-792話 姫巫女降し 66-
「伝令として使用していた、100騎は無事でしたが...それ以外は」
討たれた死体を引きずるように、馬だけが城内に帰ってくるという姿が目撃され、そのすべてが物言わぬモノとなって帰隊した。袋小路から命からがら抜け出た兵も、身体を震わせながら嗚咽の混じった声で、咳込んでいる有様だ。
もはや戦意なんてものを、どこかへ置き忘れてきたような雰囲気だ。
「俺抜け出すとき、ぐにゃっとした柔らかい何かを踏んだんです」
その何かが人であることは分かっている。
しかし、それを思い出したくないという力も働いて――“何か”に代えている。
恐らく踏まれた兵も、踏んだ彼に手を伸ばして叫んでいたに違いないのだが。
「地獄絵図です」
短く、虚ろな瞳の兵は、元5千人将へ告げた。
撤退できた兵は3千人いるかも怪しい戦力となっている。
「投石機は?」
「用意しましたが...」
「では、遠慮なく使えばいい」
首を振る。
いや、振ったのではなく俯いていた。
「無理です。操作できる兵が多数行方不明か、死んでいる状態です。また、仮に城を爆撃したところで大した被害は見込めないでしょう」
と、現実を突きつけた。
最初の段階で、兵を失い過ぎたのだ。
丘陵の上に立つ城はそう見えるだけで、館である。
総石作りという立派な館だ。
そこへ爆撃したところで被害は軽微だ。
城の前に、そこへ至る前に撃退されたのだからだ。
「では?」
「攻城戦は守備兵力の10倍が望ましいと言われています...が、あれほどの巧みな防御陣地の前では、100倍でも難しいと」
言葉に詰まる。
元5千人将が次に選ぶ言葉を先読みする――「なりません。もう、これ以上は...」
「我が王は、決断されたのだ。敵の誘い手に乗られて我らを送り、そこで敗退させられたのでは...もはや笑いの種である!」
「ですから、全滅ではなく威力偵察による損耗で...済ましていただきたい。5千で2千強では潰走にもちかい惨敗ですが、それでも今はその恥辱に耐え再起の機会を待つべき時です。ここで全滅するのは、私のプライドも!」
「そうか、やはり貴殿は...なるほど」
兵権を失った将は、再び甲冑を身に着ける。
「何を?!」
「俺自ら諸兵の前に出る! どうせ、散らす命だ...戦場で潔く散って見せようぞ!!!」
と、抑え込む幕僚の手を解きながら、馬に跨り飛び出した。
追従する兵はなかった――孤軍奮闘とでもいうか。
勇敢と無謀をはき違えた男の行動だ。
「副将閣下?」
「いい、無念だが私に人を見る目がなかったということだ。全軍は負傷兵を守備して撤退する。この戦いは、これで終わりだ...」
前哨戦だが、将軍が居ないエスカリオテ軍に勝機もないと、副将は深いため息を吐く。
《今後、私のような古参の代将らが、5千や1万の将兵を率いる指揮官に抜擢されるのだろう。しかし、その他の指揮官の横で支えていた有能な幕僚も、今は数が少ない...兵も、同じだ...》
◆
元第八皇子領の都“バトマヌ”へ、第2方面軍が侵攻を開始した。
軍務卿ガラハット将軍の軍団である。
遠征軍のほとんどは、他方からの寄せ集めで出来上がっている。が、長期間にわたって同じような場所で寝食を共にしてきた兵の間では、家族以上の結びつきが生まれていることがある。それは、将軍という地位にある者とて同じで――方面軍の解体後も、遊撃軍として卿の下に残っていた。
数は5万程度であるが、国の事情に振り回されない私兵にちかい。
その兵力が南下して、バトマヌへ侵攻してきたのだ。
備えの無い都市は瞬く間に占領され、版図の色が塗り替わる。
第七皇子領都“ディヤバルク”とは目と鼻の先ほどにちかい国境線が出来上がる。
七皇子と八皇子、九皇子の荘園は隣接していた。
与える土地が少なかったというのもあるが、余り後先を考えていなかったともいえた。
そのせいで、ひとつを失うとドミノ崩しのようにバタバタと色が塗り替わってしまうのが怖いところだ。版図が塗り替わったことが大きく取り上げられる中、宰相の任に就いたラインベルクはその初めの行動に、デモンズレイク城攻防戦にて奮戦した老騎士爵を呼びつけ、彼を褒め称えた。
そして、幼帝に代わって準男爵を授与したのである。
ラインベルクが表に出てくると、幼帝の姿が見れなくなった。
玉座は空席で、その席の脇に立つ宰相という構図が目立つようになる。
◇
「他国でも話題に上がるのは、幼帝イングヴルムの事ばかりだな」
伯爵が玉座を指さす。
ことの次第を知っている人が嘯いたまま、噂を広めると手が付けられなくなる。
面白がってやっている節はあるが、
幼帝の身柄は、アルトヴァイン州みある。
第三皇子領にて学業に励んでもらっている。
どうも、王宮にいると侍女に対するセクハラが横行して、奇行に走る君主という悪イメージが結びつきそうだったからだ。中身が純粋に少年ならば発育と共に矯正すればいいのだが、中身が55歳童貞ニート、引きこもりでは打つ手がない。
貴族の矜持を叩きこんでも、響かないのであれば流すしかないのが手段だった。
「どういう噂なのですか?」
他の貴族たちも興味津々だ。
「持病をお持ちで、それがもとで寝込まれておるのだとか」
体が弱いのではという危惧はあった。
前摂政が5歳にもなった陛下を抱えているシーンが多かったからだ。
落ち着きがないにしても、少々過保護ではないかという話もひそかにあり、推測としてご病弱ではないかとなった。
その噂を承知していて吹聴している。
「なるほど、なるほど」
うなづきながら遠ざかる貴族を宮殿内の騎士たちが見ている――“食いついたか”
◇
ラインベルクの執務室には、相談役のリフルがある。
ドメル子爵領にあるのは、エセクターとその子供たちだ。
もちろん、リフルの子供たちも一緒に育てている。
「この噂で、彼らも本腰を入れざるえないだろう」
今しばらくの辛抱と、リフルに言い聞かせる。
彼女も『心配などしておりません』と返していた。




