-755話 姫巫女降し ㉝-
オレンブルク地方、東方戦線は膠着していた。
老い先短い皇帝の最後の行軍地でもあり、輝かしい勝利でも見せれれば彼の生涯、最も勇猛な勲章になったに違いない。が、帝国にその勢いはなくなっていた。
現地のエルフと密約を交わして、彼らを使役しながら行軍する。
東方戦線もほかの戦地と比して、変わらぬ戦場であった――敵対アルカイル王国には、武王アルタイルという戦士がいた。
この武王の下には、丸耳褐色エルフ族が参戦しており、エルフ同士の代理戦争に発展していた。
この一進一退の中で、皇帝は崩御したのだ。
◇
オレンブルクの東方戦線では、仲介役たるエルフの長老が丸耳褐色エルフ族と、アルタイル王を交えて停戦協定の調印まで事を進めてしまっていた――単なる休戦、あるいは一時的な停戦であれば、政治的判断を必要としないので、帝国宰相や国府に伺いを立てる必要はない。
だが、帝国の上級将校たる大将軍は、長期におよぶであろう停戦で交渉をすすめ、これを取りまとめてしまったのである。
この停戦の裏には、ハイランド王国の真横から攻撃を仕掛けるためにだ。
大将軍ガラハット卿は、エセクター伯の文を一瞥して、腹を抱えた――「あの若者は、宰相からの使者が到着したと同時に“この冬は、骨身に染みるであろうから、毛皮を10万人分必要である”と送って寄越したそうな。まあ、それが嫌がらせだと分からん奴ではないのに...あんな距離的に近い奴が、時間を稼いだのだ、これなら少しは答えてやりたいものだな」
と、つぶやくと。
傍に控える副官も微笑みながら「是非もありませんね」と、続いた。
「いや、まさか交渉事をすべてエルフに委ねるとは思わなかったが...」
彼の目は、にっこりと笑みを浮かべる好々爺然とする、エルフの長老に向けられた。
「今一度、誰の遣いでこられたか?」
「誰でもありません、伯爵の御使いにございます」
エセクター伯にエルフという、つながりが薄い。
魔法士を束ねる長だから、付き合いが全く無いと言う分けでもないだろうが。
それでも、エルフを里から戦場へでも、遣わすという間柄には見えなかった。
どちらかというと、逆転した主従関係に近いだろう。
「それで、武王はなんと?」
停戦の条件だ。
おそらくは一時的なものだと思っていた。
「治癒士の方々の手を、借りたいのだと言っておられました」
「治癒士の?! それは」
老人は額をはたき――
「戦死こそ少ないものの、けが人が多く薬だけでは間に合わないと...零されておりましたから、治癒士の御力にて奇跡を賜りたいとの仰せです。そして願わくば、互いの健闘を祈るとのことです」
「いや、それは殊勝だと思うが?!」
「...ふ、彼らはいい戦争できたと大変満足されておりました。知略を尽くして、ただひたすらに殴りあえたと。ま、その過程でけが人が多いので、卿の部下の手でチャラに...と願い出ております」
武闘派という肩書は伊達ではなかった、というあたりだ。
国王がそういうタイプだと、兵士たちもだいぶドライなものの考え方に染まっている。
長老は――「そうそう、期限でしたな」
と、思い出してくれる。
「これは戦後処理です...悟られないよう、早々に軍を動かしなされ」
悟られるというのは、帝都にある宰相にだ。
戦地に出ているが、ラインベルクがなかなか死なないと見なされれば、彼の立場では宰相の発行する命令書には逆らえなくなる。これでは、守るべき対象者に恨まれる可能性が高い。
エセクター伯は、四方の将軍たちを動かすのに“リフル皇女”殿下の名を持ち出していた。
長老を通じて、マルの見立てが届けられているからだ。
「あい、分かった! 全軍、西へ転進する!!」
◆
バディン戦線のシヴァ卿は、動いていない。
彼女の持ち場は依然として、この地だ――が、交渉を秘密裏に行っていないわけではない。
エルフの長老ほどに手際の良いものではない。
3年間の膠着状態こそ、帝国宰相の目を欺くための芝居でもあった。
シヴァの下に敵国の将軍が招かてある。
商人と客のような姿で対峙し、卓上に広げられた宝石をひとつひとつ吟味している。
「真面目に聞くが、宝石を見て癒されるものか?」
やや訝しむように問う。
返すシヴァもジト目で見返しながら、
「光るものは好物だ」
「食べ物ではないぞ?!」
「わかっておる! 失敬だぞ、私も女だという話だ。こうやって、光にかざしながら、指に当てたり、耳を飾り立てたり、胸を強調させるのに何がよいものかと見るのは大好きだ...と、言っておるのだ」
この3年間で行商として訪れたのは数えるほどである。
その中で、絹織物や宝石、観賞植物などが多かったと振り返った。
「ふむ、よろしい思い出しておるな」
「だが、解せぬことがある」
またか――と。
「もう我が国と貴殿らは敵同士ではないはず...なぜ、軍を退かせぬのだ?」
それぞれの方面で帝国の行く末を案じて、足踏みしていたところだ。
それは、宰相がいつ動くかというのを起点にしているからだ。
第六皇子も自らが反逆者になるのは避けたい。
次期皇帝が簒奪者では、格好がつかないからだ。
要するに誰もかれもが、メンツにこだわっていた。
市民に祝福されないのでは誰もついてこない――大義が必要なのだ。




