の椅子を買おう! ってね」
そんなロイス、全然、想像できない。お客様のために! って張り切る。もうそれは偽物ロイスだ。
「夜会もサロンも楽しくない。隠士の鬱々した研究会のほうがまだ生産的で興味があるよ。貴族の優雅な遊びを考え出した奴はたいそう娯楽に疎いやつだったに違いない」
違いない!
心中で同意する。
貴族の娯楽って面白いものがひとつもない!
掃除していた方がましだ。きっと、遊び慣れていない子供が作った自尊心を高める修行かなにかだ。
「二人揃って憂鬱そうな顔をしない! 招待状がどれだけ届いているのか、考えて下さい。こちらでなにもないのかと問い合わせもあるんですから」
「参加も開催もしないよ、面倒くさい」
「爵位を考えて下さいと毎年言っていますよね!?」
「開きたくない。ネロが主宰になるのならば、やってもいいけど」
ネロさんの額に青筋が浮かんでいる。
苛立ちを抑えた声で、ネロさんが強く言った。
「分かりました。こちらで開く準備を致します」
「ネロが主宰で?」
「ロイス様が主宰で」
「面倒くさいよ」
「いいですか、五年もなにもしていないのですからね。今シーズンは絶対にしていただきます!」
ええーと不平を漏らすロイス。私もロイスと同じようにネロさんに向けてええーと漏らす。
ネロさんは絶対やりますと気焔を吐いた。
「まったく、ネロはうるさい。貴族の真似事をなぜ僕がしなくちゃならない」
「ロイス様は貴族ですから」
「貴族ってこれだから嫌いだ。誰もが人に愛想よくする暇があると思わないで欲しいな」
憂鬱なため息を溢し、ロイスがネロさんを睥睨した。ネロさんはその視線を物ともせず、胸ポケットから懐中時計を取り出し、時間を確認した。
そして、時計の針を見ていた瞳で今度は私に視線を向けた。
「そうだ、奥様。いつの間にモギュレット嬢とお知り合いになったのですか」
「モギュレット? ーーアリギス・モギュレット嬢のこと?」
「ええ、先ほど、無作法にも訪ねてきたモギュレット男爵令嬢のことですよ」
「さっき訪ねてきたのは、モギュレット嬢だったんだ……」
昨日、興奮していたようだし、納得出来ずに今日、訪ねてきたのかもしれない。
「こんな時間に来られても困ると最低限の礼儀を持ちつつ突っ撥ねましたが、なかなかお帰り下さらなかった。警邏隊を呼び寄せようかと思いましたよ」
「ごめんなさい。会った時に怒っていらっしゃったから」
面白くなさそうにロイスは起き上がると、私を見つめた。
「昨日会った?」
「そうなの。えっと、ロイス?」
「やはり、僕と行くべきだったのでは? 変な相手に追い掛け回されてる」
否定できないところが悲しい。
確かに少し、変な方だった。
「またお見えになったら追い返しても?」
私ではなく、ネロさんはロイスにきいた。
ロイスはこくりと頷いた。
「警邏も呼んでいい。二度とこないよう追い払って」
「御意。ではお食事はいつもの通りご用意させていただきますので」
ネロさんが出て行くと、ロイスは深くため息を吐いて、私を抱え込むと首元に顔をおしつけてきた。
「ロイス」
「はあ、ネロ、僕に貴族の真似事をするように強要すると思う? 厄介ごとなどごめんだというのに」
「うん、そうだね」
「もし、ネロが招待状を送っても、君と閉じこもろうか」
「私もそれがいい」
首元でロイスが笑うものだから、こしょばゆくてしょうがない。
「ロイスったら!」
「うん、もう少しこのままでいよう」
きちんと人の話をきかない夫の背中に手をまわす。
ロイスと一緒にいる時間がとても好きだ。この時間がずっとずっと続けばいい。




