-765話 姫巫女降し ㊷-
「帝国の諜報機関がこれだけ動いているのに、伯爵の姿を見失ったというのか?!」
伯爵とは、西部戦線で遅参しますよ宣言していた、シェイヴァン・エセクター伯爵の事だ。
彼が、宮廷魔導士のミリアム・エセクターの兄だということは知られれていない。
よく似た名だな――という認識くらいのものだ。
これはふたりだけの処世術である。
どちらかが対立する何者かの手に落ちた場合、身内であるということはリスクであるという考えだ。
悪魔が、悪党によって脅されるというのは、やはり恥ずかしいものである。
そうした理由から、知っている人間はとにかく少なかった。
◇
「これは摂政閣下」
王宮の一部、日陰の多い部屋のひとつに諜報局――王の密命を遂行するという“枢密局”がある。
先の帝国にはなく、摂政となった後に作り上げた秘密の組織である。主要となる任務は多岐にわたり、活動の手本となっているのは、ラインベルクの者と類似する。
政敵の暗殺、情報収集、工作、革命支援など、まあそのすべてにラインベルクがかかわり、記録されたものだ。
「よい、仕事を続けろ」
部屋のうす暗さは天然だ。
日当たりとして本来ならば十分に景観の良い立地に恵まれた部屋だった。
が、いつからか大樹となった木によって窓の景色は奪われ、そして光も失われた。
日中でも蠟燭が必須という部屋になってしまった。
枢密局の事務員は15名。
局長は軍での千人将が就任しており、機密性たかさから終身雇用的な扱いとなっている。
局長を辞するときは、その見知った内容すべてを、墓の中まで持ち込むこととしていた。
それが条件だ。
「北方軍の残兵は期待できるか?」
伯爵捜索以外の案件である。
局長は手を止めて、摂政の方を見た。
本当は瞼を固く閉じて、スルーしたい気分だ。
「かき集めるほど残っておらず、散り散りですから現時点で。それぞれが個別に国元へ帰還できるかの方がかなり怪しい状況です。ハイランドの脅威はもうないのでしょうが、各個に少数となった兵の前に、盗賊でも物取りであっても、憔悴しきった彼らには抵抗できないと――」
そんなやり取りが、聞きたかったわけではない。
摂政としては、外征事業に出払っている帝国兵を、本国に集めた場合の概算が欲しいのだ。
軍事力的に相手を凌駕しているところを見せつけることで、単純に相手より有利な交渉ができると信じていた。
「申し訳ありませぬ。現時点では、地方の最前線にあるはずの大将軍たち、彼らの動向を知るに至りません。いえ、東部戦線のガラハット卿は、ヴォルグラード王国にて休息しているという話です」
消息不明はふたり。
エセクター伯爵と、シヴァ将軍だ。
後者のシヴァは、カブールの港町にて目撃されていたが。
その目撃談も、数週間前の事であるというのだ。
「なるほど、大将軍たちは俺の意に従わない...そういう事なのだな?!」
「恐らくは...といえるかもしれません。しかし事はデリケートな...忠誠心を探るという案件ですので、仔細な調査を待って、結論を出したいものです。安易に目の前の答えに飛びつく必要も」
摂政の冷ややかな視線が、伏せているとはいえ突き刺さっているのは分かる。
だが、強大な兵力を有している、返上前の兵権を持つ将軍たちを“不忠の者だ”と決めつけるの容易い。ただし、本当は忠義の熱い人物だった場合の損失も大きいのだ。
「彼らが勝手をしているのなら、その証拠を集めよ。そして、必ずや我が...いや幼年の陛下の前で膝を折らせるのだ!!!」
◆
ラインベルクは、教会で祈りをささげている。
三皇子領にある大聖堂は、荘厳の極みである。
2本の大鐘楼と、宮殿のような館が特徴で、天井まで吹き抜けで作られていた。
天井画と壁画、ステンドグラスは、それぞれが芸術的な仕上がりだった。
経典の天地創造というのがテーマだと、聖堂の司祭は解説してくれた。
「教会と王家は同じ神を崇めているのですよね?」
ラインベルクの問いに司祭は、頭を深々と下げて――
「その通りです。聖女信仰とも言われますね、超自然的には“女神信仰”でも同じ意味となります...」
「それは公に認めてしまってもいいのですか?」
司祭は軽めに微笑み、はにかんだ。
「教区としては、分かり易いに越したことはありません。神は常にただ一人なのだと、信仰すべき神を形どるものが例えば、本質的に女神、聖女を害するものでないのであれば...呪うもので無ければ、イメージしやすいものとして受け入れてくれれば問題はありません」
「竜を御する乙女でしたよね...王家は、ドラゴンスレイヤーだとする根拠だとか」
「そのような話ですね。先の皇帝陛下のように一種の呪いと同じような、人の姿から亜人種へと変容するのは、ギフトだと捉えております」
「えっと、俺の嫁のリフルにも...その、クマになるんで」
目を丸くする司祭。
が、落ち着き払ったように――
「過去、数えられる程度の者が、クマへと変貌したしたそうです。そのすべてが偉大なる傑物と導かれたり、傑物と出会ったりしたと言いますから、リフル殿下もそういう星の下に生まれたのかもしれませんね。できれば、教区へお越しいただかれて今一度、祝福を受けられると良いのかもしれません」
と、司祭は一礼した。
彼のほくほくとした表情は今、一番明るく見えた。
◇
「で、そんなところで殊勝に祈っているお前は、俺に何か仕返しでもしたいのか?!」
と、柱向こう、背中を丸めている小動物に声を掛けた。
「教会の中だからお静かに――」
マルのつぶやき。
椅子の間に頭を隠してたそれが、覗き込むようにラインベルクを見る。
ジト目だ。
「子爵領で何かあったのか?」




