神馬さまと旅の道連れ(一)
朝早く、二日酔いで鈍く痛む頭をさすりながらコドーは神馬をともないフローレの北門へやってきた。神馬は頭巾で額の宝玉を隠し、コドーも平服に身を包んだおしのび姿である。あらかじめ北門の番人には通行の由、伝えてあった。胸の隠しにしまってある巡礼騎士の紋章をわざわざ見せなくても通れるはずだ。
「――おはようございます?」
「よう、遅かったじゃねえか」
門そのものは予定通りすんなり通れた。怪しい者ではないので当たり前だ。問題は門の外で元巡礼騎士のオレークが待ち構えていたことである。
「遅くないですよ?」
早朝のおつとめに忙しい司祭たちからの朝食や弁当の支度を、との親切な申し出があったのを断って教会を後にしたのである。まだ夜が明けてしばらくだ。
「いやはや、朝っぱらから苦労したんだぜ? 武具屋やら道具屋やら叩き起こしてよう。――どうだ、似合うか?」
オレークはくるりと回ると上目遣いでじっとコドーを見つめた。乙女か。初めての舞踏会で着る礼装にうきうき袖を通す乙女か。
――おっさんのくせに、何をそわそわしてるんだ。
コドーの返事を待ち心なしかほんのり頬を染めているように見えなくもない。かわいくない。いでたちそのものは齢四十近い中年男の旅装にふさわしい。昨夜屋台で酒を酌み交わしたときのしょぼくれたものと違い、生地も縫製もよい服だ。身なりを整えるともとの顔立ちのよさが印象の前面に出てくる。
――それよりも……。
オレークの剣が気になる。長すぎず、華美でもないが存在感のある拵えだ。名剣とまでは言い切らないがものはよさそうに見える。
「腰の物が気になるか?」
「ええ」
「いいだろ、これ? 重すぎないのがいいんだ」
切れ味より重量を優先しているように聞こえる。巡礼騎士を馘首されて以降、ろくに剣を握らずにいたと言わんばかりだ。しかしオレークの腰は剣を提げていてもその重みに振りまわされているようには見えない。
「重さが気になるのでしたら、他の装備を減らされればよろしいのでは」
腰回りのあちら、こちら、と目で示すと
「――やっぱりばれたか」
オレークはにい、と笑って外套の前をぱらりとめくった。斧や短剣を腰に提げているのがちらりと見える。
「もう騎士じゃないんでな、下品だとか上品だとか、構っていられんのよ」
投擲にも用いる小ぶりな斧や槍は騎士の装備としては下品であるとされる。コドーも外套の内側に短剣を隠している。旅をしていればいろいろなことがある。敵が格式を重視する人間だけとは限らない。神馬の世話から護衛からひとりでこなすコドーもまた騎士の格式より有事の備えを優先している。
「そう、そう。ありがとうな。昨日もらった神馬さまの尻尾を売って装備揃えたんだよ」
「え?」
自分のことを呼ばれたと思ったか、神馬が耳をぴん、と立てる。
「えええ?」
「そんなに驚くことか?」
「だって、だって――」
かつていたという狂信的な神馬信仰者は現在見かけない。それでも神馬の鬣や尻尾はご利益のあるお守りとされていて、熱狂を引き起こさない程度に、と釘を刺された上でコドーは法教会から頒布を許されている。神馬の尻尾がなくなっては大変なので、望まれれば誰でもかれでも譲るわけではない。だから転売しにくいように教会やソウ公爵家の紋が入っていない無地の紙をわざと選んで包むのである。教会や公爵との関係が証立てられなければ紙包みの中身はただの体毛だ。
「それらしく仕立てるのは別に難しくないさ」
おしのびとはいえ、フローレに神馬と巡礼騎士が滞在していることはそこそこに知られている。
「巡礼騎士殿はお忘れのようだが、俺も昔は神馬さまにお仕えしたことがあったもんでな」
つまり教会の紋入りの封筒やら便箋やらを手もとに残しているというわけだ。渡した尻尾は紛れもなく本物であるわけで、よい値段がついて当然だ。売値が二束三文だとむしろ業腹である。納得してもなおコドーはもやもやした。
「それでオレーク殿はまた姫の尻尾をご所望ですかな?」
「いやいや。聖都まで神馬さまとご一緒したいと思ってな」
「断る」
せっかく幸運のお守りとして渡した神馬の尻尾を売り払った男だ。一緒に旅なんぞしたら何をされるか分からない。コドーは神馬とともにその場を後にした。
街道の辻でコドーは地図を広げ眉を顰めている。厳つい大男の厳しい表情にはそれなりの迫力があるが、かたわらの中年男はものともしない。オレークだ。フローレ北門外での悶着ののち、神馬とコドーをずっと追いかけてきている。
「俺さまの豊かな経験によるとだな、道はこっちだ」
何が豊かな経験だ。まともに巡礼したのは最初の二年にも満たない。オレークは旅を従者に任せ、転移法術で聖都から直接儀式の行われる場所に乗り込んでいたはずだ。
「経験ってのは旅だけじゃないぜ」
コドーの心の裡を正確に読んだか、オレークはにやりと人の悪い笑みを浮かべた。神馬はゆっくりと瞬きしながらふたりをじっと見つめている。




