2:ぽよんと吹っ飛んだ
美青年は、廊下にしりもちをついたまま座り込んでいるミーナを助けようともせず、ふいと視線を逸らした。
その視線の先には、美青年とよく似た顔立ちをした少女が立っている。
茶色の長い髪を三つ編みのおさげにして、ピンク色のリボンで束ねている少女。
年齢は美青年よりも少し下くらいに見える。地味に見せたいのか、灰色がかった緑色のワンピースを着て、美青年と同じような丸眼鏡をかけていた。
でも、少女自身が可愛らしく華やかな顔立ちをしているものだから、全く地味に見えない。
美少女は困ったように眉を下げ、不機嫌そうな美青年の服を細い指でちょんと引っ張った。
「テオ兄様、その態度は失礼だと思うの。テオ兄様もちゃんと『ごめんなさい』しないと」
「ぶつかってきたのは、あっちだぞ? なんで俺が謝る必要があるんだ」
「テオ兄様のせいで、ひとりの女性がぽよんって吹っ飛んだんだよ? ぽよんって」
いや、ぽよんと吹っ飛んだ覚えはない。
(……というか、このふたりは一体何者?)
ミーナがふたりを見上げていると、美少女と目が合った。
その瞬間、美少女の茶色い瞳がきらめく。
「もしかして、あなた、ヴィルヘルミーナ様?」
「え、あ、そうですけど」
ミーナというのは愛称で、本名はヴィルヘルミーナだ。だから、ミーナは素直に頷いてみせる。
すると、美少女はぱっと花が咲くような笑顔になった。
「やっぱり! 赤と桃のメッシュ髪に、オレンジの瞳。噂どおりの外見をしているから、そうじゃないかと思ったの!」
ミーナはポニーテールにしている自分の髪を一房つまみながら、そういえばこの髪の色は珍しいんだったと思い出す。
いつも見ているものだから、失念していた。
詳しいことはよくわからないけれど、両親の魔力のバランスが良いと、その子どもは二色のメッシュ髪になりやすいらしい。
ミーナは、父の赤い髪と母の桃色の髪を受け継いだ。十六歳になる弟も、ミーナと同じようなメッシュ髪をしている。
ちなみに、貴族のほとんどは髪の色が赤、青、緑、紫、金など多彩だ。髪の色が多彩になるのは、魔力を持っているからだといわれている。一方、平民は魔力がない人が多く、その髪の色も黒や茶色という地味な色になりやすい。
そう考えると、このふたりの髪の色は茶色だから、おそらく平民なのだろう。
「あ、ヴィルヘルミーナ様。うちの兄が失礼な態度をとってしまって、本当にごめんなさい」
美少女がミーナに駆け寄ってきて、手を差し出してきた。
ミーナはその手を借りて立ち上がりつつ、聞いてみる。
「えっと……あなたたちは?」
「わたしはリリィ、十九歳。で、こっちは兄のテオ、二十二歳」
リリィとテオ。名前を聞いてもぴんとこない。
このふたりはラビットフェアリー社に何の用があるのだろう。
ミーナが首を傾げていると、そこに叔母がやってきた。
「ミーナ。勢いよく出ていくのかと思ったら……何をやっているのよ」
「叔母様……」
叔母から逃げようとしていたことを思い出し、ミーナはなんだか気まずくなってしまった。
叔母はそんなミーナの肩をぽんと優しく叩き、リリィとテオに話しかける。
「リリィさんとテオさん、とおっしゃいましたね。わたくしは、このラビットフェアリー社の社長マルガレータですわ。うちに何かご用かしら?」
「しゃ、社長さん……?」
叔母を前にしたリリィが目を丸くして、ぴしりと固まった。
緊張して言葉が上手く出てこないらしく、口をぱくぱくさせている。
そんな妹を見かねてか、兄のテオが口を開いた。
「ここは女性向けの恋愛小説で有名な出版社だと聞いている。そこで、ひとつ頼みたいことがあるんだが」
(……テオって言ったっけ? この人、叔母様に対してもなんか偉そうじゃない?)
ミーナがぶつかってしまったせいで不機嫌なのかもしれないけれど、叔母には丁寧な態度をとらないとダメだろう。このテオとかいう美青年、礼儀がなってない。
口をへの字にするミーナを気にすることもなく、叔母はテオに問いかける。
「頼みたいことって、何かしら?」
「妹のリリィに、恋愛小説の書き方を教えてもらいたい」
(ん? 小説の書き方?)
ミーナは目を丸くして、リリィを見た。
テオの隣でもじもじしている丸眼鏡の美少女は、作家のたまごだったのか。
しかも、小説の書き方を教えてほしいと望む、作家のたまご。
つい先ほど、ミーナが小説の書き方を教えたいと言ったとき、叔母は「作家のたまごにも選ぶ権利がある」と返してきた。
もしここでリリィがミーナを選んでくれたなら、ミーナは小説の書き方を教えることができるのでは。
これはチャンスだ。
ミーナはオレンジの瞳をキラキラさせ、叔母を見上げた。
「叔母様!」
「ダメよ」
「まだ何も言ってません!」
「言わなくてもわかるわよ」
叔母は大きく息を吐き、テオとリリィに向き直って告げた。
「申し訳ありませんが、うちは小さな出版社ですし、小説の書き方を教えられるような余裕もありません。他の大きな出版社に行くことをおすすめしますわ」
叔母の言葉に、テオは眉をひそめ、リリィはしょぼんとうつむいた。
午後の日差しが柔らかく差し込んでいた廊下に、ひんやりと薄暗い影が落ちる。
少しの沈黙の後、口を開いたのはリリィだった。
「他の大きな出版社じゃダメなんです。ラビットフェアリー社じゃないと……」
リリィの表情は、どことなく切羽詰まっているように見えた。
このままでは、貴重な作家のたまごが消えてしまうかもしれない。
そんなのは嫌だ。
(叔母様にいくらダメと言われても、やっぱり諦めたくない!)
ミーナはぴしっと右手を上げると、高らかに宣言した。
「はい! わたしが小説の書き方を教えます!」




