19. 愛に満ちた人生(※sideジョセフ)
アウレリアがヴェルネ離宮に移ってからというもの、毎日が平穏かつ幸せに満ちていた。
王太子宮の私室で、僕は最高のひとときを過ごしていた。
「ジョセフ様、どうぞ」
可愛いダーナが、僕の口元に小さな焼き菓子をつまんで差し出す。ダーナの膝を枕にしてソファーに横たわったままの僕は、口を開いてそれを食べる。
「美味しいですか?」
こちらを見下ろしながら女神のように微笑むダーナの美しさに、頬が緩む。
「美味い。ダーナが食べさせてくれるから尚更だな」
そう答える僕に、ダーナが小首を傾げて頬を染める。
「ま、ジョセフ様ったら。うふふ」
可愛い。ひたすらに可愛い。幸せだ。
愛する女性を正妃として迎え、こうして誰に気兼ねすることもなく二人の時間を過ごせる。
ようやく望んでいた生活を手に入れた。
ダーナと出会ったのは、二年ほど前のことだった。
ダーナの母であるブラント子爵夫人は、王妃である我が母と親しいロシュフォール侯爵夫人と、以前から懇意にしていたらしい。
その縁で、ある日王妃宮で開かれた母上の私的な茶会に、当時まだ学園に通っていたダーナも招かれた。
その日、たまたま母上に用があって茶会の席を訪れた僕は、初めて彼女を目にした。その瞬間、僕はひと目で心を奪われたのだ。
淡いピンクブロンドのふわふわとした髪に、明るい緑色の目。僕が姿を現すと、ダーナはひどく緊張した様子で立ち上がり、頬を真っ赤に染めながら挨拶をした。
初々しく可憐で、たまらなく魅力的だった。
茶会を辞した後も、彼女のことが頭から離れなかった。もう一度会いたい。そう思った僕は、側近を通じて密かにダーナへ手紙を送り、再び会う機会を作った。
初めこそ王太子である僕からの誘いに戸惑っていたダーナだったが、何度か言葉を交わすうちに、次第に心を開いてくれるようになった。
それからは人目を忍んで会ったり、手紙を交わしたりしながら、少しずつ距離を縮めていった。そうしていつしか、僕たちは互いに深く想い合うようになっていたのだ。
当初は協力者の側近以外は誰にも、ダーナとの関係を話さなかった。完璧な令嬢であるアウレリアという婚約者がいる以上、周囲から反対されることは分かりきっていたからだ。けれど、日々募っていくダーナへの想いを諦めることなど、僕にはできなかった。
やがて僕は少しずつ、公の場にダーナを伴うようになった。茶会や音楽会などを主催するたびに彼女も同席させ、ともに楽しい時間を過ごしはじめた。
次第にダーナから、学園内でアウレリアに虐められているという相談を受けるようになった。
アウレリアがそんな陰険なことをする女性だとは思わなかったが、自分に絶対的な自信を持つ、気位の高い彼女のことだ。僕がダーナを可愛がっていることが許せないのだろう。
アウレリアを嫌っていたわけじゃない。優秀な婚約者だと思っていたし、将来王太子妃となる女性として、これ以上ない相手だとも分かっていた。
だが彼女といると、どうしても自分の至らなさを突きつけられているような気分になるのだ。
僕が知らないことを、アウレリアはいつの間にか、何でも知っている。僕が答えに窮するような問いにも、彼女は迷いなく自分の考えを述べられる。外交の知識も、他国の文化や慣習への理解も深く、学ぶことに貪欲だ。
僕は勉強が好きではないから、アウレリアの優等生ぶりに辟易することが多かったし、周囲の目も気になって仕方なかった。
優秀なアウレリアと、彼女に大きく劣る王太子。誰からもそう思われているようで、肩身が狭かった。
けれど、ダーナはそんなアウレリアとは全く違った。
彼女はいつも僕の話に目を輝かせ、僕の言葉を素直に信じ、何かあれば真っ先に僕を頼ってくれる。
「ジョセフ王太子殿下は、本当に素敵です……! 私の知らない世界を、何でもご存じなのですから」
「殿下は本当に凛々しくていらっしゃいますのね。お会いするたび、つい見惚れてしまいますわ。おそばにいると、胸がドキドキして仕方ないんです」
会うたびに僕をいい気分にさせてくれる。ダーナの隣にいると、自分が頼り甲斐のある、立派な男になれたような気がするのだ。
「もっと会いたい」という思いは、すぐに「ずっとそばにいたい」に変わっていった。
何があっても、誰に反対されても、ダーナを正妃にする。彼女とともに、愛に満ちた幸せな人生を送るんだ。
僕は日に日に、その決意を固めていった。
緊張のあまり足が震えるのを必死で堪えながら、僕は卒業記念の祝賀会でダーナを抱き寄せ、大勢の貴族たちを前に、彼女を正妃にすると宣言した。
公の場で口にしてしまえば、もう後には引けない。国王夫妻である両親も受け入れるしかないのではないかという、一縷の望みをかけていた。
案の定、父上の目に怒りが灯った。だが思いがけず母上が僕の味方につき、さらに驚いたことに、アウレリア本人までもが、その場であっさりと側妃になることを受け入れたのだ。
これは本当に意外だった。列席者たちからも、大きなどよめきが起こったくらいだ。
あいつのことだ、自分が正妃となる正当な理由をこれでもかと並べ立て、僕を追い詰めてくると思っていたのに。それを想定して、反論の台詞もいくつか準備していたくらいだ。
その後多少の紆余曲折はあったものの、僕の望みは叶った。母上と親しい例のロシュフォール侯爵家がダーナを養女として迎え、侯爵令嬢という身分を与えてくれたことで、正式に正妃として迎え入れることができたのだ。
(夢のようだな……。これからはこうして毎日、この可愛いダーナを愛でながら過ごしていけるのか)
面倒な実務はヴェルネ離宮に放り投げれば、アウレリアが片付けてくれる。先日、溜まっていた書類を試しに丸投げしてみたところ、アウレリアは「指示通り五日で終わらせる」と言い、すんなりと受け取ったらしい。
その報告を聞き、僕は歓喜した。あいつは自分の役割を理解し、しっかりこなす気でいるようだ。
ダーナは晩餐会や外国の要人たちのもてなしなど、表に出る華やかな仕事をしてみたいという。見目麗しいダーナにはぴったりだ。その辺りの仕事はダーナにさせてみることにしよう。困っている様子があれば、僕がそばで助けてやる。そうすればダーナは、ますます僕にときめくだろう。
膝の上の僕を愛おしげに見下ろしながら、まるで幼子をあやすように髪を撫でてくれるダーナを見上げ、僕は口を開いた。
「お前の最初の公務は、来月の慈善晩餐会だな。養護施設や救護院への支援を募るため、毎年王宮で開かれているものだ」
「ええ。本当に私が取り仕切らせていただいて、よろしいのですよね?」
少し自信なさげにそう言うダーナに、僕は頷く。
「ああ。好きにやってみるといい。心配はいらないさ。この僕が終始お前のそばにいるのだから」
そう告げると、ダーナは大輪の花が開くように笑った。
「嬉しい。頼もしいですわ、ジョセフ様。あなたの妃になれて、私本当に幸せです」
「はは。僕も同じ気持ちだよ、ダーナ」
望み通りの言葉が返ってきて、気分が良くてならない。やはりダーナを正妃にして正解だった。アウレリアを正妃にしていたら、今頃机を挟んで真顔で向かい合い、やれ晩餐会の準備がどうの、使節団のもてなしがどうのと、会議のような話し合いが繰り返されていたことだろう。
(慈善晩餐会なら慣れている。適当にこなせるさ)
そんなことを考えながら、僕は起き上がり、ダーナの腰を引き寄せ唇を重ねた。




