-766話 姫巫女降し ㊸-
「新生帝国と、エスカリオテ州とで小競り合いが起きたよ」
マルは、西洋の教会向きではない祈りをささげると、祭壇に今朝採ったばかりの川魚を捧げた。
「生臭く、いや、なんか罰が当たりそうな雰囲気だが?!」
「えー!?」
頑張って、川に入って素手で採ったんだよと、武勇伝を聞かせる。
戻ってきた司祭が祭壇の川魚を見て、驚愕していた――いや、怒っていた。
予想した通りに、生ものは、傷みが早いらしくお供え物としてはそぐわないようだ。
◇
「その小競り合い、もう少し詳しく話を聞かせてくれ」
場所を移した二人は、街中のカフェに身を寄せた。
人々が石畳みを行き交う中、オープンテラスで珈琲を飲む。
角砂糖は、ラインベルが2つで、マルは3つほど入れた。
「――ミルクを足せばよかったな」
「普段から飲みつければ、その渋さも慣れるんじゃない?」
いや、元居た世界でも父親の書斎に潜り込んでライトノベルを読み漁ったカルスの舌は、薄めの珈琲にミルクと角砂糖2つが定番だった。ミルクの方は、搾りたての濃い生乳を使っていたほどである。
生乳は高い脂肪分を含み、珈琲の渋みを和らげてくれたものだ。
「...いや、俺は今でも慣れないな...」
「じゃ、さっきの話に戻る――」
マルは、方々に放っている魔物たちの斥候の成果を彼に伝えた。
小競り合いが生じて、小火となったのは元第七皇子領・境界都“シィルヴァン”。
暴発した兵は、新生帝国所属の騎士爵であるった者だ。
現場の近くに、猫の額ほどの小さな荘園を持っていた騎士は、いつも通りに夜警として国境警備に参加していた。その折、それまでの心労と、寝不足による体調不良も重なって、夜這いを掛ける青年たちの影を敵襲だと勘違いして、対岸の夜警にむけて火矢を放っていたというのだ。
放たれた矢の着弾地点も運が悪く、追い風に押されて大きく跳躍し、矢は収穫前の麦畑に落下。
瞬く間に畑を延焼せしめたというのだ。
その被害は、4人家族の1年分(約12エーカー)の7あるいは8倍に匹敵する、100エーカー以上の規模に達したという。
その村の今年の収穫は絶望的となった。
「それは、まあ。偶然だろ?」
「偶然だから、悪気はないという理由で納得できると思いますか? やられた側にすれば、40人ちかい村の一年分、領主に納める年貢の分も含みますから、昨年の残りでまる一年以上を無理にでも食いつないで行かなくてはならないという、そんなむごい話が通じると思いますか?」
時々、マルの言葉がぐっと胸に刺さる時がある。
マルは、ボロボロの状態で拾われるまで、多くの国や荘園を見てきた。
楽園を想像させるような平和だった国が、一夜で滅びるさまも見てきている――飢餓に苦しむ荘園のまるで、野生の王国のような殺伐とした世界も見てきていた。
「いや、今のは失言だった」
「この事件によって、今のところは小火で済んでのところで踏ん張っている状態です。が、摂政殿の方は薄氷を踏むような状況にあるようです」
「その評価だと、俺たちの戦力が閣下にとって命綱に」
ラインベルクの中では、摂政となって敵対しているように見えても、宰相は宰相のままのように見える。この世界で気軽に話せた仲であるからだ。が、ラインベルクを取り巻く人々たちにとっては、主人を殺しに掛かろうとした罪人と同じようにみえていた。
温度差がありすぎる。
「あ、いや、マルがそういう顔をするのは理解できる...」
珈琲に映る、己の表情に目を向けた。
明らかに落胆のなかにあった。
「カルス殿が、そういうスタンスなのは承知してます。でも、もう乳離れしてもいいと思うんです...恩は返したと思いますし、巣立ちを促すサインだと思えば、少しは気が楽にならないでしょうか」
「巣立ちか...ありがとう、マル」
心配をかけているなあと、思ってしまった。
と、同時に大きく深くため息を吐く。
「その小火が大火になる可能性は?」
「十分にあると思います。いえ、その兆しがあるので報告しに来たのです」
◆
新生帝国も、エスカリオテ帝国もだが、衛星国の取り込みという外交政策にたいして、それぞれが目の前の敵に対して焦りすぎてしまった。
思惑とは裏腹に、各国は距離を縮めるのではなく逆に、バランスを取ろうと距離を開けにきているし、エスカリオテ帝国も似た事情で、その差が縮まろうとしなかったのだ。他国にとってはしょせん他国なのだ――先帝の陪臣たちが衛星国の領主となっていることが多い。
その彼らを、半ば使い捨てるような態度を取ってきた帝国本土と、温度差があって当然だということに気が付いていない。
まあ、彼らの本音を言葉にするならば――都合が悪い時だけ、喉を鳴らして近寄ってくる。まるで猫のような連中だ――と評価している。
これは、エスカリオテ王とて同じなのだ。
◇
「帝国の正統なる後継者は、我が陛下のみ! よって、貴国は帝国に変わらぬ忠誠を誓うのは至極当然のことではないのかね?!」
やはり、中央に住む者たちの高圧的な物言いには、どこか癇に障るものがある。
かつて、その帝国で禄を食み、家族を養ってきた元将軍の王は、目を細めながら使者の物言いを静かに聞いていた。
が、どうにも自分勝手な、都合のいい言葉しか聞こえてこない。
「それぞれ二つの国が、己らに正義があるという。我らは、帝国に対して従属しているのと大して変わらぬが、その帝国とは本来であれば、ブルーメル・イスでありイス・エスカリオテではない...それはご承知か? いや、まさかお忘れではないな?」
別室にあったブルーメルの使者を呼び、エスカリオテの使者と対峙させた。
「そこで、ブルーメルの使者に問う。我が国の外征事業に当たっている兵はいつ帰還できるのでしょうか?」
使者の目が点になっていることは分かっている。
帝国本土内でガタガタに揺れ動いているのに、今までと変わらずに外征できるはずもない。
ならば、これらの事業が白紙化されるのは自明のはずだ――と、突きつけたのだ。
エスカリオの使者は――
「ならばこうしよう、我らの王の味方をしてくださるのなら、貴国の兵を速やかに帰還できるよう取り計らおうではないか!!!」
口約束というか、空手形みたいに聞こえる。
この約束が守られるいや、実行できる当てがないような気がしてならない。
こういう風に両国の使者が、衛星国で暗躍していたのだが、纏まる事はついになかった。




