第五十一話
「はああ~、もうやる気ゼロっす……」
博士たちの部屋で机に突っ伏してダラダラしている私を、ファン先生が横目で見る。
「暇なのか?」
「……暇じゃないっす。充電中ってやつです」
相変わらず人のことをこき使いやがって――って先生たちにイコをいけにえに差し出した。
「あんたは、勉強して学問を身につけて出世しなさい!」
それがイコに言いつけた保護者からの厳命です。小さい子はいっぱい遊んで、いっぱい勉強して出世して、お母さんを養ってくれるものです。そのためには一に勉強です。
で、私の代わりにイコは先生たちにこき使われている。そのご褒美に勉強を教えてもらっている。ご褒美なのか?? と私は首を傾げたけど、イコが嬉しそうなのでまあいっか。
そして、モウモウはここでも『トゥヤ』と名付けられてここのペットと化している。
いや、かわいがってもらうのはいいんだけど、なぜ『トゥヤ』?
神様の名前付けるなんて、畏れ多いんじゃないんですかー??
イコのせいだ……って恨みがましい目で見たら、イコが恐縮して逃げていった。くそ、猿人だからってその青いくりっとした目で上目づかいに見てもダメなんだからね。
もう、かわいいなあ。
すっかり保護者と化したお母さんは、イコのお仕事ぶりを見に来たってうそぶいて机に突っ伏してます。
「暇じゃないですよ。今日だって、巡礼の民に説法を施して、パルムールを巡幸してきたんですよ。肉屋のおかみさんから、船にお店出店する約束とりつけたり、お酒の加工をするにはどんな設備が必要か、ちゃんとリサーチしてきたんです」
……ずいぶん地味な仕事する神様だな、おい。
もうね、偶像としての私はずいぶん浸透しているので、今の私は裏方の地固めです。裏方って、オバちゃんたちとの世間話です。親しみやすい政治家……もとい、神様街道を驀進中です。おばちゃんはアメちゃんの代わりにおまんじゅうくれます。
「おまんじゅうの作り方も聞いとかなきゃいけないんです。穀物がどれだけ積めるか、ファームがどれほど必要かも、検討しないといけませんからね」
前半はお前の好物だろう? と冷ややかに突っ込まれた。
この聖船は居住区が万単位になるため、基本船で自給自足できるようになっている。居住区には冷蔵庫が付いているし、ファームと呼ばれる畑や牧場のスーペースがあったり、植物促進のアンプルが入っていたり、わりと至れり尽くせりだった。
さすが、古代の英知。某青色ロボットを思い出すよ。
「暇ならほれ」
先生が一枚の紙を渡してきた。
「なにこれ?」
「生存可能星の距離と航行速度の試算だ。大気の状態を見ると、フォンが人類にとって一番快適に生活できるんじゃないかと考えている。気温も赤道下で、40℃前後だ。ちょうどいいだろう」
紙を広げると、灰褐色の星の絵が描いてあって、いろいろ書き込まれていた。
……字を読むの、きついんですけど。
習っているんだけど、途中で重大なことに気が付いた。話す言葉は勝手に翻訳されるからいいんだけど、書き言葉は翻訳されない。ってことは、しゃべり言葉を覚えないと書き言葉が書けないってことに気が付いた。二度手間なんですよ。
たとえば、字幕で英語の映画を理解できたとしても、役者が言っているセリフを全部書き出しなさいって言われると、英単語やら文法やら一から覚えないといけないので書けません、って状態です。
「ほうほう」
とりあえず、読むふりをしていたらファン先生にはすっかりバレていて、呆れられた。指差していろいろ説明してくれて助かった。
とりあえず、距離は約2億キロ。
航行日数約三か月。順調にいけば、それぐらいで着くらしい。ご先祖様の200年の船旅とは違ってずいぶんあっさりだな。でも、現地に付いても食糧難の問題はあるから、やっぱり船で自給できるようにしておかないといけない。船に積む植物の種類も考えないといけない。家畜の種類や、野生動物をどうするか、そういったことも議論した。
今や私の存在はやっぱり偶像的なものでしかなくて、ここまで来たら崇められる存在として、また最終的な決断を下すだけの存在として、そこにいることしかできなかった。
まあ、もともと何もできないのでいいんだけど。
で、当の市民たちと言えば、世論は真っ二つに分かれていた。
あれから、地震の頻度は上がった。今まで活動していなかった火山の活動が活発化してきたのか、有感地震は明らかに増えた。度重なる地震のせいで、石組みの建物は脆くなってきはじめ、下町は崩れる頻度も高くなった。
真っ先に神殿の説法に飛びついたのは、下町の人々だ。
だけど、お金や社会的地位のある人々を動かすことは難しかった。何より王宮が神殿の動きを良しとしていないし、今の地位を投げ出して新天地に向かうことを良しとしないのは当たり前のことだと思われた。
そして王様も、あれからは神殿の動きをまるきり無視しているような状態だった。
当然と言えば、当然なんだけど。
それでも私は、毎日新しい土地に向かうことを説くだけしかできなかった。
神殿は、家がなくなり避難民となった民を受け入れるようになった。神殿の神の門を解放して、奥の平地が広がっている場所にテントを張ることを許可し、食べ物も一日二回配給するようになった。
先の見えない日々の中で、ここの暮らしはずいぶん人々の慰めになったようだった。もちろん、私も毎日顔を出している。
その間、居住区の整備も進み、人々を受け入れる体制が徐々に整いつつあった。
あと一年――それが神殿と学問所の合言葉だった。
「トゥヤ! 良かった、いたか!!」
血相を変えて飛び込んできたのは、カフド博士だった。
数人の学徒さんを引き連れている。
「どうしたの?」
あんまりの顔色の悪さに、カフド博士に尋ねた。
カフド博士は慌てて何かを言おうとして、口ごもった。左手で胸を押さえると、深呼吸を一回して、後ろの学徒さんが持っていた紙を手に取った。
「驚かないで聞いてくれ……」
いつもとは違う、深刻な声だった。
「な――」
何? と尋ねかけて、ふと声を止めた。
足元に、何か這っているような感触があった。
ずううんとのしかかるような、小刻みに震える――
振動。
足元を覗き込んだ時だった。なんだろう、そう思ってしゃがみ込もうと思った。その時、
ぐわん――
と大きな突き上げるような衝動があった。
声を出す暇もなく、足元が震える。
地震。
と思う間もなかった。足元が掬われた。その揺れは収まるとその後、すぐに大きな横揺れが来た。
その場に、誰も立っていられなかった。
慌てて机の脚にしがみついて、中に潜った。
「机! 頭を守って!!」
金切り声に似た、叫び声を上げる。みんなその声にはじかれたように、机の下にもぐって頭を抱えた。
どれくらいの時間かは分からなかった。すぐ収まったような、長い時間揺れていたような気がした。とりあえず外に出てみると、変わり果てた神殿の姿に、絶句した。
竜紋火山が隆起したことによって、神の門から向こうには大きな亀裂が走り、神殿の半分が崩れていた。神殿から出てくる人の群れは、真っ青になっている人たち、怪我をしている人たち、たくさんいた。
誰も言葉も出ず、外に出てから神殿を見上げて呆けていた。
「竜紋火山が、爆発する……」
カフド博士の呟くような声に、思わずそちらを見た。
その予兆の危険性をわかっているのは、私たちだけだ。
「どうしよう……」
真っ青になった。まだまだ、説得できていない人が多い。それなのに……。
「まずいな。地表を調べたところ、この数か月で地面が盛り上がっているんだ。地揺れのせいかもしれない。小さいところで数メートル、ひどいところで数百メートルの隆起が認められる」
カフド博士は、一息飲んでからゆっくりと私たちにわかるように言った。
「……それってもしかして」
カフド博士が言わんとしていることを読み取って、私は口ごもった。ファン先生も、わかったようで続きを言おうか悩んでいるふうだった。
「そうだ。竜紋火山が活動を始めている……」
竜紋火山はケペリ星最大の火山で、この神殿の真裏にある。と言うよりも、神殿がこの竜紋火山の断崖を利用して作られているのだ。山を中心に、ぐるっと外をめぐるようにくりぬかれている。
「しかも、早ければ数日で爆発する。干上がった大地から、噴気が見られるんだよ。いまマグマだまりの地圧が取り除かれたら、一気に爆発する」
私たちは真っ青になった。
あと一年が、あと数日。
でも、それでもおかしくない。大規模噴火の予兆は、誰にもできないのだから。
「……これは、その予兆だよ」
静かに事実を述べる言葉だった。
「あ!」
見上げた空に、亀裂が入っていた。
「空が……」
空を指差すと、博士たちも空を見上げた。
「空が割れている!」
空の真ん中がずれる様に暗色の雲が走っている。
地震雲だ。
これからまた大きな地震が来る。
地磁気の乱れが、こんな雲を作るんだ。
私たちは茫然と空を見上げてから、顔を見合わせた。
「とりあえず、神の門の奥でテントを張っている連中は、船に誘導しよう。船は耐熱性の複合素材でできているらしいから、熱には強い。全て乗り込ませた後で、出入り口を塞げば、長期間の生活が可能だ」
博士が言う。もともとそれができるように準備してきたのだから。
「まずは、食糧の確保だな。今まで準備していたものをすべて運びこめ。備蓄も、家畜も、穀物もすべてだ。避難に伴う露店の設備も持ち込ませよう。家財道具はどんどん詰め込めと言っておけ」
学徒さんたちを手配する。居住区の中には商店が営めるような設備もある。そう言ったものを最大限利用すれば何とかなる。
とうとう、この時が来たんだと私たちは覚悟を決めなければならなかった。
すぐに神殿に話をしに行った。
神官達は、目を伏せ「とうとう……」と呟く声が広い会議室に響いた。
もう一刻の猶予もない。
空に逃げ出す人はまだいい。
だけど、そうでない人たちは……?
神殿は、パルムールから逃げてきた人たちでごった返した。学徒さんたちにいったん収集を任せると、彼らはうまく捌いてくれていた。
猶予は、あと三日設けた。
カフド博士はいつ起きるかわからないと言った。地面の亀裂、干上がった池からの噴気、常に足元が揺れているような不安感、そうした予兆を考えると、それ以上は伸ばせなかった。
――あと、三日。
それでも、パルムールに残る人々がいる。
そうした人たちも、ここにいるわけにはいかない。
だって、火山が爆発したら、数十キロ四方は確実に火砕流に埋まる。パルムールは直撃するんだ。空に逃げなくても、パルムールに人々を残すわけにはいかなかった。
「……王に、ウラヌス・カーリに会いに行きます!」
ウラヌス・ラーが力強く言った。
その青い瞳に悲しみを湛えて。
「ウラヌス・カーリが船に乗り込むことを決めて下されば、事は簡単なのです。王命としてすべての民に船に乗り込むことをお命じになればよろしいのですから!」
悲痛なウラヌス・ラーの叫び声に、私はなす術もなく立ち尽くした。
神殿の会議室に響いた悲痛な叫び声に、神官長たちはただ頷いた。確かに王の助力があれば力強い。
だけど、王様がそれで動くとは、どうしても思えなかった……。




