妖精の鏡
城にはいくつか不思議な話があります。
ここで働かせてもらうようになった最初の頃、古参のメイドから聞いた話です。
花が枯れない花瓶、視線が動く肖像画、閉めてもまた開く扉など様々でしたが、長く在る家ではそういった逸話には事欠きませんし、まして大勢の人が立ち働き、何代も代を重ねた王城の事でありますから、さして驚くことではありませんでした。
中には血腥い話もありましたが、それも王城では致し方ないでしょう。
大きな身代を持つ家であれば、どこでも多少は薄暗いものを抱えております。
それが王位とあれば……悲しい事ですが、親族間で血で血を洗う争いが、かつてはあったと聞いておりますし。
噂を無暗に恐れたりはしませんが、すすんで怖い目に遭いたいとも思いません。
幸い仕事場所は……噂話があったとしても……害のなさそうな所でしたので、安心して働いておりました。
今しがた見た肖像画の顔が変わったり、活けてひと月になる花がみずみずしいままであったり、不思議なことを色々体験しましたが、驚きはしても特に恐ろしいとは思いませんでした。
毎日忙しく立ち働いていますと、害のないことであれば気にしなくなるものです。
そうして仕事に慣れた頃です。また一つ新しい話を聞きました。
この城の何処かに、妖精が棲む鏡があるという話でした。
今は使われていない棟があるくらい、また部屋数がどれくらいあるか、城内で働く者もわからないくらい大きな城です。
もちろん鏡がかかる部屋も数え切れないくらいありますし、壁に掛ける鏡、手鏡、鏡台など、鏡じたいもたくさんあります。
さて、そのうちのいずれを指して言っているのか尋ねてみますと、教えてくれた人も知らないと肩を竦めるのです。
ただそう言いだすのは決まってこの城の世継ぎの王子であると言い添えたのでした。
そうすると妖精の鏡とは、この国の王となる方だけが目に出来るものなのかもしれません。鏡を覗き込んで、どんな話を妖精とするのでしょうか。そう思うと何やら微笑ましい気持ちさえします。
ただし、とその人は言いました。
ただし、鏡の妖精と会った、そんな話を王子がしますとしばらくして代替わりが起こるのだ、と。
鏡の妖精は王位交代を告げているようで、それはある意味不吉じゃあないかねと言いました。
さて鏡の妖精自体が不吉かどうかはわかりませんが、いずれ世継ぎの王子へと王位は受け継がれるものです。
時には事情によりその時期が早まったことがあるでしょう。
それが大げさに伝わったにちがいありません。
噂話というものはそういうものです。
不思議な話ではありますが、自分とは関わりあいのない話です。
そう思いすぐに忘れてしまっていたのですが。
ある時、普段は足を踏み入れることのない、城の奥へと用を言いつけられました。
何でも、客人を持て成すに使う蜀台が足らなくなったそうなのです。
その予備を取ってくるようにとのことでした。
私は普段立ち働いている場所以外は、殆ど知りません。勤めている城は、改築を重ねたせいであちこちを回廊で繋げられ、まるで迷路のようです。
目印を頼りに教えられた道をゆき、目的の部屋へと辿りつけた時にはとても安心しました。
なにせ通る道には一面に埃が積もり、それは訪れるものが居ない事を示していました。
働く者がいるとはいえ、普段使われない所までを磨きあげる余裕はないのでした。
目的のものである、紋章入りの蜀台を二つ手に握ると、元来た道を歩き出します。帳が下りたままの室内は薄暗く、また埃っぽく、長居をしたい場所ではありません。
そうして足早に歩き出した時、ふと小さな声がするのに気がつきました。
誰もいないはずの場所です。
さんざん恐ろしい話、不思議な話を聞かされていたためでしょう、瞬時にそれらが頭の中を巡り、ざあっと血の気が引いて行きました。
しかしすぐに声の調子が楽しそうなものであることと、声の主が世継ぎの王子であることに気がつき、一気に体の力が抜けて、座り込みそうになりました。
教育係の目を盗み、遊んだり悪戯をしたりするのが好きな王子です
ここへはあまり人が立ち入らないのをいいことに、体のいい遊び場にしているのでしょう。
それを叱るのはわたしの役目ではないため、気付かなかったふりで立ち去ることにしました。
この部屋には出入り口が二か所あるようで、王子は私が入ってきたことに気がつかなかったようです。
けれど。声の主は、王子一人ではなかったのです。
元気のいい王子の声が響いた後、やわらかな女性の声が聞こえたのでした。
子どもを窘める若い母親のような……年の離れた姉のような、優しい声でした。
その声の主が本当に鏡の妖精だったのか、それは今でもわかりません。
どんな事情があってか、あの場には王子の他に誰か年若い女性がいたのかもしれません。
あの部屋に鏡があったかどうかも、わたしは確かめたわけではありませんし、ましてその後あの場所に近寄ることはありませんでしたから。
わたしが知っているのは、王子が時折今は殆ど使っていない棟へ足を向ける姿を見たことと、そこから帰ってくる時、どこか晴れやかな顔をしていたということだけです。
もし本当にあの場所に鏡の妖精が居たとして。
それを暴き立てることは誰のためにもならない事であろうと思ったわたしは、見たこと聞いたことをそっと胸に仕舞いこみました。
鏡の妖精の噂話は、相変わらず城で働く者たちの間で密やかに語り継がれておりました。
けれどわたしはそれに一言も付け加えることなく今日まで過ごしておりました。
王子が王位を継ぎ、やがてお子様に恵まれたのも見て居りました。
何故、何年も明かさなかったことを今話すのだとおっしゃいますか。
ええ、もう鏡の妖精はいないからです。
鏡の中には、もう誰も居ないのですよ。わたしはそれを知っています。
やがて鏡の妖精の噂話も消えてなくなっていくでしょう。
なぜなら、優しい声の主は、今王の傍らで微笑んでいらっしゃるからです。
かつて一度だけ聞いた声ですが、忘れもしません。
あの優しい響きは、まだ耳の奥に残っておりました。
鏡の妖精は人間になり、そうして皆最後まで幸せにくらしたのでした。
物語でしたら、そう最後に締めくくって終わりです。
この不思議な話、わたしの作り話だと思われますか。
ええ、それは話を聞く方のお心のままに……。
物語であっても、そうでなくても。
そうして皆最後まで幸せに暮らしました
そうであれば、本当にいいのですけれど。
END
お読みいただき、ありがとうございました。




