第八話『そろそろ覚悟を決めようか』
時刻は午後七時。
ぶいけんっの配信は、大盛況のうちに終了した。
同時接続数、高評価数、いずれも過去最高を記録。
途中でゆー君に妙な風評被害が発生したりもしたが、それすらも“放送事故”ではなく“撮れ高”として処理され、視聴者の熱量はむしろ上昇していた。
──つまり、結果だけ見れば完全な成功だった。
素人目にも、今回の配信は否定のしようがない。
ぶいけんっ史上最高の回だったと言っていい。
にもかかわらず。
「…………」
誰も口を開こうとしない。
視線だけが交差し、言葉になりきらないまま途中で落ちていく。
そんな状態が続いていた。
「気持ちはわかりますが、先に食事にしましょう。不景気な話は空腹を満たしてからです」
サーニャさんの声で、空気がわずかに動く。
メイドたちが運んできたのは、鮮やかな洋食の数々だった。
食べ盛りを意識してか、肉料理が多い。
「……それじゃ、いただきます」
あーちゃんが手を合わせると同時に、焼きたてのバターロールにエビフライを差し込み、豪快にかぶりついた。
その勢いに釣られるように、他の面々も苦笑混じりに食事を始める。
「いただきます」
「よろしい。あまり深刻にならないことです」
サーニャさんは満足げに頷き、メイドたちを連れて退室した。
その気遣いはありがたい。
場に“保護者”がいるだけで、話せなくなることもある。
しばらくして、あーちゃんがシチューを口に運びながら切り出した。
「で、さっきの件だけど、正直どう思った?」
あーちゃんの言う“さっきの件”とは、配信のラストに全国のお茶の間を駆け巡ったあのニュースのことだ。
俺たちのテンションをドン底まで叩き落としたあの件について語るのは、あまり気が進まない。
「どうもこうも、俺たちの動きを見透かしてたってことだろ。そうじゃなきゃ、あのタイミングで声明を出したりゃしねえよ」
「やっぱり……」
即座に応じたゆー君に正論を返されて、あーちゃんがゲンナリする。
さすがは幼馴染。この辺は完全に阿吽の呼吸だ。
「……たったいま確認しましたが、やはりこちらにも連絡が届いていますね。内容もほとんど同じです」
みっちゃんが、いつもの調子で口を開く。
だがその声には、配信中の軽さがない。
完全に“仕事中の顔”だ。
「ちはやさんのオリンピック期間中の帰国と閉会式への不参加は、JOCが本人の体調と精神状態に配慮して行なったものだ……というのが日本政府の公式見解だそうで」
「そんなやり取りがあったなんて聞いてねえぞ……」
「ええ。ですからこれは、都合の悪いことは全部こちらに押し付けろという、彼らなりの“善意”なんでしょうね」
「……ガキの癇癪みてえなバックレとドタキャンじゃ外聞が悪りぃし、ちーのキャリアにも傷つくから代わりに泥を被ってくれるってか? 日本政府とJOCが聖人君子の集まりなんて話、これっぽっちも聞いたことがねえんだけどな」
「そうですね。だから裏があるんですよ。例えばちはやさんに国民栄誉賞の授与を検討しているとか」
眼鏡をキラリと光らせたみっちゃんが暴露した“裏”に数人が咳き込む。
俺も飲み物に手を伸ばしている最中じゃなければそうなっていただろう。
「しかも政府は、授与式のあとに両陛下との食事会なんてものも提案してきましたし、JOCも予定していたパーティーなどは欠席で構わないから、4年後のオリンピックにはぜひ参加してほしいと」
「ねえ、それって──」
堪らず割り込んだあーちゃんの声は、ほとんど悲鳴と変わらなかった。
「あいつらちーのことを逃す気0じゃないのッ」
「はい、一見するとちはやさん本人の自由を尊重しているように見えますが、実際には“逃げ道を潰した上で最大級の既成事実を積む”という、非常に丁寧な囲い込みです」
「怖っ……」
誰かが本音を漏らした。
「大人ってもっとこう……妥協とかするもんじゃないの?」
「その認識は、今ここで修正してください」
みっちゃんは即答した。
「むしろ“妥協しているように見せること”が一番厄介です」
……うん、俺もそう思うわ。
代わりに泥を被った挙句、日本人として考えうる最大限の栄誉も惜しみなく与える。
そのための条件が“今後ともいい関係を維持する”なら、答えは簡単だ。
俺がちはやさんの代わりにやればいい。
「一応ですが、逃げ道もなくはありません。なんといっても、ちはやさんはアメリカ国籍も有していますから、ほとぼりが冷めるまで渡米するのも一つの手です。ただ、それをやった場合……」
「ちーのセレスタ入りが絶望的になるな。今のまま加入しても仲介役を押し付けられるのは目に見えてるから、あっちも嫌がるだろ」
「そうなんですよ。ですから僕も困っていて」
「いや、構わないよ。みんなに迷惑を掛けるつもりもないし、原因は私のわがままだもんね。全部引き受けるよ」
「……よろしいんですか? かなり面倒ですよ」
「うん。なんなら会見で、JOCと関係各所の皆様のおかげをもちましてって言ってあげる。そこまでやればみんなの面倒事も少しは減るでしょ」
そう言い切るころには、全員にまじまじと見られた。
感心した視線もある。
無理をしてるんじゃないかと心配そうな視線もある。
けれども、やはり一番は。
こいつ何か悪いも物でも食ったか、という視線だった。
うん、やっぱりちはやさん。
普段の行状が壊滅的に悪すぎんよ──。
「……わかりました。僕も祖父に掛け合って、ちはやさんの生活が過度に乱されないように手を打ちます」
「ああ、あの爺さんなら味方になってくれるか」
「はい。なんせ父の会社を手伝うためにHBSを出た僕に、今のままでは頭でっかちの大人になるから、せめて成人するまでは子供らしい生活をしなさいと言ってくれた祖父ですからね。未成年の政治利用には厳しい態度を取ってくれるはずです」
「そういうことなら、私も力になれそうね。MITの研究室経由でアメリカ側にも相談できるわ。ちはやの法的な保護について助言してくれる人もいるはずよ」
──いや、いやいやいやいや。
お願いっ、ちょっとお待ちになっていただけませんか!?
予想すらできなかった衝撃の新情報に、俺の頭は焼き付く寸前だよ……!!
『なによ、楽しそうにしちゃって。危機感がないんだから』
と、そんな俺の脳内に、ひどく苛立たしげな女の子の声が──。
『お兄ちゃんホントにわかってるの? このままだと、お兄ちゃんは……』
……今のは、妹の声だよな?
俺の脳内悪魔。事あるごとに女の子になった俺をからからい、あげつらってくる。
そんなマイスシスターが何を言いたかったのか、今は確認できない。
もう消えてしまったし、こっちにも他にやらないといけない事があるから。
「……さて、そうなるとゆー君」
「なんだよ、そんなに勿体つけて」
俺が視線を合わせると、案の定ゆー君は嫌そうに顔を背けてしまった。
うんうん。女子に弱味を見せてたまるかって思ってるんだよね?
俺もそんなふうに思っていた時期があるからわかるよ。
しかし、すまない。これは決定事項なんだ。
俺とちはやさんだけじゃなく、ぶいけんっ全体にとってもね。
「ゆー君もわかってるよね? このままじゃいけないって」
ゆー君は答えない。
変わらず、視線も合わせようとしない。
でも、俺の言葉を否定しない。
言い出す勇気がないわけじゃない。
ただ誤解を恐れて立ち止まってるだけだ。
「わたしゆー君のモデルやるよ。ゆー君が納得するまで付き合ってあげる」
だから、俺が代わりにそれを形にする。
あーちゃんが女の子がしてはいけない顔になった。
みっちゃんもひどく興味深そうな顔をしている。
玲ちゃんは意気地なしの弟をおちょくりたそうにしている。
「……いつやるよ?」
やがて、ゆー君は観念したようにそう言った。
ちはやさんが何度も目を瞬かせる。
これは彼女にとっても驚くに値する事なのだろう。
だから、俺の言うべき言葉は決まっていた。
「いつでもいいけど、特に予定がないなら明日かな? 善は急げって言うしね」
「わかった。ならメイドの了解だけ取り付けてくれ」
その日は、それで解散となった。
寝る前に、サーニャさんにこう言われた。
「明日、例の少年と二人きりで会うそうですね」
ついでに、小さな紙袋を差し出される。
「これは?」
「ささやかな応援です」
中身を確認すると、小さなリボンと銀色の髪留めが入っていた。
「女の子は案外そういうもので勇気が出るものですよ。ええ、私の“母”もそうでした」
「わたし、別にデートじゃないんだけど?」
「ええ、もちろん存じています」
そう言いながら、サーニャさんは微笑んだ。
まるで何も信用していない顔で。
「上手くやるのですよ」
「だから違うってば!」
顔を真っ赤にしたちはやさんが抗議する。けれども髪留めはちゃんと受け取った。
その姿が少しだけ嬉しそうだったので、俺は何も言わないことにした。
◇◆◇
──見えているはずなのに、描けない。
それが、俺──新海悠二の最近の悩みだった。
瞬間記憶は完璧だ。
一度見たものは一切のブレなく再現できる。
精密模写も同じだ。
手本があるなら、理論上“完全再現”は可能だ。
なのに。
葛葉ちはやだけは、どうしても絵にならない。
理由は分かっている。
あいつが“動いているから”だ。
笑う。
首を傾げる。
何でもない動作ひとつで、印象が全部変わる。
記憶の中のちはやは正しいのに、
その“正しさ”が、逆に邪魔をする。
固定された像に落とし込んだ瞬間、全部が死ぬ。
──だから、決めた。
俺は、もう一度ちゃんと向き合う。
ただの記憶じゃなく、ただの模写でもなく。
“ちはやそのもの”を理解するために。
そんな決意を固めた頃だった。
「……さて、そうなるとゆー君」
「なんだよ、そんなに勿体つけて」
ちーが俺を見ている。
それだけで一度固めた決意とやらが霧散しそうになった。
「ゆー君もわかってるよね? このままじゃいけないって」
……今日のこいつは奇妙に小賢しい。
普段は俺の気持ちなんてカケラも考慮しない癖に、今日に限って踏み込んできやがる。
「わたしゆー君のモデルやるよ。ゆー君が納得するまで付き合ってあげる」
いや、俺も本当は理解している。
俺がこいつのデザインをいつまで経っても提示できないから、ぶいけんっ全体も足踏みしちまってる。
だから、これは俺のためなんだ。
俺なんざさっさっと切り捨てちまえばいいのに、それをしたくないから踏み込んでくるのだ。
俺の知る葛葉ちはやはそういう女だ。
能天気で気まぐれな癖に、本当はとても優しく人間好き。
だから、俺の答えは最初から決まっていた──。
「……いつやるよ?」
「いつでもいいけど、特に予定がないなら明日かな? 善は急げって言うしね」
「わかった。ならメイドの了解だけ取り付けてくれ」
そうして翌日の昼過ぎに、俺はもう一度あいつの家を訪ねた。
やらずに済ませる理由ばかり探す自分を叱りつけて。
煩わしく話しかけてくるマスコミを無視して。
俺は、あいつの玄関先でようやく気づく。
「……俺一人であいつと会うのは初めてだな」
それだけで、こんなにも臆病になる。
普段は道隆がいた。
あかねがいた。
姉貴もいた。
あいつらがいつもと変わらないから。
俺も、学校にいるときと同じ感覚でいられた。
でも、今は独りだ。
もちろん怖い。
俺がやらかしてもフォローしてくれるヤツは誰もいない。
嫌われたらどうする。
無理に変えようとすることはない。
昨日までの関係で十分だ。
そんな弱音に納得しそうになる。
でも。
でもアイツが待ってる。
俺を待ってるはずなんだ。
理由はある。
建前もある。
だったら行かなきゃ。
俺は玄関の前に立った。
電子操作で解錠される。
出迎えに猫が混ざっていたのも有り難かった。
足元の匂いを嗅いだ猫は、俺の立ち入りを許可するかのように鳴いた。
「よう。邪魔するぜ、ちー」
「いらっしゃい。ちょっと散らかってるけど気にしないでね?」
……散らかってる?
相変わらずメイドたちが磨き上げた大理石の床に、髪の毛一本どころか埃ひとつ落ちちゃいない。
俺は小首を捻ったが、この疑問はすぐに解消されることになった。
「ごゆっくり」
入れ替わるように退室したメイドが用意したであろうものを見て、俺は納得した。
そこはおそらくちーの寝室だろうが、辺り一面にいろんな服が並べ立てられていたのだ。
おう、確かに散らかってるな。
「モデルだもんね。色々と注文があるだろうと思って用意してもらったんだ」
なるほど、こいつなりに張り切ってるわけだ。
そう思うと少し嬉しくなる。
「どれがいいかな? もちろんスク水も用意してるよ」
ここで「ざけんな」と自分を偽ることは簡単だった。
でもせっかくの好意だ。
わざわざ無碍にすることもないし、俺は素直に受け取ることにした。
「だったらいつもの制服がいいな。俺も見慣れてるようで見慣れてないし、お前も学生の身でVTuberになるなら、ひとつくらい学生服のデザインを持っていてもいいだろうよ」
「わかった、すぐ着替えるね」
「──待て」
俺は笑って誤魔化しながら応じたあとで、間髪入れずにちーの奴を制止した。
「なに?」
「なに? じゃねえよ。男子の前で着替えようとするヤツがあるか。奥の部屋で着替えやがれ」
「ちえっ、サービスのつもりだったのに」
「そんなサービス要らねえってんだ、まったく……」
「はいはい。分かったから、ベッドにでも腰を掛けて待っててよ」
「おう。さっさと行ってこい」
俺はちーが姿を消してから、ヤツの言うベットに腰掛けると、視界の端で見慣れない紙袋が揺れた。
これ見よがしに「上手くやりなさいな」と書かれたメモが貼り付けられた紙袋であった。
俺はため息を吐きながら、それを見えないところに押し込んだ。
……よし、これで何も無かったことにできる。
意味深なメイドの含み笑いを思い出した俺は、ドッと疲れるのだった。
「お待たせゆー君、似合ってるかな」
と、そのタイミングで戻ってきたちーの奴はやはり平然としていた。
これで確定と、危機感のまるでない生き物にも忠告してやる。
「おう、似合ってる似合ってる。でも、それはそれとしてお前も気をつけろよ。あの悪魔どもを味方と盲信してると足元を掬われるぞ」
「──あ、もしかして」
するとこいつにして妙に察しが良く、声を落として確認してきた。
「わたしの留守中に、エミリア辺りに何か言われた?」
「ま、似たようなコトはあったな。……だからホントに気をつけろよ? 特にあのおちゃらけメイドは、俺たちのことをオモチャか何かと思ってやがるからな」
俺たちは同時にため息をつく。
こんなところでコイツと分かり合ってどうすると思ったが、仕方ない。
「とりあえず、向こうのソファーにでも座ってくれや。猫を抱いてもいいけど、あまり頻繁に動くのはやめてくれよ?」
「うん、おいで二人とも。少しお昼寝しようね」
「『にゃ』」
そうして俺は、二匹の猫を間にはさんで葛葉ちはやと向き合った。
……相変わらず整いすぎた顔立ちの女だった。
歴史上の巨匠たちが結託して手を加えたような、そんな自然ならざる造形である。
気まぐれな遺伝子の配列は、断じてこの手の天然物を抽出しない。
だから、これは奇跡なんだ。
一世を風靡する国民的なアイドルが、今は俺だけを見て、俺のために微笑っている。
それも、こいつがよく見せる営業用のスマイルじゃない。
こっちを見て微笑っているだけなのに、そこに特別な意味を見出してしまう。
飼い主の手が止まったことを抗議するように、膝上の猫どもが頭をもたげる。
ちーは無言。ただし意味ありげに艶やかな唇を開いたあと、やれやれと両手を動かす。
……こんな顔もするんだ。
初めてまじまじと見つめる女の顔は驚きの宝庫だった。
どれもこれも、俺の知らないものばかりだ。
だから、捉えきれない。
これは静止画じゃない。
動画として撮影したら解決する問題でもない。
俺なりに芯を掴まなけりゃな話にならない。
不意に、ちーの奴が視線を戻した。
俺は気恥ずかしさに堪らず手元のAiPadに視線を落としたが、今度は誤魔化しきれなかった。
見られた。
見ているところを見られた。
それは俺が最も恐れていた瞬間だった。
だというのに、予測された追及はなかった。
それどころか上機嫌な鼻歌が飛び出してきた。
……俺にはわからない。
女どもの考えなんて、これっぽっちも想像がつかない。
その中でもコイツは最大級の謎だ。
そんな女が微笑っている。
いつになく訳知り顔で。
俺は視線を戻すこともできず、途方に暮れるしかなかった──。
◇◆◇
自室のベッドに寝転がりながら、あたしは昨日のアーカイブをもう一度見返していた。
何度見ても気のせいだと思う。
そう思うのに。
“だからゆー君はキモくない“。
その言葉だけが、妙に頭から離れなかった。
「……ほんとに気のせいだよね?」
誰に聞くでもなく呟く。
けれども答えてくれる人はいない。
鳴らないスマホだけが、静かに机の上に置かれていた。
その画面には、最後に送ったまま既読のつかないメッセージが残っていた。




