第798話 狼の洗礼
斜面を登るたび、風は強くなる。
術のおかげで体が冷えることはないにせよ、向かい風なので歩きづらくなる。
一応沙妃などが風属性だが、風を防ぐ魔法や結界は使えないとのことなので、体1つで風に向かっていく他はない。
・・・と思いきや、未菜が意外な活躍を見せてくれた。
「[舞鶴]」
未菜が扇を広げ、振るいながら一声呟くと、目の前に透明な壁らしきものが現れ、それが前から吹き付ける風を完璧に受け止め、反らした。
「おお、すげえ・・・」
俺がそう言うと、未菜はどこか誇らしげにふふん、と鼻を鳴らした。
「扇には、こんな技が豊富にあるのよ・・・まあ、もともとはブレスを跳ね返す技なんだけどね。風や吹雪を防ぐこともできるの」
そう言えば、未菜は扇を武器にしているんだった・・・と改めて思った。
正直、あまり目立つ攻撃技を見たことがない気がするが、ブレスを跳ね返せるなんて技がある辺り、戦闘でも十分役立ちそうだ。
「扇か・・・あまり殺人者っぽくない武器ではあるが」
亮の発言には共感するが、そんな言い方は実際に扇を使っている未菜に失礼なような気がした。
だが、未菜は特に気にしている様子はなかった。
「人間だったころ、扇の扱いと踊りのスキルを親から教わってね。それが今も残ってて、仕事に役立ってる」
未菜の「仕事」とは、吸血鬼狩りの活動もそうだが、手頃な男に声をかけて誘惑し、宿などに連れ込んでその命と財産を奪う・・・というハニートラップか美人局的な行為。
彼女が袴のような服を着ているのも、その手の女に惹かれる男を引っ掛ける、という思惑が少なからずあるという。
そして、これは女の殺人者なら誰もが一度はやる手口で、実際に青空やエルもやったことがあるらしい。
唯一、沙妃だけは「男に体を許すことはどうしてもできない」と考え、やらずにいるようだが。
ちなみに殺人者は生殖能力を持たないため、妊娠することはない。
病気にさえ気をつければ、「女」であることを利用して楽かつ確実に金を稼げる・・・それが、彼女たちの思想であるようだ。
「妊娠しない、って・・・つまり殺人者は、子供を作れないってことですか?」
「ああ。その昔、進化の過程で退化したそうだが・・・それでいいと思う。私たちに子育てなど到底できないし、子供を産むなんて、罪深い行為だ」
エルが、メニィにそう答えた。
やがて、道の脇から異形が現れるようになった。
主に現れたのは、全身がピンク色をした狼の異形。体長が3メートルほどあり、前脚から鋭いトゲが生えている。
「あれは、『血狼』と呼ばれる異形だな。見た目と凶暴性とパワー以外は、普通の狼とさほど変わらん」
亮はそう言いつつ、鞭を取り出して振るって一歩前に出た。
「数は3・・・いや、5か」
雪の向こう、ぼやけた視界の中から影が滲み出るように現れる。
次の瞬間、それは一斉に輪郭を持ち、牙を剥いた。
奴らのピンク色の毛並みは雪の白と混ざり、妙に生々しい色合いをしている。前脚のトゲが、わずかに赤く濡れているのが見えた――さっきまで何かを食っていたのだろうか。
「奴らは群れで獲物を囲む・・・散開しよう!」
エルの声と同時に、群れが跳んだ。
一直線にこちらへ突っ込んでくる1体を、俺は1人で迎え撃つ。
右手に炎を灯し、斧にその熱を纏わせる。
振り下ろした一撃は、血狼の首筋に深々と食い込んだ。刃に乗った火が一瞬で毛皮を焦がし、肉を裂き、骨を断つ。
しかし・・・確かに致命傷を与えたはずのそれが、なおも前脚を振るってくる。
咄嗟に体を捻り、トゲをかわす。
頬をかすめた風圧だけで皮膚がひりつく。
「こいつ・・・!」
反撃の隙を与えず、もう一度斧を叩き込む。
今度こそ頭部を粉砕し、血狼はその場に崩れ落ちた。
その様子を横目で見ながら、亮が舌打ちする。
「一撃では止まらないか・・・いや、わかってはいたが、面倒な連中だ」
彼は鞭を振るい、別の血狼の脚を絡め取った。そしてそのまま引き寄せ、左手に炎を燃やして叩きつける。
すると、血狼の体が一気に炎に包まれた。
焼ける音と共に暴れ回るが、亮は風の術で周囲の空気を操り、炎をさらに煽る。
「逃がすものか」
炎と風が絡み合い、獣の体を内側から焼き尽くしていく。
さしもの異形も、これにはその身を焼かれて力尽きるまでそう時間はかからなかった。
一方、未菜の前にも1体が迫っていた。
血狼は低く唸りながら、鋭いトゲを突き出して突進する。
未菜は動かない――いや、ほんのわずかに扇を開いただけだった。
「[千鳥舞踊]」
突き出された前脚が、見えない壁に弾かれるように逸れる。そしてその勢いを利用するように、未菜は一歩踏み込み、扇を滑らせる。
次の瞬間、血狼の首が不自然な角度にねじれた。
まるで、見えない刃で断たれたかのように。
「正面から来るだけじゃ、わたしには当たらないのよ?」
軽く扇を振り、未菜は次の敵へと視線を向ける。
エルは、すでに2体を相手取っていた。
槍を構え、水を纏わせる。
踏み込みと同時に突き出された一撃は、滑るように血狼の体を貫いた。
そのまま槍を引き抜き、返す動きで横薙ぎに振るう。
水の刃が弧を描き、もう一体の脚を断ち切った。
転倒した血狼が吠える間もなく、エルは間合いを詰める。
「眠れ」
静かな一言と共に、喉元へ突きを入れる。
血が雪に散り、動きが止まった。
沙妃は少し離れた位置で、短剣とブーメランを使い分けていた。
「そっちには、行かせない・・・!」
投げたブーメランが弧を描き、横から迫っていた血狼の顔面を打ち据える。
怯んだ隙に距離を詰め、短剣を取り出して腹部を切り裂いた。
しかし、それでも血狼は倒れない。
沙妃は後退しながら、もう一度ブーメランを投げる。
今度は首元に命中し、ようやくその動きが鈍った。
そこへ俺が横から踏み込み、斧を振り下ろす。
重い音と共に、血狼の体が雪に沈んだ。
やがて最後の1体が亮の炎に焼かれ、動かなくなる。
周囲に残ったのは、焼けた匂いと雪に滲む血の色だけ。
「・・・終わったか」
息を整えながら、俺は周囲を見渡す。
同時に、自分の言葉を少しばかり訂正したくなった。
なぜなら、言った後に気づいたからだ──今のは、「終わった」のではなく、いわば「始まり」に過ぎないのだと。
風の音だけが、やけに大きく響いていた。




