-776話 姫巫女降し 52-
「よそ見をするな!」
伯爵から摂政に向けての忠告――。
摂政は敵だが、不意打ちを警戒している相手に“不意打ちある”と、知らしめるとどうだろうか。
警戒している癖に、誰がどんな技を用いるのかと、妙に気になるのではないだろうか。
伯爵はそれを誘った。
元はともに戦場で勇名を馳せた、者同士の忠告であるから効果は覿面だった。
目で素早く周囲の変化を追う。
この時、摂政がスキルで“知覚強化”と“敵意感知”あたりを発揮していれば、その刃は届かなかっただろう。目で追うの中で、ふと特別何でもない場所に視線が止まってしまっていた。
《ラインベルクの奴はどこへ行った?!》
――だ。
ざりゅっ。
変な音とともに生暖かいものが流れ出した。
思わず鞘を持つ腕を挙げた瞬間に、その鞘ごと左肩から肺へと刃が入り込んでいたのだ。
「な、よそ見するなといっただろうが!」
伯爵の声は届いていない。
呼吸をすると、左肩と胸が苦しい。
血の泡が口端から出てきた――ヒールは、詠唱付きで口にしないと、彼では発動しない。
「ちぃ、ショートカット...」
「ああ、エルフ特有のショートカット転移だ。神出鬼没だと思われているが、実のところは空間をグリッドで捉え、飛びたい方向をあらかじめセットしている単純な移動方法だ。狙っているものが分かっていれば――」
「容易に排除も可能...か?...ごふっ」
血を吐いた。
わりと重症らしい。
「摂政殿、降伏を!」
刃を突き立てたまま、ラインベルクは未だそこにある。
肩の骨と鎖骨もいかれているので、もう、左腕を挙げることもかなわない。
握っていた鞘さえも足元に落ちていた。
「ふむ、特別にあつらえたものだったが、剣術の素人にも容易に断てるのだとすれば、大したものではなかったという事かな?」
流石に未だ、憎まれ口を叩ける。
右腕は健在だが、上体を左右に揺らすようにしないと、重すぎて剣が振るえそうにない。
「そんな訳なかろう、お前に一打を与えた、ショートカットは魔法だ。それを使いこなし、一撃を見舞う...これでも不詳の弟子は、血のにじむ...」
「ああ、だろうな」
崩れそうになった身体を右手の長剣を石畳みに突き刺して、辛うじて堪えていた。
「未だだ、未だ、倒れるわけには逝かぬ。俺のすべてを奪った皇族どもに復讐するまでは――」
ショートカットで伯爵の下に戻ったラインベルクは、摂政の背中を見る。
その背を染めているのは、赤黒い彼の血である。
「師匠?」
「致命傷だ。この場にヒーラーが居なかったことが敗因だろう」
4歳児の形をした、おっさんは泣きながら生還を讃えた。
彼にとっては強大にして恐怖の養父である――が、甘やかして国を傾けるよりかは、或いはこの幼帝を立派な王にすることもできる人物を失ったのかもしれない。
が、それは諸刃の剣だろう。
彼が、国家を専横して私物化する可能性もあった。
それを防いだとすれば。
◇
摂政は、急な病に倒れて死去したことにされた。
方々に散っていた4将軍が帰還を果たし、幼帝イングヴルム前ではじめて謁見が許された。
ラインベルクは幕下にその席をひとつ得たが、出仕する旨を否定する。
別段、大した理由はないが、身に着けたスキルを磨くというとても弱い言い訳があった。
「幼帝の話では、空いているポストに就き、国を富ませる努力を...だな」
ラインベルクは首を縦に振らない。
「まったく魅力を感じません。妻であるリフルの身が今後も脅かされない保証はありませんが、それでもかりそめの平和――」
と言いかけて、口を閉ざした。
伯爵の目が怖い。
「エスカリオテ州の例の国は、我ら4将軍の威光で今は大人しい。だが、帝国の行く末を考えるとやはり、後継者が必要だ。私にとってはお前が弟子であるように、他の3人にも見合った弟子が必要なのだが...それに協力してはくれんのか?!」
「協力って、ガラハット卿にはオウル公が似合いかと思われますが。あとのひとり...は、既に他界しておられますし...どうやって? ゾンビ将軍にでも成られてるんですか?」
少し無茶を言ったつもりだが、伯爵は『なぜ、お前...それを』なんて、意味深な返し方をしている。
ラインベルクの目が点になると、彼も察して。
「ええい、薄情な弟子だ!」
「薄情じゃなくて、魔術をマスターしたいのですから、弟子のやる気を削ぐようなことを言わないでください。ショートカットだって、あれ...マグレですからね。その証拠に」
「左の外へ少し流れておったな」
「わかってるじゃないですか! もっと内側に出て振りぬけばもっと」
苦しくない死に方を迎えていたかもしれない。
という甘えたことを見透かされて、
「だが、それでもアイツは、右へ半歩横にステップをして見せて一番辛い死に方を選んでいたと思うぞ?! まるでこれが、暴君の末路だとお前に見せるためのような、恐らくそんなつもりでだな...」
「まさか?」
首を傾げ、難しい顔に歪ませた。
「だが、これで正面の敵は、エスカリオテ州のみだ」
帝国の正統性を掛ける戦いではあるが、従属国は静観を決め込んでいる。
新体制の新しい帝国か、或いは旧体制を継続する帝国かという、戦いにおいては自前で兵を集めるほかない。
すべての従属国に認められるかが問われる戦いが迫っていた――。




