第五十二話
結局、ウラヌス・ラーが訪れても王様の態度は変わらなかったそうだ。
それを聞いて、少しホッとしている自分が嫌だった。
こんな時に――。
今は、パルムールに訪れている。
足腰の弱ったおばあちゃんや、家を離れたくないと嘆くお年寄りを前にして、どんな言葉をかければいいか悩んでいる。
新天地に行っても、自分が役に立たない。ここで死んでいく方がいい。
そうした人たちには、せいぜい『神の加護』を施してあげるしかなかった。
「夢を見るのは、新天地へ赴く人々だけではない。
その旅は帰りたいと思っても、帰れるものではないのですから。
星とともに終わりを告げる夢を……かの常世の夢を……
無に帰す人々よ――最後の守り人たちよ。お前たちのために、祈りましょう」
そう言って、最前列のお年寄りの額にさっと人差し指を当てる。
「おお、いと尊き方よ。
われらにも夢を下さると……」
ご老人が涙ながらにつぶやいて私を見つめる。
両手を合わせ、拝む人々を見つめる。
茶番でもいい。
最後の言葉が、死にゆく人々の最後の慰めになれば……。
「ああ、生けるまことの神よ……。我らの叫びに耳を傾ける方よ――。
われらはその言葉だけで、救われましょう……」
おばあちゃんたちが跪いて、ひれ伏した。
神官達が後ろでほっとしている。錫杖を鳴らす音が聞こえ、説法の終わりが見えた。
礼拝所は常に開かれ、行く宛のない民に解放された。
新天地を目指すものは神の門をくぐり、星に残る人々は礼拝所に残った。
「なあ、トゥヤ」
その夜、パルムールから帰ってきた私は荷物を運びながら、ファン先生に話しかけられた。
船はなんと、神の門の平地の下にちょうど隠されていた。だから、ここが立ち入り禁止だったのだ。入口だけぽっかりと穴をあけて、そこから人々が出入りしている。
船の中は地揺ればかりの外よりもきっと、快適だろう。
「お前、会いに行った方がいいのではないか?」
ファン先生が静かに言う。
「誰に?」
きょとんとして言い返すと、ファン先生が真顔になった。操縦室で計器をいじりながらこちらを見る。先生はエンジンの点火のタイミングを計っていた。噴火が起きて、振動電力でブースターをかけて、大気圏を抜けたらメインエンジンを使う。そのタイミングを計算していた。
「ウラヌス・カーリだよ」
ファン先生の言葉に、驚いて顔を上げた。
「は? なんで……?」
すっぱりフラれてしまったのに。
あの日、私は王様にすっぱり切られたのに。
あんな思いをもう一度繰り返すのは嫌だ。
「トゥヤの話を聞いていると、ウラヌス・カーリはお前に気付いてくれって言っているような気がするんだがなぁ」
ファン先生が何かに書き込みながら、呟いた。
「それに、未練を残したままでいいのか? お前の話を聞いていると、相手の気持ちばっかり量って、自分の気持ちをウラヌス・カーリに伝えていない気がするぞ。後悔しないように、はっきり伝えておいた方がいい」
やけに力強く言い切った。
……確かに、私は王様のことを好きだって、伝えたことがない――かも。
そして王様から、私をどう思っているのか、聞いたこともない。
「だって、聞かなくてもわかってるし……」
「それが思い込みと言うのではないか? ウラヌス・カーリの気持ちは、ウラヌス・カーリにしかわからんが、お前の気持ちは気持ちとして、きちんと伝えた方がいいと思うぞ」
「だーかーら、フラれたんですって」
机に突っ伏して、横目で先生を見る。
「それもなあ、あの陛下がこの地に残って死に逝くことをわかっているのなら、お前への未練を断ち切ろうとしているのではないか? 愛しい者を残して死ぬことを考えれば、お前だけは幸せにって、思っての行動かもしれんぞ」
ファン先生がふたみたいなものを開けて、中を覗き込んでいる。メーターの針を合わせながら、何やら書き込んでいる。
「図面も引かなければならないな」
むっと顔を顰めている。
先生、よく世間話しながらそんなことできるね――。
陛下が、死ぬ?
ファン先生の言葉が、急に息をしたように体の周りにまとわりついてきた気がした。
王様が、死ぬ――。
船に乗らなければ、星が死滅するんだから当たり前だ。
王様は、船に乗ろうとは考えていない。
……。
そんなこと、考えたことなかった。
「王様が、死ぬ……?」
口に出したら、嫌なものが心の中に入ってきてしまいそうで、慌ててその考えを追い払おうとした。
「このままだと、そうなるな。あの方のことだ。その覚悟はもうしているのだろうがね」
死ぬ覚悟。
そんなこと、考えたことなかった。
どうしてだろう。
今の今まで、死――のことなんてこんな状況なのに、考えたことなかった。
「……私、そんなこと考えたことなかった。王様が死ぬなんて……」
愕然とした。
「その白い衣を脱げとは、まだ言えないが、トゥヤとして最後に会ってきてはどうだ? どんな結果に終わっても、あと数日しかないのだから」
……そうか。
嫌われてまたフラれても、もうお別れなんだ。会うこともない――。
……いいの?
それでいいの?
私、何にもしてない。
私、今の今まで真剣に考えていなかったんだ。
なんて、何てバカだったんだろう。
「これは、イコから聞いたんだが、ウラヌス・カーリは時折部屋に来て、『トゥヤ』、ああ猿の方な、を眺めていたそうだぞ。時折、ふっと相好を崩すことがあるって。その時の陛下は幸せそうだったってなあ。
そんな話を聞くと、私らはたまらんよ……」
メーターをいじっていたはずのファン先生が、目頭を揉んでいる。
「トゥヤとしてきちんと納得して来るといい。そうしないと、生涯後悔することになる。王宮の門番には話を通してある。学問所の使いだと言えば、王のところに通してもらえるように」
――いつの間に!?
私がびっくりしていると、ファン先生が笑う。
「カフドがな、お前が落ち込んでいるとつまらんと言うしな。元気出してこい」
肩をポンと叩かれた。
……優しいなあ。
「行ってきて、いい?」
確かめるようにファン先生に言う。誰かにそうやって、背中を押してもらいたかったのかも。
「いっておいで」
ファン先生の声が、優しかった。
「いつも頑張っているからな。ご褒美だ」
片手をひらひらと振って、ファン先生が言う。「サイス殿を連れて行けよ!」と、最後に念を押された。
――こじれそうでいやだな。
でも、もう暗いし。ボディーガードは必要だし……。
そう思って外に行くと、サイスさんはちゃんと門の前で待っていた。
「トゥヤ様がきちんと帰ってくるか、見張っていますから」
面白くなさそうな声を出しながら、サイスさんが私を見る。
「ほんとに来るの?」
いやそうな声で返事をすると、サイスさんは極上の笑顔をばっちりと貼り付けて、「ええ」と返事をした。
――タヌキめ。
そして私はまた、この腹の底まで真っ黒けな護衛と歩く羽目になる。
「サイスさんといると、デジャブを感じていやだな」
先日の二の舞になりそうです、はい。
「……私のせいにしないでください。私はあなたを王宮へ連れて行くのを良しとしてないんですからね」
むっとした顔で言い返される。
「先日はお役目でしたけど、今回は恋敵への牽制です」
さらっというので、思わず咽てしまった。
「何を言ってるのよ……」
「あれ? こんなに愛情を示しているのに、気が付きませんでした?」
しれっと言うので本当にたちが悪い。
「冗談――」
「ではありませんよ。まあ、気が付かなくても仕方ありませんけどね」
確かにサイスさんの愛情はひねくれすぎててわからない。初めて会ったときは、好青年でいい人だったのに……。
二人でてくてくと王宮へ向かって歩く。一時間の道のりは長いけど、まだ神殿へ向かう人の列が途切れていなかった。ちょっとしたお祭りのような気分で、屋台が出ていれば完璧だったな、なんてしょうもないことを考えた。
「初めて、あなたの瞳を見た時にこんなきれいなものは、この世のものではないと思ったのですよ。なんてきれいなんだろうってね。ウラヌス・ラーがあなたが神だと言ったとき、まさにそれそのものだと思いました。女神だとね」
サイスさんが初めて会った日のことを思い出したように言う。
私がその緑の目を見てきれいだと思ったようなものか。
「そんなの、幻想だよ」
「幻想でもなんでも構いませんよ。私はあなたが神殿に納まってくだされば、それで構いませんから」
サイスさんは歩きながら真顔だった。
「王様がいなかったら、順調にサイスさんに惚れてたかもね。私」
「その展開を狙っておりましたけどね、まさか横から浚われるとは思っていませんでした」
ため息交じりにサイスさんが言う。
あはは。あの王宮のパーティで出会った時、もう少し優しくされてたらオチてましたよ、きっと。王様の方が強烈過ぎて、なかなか目に入ってなかったけど。
話しながら歩いていると、ドーム型の王宮が見えてきた。
みんな、自分の先をちゃんと考えていたんだな。
ウラヌス・ラーは最後の時まで王様と一緒にいたいから身代わりを望み、サイスさんは私を取り戻すためにいろんなことを仕組んだ。
星が滅ぶ最後を覚悟していたのは、やはり神殿の人たちなんだなと実感した。
だからこそ、あれほど本気になったんだ。
やり方こそ、間違えていると思うけど。
正門の前で門番に声をかけると、本当にあっさり中に通された。中では、案内の者が来るから少し待つように言われた。素直に待っていると、現れたのはイゾルだった。
「トゥヤ様!」
泣きそうな顔で、イゾルがこちらへやってきた。
「ご無事でしたか? 神殿が半壊したと聞いて、心配しておりました。ご無事そうで何よりです」
相変わらずなイゾルの言葉に、つい顔が綻んでしまう。
「あれから、どうしてたの?」
「私は、陛下の侍女としてお部屋付きにさせていただきました。シャナヤは今は女官の位を頂いて、表の政務のお手伝いをしております」
雑用ってことだね。きっと、普通の会社のOLみたいなことをやらされてるんじゃないかな。
イゾルが笑った。
「それにしても、ギルさまから学問所の使いが来る旨を伺い、驚きました。まさか、トゥヤ様自らお越しになるとは思ってもおりませんで」
「……あはは、結局いつもこのパターンでごめんね?」
「……」
イゾルが悲しそうな顔をして笑った。
「そこがトゥヤ様の良いところではございますから。私は今でもあの日のようにトゥヤ様がお帰り下さればと思わずにはいられません。陛下には、バカなことをと諭されてしまいますが」
「……王様、怒ってないの?」
私の言葉にイゾルは目を瞠って私を見てから、また目を逸らした。
「お怒りではございませんよ。ただ、トゥヤ様のお名前はお出しになりませんので……お寂しさを堪えておられるようではございました」
王様が?
イゾルの言葉に、驚いて固まってしまった。
あの王様の気性だと、怒りで周りに八つ当たりしているんじゃないかと思ったけど。
「あの……ウラヌス・ラーがそちらへ行ったと聞いたのだけど」
「はい。お越しになりました。執務室の方でお会いになられておりましたが」
てくてくと王宮の中を歩くと、王様の部屋の前に連れて行かれた。
「陛下はただ今、こちらにおわしますので」
ふかふかのくるぶしまで沈んでしまいそうな絨毯を上手く捌いてはきはきと歩いているイゾルが、ぱっと手を留めた。
「こちらは陛下のお部屋でございます」
プ、プライベートゾーンではないですか!?
私もまだ、入ったことがなかった。
イゾルがノックすると、木の扉がコンコンときれいな音を立てた。
出てきたのはイスハムさんだった。
「陛下にお目通りを」
イゾルが静かに言うと、イスハムさんがイゾルと私を見比べて、
「少しお待ちを」
と言った。
「イスハム殿、陛下にはご使者のことはご内密に」
人差し指を唇に当てて、いたずらっぽくイスハムさんに目くばせをする。
王様の押さえた声が耳に飛び込んできた。この中に、王様がいるんだ。
「何用だ?」
控えの間に通されると、奥の部屋の向こうから王様の声が聞こえる。
「侍女長のイゾルが御用と」
イスハムさんが言うと、ため息交じりの王様の声が聞こえてきた。
「かような時間にか?」
「ええ、急用とのことで」
「――通せ」
王様の低い声が聞こえてきた。




