2. 王妃の口出し
ざわめきが再び静まり、大広間中の視線がこちらに集中する。
私は背筋を伸ばし顎を上げると、ジョセフ様を見据えてはっきりと告げた。
「正妃と側妃では、立場も責務も全く異なります。私が幼少の頃より長く受けてまいりました妃教育は全て、あなた様の正妃となるためのものでございます」
国王陛下は、その通りだと言わんばかりに首肯している。そしてその隣では、王妃殿下がきつく目を吊り上げ、私を真っ直ぐに見据えていた。
ジョセフ様はまるで罪人でも見るかのような眼差しで、私を睨みつける。王妃殿下譲りの真紅の目には、けれど彼女ほどの迫力はない。
「私とあなた様との婚約は、王家とシャロン侯爵家の間で交わされた正式な取り決めであり、その前提のもと、私は王太子妃となるための努力を重ねてまいりました。それはあくまで、正妃としてのものです。あなた様の一存で私を側妃へ降ろし、妃教育も受けていない子爵家のご令嬢を正妃に据えるなど、前例も道理もございませんわ」
私が淀みなく言葉を重ねるにつれ、周囲の貴族たちの様子も落ち着いてきた。
王太子の正妃になる者は、いずれ王妃となる。外交や国政に携わり、国王とこの王国を支える重責を担う立場となるのだ。
妃教育も受けていない令嬢がその座に就けば、王家の権威は揺らぎ、国益すら損ないかねない。この場にいる誰もが、それを理解していた。ジョセフ様以外は。
「王族であるあなた様がそのような前例をお作りになれば、貴族社会の婚約制度そのものが揺らぎます。ジョセフ様のお気持ち一つで婚約の取り決めも立場も覆ると知れ渡れば、諸侯はいかにして王家を信頼いたしましょう」
「だ……黙れ! アウレリア!」
言葉を重ねる私を、ついにジョセフ様が怒鳴りつけた。顔を赤くし、腕の中のブラント子爵令嬢を強く抱き寄せている。
「全て聞いているんだぞ! お前は学園で、この繊細なダーナのことを虐めていただろう。そのことについて悩む彼女の相談を聞いているうちに、僕たちは愛し合うようになったんだ」
「……何のお話です?」
まったく意味が分からず、私はつい思ったままの疑問を口にした。私がブラント子爵令嬢を虐めていた? 会話をしたことさえほとんどないというのに?
周囲で見ている卒業生たちも皆、「え……?」「アウレリア様に限って、まさか」などと、困惑の声を漏らしている。当然だろう。そんな場面は誰一人見たことがないはずだ。
ジョセフ様とブラント子爵令嬢が示し合わせて私を陥れようとしているのか、ジョセフ様がブラント子爵令嬢から聞いた嘘を真に受けているのかは分からない。
けれど、いずれにせよジョセフ様は、完全に私を敵対視していた。
「しらばっくれても無駄だ! 本当に呆れるよ。下位貴族家の令嬢を標的にし、追い詰めるなど……。お前を見損なった。そんな女性を、正妃にできるはずがないだろう」
「ジョセフ様。そのような根拠のないお話、少しお調べいただければすぐに事実無根であることが分かると思いますが」
「うるさい! とにかく、僕はこのダーナを愛しているんだ! 愛する者を正妃に迎えて、何が悪い! 妃教育など後からどうにでもなるが、愛は後からは生み出せない。僕はもう、ダーナ以外の女性など考えられないのだ!」
……どうやら聞く耳を持つ気はないらしい。
「殿下……」
ブラント子爵令嬢は目を潤ませ、ジョセフ様を見上げている。その仕草の愛らしいこと。
これは大抵の男性の心をくすぐるでしょうね、と私は頭の片隅で思った。
案の定、ジョセフ様はブラント子爵令嬢を見つめると、可愛くてたまらないという風に彼女の額に頬を寄せる。
ご自分の立場も責務も忘れ、純愛に酔っているのだろうか。二人を眺める貴族たちの目は冷めたものだった。
国王陛下の次のお言葉を待つか、それとも私が正論で追い打ちをかけるか。
自分の出方を見極めるため王族席に視線を送ると、次に口を開いたのは陛下ではなく、王妃殿下だった。
「まぁ、何という愛の強さでしょう。まさかジョセフに、これほどまで深く想いを寄せる女性がいたとは……。陛下、ここは何よりも、ジョセフ本人の意思を尊重すべきではありませんか」
(……え……?)
王妃殿下のその言葉に、空気が変わる。
大広間が戸惑いと混乱の気配に満ちていくことに気付かないはずがないのだが、王妃殿下は慈愛に満ちた表情で、さらに言葉を重ねる。
「夫婦は一生をともにするのですもの。心から望む女性を正妃に迎えてこそ、ジョセフの公務もさらに充実し、ひいては我がセレナ王国のためにもなるのでは?」
「母上……」
「何を言い出すのだ、カーリーン」
希望に満ちた目で実母を見つめるジョセフ様と、王妃殿下に驚愕した顔を向ける国王陛下。
王妃殿下はわずかに眉尻を下げ、頬に手を添える。
「虐めの真偽はどうあれ、ジョセフの正妃となるべく長年努力を重ねてくださったアウレリア嬢には、たしかに申し訳なく思いますわ。ですが、側妃も妃であることに変わりはございません。アウレリア嬢ほど優秀なお方なら、側妃という立場の中で、王家のために立派に才を振るってくれるはずですわ」
我が耳を疑った。まさか王妃殿下が、ここでジョセフ様の肩を持つとは思わなかったのだ。
私自身が、王妃殿下から嫌われていることは分かっていた。
現国王陛下にはかつて、側妃がお一人おられたが、その方は男児とともに亡くなっている。私が生まれる前の話だ。以来、陛下の妃は王妃殿下お一人のみ。
五歳の時にジョセフ様と婚約し、約十三年。これまでの私に対する王妃殿下の態度は、ひどく辛辣なものだった。
どれほど努力しても褒められることは決してなく、逆にどんな些細な失敗でも、徹底的になじられる。ジョセフ様の婚約者であるにもかかわらず、私は王妃殿下の主催する茶会にはほとんど招待されず、たまに招かれても常に彼女から最も遠く離れた席を与えられていた。
他にも、こちらの心を抉り続ける嫌がらせや嫌みの数々は、枚挙にいとまがなかった。
私を嫌う理由の一つは、分かっているけれど。
ジョセフ様が私ではなく他の女性を愛しており、そのために私を側妃にするという。このような公の場でなされたその宣言は、王妃殿下にとって願ってもない楽しい展開だったのかもしれない。
けれどまさか、ご自身の私怨のために、王国の未来を左右する王太子妃の座まで、軽んじようとなさるとは。
あまりにも浅はかで、王妃という立場にあるまじきご判断だ。
あ然としていると、王妃殿下は悠然とした笑みを浮かべ、その真紅の目で私を見据えた。
「いかがかしら? アウレリア嬢。あなたがジョセフの気持ちを汲んでくださるのならば、あとは王家とシャロン侯爵家の間で、滞りなく話を進められますわ」
「カーリーン、控えよ。そのように場当たり的に決められる話ではない」
国王陛下がようやく口を開き、王妃殿下を制した。
けれどもう、貴族たちは私に注目し、息を潜めて私の答えを待っている。
ここで怒りや呆れを示すことに、意味はない。
今問われているのは私個人の気持ちではなく、未来の王太子妃としての資質だ。
私はゆっくりと息を吸い背筋を伸ばすと、大広間に響く声で宣言した。
「恐れながら、王妃殿下。私はジョセフ様の理不尽な宣言に従うつもりはございません。側妃となることは、断固お断りさせていただきます」
安堵したようなため息が、そこかしこから聞こえる。
王妃殿下の真っ赤な目の奥が、怒りに燃えるのが見て取れた。
ジョセフ様は頬を引きつらせ、非難するように私を見ている。
その腕の中のブラント子爵令嬢の表情は分からなかった。




