愚者たちの末路・明と暗
湯の温度は40度くらい。
決して熱いとは言えないが、ぬるくもない温度である。
本来なら水の中なので何も聞こえはしないのだが、この形態であるからこそ、俺は鞭毛の一つを水面までだし音を拾っていた。
ちなみに、鞭毛というのは細い毛の様な細胞である。
入ってきたのは三人。
いずれも女性だ。
声の質からしてネリウたちであるのは間違いない。
ちくしょう、河上のヤツ見まくってやがんだろうな……
声は聞こえど目は見えず。
全く、自分で変化しておきながらこの形態の不便さを今日ほど呪った事はない。
「ちょっと、待って」
唐突にネリウが会話を止める。
「どうしたの?」
「……いえ、さっき河上君が聞きに来たでしょ」
「まさか、先にここに来て覗いてるとか言う気か?」
行動がバレてる。
まぁ、わざわざ確認した訳だし、推測されないはずがなかった。
つまり、俺たちの聖戦は初めから敗北が決まっていたのだ。
「ええ。そしてもし、男子のどちらかが来ているのならば、ここに隠れている可能性が高い」
「そ、それでバスタオル絶対着用。なんて言ったんだ。ありがとねネリウさん」
ふっ。バスタオル着用か。
河上が悔しがっているのが目に浮かぶぜ。
目、ないけどなこの形態。
「さて、そこで問題。もし、何かが隠れる事ができる場所といえば?」
そして、彼女たちは無言で……たぶん一点の方向を見る。
即ち、たった一つしかない隠れられる場所に。
今、絶体絶命なのは俺ではなく河上だ。
自爆してくれたあいつに感謝せねば。
「ウォル・フェ」
あ、詰んだ。
と、思ったものの、河上の方が先に動いていた。
空気振動なので俺にはよくわからなかったが、ネリウの魔法着弾直前に、赤い風となって正面突破にでたらしい。
手塚と大井手の小さな悲鳴が起こる。
「な、何今の……」
「やっぱり、隠れてやがった……アレって変身ヒーローっぽかったよな? ほら、テレビで何度か見た気がすンぜ。赤かったから容姿までわかンなかったけどな」
バッチリ見られてますよ河上さん……
「河上君ね。彼、自分で変身ヒーローだって言ってたから」
「よし、後でシメよーぜ」
さらば強敵と書いて【とも】よ。お前の死、無駄にするぜ。
「……じゃあ、薬藻君は覗きにきたりしてない……のかな?」
「まぁ、あそこはスペース一人分だし、隠れる場所ねーし。あいつはいねぇって。こンなとこで覗きなンつーアホな真似はしねーだろ」
ゴメン手塚、俺、ここにいます。
安全を確認して、ネリウたちは浴槽へと入ってくる。
じゃぽんと音を立て近づいてくる足に、思わず鞭毛を戻し、湯船の底でじっとする。
バレませんように、バレませんように……
「あれ?」
不意に、体を誰かに掴まれた。
「何コレ?」
大井手が浴槽の底に沈んでいた異物を取りだす。
それは、丸い球体を鞭毛で覆ったものだった。
両手でようやく抱えられる大きさの生物? を見て大井手は首を傾げる。
抱えるように持ち上げてくれたので鞭毛の先に柔らかな双丘が触れる。
おおお、これはまさか!?
くそっ、目が見えないのが辛い。
確認したいが下手に動けばバレかねない。
これはアレなのか? それとも別の何かなのか?
気になる。気になるぞ。
今すぐ変身解いて調べたいくらいだ。
しかし、俺はその衝動を必死に抑えつける。
両手で持たれている今の状態では、鞭毛を動かす事すら死に繋がりかねない。そもそもが風呂場にこんなものが入っている事自体異常なのだ。
俺は……この風呂場を生きて出られるのか?
「何それ? マリモか? でかっ」
「……ええ。ウチで飼っているマルモです。浴槽に沈めといてください。外
に出し過ぎると溶けて臭くなりますよ」
大井手は即座に湯船に投げ捨てた。
な、なんとか危機回避か?
ネリウが飼っていたマルモに感謝しとこう。
まさかそんな生物がここにいたとは。
異世界ってすごい。
しかし、この形態では目が見えないのが難点だ。
目の前のパラダイスが全く見えない。
音声オンリーとかあまりに酷だろう。
まぁ、着ていた服は変身したことで俺の改造人間体を構成する一部になっているから見つかる事もないが、変身解いたらずぶ濡れだな。
どうやって乾かそう。
しばらく、水底にたゆたう。
俺の怪人形態は、元になった生物の特性上、幾つもの形状変化を行う事が出来る。
容量的におかしいだろと思える程に圧縮された球体となっている今も、その形態変化の一つである。
姦しい三人組は一時間もの長湯を楽しみ、ようやく引き上げていった。
誰も居なくなった湯船に、俺はゆっくりと浮きあがる。
感覚器で周囲にはもう誰も居ないと確認。
形状を戻し、変身を解く。
すでにずぶ濡れの衣類は水分を含んで大変重く、貼りつきやすくなっていた。
洗い場へと上がる。
湯が滴る感覚に不快感を覚えつつ、脱衣所へのスライドドアに手を掛けようとして。止まる。
脱衣所に一人の気配。
河上が入りに来たらしい。
なんだ、河上か。と思った瞬間だった。
「薬藻、ハーレムを味わった感想は?」
……あれ? この声河上……じゃない?
聞こえた声は明らかにネリウのものだった。
全身に冷や水を浴びせられたような気分だった。
「湯船に手で抱えるほど巨大なマリモなんてあるわけないわよね。誰かさんが変身でもしてない限り」
完全にバレていた。
俺から反応がないと知ると、ネリウはドアを強引に開き、浴室へと入ってくる。
もちろん服を着たままだ。
逃げる暇などなかった。
「や、やぁ。よくわかったね」
「マルモなんて存在するわけがないでしょう? 感謝しなさい」
「それって……まさか、黙っててくれるのか?」
「そうね。黙ってあげてもいいわよ? その代わり、私を手伝ってくれるなら」
「手伝う?」
「ええ。でも、話をするにしてもここはダメね。服を乾かしてあげるから、このまま風呂に入りなさい。話は明日、改めて」
と言って脱衣所に戻って行く。扉の向こうで振り返り、手だけこちらに出してくる。
「服、誰か来る前に早く」
「お、おう」
俺は言われるままに服を脱ぎ、彼女に渡して湯船へと入る。
女子が入った後のお湯だとか、服を隠される危惧とか、そんな些細な事はまったく思い浮かばなかった。
幸い服は乾燥機にかけたように乾いた状態で折りたたまれていたので問題はなかったのだが、少々頭が回っていなかったようだ。
ネリウがちゃんと乾かしてくれてよかった。感謝しとこう。
しかし……何を手伝わされるのだろうか?
秘密を握られた手前、よっぽどのことをやらされそうだ。
誰かの暗殺くらいならなんとかするが、一日絶対服従とか言われたら速攻に逃げよう。ドSなのは首領だけで十分だ。
追伸。
部屋に戻ると河上が簀巻きにされて床に転がされていた。
顔はボコボコだ。
しきりに痙攣を繰り返している。
当然、放置して寝る事にした。




