壱幕之九「木花(このはな)」
「どこまで往くのですか?陰陽頭様」
佐久夜様にそう声を掛けられた陰陽頭様は「もうすぐですよ」と振り返らずに答えた。
陰陽寮でお礼を云いたいからと面会をお願いすると「話したい事があるので、場所を変えましょう」と向こうから提案された。
こちらとしては願ってもない提案だったので了承したのだけれど、陰陽頭様とお会いしてからの佐久夜様の様子が何か変だ。先程の問い掛けも、その声には明らかに緊張感があり、それがただ人見知りだからというだけでない事は、多少なりとも戦う術を知っている私にはわかる。何というか――ずっと臨戦態勢なのだ。
そんな私の考えを置いて行くかのように、陰陽頭様はどんどんと進んで往き、とうとう都から出てしまった。そして、あまり人の来ないが、大きく開けた野原で漸く止まった。少し距離を空けて、佐久夜様も止まる。私はその横に並ぶように立とうとしたが、佐久夜様がすっ、と左手を出して私に自分より後ろに下がるように促した。私はそれに従う。
くるりと陰陽頭様がこちらに振り替える。すでに五十に近い年齢のはずだが、それを思わせない軽快な動きだった。
「さて、何を、どこから話したものかな――まあ、君はもう気付いているのだろう? 神宮佐久夜」
なッ!?私はまだ陰陽頭様に佐久夜様を紹介していない。これは――まさか――
私を見ずとも、気配で感じ取ったのか、佐久夜様がこれまでにない真剣な声で説明してくれる。
「――菊姫様の予想通りですよ。この人が、今回の事件の黒幕です。というよりも――そもそも、この方は人ではありません。そうでしょう? 滋岳"陰陽頭"川人様、いえ、鬼眼五櫻が一体、玄眼角端」
陰陽頭様――いえ、玄眼角端は「ほう」と云いながら、見事に蓄えられた口髭を右手で撫でていた。
そして、感心しきりと云った表情で、問いかけてくる。
「何故、私が玄眼角端だと思ったのかね? 今頃必死でこちらに向かってるであろう神園清澄からは、何も聞いていないのだろう?」
「――単純ですよ。彼方から漂うその気配は間違いなく鬼眼五櫻のそれです。そしては、私は他の四体の鬼眼五櫻を知っている。だから私の知らない彼方は玄眼角端――となる」
玄眼角端の口元がにやりと歪む。それを見た瞬間、何とも云い知れない恐ろしさに、背筋が寒くなった。
私は右の拳を強く握りしめ、お腹に力を入れる。飲まれては駄目だ。戦いはもう、始まっている。
今度は、佐久夜様が問いかける。
「次は私の質問に答えて貰いましょうか。鬼眼五櫻のような強大な気配なら、私や一葉さん、清澄様なら都のどこにいてもわかるはずです。おそらく、菊姫様やあの方も、ある程度近づけば気付くはずです。なのに、私は直接会うまで全く分からなかった。それどころか、都を出るまでは確信が持てない、違和感のようなものでしかなかった。一体、都に何をしたのです?」
「――ふふふ。それについては教える事は出来ないね。まあ、あと二日もあれば、君の許婿の神園清澄が解き明かしてしまうだろうから、彼から聞くといい。ただ、ここから生きて帰れれば――だけどね」
そう云って、玄眼角端はこれまで抑えていただろう、その圧倒的な力を開放する。
その圧力が襲い掛かるのを予測して、私は中腰になって身構える。だけど、一向に何も私まで届かない。それどころか――
「――菊姫様。本当は逃げて貰わないといけないと思うんですが――絶対に私が貴女を護ってみせます。だから――そこで、これから起こる戦いを観ていてくれませんか?」
今度は振り返って私を見つめながら、はにかんだ笑顔で佐久夜様が云う。ああ、そうか。彼女もきっと、逃げないと決めたんだ。自分が望む事の全てから。
私の体は不思議な光に包まれていた。その光が玄眼角端の圧力から、あの説明のできない恐怖から、既に私を護ってくれている。
私は精一杯の笑顔を作って、大きく頷いた。それを見た佐久夜様――いえ、佐久夜は私の目を見たまま「有難う。菊姫」と小さく呟いた。
そして――戦いが始まる。友人である私を護るために。"神宮"の当主で在るために。自分が自分で在るために。
「第八代神宮当主"佐久夜"、参ります――」
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「式神招来――青龍、朱雀、白虎、玄武――急急如律令」
その言葉と同時に、玄眼角端を中心に四体の獣が姿を現す。
青き龍。朱き鳳。白き虎。黒き蛇と亀。それらから、明確な殺意が向けられる。
「私が創造主たる主から頂いた力は戦闘には向いていなくてね。戦いは呪術で主に式神を遣う。と云ってもこの呪術は私が開発したものだが――さあ、六壬神課で使用する象徴体系を具現化した、四神の同時顕現だ。どう戦うのか。楽しませてもらおうか」
玄眼角端が何か云っているが、私はそれを聞いていない。確かに四体の獣からは凄まじい力を感じる――けど、ただそれだけだ。
力が強いだけの敵など、今の私の前では何の意味も成さない。
後ろにいる菊姫の気配を、もう一度確認する。私は彼女を護りたい。その為なら、どれほど嫌いな力であろうと、遣うまで――
大きく両腕を広げる。右の掌は下に、左の掌は上に向ける。そしてその両の掌に、両親から貰った"力"を込める。
「――我が右手に宿れ、"櫻神気"。我が左手に宿れ、"龍神気"。汝らが契約者、"佐久夜"の名の元に集い、交わり、顕現せよ!」
私は広げた両腕を一気に畳み、胸の前で手を合わせる。右手の淡い桜色の光と、左手の淡い翠色の光がひとつになり、輝きを増す。
そしてその光は私の体を全て包むと蒼へと色を変える。そして、前後左右に四本の蒼い光の柱となって収束していく。
「――木花流舞闘術・水ノ刃衣」
私はゆっくりと業の名を呟く。【獲物はあれだ。滅せよ】この言霊で、四本の水刃は意思を持つ。
玄眼角端が勢いよく右腕を私に向ける。
朱雀が炎を吐き、青龍の爪と白虎の牙がこちらに襲い掛かってくる。だが、炎も爪も牙も、そのどれもが私まで到達する事はない。
私の周りの水刃はゆらりと一度揺れると、最適な形に変わっていく。敵を屠る。ただその為の形に。一瞬で、全ての水刃が私の傍から放たれる。
青龍と白虎は、横に伸びて棒状になった水刃に貫かれて、串刺しになっている。
朱雀は鞭のようにしなった水刃に、自らが吐いた炎ごと、真正面から縦に切り裂かれ、真っ二つになって消えた。
串刺しになっている二体も、ばたばたと藻掻いていたが、力尽きて消えていく。
「――何と。あの三体が一撃でやられるとは」
そう呟いた玄眼角端の間違いを、私は指摘する。
「三体ではなく四体ですよ」
そう云うと、地面から突き出した水刃に貫かれて、玄武が何も出来ることなく消えていく。
木花流舞闘術・水ノ刃衣。私の"敵と認識したもの"を、私が何もせずとも勝手に打ち滅ぼす水刃を生み出す業。
私はゆっくりと玄眼角端へと近づく。最後に残った"敵"へと。
「――なるほど。これは凄まじい力だな。"三眷属"史上で最強と云われるのも頷ける。正攻法で勝てる者などいないだろう」
「最強などと思った事は一度もなかった。でもこれからは違う。この力で、私は私の大切なものを護る。だから、彼方の思惑もここまです。諦めなさい」
私はさらに近づいていく。水刃が蠢く。既に玄眼角端を射程内に捉えている。これで、勝っ――
「――諦める? 何を? 私はまだ、負けていないのに」
その言葉は、最後まで私の耳には届かなかった。別の――別の声がしたから。
懐かしい、愛おしい、優しい声が。
水刃が動きを止める。声が私に囁きかける。
えっ? 何を云っているの? お母さん――
何で? 何でそんな事を云うの? 何をそんなに怒っているの? お父さん――
水刃が静かに消えていく。
玄眼角端が何か云っている――けど、何と云っているかわからない――
「何とか間に合った。玄眼左・五塵声・恐恐呻吟。さあ、彷徨え」
滋岳"陰陽頭"川人こと玄眼角端vs佐久夜!
勝利を確信する佐久夜に、玄眼角端の五塵声が発動する――
佐久夜の危機に、菊姫は――
次回、壱幕之十「玄眼(げんがん)」