-762話 姫巫女降し ㊴-
新生ブルーメル・イス帝国の第11代皇帝の座に、4歳になったばかりの少年が王冠を被った。
今までの歴史の中で、幼年の皇帝が居なかったわけではない。
生まれて間もなくという状況で、玉座についた皇帝と摂政となった母親の治世もあり、いくつかは例のある展開だ。
しかし、どれもが短命に終わっていた。
血統であれば、よくも途切れることなく続いたものだと言える。
◇
およそ同じ時期に、エスカリオテでも戴冠式が行われた。
第六皇子がブルーメルの正当なる後継者だと宣言したようだ。
「片腹痛いとはこの事だな」
宰相から、正式に摂政へと上がる。
4歳の皇帝の後見人という続柄となっていた。
その少年王は落ち着きがないので、常に人前では彼を抱えるように立ち振る舞わなくてはならない。
「ですが、明らかな敵に指定することができましたな。と、なると獅子身中の虫となったのは...」
「ああ、だが未亡人となった、リフル殿下を我がもとに招きという計画は頓挫する。しかも幼年皇帝から禅譲で皇帝の位を奪うのも人道に反するとなれば、八方塞がりだ。今この状況では国父あるいは、摂政で我慢か」
ラインベルク一党は王の列を乱した罪人程度だ。
しかし、今となっては当初の計画を大幅修正せざる得ない。
罪人相手に兵を挙げる。
ありえない――摂政の気分を少々逆なでしただけだ、そこまでの罪でもない。
見張りを置いたのは、逃げ出す者というよりも真実を知ったラインベルク本人から、彼の大事なものを奪ってやったと見せつけるためだ。それが内側から崩れたという程度の話なのだ。
だから、もはやリフルの皇籍の件も、うやむやである。
結局一番、シンプルな方法で行動したのだ。
ただ、幾ばくか心残りがあるとすれば、リフルを手元に置けなかったことだ。
双子の目の前で、母親を犯すという行為を見せつけられないことに対してのみ、彼は至極残念そうに、ため息を吐いてみせた。
長年付き添っている副官も、彼のこの性癖には共感を得ることはできない。
副官はあくまでも軍事的、政治的助言者という立場を崩していない。
それ以上、内側に入ろうとはしなかった――いや、したくなかった。
「あちらは、身構えているだろうなあ」
「閣下を知らぬ者であれば」
薄気味の悪い間が流れた。
沈黙というか下種な思考が漏れたというか。
「よしよし、暫くはそのまま首を引っ込めておいてもらおうか」
◆
結局、何もなかった。
隊列を抜け出した後、三皇子領にも何もアプローチがない。
新生皇帝が立った後の事だが、もう2週間が過ぎても何もしてこない。
その代わりだが、エスカリオテで皇帝と自称した六皇子側との間で、開戦するんじゃないかという話がもちきりである。
噂の出どころは、摂政サイドの方だろう。
両国とも、帝国の本土内での力の差は拮抗している。
兵力ではやや、六皇子側に有利な雰囲気があった。
「この戦争は互いの国力を掛けた壮絶なる消耗戦となるだろう」
北域鎮台府周りで帰還中のラインベルク一行である。
転移門で帰らないのは、それが急ぎのものではないからだ。
その間で、ラインベルクには魔法の習得を全力で行わせている状況だった。
「こんな場所で、国家総力戦だなんて聞くなんて」
「ほう、君の居た世界でも?」
「いえ、似た本が...ありまして」
ライトな方のノベルだなんて言っても理解されないだろう。
この世界の本といえば、対象は羊皮紙などが一般的だ。
ちょっと癖のある匂いがするが、入手困難なパピルス紙に比べれば手軽だし、需要と供給に耐えられる。とはいっても、これらはやはり高価であることは間違いない。
よって、利用される機会も限定されてきた。
「ふむ、カルス殿のは兵法書も読むのか大したものだ」
《いえ、伯爵...俺は、そっちのでは...》
毎日ではないが、辛くなれば――かつての記憶を頼りに、夜な夜なトイレでシコシコと自家発電する。
およそ、そちらの本が好きなクチであった。
一応、健全な青年であるが、今は二人の嫁を持つ身であり、思い出すのはそのふたりの妻の身体であった。
薄れゆく懐かしき世界――か。
「しかし、ちと大きな存在になったな...」
伯爵は瞼を閉じる。
ラインベルクには今や、四人の大将軍が後ろに立っている。
とは言っても、現職の帝国軍人であることは枷でしかない。
どこまで味方でいられるかだが――。
「...っ、危なくなったら、逃げても構いませんよ」
こんな緊張の張りつめた中でいわれるような言葉じゃない。
思わず後ろからついてくる、オウルが吹きだしていた。
そして伯爵もだ。
「え?!」
「いや、君は面白いな...危なくなったら...か」
「いや、それはない。私は将軍だ。将来、君の腕となる者であるから、今、ここで君と戦友たるオウル君を置いて逃げるような真似はしないとも。確かに私には、陪臣としての俸禄と領地がある。が、それはもとより辞退した後に“忠義”の為だとして賜ったものだ、先の亡くなられた皇帝からだ...。だから未練なんてものはこれっぽちもない」
結局、この数十年一度も訪れなかった領地だ。
伯爵にとっても、最初から自分のものというイメージが持てなかった地である。
「私は、とことんまで君を支えよう」
その背後にある伯爵に忠誠を誓っている魔法師団と騎兵隊の3万も、一蓮托生みたいに言った。
「あちらの方々もですか?」
親指を後方へ向ける。
子爵領の兵士なんて、数えた方が早いくらいの数しかいない。
三皇子領は1万を供出してくれたが、帝国とたたかうと言ったらどう反応するか未知数だ。
「ああ、彼らも...ラインベルクの名で集まったわけじゃないが、まあ、味方だよ」
やや、勢いが沈み込む。
ラインベルクの瞳に暗い影が映りこんだ。




