魔王
「魔王さま、起きてください」
アグネである者はゆっくりと目を開けた。
「どうなった?」
冷たい視線を宙に浮いている養護教諭に向ける。
「ヒィミナは結界の外へ。黒幕に殺させました」
「で? やはり黒幕だったか?」
アグネである者は淡々と言葉を紡ぐ。
「ええ、人間の泣き叫ぶ顔が見たかった、温かい血を浴びたかった、と。あいつらが乱獲したせいで激減したのに」
養護教諭の声は低く冷たい。その者たちへの怒りが滲み出ている。
「黒幕と協力した者たちは結界石に変え砕き、結界の境界線一回り外側に撒きました」
「懲りておらぬかったか」
アグネである者は愚かと呟いた。
「だが、これで少し結界を広げられるか」
人間の数は順調に増えている。結界内が少し手狭になってきていたからちょうど良かった。
「……。ここが最後の箱庭だというのに」
何百年前、魔族と人間の大戦争があった。勇者や聖女がいたにも関わらず人間は惨敗した。魔族によって人間は蹂躙乱獲されその数が激減した。しかし困ったのは魔族だ。魔族の糧は人間の生気。人間を丸ごと食べる魔族もいるが生きていくのに本当に必要なのはその生気であった。人間の激減で生気を食べられず餓死する魔族も多数出てきた。
そこで魔族の王、魔王は人間を保護する箱庭を作った。管理する魔族しか入れないようにし、人間を守り増やすことにした。そうして出来たのがこの国だ。
そして、この国を守っていると云われている結界には魔力と共に人間の生気が含まれるようになっている。結界の外にいる魔族は結界に触れ生気を得られるようになった。人間が一日ダルいと感じる生気で魔族は半年ほど生きることが出来る。結界の生気を順番に得ることによって魔族が餓死することは少なくなった。
だが、人間は弱く一度に十日分の生気しか流せない。それ以上流させると簡単に死んでしまう。
だから、視察も兼ねて魔王は人間の体に生まれるようにしていた。生活の中で微量ずつ人間の生気を集め、数ヵ月に一度大量の生気を結界に流し外にいる魔族に与えていた。
だが、魔族にも愚かな者たちがいて、今回のように結界を破壊し箱庭にいる人間を恐怖に陥れ貪り喰いたいと企てる。もうここにしか人間がいないというのに。
「マイラルとの婚約はどうしますか?」
養護教諭の言葉にアグネである者は眉間に皺を寄せ目を細めた。
「あれしきの魅了にかかるとは……。王家もしっかりテコ入れはせねば」
勇者と聖女の子孫である王家の者に魔王は中々生まれることが出来なかった。どうにか血を重ね、今回やっと王家の血を微かに引く公爵家の娘に生まれることが出来た。
「次は王子に生まれたいからのう」
アグネである者は小さく息を吐いた。権力のある所にいると人間の生気も集めやすい。それに人間の中の善からぬことを考える奴らも排除しやすい。
「それに擬似人格はマイラルを好いておるようじゃ」
魔王はいつもは深層心理で眠っている。普段の生活は人間として自然に育った擬似人格に任せていた。今はマイラルたちの行動で傷ついた擬似人格が深層心理に沈んで目覚めることを拒んでいた。
擬似人格が目覚めぬようならどうするか考えねばならぬが、しばらくは静観するつもりだ。
「示しがつきませんから、十分に反省させてからにしてくださいね」
そう言って養護教諭はパッと消えた。
アグネである者は呆れた息を吐いた。
「反省? あやつも人間臭くなったものだ」
とりあえず魔王も深層心理に沈むことにした。
擬似人格を起こしたいのなら、マイラルたちが頑張ればいい。擬似人格の負った心の傷は深くそう簡単には癒せない。それでも毎日かかさず訪れるマイラルの呼び掛けに僅かにだが反応を見せている。
精々頑張ることだな。
アグネである者はゆっくりと目を閉じた。
お読みいただき、ありがとうございます
「勿体無かったなー」
養護教諭は椅子に凭れ呟いた。
ヒィミナのことだ。スカウトしようと思っていた。魔力のない者たちから生気を集める係に。順調に人間が増えてきたから人材が足りなくなってきている。
「いい稼ぎ手になっただろうに」
人間は小さなことでいざこざを起こし、生気を無駄に消費する。時にはその命まで取り合い奪い合う。魔族の貴重な糧なのに本当に粗末に扱ってくれる。
だから、そうならないように適度に生気を吸い取り治安維持に努めていた。
「まっ、また見つかるだろ」
軽く考えるしかない。それに彼も自分の学園(餌場)を荒らされて怒っていた。
「せんせー、治癒して」
「またお前かー。ここに座れ」
治癒しながら生気を少し貰う。学園には元気な生徒が多く生気が有り余っている。
だから、養護教諭の仕事は美味しすぎて辞められない。
これにて完結です。
 




