↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あなたの番は、もうどこにもいない  作者: 黒猫と珈琲


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/15

第3話 十八歳になったら

 十七歳になった頃、ツェツィーリアは竜族の領地へ行く日に何を着ようか迷うことを、もうイルゼに隠さなくなっていた。


「今日は白にするわ」

「昨日までは淡い青とおっしゃっていませんでした?」

「白の方が、このリボンに合うもの」

「なるほど」


 イルゼが髪に結ぼうとしているのは、深い青色のリボンだった。


 少し前、レオンハルトが旅先で見つけて持ち帰ってくれたものだ。


『お前に似合うと思った』


 それだけ言って渡された。


 たったそれだけなのに、ツェツィーリアはそれから何度も使っている。


「……何?」

「いいえ」

「また笑ったでしょう」

「笑っておりません」

「絶対に笑ったわ」

「ただ、お嬢様もずいぶん変わられたなと思いまして」


 鏡越しにイルゼを見る。


「何が?」

「二年前は、レオンハルト様に会うだけであんなに緊張していらしたのに」

「そうだったかしら」

「ええ。今では、明日はレオンハルト様のところへ行くからこの服は着ない、と三日前から予定を立てていらっしゃいます」

「……それは言わなくてもいいでしょう?」


 イルゼがとうとう笑った。


「お嬢様が楽しそうなので、私は嬉しいですよ」


 ツェツィーリアは少し頬を膨らませてから、鏡へ視線を戻した。


 二年。


 十五歳で番だと分かってから、レオンハルトとは何度も会った。


 一緒に本を読み、庭を歩き、竜族の町へ連れていってもらったこともある。約束どおり、黒竜の背にも乗せてもらった。


 最初に飛んだ日、「もっと高くても平気よ」と言ったら、


『お前は昔からそればかりだな』


 と呆れられた。


 どうして知っているのかと聞けば、


『テオドールの背に乗った話を、自分でしただろう』


 そう返され、さらに、


『今日は比較するな』


 と付け加えられたから、思わず笑ってしまった。


 今ではもう、レオンハルトの前で笑うことも、名前を呼ぶことも、すっかり自然になっている。


「できました」

「ありがとう」

「お気をつけて」

「ええ」


 扉へ向かいかけたところで、イルゼが声をかけた。


「お嬢様」

「なあに?」

「今日は帰りが遅くなっても構いませんよ」

「……何を言っているの」

「旦那様にもお伝えしてあります」

「イルゼ!」


 笑い声を背中で聞きながら、ツェツィーリアは部屋を出た。


 ◇


 竜族の館へ着くと、玄関前にレオンハルトが立っていた。


「遅い」


 開口一番そう言われて、ツェツィーリアは目を瞬く。


「時間通りよ」

「そうか?」

「そうよ」


 二年前と変わらない漆黒の髪に、金色の瞳。


 けれど、ツェツィーリアの方はずいぶん変わった。


 十五歳だった少女は十七歳になり、背も少し伸びた。髪も長くなり、社交界へ出る機会も増えた。


 だからなのか。


 最近、レオンハルトが時折、自分を見る目が以前とは違う気がする。


 その意味を、ツェツィーリアはまだよく分かっていなかった。


「待っていたの?」

「たまたま外にいただけだ」

「本当に?」

「ああ」

「ヘルムートに聞いてみようかしら」

「やめろ」


 間髪入れずに返ってきた。


「やっぱり待ってたのね」

「……行くぞ」

「どこへ?」

「見せたいものがある」

「何?」

「来れば分かる」


 レオンハルトが先に歩き出し、ツェツィーリアはその背中を追う。


 以前なら、彼の少し後ろを歩いていた。


 けれど今は、自然と隣へ並ぶ。


 それも、いつの間にか当たり前になっていた。


 向かったのは、館の裏手にある小高い丘だった。


「ここ?」

「ああ」


 丘を登りきったところで、ツェツィーリアは足を止める。


「わあ……」


 一面に、淡い青色の花が咲いていた。


 風が吹くたび、小さな花が一斉に揺れていく。


「綺麗。こんな場所、あったのね」

「普段はあまり来ない」

「どうして今日ここへ?」

「今が一番咲く時期だからだ」


 ツェツィーリアは振り返った。


「私に見せようと思ったの?」

「ああ」


 あまりにも普通に答えられたせいで、胸の奥が少しだけ熱くなる。


「……そう」

「何だ」

「何でもないわ」


 二人で花の間を歩く。


「昔、館の庭でこの花を一緒に見たでしょう?」

「ああ」

「私、あの頃から好きだったの」

「覚えている」

「覚えていたの?」

「お前が何度もかわいいと言っていたからな」

「よく覚えてるのね」

「お前の話は、妙に頭に残る」

「それ、褒めてる?」

「一応」

「一応なのね」


 笑いながら歩いていたけれど、ふと気づく。


 レオンハルトが、さっきから何度かこちらを見ている。


「何?」

「何がだ」

「さっきから見てるでしょう」


 レオンハルトが少し黙った。


「……髪」

「髪?」

「そのリボン」


 ツェツィーリアは手を伸ばして触れる。


「ああ、これ」

「使っていたんだな」

「レオンハルトからもらったものだもの」

「そうか」

「似合う?」


 何気なく聞いたつもりだった。


 けれど、レオンハルトはすぐには答えなかった。


 金色の瞳が、じっとこちらを見る。


 十五歳の頃なら、もっと気軽に答えていた気がする。


 その沈黙の長さに、ツェツィーリアまで妙に落ち着かなくなる。


「……似合う」


 ようやく返ってきた声が、少し低かった。


「ありがとう」


 それだけ答えた。


 なのに今度は、自分の方が彼の顔を見られなくなった。


 丘の端には、大きな木が一本立っていた。


 二人でその下に座る。


 遠くには山が見え、空には一頭の竜が飛んでいた。


「ねえ、レオンハルト」

「なんだ」

「覚えてる? 最初に会った日のこと」

「ああ」

「私、すごく緊張してた」

「知っている」

「そんなに分かりやすかった?」

「ドレスを握り潰しそうだった」

「そんなに?」

「ああ」


 ツェツィーリアは笑った。


「私ね、あの日、あなたがもっと怖い人だと思ってたの」

「失礼だな」

「だって竜族の長よ? 黒い服で、全然笑わなくて」

「今も大して変わらないと思うが」

「今は違うもの」

「何が」

「笑うでしょう?」

「……たまにな」

「優しいし」

「そうか?」

「そうよ」

「自覚はない」


 ツェツィーリアは膝を抱えた。


「私は、優しいと思ってる。十五歳の私に、何もしなくていいって言ってくれたでしょう?」

「ああ」

「好きにならなくてもいいとも」

「言ったな」

「だから安心したの」


 もしあの日、レオンハルトが、番だから自分のものだと決めつけるような人だったなら。


 きっと、今の二人にはなっていなかった。


 急かされなかったからこそ、彼を知る時間があった。


「ちゃんと、レオンハルトのことを知る時間があったの」


 風が吹き、青い花が揺れる。


「それで?」

「ん?」

「知って、どうだった」


 聞かれて、ツェツィーリアは言葉に詰まった。


 レオンハルトの目は真っ直ぐだった。


「……それを聞くの?」

「ああ」

「ずるいわ」

「何がだ」

「分かってるくせに」

「分からない」

「本当に?」

「ああ」


 嘘だ。


 きっと。


 けれど、ツェツィーリアは少し俯いた。


 二年前なら言えなかった。


 一年前でも、きっと。


 でも今なら。


「好きよ」


 小さく答えた。


 レオンハルトが動かなくなる。


「……もう一度」

「嫌」

「なぜ」

「聞こえたでしょう?」

「聞こえなかった」

「絶対に聞こえてた」

「もう一度言え」

「嫌よ」

「ツェツィーリア」

「言わない」


 頬が熱い。


「……そうか」


 レオンハルトが、少しだけ残念そうに前を向いた。


 それを見たら、仕方なく、ほんの少しだけ彼の方へ身を寄せる。


「好き」


 今度は、さっきよりはっきりと言った。


 レオンハルトがこちらを見る。


「番だからじゃないわ」


 ツェツィーリアは続けた。


「レオンハルトだから好きなの」


 言ってしまった。


 恥ずかしくて、今すぐ逃げたくなる。


 けれどレオンハルトは笑わなかった。


 からかいもしない。


 ただ、とても大切なものを見るような目で、ツェツィーリアを見ていた。


「……そうか」

「それだけ?」

「何と言えばいい」

「知らないわ」

「俺もだ」


 思わず笑ってしまう。


「変なの」

「ああ」


 レオンハルトも、わずかに笑った。


 そして。


「嬉しい」


 低い声で言った。


 たった一言。


 それだけで、ツェツィーリアには十分だった。


 しばらく二人で花を眺めていると、レオンハルトが静かに口を開いた。


「来年だな」

「何が?」

「お前が十八になる」

「ああ」


 ツェツィーリアは頷く。


 人間の貴族社会では、十八歳になれば正式に婚姻する者も珍しくない。


 レオンハルトとのことも父とは何度か話している。


 けれど、まだ何も決めてはいなかった。


「怖いか」

「何が?」

「俺のところへ来ることが」


 ツェツィーリアは少し考えた。


「最初は、怖かったかもしれない」

「今は?」

「怖くないわ」

「そうか」

「でも」

「なんだ」

「私、人間よ」

「ああ」

「レオンハルトは竜族で、しかも長でしょう?」

「ああ」

「私にできるのかなって、時々思う」

「何を」

「あなたの隣にいること」


 正直な気持ちだった。


 好きだからといって、それだけですべてがうまくいくとは思っていない。


 寿命も違う。


 種族も違う。


 立場だって違う。


 レオンハルトはしばらく黙っていた。


「ツェツィーリア」

「うん」

「俺は、お前に竜族になれとは言わない」


 静かな声だった。


「俺の隣に立つために、別の誰かになる必要もない」


 ツェツィーリアは彼を見る。


「今のお前のままでいい」


 目を瞬いた。


「本当に?」

「ああ」

「私、失敗するかもしれないわ」

「その時は俺がどうにかする」

「そんな簡単に?」

「俺は長だ」

「こういうときだけ便利に使うのね」


 レオンハルトが少し笑う。


 ツェツィーリアも笑った。


 それから、ほんの少し迷って口を開く。


「十八歳になったら」

「なんだ」

「あなたの隣にいてもいい?」


 レオンハルトの表情が変わった。


 一瞬だけ目を見開き、それから金色の瞳が柔らかくなる。


「お前がそれを望むなら」

「望んでるわ」


 今度は迷わなかった。


「私、レオンハルトの隣にいたい」


 長い沈黙のあと、大きな手がそっとツェツィーリアの頭に触れた。


 子ども扱いされているようで、以前なら文句を言ったかもしれない。


 けれど今日は、その手が嬉しかった。


 レオンハルトの指が、深い青のリボンへ一度だけ触れる。


「十八になっても、同じことを言え」

「言うわ」

「約束できるか」

「できる」


 ツェツィーリアは笑った。


「だって、今もそう思ってるもの」


 レオンハルトはしばらく何も言わなかった。


 ただ、その手をすぐには離さなかった。


 ◇


 丘から戻る途中、一人の女性とすれ違った。


「レオンハルト様」


 赤みのある黒髪に、赤茶色の瞳。


 凛とした顔立ちの竜族の女性だった。


 レオンハルトが足を止める。


「ペトラ」

「お戻りだったのですね」

「ああ」


 ペトラの視線が、ツェツィーリアへ移る。


 一瞬、何かを探るような目をしたが、すぐに穏やかな笑みに変わった。


「ツェツィーリア様」

「ペトラ様。こんにちは」

「お久しぶりです」


 ペトラとは、これまでにも何度か顔を合わせている。


 レオンハルトの近くにいることが多く、古くから彼を知る女性らしい。


「今日はお二人で?」

「ああ。丘へ行っていた」

「そうでしたか」


 ペトラは笑う。


 けれど、その視線が一瞬、ツェツィーリアの髪へ向いた。


「そのリボン、よくお似合いですね」

「ありがとう」

「レオンハルト様がお選びになったものですか?」

「ええ」


 答えると、ペトラはほんの少しだけ目を細めた。


「……そうですか」


 それだけだった。


「では、私はこれで」

「ああ」


 ペトラが去っていく。


 ツェツィーリアは、その背中を少しだけ見送った。


「どうした」

「ううん。何でもないわ」


 隣には、レオンハルトがいる。


 来年、十八歳になったら。


 きっと今よりもっと近くにいられる。


 これから先も、この人の隣で同じように笑える。


 ツェツィーリアは、そう信じていた。


 疑ったことなど、一度もなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。