第四十話
どうやら椅子に座ったまま、眠っていたみたいだ。
頬杖をついていた肘が頭の重みで倒れて、頭を打って、それで目が覚めた。
「あたたた……」
間抜けな声で立ち上がると、兵士の一人がくすっと笑った。
周りを見てみると、私の前の机には大きな地図が広げられていて、王宮内部の様子が書かれていた。
説明されてもちんぷんかんぷんだったから適当に頷いてやり過ごす。
とりあえず、順番としては王宮の反乱軍を鎮圧しつつ、捕虜を捕まえて王様の居所を吐かせる。そして、王様を奪還した後に、正規軍を指揮した王様がライ家の当主と、今回の件に加担した保守派を根こそぎ殲滅するって計画らしい。
夜半から兵士の入れ替わりが激しい。見知った顔もいれば、全然知らない人たちもいる。でも、今ここにいるのは全員竜騎隊の人たちのようだった。
「陛下の行方はまだ……?」
地図を広げて、部下の人と何やら話をしているギルを捕まえて、そっと尋ねてみた。
「はい。一向に手がかりもなく……」
ギルが言う。
やっぱり……。
「間もなく夜が明けます。夜明けとともに王宮へ侵入いたします」
ギルが広げていた地図を片付け始めた。
「トゥヤ様は、ここにお留まりを。女兵士を一人つけます」
そういうと、軽い装備をした女性が一人、跪いた。
まだ若い女性だ。シャナヤより少しだけ、上のようだ。竜人の彼女は可愛らしい顔の反面、きれいに付いた筋肉を誇示するかのように、腕を晒した服を着ている。
皆が一斉に立ち上がり、剣の確認をする。
そして、装備を確認し終わると、ギルを中心にみんなが私に跪いた。
ギルが私を見つめる。
そっと、私の左腕を取った。
「我ら、聖王のご妾妃トゥヤ妃殿下のご尊命を拝し、必ずや至高のお方をお救いいたします。どうか、我らにご加護を」
ギルは私の左手を自分の額に当てて、そんなことを言った。
こんな時、どうすればいいのかわからず、うろたえる。
彼らは、命を懸けて王様を救い出すつもりだ。
だから、私もそれに応えなきゃいけない。
こんな時、何て言えばいいかわからないなんて……。
お願いします?
よろしく!
頼んだ!
……。
そんなチープな言葉じゃなくて……彼らの覚悟に答えたいと思うのに。
「必ず、必ず戻ってきてください、陛下とともに。私はここで、待っています……」
そんな言葉しか出てこなかった。
陛下の身の安全も、彼らの命も大切だ。絶対に、どっちも欠けてはいけない。
だから……。
ギルが頷いてそっと手を離した。
「皆の者! トゥヤ様のご尊命を拝し、いざ行くぞ!!」
ギルの言葉に、鬨の声が上がる。
その勢いのある言葉に、一抹の不安を覚えた。
その日は一日、その小屋の中で過ごした。
ギルからも言われていたし、一緒に従っている兵士も出てはいけないと言った。私もとりあえず、街をうろうろする気持ちにはなれずに、その場に留まった。
地震の後のことも、避難所のことも気になるけど……今は王様のことが一番気になって。
闇雲に私がうろうろして、足手まといになる訳には行かないから。
女兵士は夕暮れになれば皆が戻ってくる……と言っていたが、夜半になっても戻ってこなかった。
様子を見に行った女兵士が、血相を変えて戻ってきた。扉を開けて入ってきた彼女の顔は、可哀想なくらい真っ青で、咄嗟に何かあったのだとわかる。
「どうしたの!? 陛下の身に、何か!?」
慌てて駆け寄って、彼女の腕を掴むと彼女はがくがくと揺れるように首を横に振った。
「……空が……」
兵士が呆然という。
空?
空がどうしたんだろう。
とりあえず、近場ならいいだろうと扉を開け、外に出てみた。
外に出て、目を瞠る。
なに、これ……?
そこに広がっていたのは、見たこともない光景だった。
空一面、落ちてくる真っ赤な火の玉。
360度どこを見回しても、空から雨のように火の玉が降っている。
……彗星だ。
松明の火が尾を揺らしているような、空を赤く彩る彗星の雨。
「何なの!? 何なのこれ!!」
さすがにそんな流星群を見たことがなかった。私が見たのは、もっと明るい流れ星が10分に一回くらい落ちてくるかわいいやつ。
星に願いを……。
って、祈りたくなるような。
でもこれは、禍々しい火の玉が雨となって地上に降り注いでいるようで、不気味な星々だった。
「不吉な……」
周囲には、町民たちが立ち尽くして空を見上げていた。
道路には何人もの人々が、一様に同じ姿勢で空を見上げていた。
「いやだね……」
隣に立っていた老女が呟いた。
「王宮じゃ、なんだか大変なことが起きてんだろ? それに天変地異だ。この国は、どうなっちまうんだろうねえ」
老女の横顔が、流れる星の明かりで影が妙に伸びているように見えた。その陰惨とした影がまとわりついているようで、ぞっとした。
「大丈夫ですよ。すぐに、元に戻りますよ」
老女を安心させるように言う。
「どうだかね。王宮じゃ、王を殺して新しい王様が立つんだろ?
神はそれをお許しになってないんじゃないか?」
首を横に振りながら、諦めるような老女の声に何を言えばいいのかわからなかった。
街の中が恐怖でざわめいている。口々にその禍々しさへの嫌悪感を述べてから、この先の心配をしている人々。
滅亡の予兆だとか、クーデターを起こしたから天罰だとか、悪魔の来襲だとか、口々に言う。
王の死を空が悲しんでいるだとか、言ってるおっさんもいる。
私はそんなことを然もありなんと言うように発言している初老のおっさんをあらんかぎりの力で睨みつけて、ふんっと鼻を鳴らしてそっぽを向いてやった。
そして皆口々に神殿への礼拝を口にしていた。
「神の怒りを鎮めなければ」
「祈りを。神殿へ祈りを」
その言葉をきっかけに、皆が祈りをと読経のように唱えだした。
神?
神が何をしてくれるっていうの?
神様がいるのなら、王様を助けてほしい。
そして、早くこの世の中を元に戻してほしい。
でも、神様なんて所詮何もしてくれない。
神様に、どうして私のような子供を作ったの? と毎日自問していた。真夜中の公園のブランコで。雨の日の神社の屋根の下で。
でも、答えなんてなかった。
誰も、私の望む答えをくれなかった。
神様さえも……。
王様は死なない。
絶対。
絶対帰ってきてくれる。
私が信じないでどうするの!
自分に活を入れて、小屋に戻る。まだ呆然としている女兵士を慰めて、部屋の中をただうろうろした。
ギル達が戻ってきたのは、明け方近くだった。
ごとごとと外が騒がしくなり、女兵士がぱっと飛び跳ねるようにして立ち上がり、木戸を開けた。入ってきたギルの姿を見て、私たちは絶句する。
血まみれの剣を支えにして、倒れこむように部屋になだれ込んでくる。
みんな一様に疲れ、怪我をしていた。
「申し訳ありません、陛下の行方は……」
ギルの言葉に、私は黙って首を横に振った。
この姿を見て、見つかったと思えるはずがない。
わかったというように頷くと、ギルもぎこちなく微笑んで見せた。
こんな時に無理しなくていい。
ギル達は皆、重症ともいえる怪我をしていた。切り傷、刺し傷、打撲。額から血を流している兵士もいる。
ギルの口から洩れたのは、思いもしない言葉だった。
「……敵の数が多すぎます。
保守派は龍騎隊3番隊と5番隊の一部、猿騎隊5番隊の兵のはずが、覆面の兵に翻弄されまして……。敵の数が尋常じゃないんです。あれは、私兵かもしれません……」
歯ぎしりをしながら、ギルが言う。傷ついたギルの体を、女兵士が手当てをしていた。その体は大小の剣の傷、深いものは腕の腱にも達していそうだった。
ケペル国はケペリ星最大の国で、辺境の民と小競り合いはあるけれど、大規模な戦争を起こしたことはないそうだ。だから、傭兵と言ったのも存在しない。
せいぜい街にあぶれるごろつきをまとめたようなものが関の山らしい。その話を聞いて、デケンスのバカ息子のことを思い出したけど……そんな器量はなさそうだから除外する。
「……神殿は?」
ふと漏らした。だって、竜騎兵っていうのが神殿にいた。あれが派兵しているとか……。その可能性を口にすると、ギルは頭を振る。
「それはあり得ません。神殿が兵を派遣するということは、ましてクーデターに助力するということはあり得ません。そんなことになれば、国の在り方がおかしくなってしまう」
唯一の可能性をギルに否定されて、そうか、と納得した。
では、一体誰が……?
「王様、敵に捕まっているってことは?」
考えながら言うと、ギルは首を横に振った。
「陛下の身柄が保守派にあれば、陛下を正当に処刑できるでしょう。罪状は何でもいい。なんとでもでっち上げられます。でも、そうしないということは陛下は敵に捕まってはいない」
力強くギルが言う。
それもそうか。
だったら王様はどこかに逃げているのだろうか。
王様が状況から不利と見て、どこか革新派の屋敷に逃げ出して様子を伺っている?
なら、龍騎隊の一番隊に連絡があってもおかしくない。きっとこの小屋の存在は王様も知っているはずなのだから。
王様にとっては革新派と連絡がとれたなら、すぐにでも反乱軍を鎮圧するはずだ。
数の上では、王の軍隊の方が勝る。指揮を執る人間がいれば、反乱の鎮圧なんて簡単なはず。正規軍は、王の率いる軍なのだから。
それなのに、それをしない。と言うことは、王様は連絡が取れる状態ではなくて、すぐに出てこられる状況じゃないってことだ。
……どういうこと?
背中がぶるっと震えた。
王様の身に何が起こっているのだろう。
真っ青になっていたんだろう。部屋を出ようとした私を、誰も咎めなかった。
木戸をあけて外に出ると、不気味な彗星がまだ降り続いていた。
真っ赤な彗星を見上げて、背筋が震えた。




