第一章 国際人事部
プロローグ
「はい、こちら国際人事部」
透き通った鈴のような声が響く。
「新入社員……ですか。人事部に、新入社員を、はじめから、配属、と……」
やわらかな口調だが、一単語ずつ区切る言い方にはあからさまな圧があった。しかし、声の調子は変わらない。
「ええ。……ええ。……いいでしょう。かしこまりました。それでは」
そうして通話が途切れた。ふぅ、とため息を吐くと女は立ち上がる。そうして、パンパンと手のひらを打ち合わせる音がした。
「手を止めてくれる? 良い知らせと悪い知らせが同時に来たわ」
「内容の想像がこれ以上ないほど容易です、部長」
「そもそも! 手を止める暇なんてないですよぉ!!」
「そうだそうだ!」
手を止めずに好き勝手喚く部下達を見渡して、部長はふっと微笑んだ。そうして、どこか遠くを見たまま言う。
「皆様お察しの通り、うちに新人が来ます。嬉しいわねぇ。でもびっくり! 来てくれるのは、なんとぉ、文字通りの、ドのつく、新人、よ」
シン、と一瞬静まり返る室内。そうして次の瞬間、空間を切り裂くような悲鳴が轟いた。
「無理無理無理!!! 育成なんてしてらんないですよぉ〜!!」
「仰る通りです!!困難極まりありません!!」
「無理ゲーだあああああああ!!!」
第一話 水瀬葵
僕の名前は水瀬葵。今日から社会人です。大学院まで出た僕は今24歳。同期達よりだいぶ遅れての社会人デビューとなりました。
院まで出ておいてなんですが、ぶっちゃけやりたい事があった訳じゃないんです。
ただ、流されるままに生きてきました。父に言われた通りの高校に通い、母に言われた通りの大学を受験し……落ちました。
そうして入学した第二志望の大学は、学校の先生が勧めてくれた通りのところで。
つまり、僕は自分の人生の節目を悉く人に決めてもらってきたんです。
その結果、就活で異常なほどに躓いて、躓いて、なんならもはや沈んで……。
受動的極まりない就活の結果、決まった会社はたまたま大手企業でした。
父も母も喜んでくれた。でも、世の中そんなうまくいくものでしょうか。
今日の教訓、人生そんな甘くない。
第二話、配属
「君には申し訳ないと思っている」
その人は組んだ手の向こう側で、ため息をついていた。眼鏡越しに見られると思わず背筋が伸びるというか、なんだか圧のある人だ。
「い、いえ……僕としても興味のない分野というわけではないので……」
「水瀬くんは応用生態専攻だったか……」
「あ、はい。まぁそうですね」
応用生態と言ったって、実際に研究してたのは主に土とか……土なんですけど。先輩に誘われたから。
「勘違いしてほしくないのだがね。上層部は君に期待している。アレは中々癖の強い場所ではあるが、間違いなく社の根幹を支えている部署だ」
「はぁ……」
淡々と語っていらっしゃる課長は、頭痛が痛いとでも言いたげな顔をしている。説得力がない。
「社長も、そう、君を、優秀と、知っている」
「ありがとうございます……」
何を言われたって僕に拒否権はなくて、そもそも拒否できるほどの度胸もない。だからそう、この会話に意味はないんだ。
「まぁ、その……異例の配属ではある。相談にはいつでも乗ろう」
「ありがとうございます」
「ああ……。それでは、これからこのメアリーホリデーの、果ては国際人事部の一員として、君の尽力に期待する」
こうして、僕こと水瀬葵。新入社員にして、国際人事部に配属されてしまったのだ。
第三話、修羅場
「失礼しま、」
きちんとノックをして扉を開けた先には、ドン引きレベルの書類の山が出来上がっていた。
「すぅ〜……」
一旦二、三歩戻って確認する。真っ白な扉の真ん中には国際人事部のプレートが嵌め込まれている。なるほど。
「失礼します! 初めまして水瀬葵です!! 手伝える仕事はありますか!?」
そうして僕は社畜となったのだ。尚、ものすごく歓迎していただけたとだけ言っておこう。
「助かったよぉ〜! 今一人出向中で、本当に修羅場で〜!!」
「まさか新入りが本当に即戦力だとは思わなかったわ。ありがとう」
部長補佐さんと部長にものすごく褒められている今、入社3日目である。二日間帰れなかったからだ。美人は徹夜しても美人なんだなぁ。僕は口も開けない。
「ただいま戻りました」
「おかえりぃ〜マオちゃん」
「ああ、そうだ。葵君、改めてこちらのマオちゃんがあなたの教育係よ」
「よろしくお願いします」
ものすごく掠れた声が出た。二徹は辛いよ。にしても僕以外はみんな女性で、しかもとんでもない美人さんたちだ。胃が痛い。
「とりあえずあと一カ月くらい修羅場なの。この修羅場期間は申し訳ないけれど、このマニュアルを読んで事務作業をお願いするわ。明日からは定時で帰ってもらうから」
そうして手渡されたマニュアルは、悲しいほどに軽い。中身の想像のできないマニュアルは怖い。でも僕に逆らう根性も文句を言える元気もやっぱりないのだ。
第四話 花の人事部
「はい、こちら国際人事部」
部長は本当に声がいい。鈴みたいに高くて澄んだ声をしている。
そして顔もいい。小作りな顔にお手本のように目鼻口が配置されている。それから真っ黒な髪と服。細身ですらっとしているのが引き立つし、肌が本当に白いのが分かる。
「ええ、そうですか、承知しました」
また無茶振りされてる……。一語一語を区切るように言うと圧が出るとここにきて学んだ。
「部長、4日後なら私が」
ふわふわした話し方で口を挟んだのは愛子さん。丁寧に巻かれた髪や柔らかな目元といい、優しげで可愛らしい人だ。だけどこの人ももちろん仕事の鬼でもある。
「ええ、私が、お伺いします」
「リー部長!」
「4日後の午後2時にお伺いいたします、それでは」
「部長ぉ〜!」
「あなたは私の秘書でしょう? 髪も爪も乱さない程度に働いてちょうだい」
愛子さんは役職的には部長補佐だけど、本人の資質もあってほぼほぼ部長の秘書と化している、らしい。
部長が愛子さんに激甘なのはこの一月で十分に分かった。
「葵クン、資料整理は終わりましたか?」
「はい!」
僕の教育係のマオさんも部長寄りの美人だ。綺麗な瞳の色が特徴的で、部長より少し優しそうに見える。
「はい。こことここが間違っているのでご調整願います」
尚、一番仕事では厳しい。わぁ、すごい優しい笑顔。後ろに花が咲いていそうだ。
同期の太郎くんへ、連絡無視ってごめんね。噂通りめちゃくちゃ美人だけど仕事は辛いよ。
第五話 給食
「葵君も仕事がスムーズになりましたね」
「ははは……マオさんのお陰ですよ」
「最初はほんと、社長室に、殴り込もうかしら、なんて思ったけれど、本当に有能で助かるわ」
「大体うちだって人事なのに、採用をこっち通さずにやるのが乱暴ですよねぇ!」
珍しくマオさんに褒められた。すごく嬉しいけれど、正直げっそりした気持ちの方が大きいかも。
この2カ月で知ったこと。この3人は結構ギャップがある。
優しそうなマオさんは一番生真面目で厳しいし、部長は結構お茶目な人だ。意外と冗談を言うし、距離が近い。そして愛子さんは口調はふわふわしてるけれど、話す内容に棘がある。かわいい花にはなんとやら、かな。
「はいはい、愛子ちゃん。可愛いお顔が歪んじゃうわよ」
「だぁってぇ!!」
「ほら、もういい時間だしお昼にしたら?」
「部長、いいのですか!?」
ふんわり微笑む部長に、何故かマオさんが声をあげた。いつも物静かなタイプなのに、珍しい。
「いぇーい!! お昼!お昼! 給食ー!」
「給食?」
楽しそうな愛子さんに、思わず疑問が口を漏れる。さすがはシゴ出来集団、全員の視線がすぐさま僕に集中した。フォローが早いんだよなこの人達。
「部長が昼食をご馳走してくださるということです」
「しかもあの急給食料調達隊でね!」
「えぇ!? いいんですか!?」
急給食料調達隊、とは食料配送サービスのことだ。桁違いの速さと桁違いのお値段で、ついた渾名は暴走族。ちゃんと公式の略し方で読んでる人初めて見た。
「ほらほら、葵君も選んでー!」
「えぇ!? こんな、こんな、いいんですかぁああ」
思わず声が震えるほどのお値段を目の前に突きつけられる。そしてすごい品揃えだああ!!
「ふふふ、うちの部長はぁ、とっても有能でぇ、優秀なので! お給料が高いんですよぉ」
「インセンティブがあなたの七倍だと思っていただければ結構よ」
「ごちになります!!!!」
思わず頭を全力で下げる。僕ですら中々のお値段をいただいているのに、そこにインセンティブが……。桁違いすぎて考えるのが怖くなった。
そうして遠慮を失った僕はしれっとめちゃくちゃいいお肉を頼んだのだった。
今日学んだこと、良い肉は溶ける。それから暴走族は本当に爆速だった。
第六話 研修
今日はいつも通りの時間にいつも通り車で出勤したけれど、行く部屋が違う。ゾロゾロと集まる顔見知り未満の人々に軽く会釈をしながら部屋の隅へと逃げる。
端の席を確保して座る。ほっと一息ついたところで大きな声で名前を呼ばれた。
「葵ー!! お前元気だったのかよー!! 偶には応答しろよなぁ!」
「ごめんごめん、本当にそんな暇なくて……」
目が死んでいたらしい。太郎くんはビクッと跳ねて、警戒体制を取っていた。ごめんて。でも大きい声出した君も悪い。
「おいおい、やっぱ異例の配属なだけあるなぁ。歴戦の兵みたいな顔してたぞ」
「僕は理系だし、軍曹向きなんだけどな」
「俺らまだまだ新兵だろうが!」
久しぶりに会う太郎くんは相変わらず軍兵向きで、なんだか懐かしく感じる。ああ……院も辛かったけど、アレのおかげで修羅場慣れした感じあるな。
「太郎くんはどこの配属だっけ?」
「普通に開発だよ」
「あそっか……君化学系だったね」
「おうよ! てかこの研修の内容って聞いてるか? わざわざ新卒集めるくらいだから大事な内容なんだろ?」
「ああ、えっとね」
僕が話し始めるよりも先に、研修が開始した。画面越しの偉い人にみんな向き直る。あ、見たことある人だ。
「こんにちは、諸君。私は黒崎。初めましての方も、そうでない方もいるかな」
シンとした部屋に深い声が響く。渋い大人の男の声って感じで本当にかっこいい。眼鏡越しの瞳は今日はさほど疲れていないように見えた。
「今日の研修内容は税についてだ。私は税理士資格を持っているので、安心してくれたまえ」
「すげぇ……」
「太郎くん、シッ!」
こちら側がミュートになっていないのに話すなんて、本当これだから軍兵向きってやつは!!
黒崎課長の黒い瞳が、こちらを見ている気がする。画面越しなのに!
「それでは研修を開始する」
今日の教訓、戸籍と税金は自分できっちり把握すべし。
第七話 雑談
「葵くん、黒崎課長の研修どうだった?」
「すごくためになりましたよ。やっぱり義務教育でやったとはいえ、復習は大事ですから」
「全くね。事前学習と復習は怠ってはならないものよ」
今日も今日とて書類を捌いて裁いて、裁いていかなくてはならない。だけれどもう僕も慣れたもので、お喋りをしながらでも手を動かせるようになったのだ。
この部署は結構お喋りが多い。女性が多いとそういう傾向にあるとか、昔聞いたっけ。
「マオちゃん、この案件お願いできるかしら」
「かしこまりました」
国際とはいえ、若くして人事を任せられる人たちはやっぱり優秀だ。僕はこの2カ月ちょっと、マオさんがミスをしたところを見たことがない。
「愛子ちゃん、一から三」
「はぁい」
「次四から七も、お願いね」
「……、おけでぇす」
この会話を僕向けに分かりやすくするとこうなる。
「愛子ちゃん、第一号店から第三号店までの処置完了したよ」
「はい、報告書作成に移りますね」
「次第四号店から第七号店までも処置完了したから、報告書お願いね」
「……、全部完了しました」
部長は御年27、愛子さんは26。国際人事部の部長とその補佐は異常なほどに優秀なのだ。
第八話 監査
「国際人事部諸君、こんにちは。総務統括課長の黒崎だ。今日一日視察するが気にせずに手を進めてくれたまえ」
「ごきげんよう、課長。お茶をお淹れしますので、よければ奥へ」
「結構」
なるほど。この二人似ているんだな。並んだ課長と部長を見てふと思う。顔は、うん。黒崎課長は30代後半だし。
ただ、雰囲気がすごく似ている。他人に圧を与えるタイプというか、なんというか。それに二人ともいっつもスーツが真っ黒なのも似ている。
「葵くん、マオちゃん。あれ随分お暇なんねぇ、私は忙しくてお茶も飲めてないんですけどねって意味だよ」
「なんてこと言うんですか、愛子さん!」
「シー! 部長ねぇ、黒崎課長に対しては嫌味しか言わないの」
「お二人のコミュニケーションは私には理解が難しいものです」
愛子さんが書類を全部持って、こちらへ移動してくる。不思議に思ったけれど、当たり前のように空きデスクに座った。
「ご遠慮なさらずに。わが部は課長を心より歓迎しておりますもの」
やっぱり綺麗な花にはなんとやら。くすくすと微笑む部長は、獲物をいたぶる猫によく似ている。
結局、愛子さんのデスクに腰掛けた課長に、部長自らお茶をお出ししている。部屋の奥にある部長とその補佐のデスクは確かに視察にはちょうど良さそうだ。そのまま部長は課長と話しながら仕事を進め始めた。
「人手不足は解消されたかね」
「おかげさまで」
「それは何より」
「ええ、最年少部長らしく精進させていただいております」
部長の言葉に、黒崎課長の眉間に皺がぎゅむっと集まった。あれも嫌味なんだ……。
「……愛子さん。通訳して欲しいです」
「お上の嫌がらせで苦労してることくらい知ってはるよね?だね」
「私は聞きたくありません」
好奇心が抑えきれなかった僕のせいで……室温が三度くらい下がった気がする。部長は課長のいるデスクの上に腰掛けて、普段は組まない足まで組んだ。
今日一日、これですか??
「お忙しい中ありがたいことねぇ」
「やっと帰ったわ」
「人間、恐ろしい……地球語、難しい……」
部長の言葉をすかさず愛子さんが訳す。僕が悪かったので、もう、もう……。
マオさんが震えてしまってるし、キャラ崩壊までしてそうだ。
「部長は黒崎課長が嫌いなんですか?」
パチクリと目を瞬かせた後、部長は本当に綺麗に笑った。精巧にできた人形みたいだ。
「あらやだ、私暇じゃないのよ」
本当に嫌いな人相手に話すほど私の時間は安くない、だそうな。
第九話 現地研修
国際人事部は人事部である。その名の通り、主な仕事内容は人事だ。今日はその中で一番想像がつきやすい仕事、の補佐をさせてもらえる。
「今回の面接、僕本当に同行していいんですか?」
「部長が許可済みですので」
マオさんの運転する車に揺られて、移動すること約7時間。途中途中高速を使ったが、だいぶ遠かった。そうして辿り着いたのは、背の高い木が生い茂った森だった。
「わざわざこっちに出向くのは珍しいんでしたっけ?」
「はい。今日は特別です。向こうが端末を持っていないものですから」
「端末を……今時珍しい、んですかね。いやでもこっちのことは分からないなぁ」
「とても珍しいことです。あからさまに変わり者です。」
マオさんは少し億劫そうに、青と白の混じった瞳を窄める。木漏れ日が青に吸い込まれて、まるで空のようだ。
しばらく森を進むと、ようやく集落が見えた。真っ白な家がポツポツと七軒ほど立っている。
「大きな村です」
「そうなんですか?」
「ええ、彼らは移動民族。群れすらも移り変わるものです」
マオさんはもしかしたらこの民族が好きじゃないのかもしれない。何か理由があるのだろうか。
「おお!来たか!」
布と木で作られた家々が揺れるほど大きな声が響いた。そうして、集落から現れたのは僕より頭二つ以上大きな男の人だった。すごく背が高い!
「足を運んでいただいて、感謝する。俺はカイ・シィド・レイ・ミィファ・ソォウラン」
「株式会社メアリーホリデー、国際人事部、リィ・マォウ・フェイラと申します。本日はよろしくお願いします」
異世界人って本当に名前が長い。
第十話 面接
お招きいただいた小屋? 家? は正直家と言って良いのか悩むくらいには簡素だ。木で入り口を作り、後は布だけ。のように僕は見える。
重力に逆らうように何故かはためいている辺り、魔法が使われているのだろう。地球人には本当に魔法って見えないんだ!
「それでは、面接を始めます。まずは志望動機をお伺いします」
「ああ。子供も巣立つし、新しい風を求めても良い頃だと思ったが、相棒が死んでな」
志望動機がそんな重いことあるんだぁ。思わず遠い目をしてしまう。だけど質問を投げたマオさんはいつも通りの顔で、お悔やみ申し上げますとだけ言った。
「新しい相棒を探しても良いが、折角なら行ったことのない場所に行きたい。そこで地球だ! 幸い俺は地球語が分かる」
「そうですね、とてもお上手かと。資格の方はお持ちですか?」
「資格はないが、レイの時とミィファの時の相手が二級だったか? 教えてもらったんだ」
「では、地球で勤務いただくにあたりまして資格取得をお願いしてもよろしいですか?」
「ああ!」
こんなに滑らかな会話なのに、二人とも異世界人なんだよなぁ。わざわざ地球語で話さなくてもいいんじゃないかな?
僕には目の前のお茶らしきものを頂くくらいしかできない。あ、なんか知ってる味。これイカツァか! 母がハマっていたのを思い出す。本場の方がうまい。
「葵君」
「はい!!」
気を抜いていたせいで、声がひっくり返った。そろりと隣を見れば、空が僕を映す。
「今から君にシィエンの文化を彼からご教授願います。葵君は好きに質問して、好きに話してください」
「へ??」
僕はその日、地球人代表になった。




