5. 無念の死
王太子妃となった私の人生は、長くは続かなかった。
理想に燃え公務に邁進する私は、結婚直後から幾度も命の危機に晒された。
初めは、食事に毒が入れられていた。毒見役の侍女が、私の身代わりとなって死んだ。
そのことは私と周囲の者たちに、大きな打撃を与えた。
「どうかそれ以上お嘆きになりませぬよう、アウレリア様。あの者は己の役目を果たし、誇りを胸に旅立ったはずです」
シャロン侯爵邸からともに王宮へ移り、今も私の侍女として仕えてくれているミアは、そう言って私を慰めた。
「主の盾となることは、私たちにとって栄誉ある最期にございます。アウレリア様が誇り高き王太子妃として歩み続けられることこそ、何よりの供養にございますよ」
「……そんなことを言わないで、ミア」
昔のように背中をさすってくれるミアの言葉に、項垂れていた私は顔を上げた。
「私のために死ぬことを、喜んで受け入れようとしないで。自分の命を大切にして、ずっと私のそばにいてちょうだいよ、ミア」
自分のために、人が死んだ。その事実に打ちのめされていた私はつい気弱なことを言い、ミアにそう懇願した。
彼女は駄々っ子を見守る母のような目で、優しく私を見つめる。
「もちろんでございますよ。今のはあくまで、我々は皆そのような心持ちであなた様のおそばに仕えていると申し上げたかっただけです。……はい、アウレリア様。このミアは、老婆になるまでしっかりお仕えさせていただきます。どうぞ、ご心配なく」
その口調に、思わずくすりと笑ってしまう。
安心した私は、目尻に浮いていた涙をそっと拭うと、彼女に笑いかけた。
「ええ、そうして。私たちはおばあちゃんになるまで、ずっと一緒よ」
「光栄でございます、アウレリア様」
ミアは嬉しそうに微笑んだ。
次は狩猟会でのことだった。
王族席で観覧していた私のもとへ、あらぬ方向から突然矢が飛んできた。
私を庇った騎士の胸に矢が刺さり、数日間生死の境を彷徨った末に、彼もまた死んでしまった。
それから数ヶ月後、視察に向かう途中、馬の異変に気付いた御者が、私や侍女たちをすばやく馬車から降ろしてくれた。
直後、馬はひどく暴れ出した。
民や店に被害が出るのを防ごうとしたのだろう。御者は御者台へと戻ると、必死に手綱を操り、暴れる馬を抑え込もうとしていた。けれど馬は暴走し、露店を巻き込みながら、馬車とともに石壁へ激突した。
その衝撃で、御者は帰らぬ人となった。
目の前で起こった大惨事に、私は全身の震えが止まらなかった。
命の危険を常に感じる中、私は疑心暗鬼になっていった。
私が王太子の正妃であることを、疎ましく思う者がいる。その事実はもう疑いようがなかった。そのせいで、私のそばに仕える者が次々と命を奪われていく。
(やはり、王妃殿下が……? それともまさか、ジョセフ様がこんなことをしているの? 側妃として置いておくことさえ嫌になったというの? あるいは、ダーナ妃が……?)
頭を抱え、深く息をつく。
命を狙われるたびに、疑念は少しずつ、私の心を蝕んでいった。
常に隣で私を支えてくれるミアだけが、心の拠り所だった。王宮の中で信じられるのは、もはやミア一人だった。
そんなある日の深夜だった。
睡眠不足が続く中、ようやく浅い眠りについた頃。
寝室に続く控えの間から、耳をつんざくような悲鳴が響き渡った。
「アウレリア様!! お逃げくださいませ!! アウレリア様ぁっ!!」
(──っ!! ミア……!?)
心臓が痛いほど跳ねると同時に、全身がびくりと反応する。
慌てて寝台から起き上がると、私は反射的に控えの間へ駆け込んだ。
わずかに月明かりが差し込む中そこで目にしたのは、這いつくばるような格好で床に倒れ込んでいるミアと、その傍らでうねる長く細い影だった。
「ひ……っ!」
全身が総毛立った。何かがいる。そう理解した瞬間、細い影は不気味な動きで這いながら、壁際の衣装棚の方へと姿を消した。
恐怖にガクガクと震えながらも、私はミアのもとへ夢中で駆け寄った。
「ミア……ミア!! しっかりして!」
「……アウレリア、様……、どうか、お早く、お逃げくださいませ……。私のことは、ご放念ください……」
暗い部屋の中で、彼女の顔色はよく見えない。けれど、呻くような苦しげな声に、一刻の猶予もないと察した。
私は声を振り絞るようにして、回廊へ続く扉に向かって叫ぶ。
「誰か来て!! 助けて!!」
待機しているはずの護衛が飛び込んできてくれるのを期待したが、物音一つ聞こえない。護衛はいないのだろうか。それとも、彼らも何者かに襲われた……?
混乱の中、ともかく私はミアを助けようと、彼女の腕を肩に回した。
「お願いよ、ミア。頑張って……! 立てる? 部屋の外に出て、人を呼ぶわよ!」
ミアは私よりも背が高い。普段から体を鍛えているわけでもない私が抱えて歩くのは難しかった。
それでも私は必死で膝に力を入れ、ミアの体を支えたまま控えの間から離れようと試みる。
けれど、足を一歩踏み出すだけでも重労働だ。
「く……っ!」
「……アウレリア、さま……。どうか、お逃げください……。あなた様は、生きなくては……」
先ほどよりもか細い苦しげな声で、ミアがそう言う。私の目から涙が溢れた。
「馬鹿を言わないで! あなたを置いてなんて行くわけないわ。ともに生きると約束したでしょう! 頑張って、ミア。一緒に逃げるわよ!」
叱咤するように声をかけ、私はもう一度部屋の外に向かって叫ぼうと口を開いた。
その時だった。
「──っ!! 痛……っ」
左の足首に刺すような激痛が走り、ミアを抱いたまま、私は床に倒れ込んだ。
咄嗟に確認すると、黒く細長いものが私の足首に巻き付き、私の足に深々と牙を突き立てていた。
(毒蛇──!?)
さっき影を見た時から察してはいた。焼け付くような熱と痛みが、たちまち全身に広がっていく。
視界が大きくうねり、体中の力が抜ける。
月明かりに薄く照らされた部屋の中、最後に見たのは、苦しげに歪んだ表情で目の前に倒れているミアの顔だった。
(ミア……。どうして、こんなことに……)
最後の力を振り絞り、彼女の方へと手を伸ばす。
けれど、ミアに触れることは叶わない。
結局私は、何一つなせぬまま死んでいくのか。
王国を守る良き妃になりたいと、懸命に努力を重ねてきた。
それなのに、誰のことも守れないまま、大切な人まで巻き込み、ただ無駄に潰えていくのか。
(私が正妃にさえならなければ、誰も死なずに済んだのかしら……)
真っ暗な闇の中へと沈みながら、家族のことを思う。
父や母、そして兄は、私の死を聞いてどれほど打ちひしがれることだろう。
(ごめんなさい、お父様、お母様、お兄様……)
呼吸ができない苦しみさえも感じなくなり、意識がゆっくりと途切れていく。
……ああ、もしももう一度やり直せるのなら、今度は私は────。




