17.契機
道中で六足狼やゴブリンなどといった魔物に何度か遭遇した。
そのような事態に陥った際には、レイリーリャはハイリアルの背後から襲われないように乗っている馬ズゼルーマーを盾のようにして、彼の背後に控え反対側を見張る事を予め決めていた。
彼女は怖がらずにしっかり見張りをしなくてはいけないと思っていた。
しかしそれにも拘わらず、魔物達に襲われてた時には、それが出来なくなってしまった。
魔物達を見た途端怖くなってしまい、身体が震え両足が竦んで身体が動かなくなってしまったり、頭や身体を縮めて馬の胴体の陰に隠れてしまい、確実に周囲を見回して見張る事が出来なくなってしまった。
魔物達に対する恐怖が甦ってしまった。
魔物に対する恐怖に取り憑かれ、全く取り払えてなかった。
幸い彼女がそのような状態になってしまった時には、見張らなくてはいけない方向から魔物達に襲われる事は無かった。
彼は独力で魔物達を一掃し、彼女がそのような状態に陥っている事に全く気付いていないように彼女自身には見えていた。
…………どうして後ろを見張るぐらい出来ないの。
毎回毎回怖がってうずくまってばかりで、ちゃんと見張れないじゃない……。
ハイリアルが魔物達を撃退する毎に、レイリーリャは指示通りに見張りをする事が出来なかった自分自身を責めていた。
…………これじゃあ、ただの足手まといじゃない……。
わたしはそれ位の事が出来ないダメな人なのね……。
そうした後は自らの無力さに悲しくなり、心が沈んでしまう事を繰り返すのだった。
しかしそんなレイリーリャにも、変化するきっかけとなる出来事が起こった。
ある日の事だった。
街道を乗馬してハイリアルと進んでいた時に、ゴブリンの群に襲われた時の事だった。
彼は左手の薮に何かが潜む気配に気付くと、速やかに彼女の乗る馬の横に並ぶ。
「……何か潜んでいる。降りて後ろを警戒しろ。」
ハイリアルは左手の薮の方を凝視しながら、レイリーリャがいる方を振り返らずに指示する。
それを聞き彼女は戦慄する。
その瞬間全身が固まってしまい、鞍の上に座ったまま動けない。
身体が震えてしまっているのに自覚出来ていない。
「早くしろ。……魔物が潜んでいる。」
彼は振り返らずに告げる。
感情を表に出さないように試みているが、強まった言葉の語尾から苛立ちがにじみ出る。
「は、はい!畏まりました。」
彼女はこの彼の一言で、身体が固まって動かないままで、指示通りの行動が出来ていない事を自覚した。それと同時に彼の怒りを買ってしまったと思い、彼に対しても恐く感じてしまう。
事前の決まり通りに乗っている馬から降りて盾にしようと、彼が身構えている方である左側に、身体を震わしながら馬の胴を抱えへばりつくように足から滑り落ちた。
魔物達と彼の苛立ちに恐がりながら、二匹の馬がいる間から見張ろうと試みる前だった。
ハイリアルは薙刀を左手の街道の間際に茂る薮に向けて、何も言わずに魔法を無詠唱で発した。引き裂く嵐だった。
風の刃が流れて渦となり、嵐となった渦が藪を絞め上げる。切り裂かれた緑やカーキ色した葉や枝、それに魔物の肉塊や緑がかった黒い血しぶきが、その断末魔の叫びと共に風の刃に乗って青い空に舞い上がる。
嵐は彼らの背後を取られぬよう虱潰しをするように街道を平行にゆっくりと進んでいく。
魔物達の叫び声がゴブリンだと彼は認識すると、忌々しそうな顔をして溜息をつく。そして薮から街道にゴブリンが飛び出し姿を見せる度に、薙刀を構え氷鎗の魔法で貫いて行く。
「……やっぱりゴブリンか。氷鎗で大丈夫だな。」
ハイリアルの呟きは淡々としている。
ゴブリンの身体を貫いたまま氷鎗が地面に刺さり、モズのはやにえと化する。
彼が何発も氷鎗を放し続けていると、左右の薮の中から挟み込むようにゴブリンが飛び出てきた。
彼は舌打ちすると、右側より飛び出してきたゴブリン目がけ氷鎗を放つ。それが刺さって倒れる間も無く、左側より襲いかかるゴブリンに振り向く。彼が顔を向けると同時に、ゴブリンは手に握り締めていた物をハイリアル目がけて投げつけた。砂利だった。
彼は薙刀を握っていない方の左腕で顔を隠す。
「ゴブリンのクセにシャラ臭い。」
口から発した言葉とは裏腹に、右の口許に薄笑いが浮かぶ。
ゴブリンの目は血走り、顔面は憎悪と恐怖で歪んでいる。
ゴブリンは飛びかかりながら、乗馬したままでいる彼の身体目がけ蛮刀を振り上げる。
その瞬間、ゴブリンの喉元に薙刀の刃が突き刺さる。喉に刃が刺さりゴブリンの叫び声が止まる。切り口から流れる血が喉に溢れ咽ぶ。
彼は薙刀を振り払い、刃に刺さったゴブリンを振り落とす。その刃はゴブリンの首許から抜け、背中から地面に叩きつけられる。
仰向けになったゴブリンの身体が痙攣を繰り返す。喉の切り口から呼吸音と共に緑黒い血が地面に拡がっていく。痙攣をする間隔が徐々に拡がると共にその力も弱まり、やがて動かなくなった。
レイリーリャはハイリアルに命令されたものの、この時もしっかり見張れていなかった。
彼女の乗る馬スゼルーマーは背が高く、背中越しでは彼女の身長だと背伸びしても遮られ見張り難かった。
その上魔物に襲われた時の記憶が再び蘇り、その怖ろしさがまだ残っていた。
見張らずに怖がっていてはいけないと気張ろうとする。しかしながら、怖ろしさに心を支配され、愛馬ズゼルーマーの前足に捕まり座り込んでしまう。
「…………大丈夫。大丈夫。怖くない。怖くない。……」
彼女は怯えて震える自分自身に対して、暗示に掛け奮い立たせるように呟きを繰り返す。
しかし自己暗示が効かずに怖ろしさは感じたままだった。
それでも両手をズゼルーマーの前足を掴み座り込んだ姿勢のままだが、その怖ろしさを耐えながら顔を上げて両目を右、左へと動かし、馬の胴の下から周りを目に入れようとする。
何としても見張りとしての仕事をしようと辺りを見回そうとした。その時、レイリーリャの正面の薮、即ちハイリアルにとって背後の薮から、何かが飛び出したのが視界の隅に入った。
それはズゼルーマーの後ろ足に遮られ、死角になってしまい見辛い所だった。
彼女は顔を動かし凝視する。
ハイリアルを背中から襲おうとしているゴブリンだった。ゴブリンは剣を構え駆け寄る。
彼女は恐怖で身体が凍る。
「―――――― は 、 は、 は、 ハイリ ア ル、さまっ! ゴブ ……」
恐怖で戦慄し口が思うように動かない。それでも言葉にならない声で彼を呼んだ。
その言葉が言い終わる前だった。
駆けているゴブリンが足を縺れ、体勢を崩して転んだ。地面に顔面から滑り込み這いつくばる。
ゴブリンはばっと顔を上げ彼を見上げる。
その顔は恐怖で歪み、血走った両目が見開いて強張る。
額が擦り傷で緑黒く滲み、鼻孔から緑黒い血が滴り落ちる。
彼は倒れた音で気付き、振り向こうとした。
ゴブリンは恐慌し焦りながら立ち上がる。
その途端腰蓑を縛るひもが切れた。
腰蓑がずれ尻の上の方が晒される。
ゴブリンは元来た方に逃げようと後ろを向き走り出した。
落とした剣は顧みずその場に放られたままだった。
走りながら腰蓑が下にずれ落ち、ゴブリンの薄緑色の尻ほとんどが曝け出される。尻の肉には吹き出物が拡がり、拭き取られていない汚れも残っている。
ゴブリンは慌てて腰蓑を掴み尻と股間を隠す。
それによって両腿を広げ走れずに足がもつれる。
再び転びかけながら道端に辿り着き、頭から薮の中に飛び込んだ。
その瞬間ゴブリンが跳んだ路面に氷鎗が刺さる。
その攻撃は間に合わなかった。
「……やり損ねてしまったな。」
ハイリアルはゴブリンが飛び込んだ薮を眺めながら苦笑いを浮かべている。
「アレを思わず見続けてしまった。また襲いかかってきたら直ぐに知らせろ。」
彼はレイリーリャの方を向いて指示する。その声の調子は余裕が出たのか柔らかかった。そして再び正面に振り返り、現れるゴブリン達に向けて魔法を放っていた。
「…………あれは一体なんだったの……。」
この様子を見ていた彼女は唖然としていた。
襲いかかろうとしたゴブリンが走り出した途端転んでしまったので、戦うのを止めて逃げ出すとは微塵も想像していなかった。
しかもその時のゴブリンの態度に凶暴さは感じられなかった。
それどころか、怖がって動揺し慌てふためいている事が、表情や行動から見て取れてしまった。
彼女には、人達がゴブリンに対して恐れを感じている事と同様に、ゴブリンも人達に対して恐れを感じているように見えたのだった。
また改めて見てみると、このゴブリンの身体は余り大きく見えなかった。
森で襲われた時に見たものよりも小さく見えた。
身長は彼女の胸より低いように見えた。
周りで群がり彼を襲っているゴブリンも、同じ程度の大きさのように見える。
…………用を足している時に借金取りに見つかり、トイレから飛び出してきた黒小人のおじさんみたいだったね……。
今も彼の身体には怖ろしさや緊迫感はまだ残っている。
しかし強張る程の強さではなかった。
―――しっかり見張らなきゃ。
彼女は気合いを入れようと両手で自らの両頬を叩く。そして改めて小刀を握り締めると、ズゼルーマーの太ももの陰から頭を出し辺りを見回し始める。
レイリーリャは魔物に対して、怖ろしさを感じなくなるような事は無かった。
戦いが苦手な事も変わらなかった。
しかし、魔物に襲撃された時に感じる怖ろしさは、以前程強く感じるような事は無かった。
恐怖で身体が強張って動けなくなってしまったり、怯えて丸く縮こまってしまうような事は無くなった。
徐々にだが、魔物全体の動きをしっかりと見れるようになった。
今回のゴブリンによる襲撃は、同じような襲撃を受けた際には、魔物が自分を狙って攻撃されないか怖さを感じつつも、ハイリアルの背後で構え、周囲を見回して状況を見る事が出来るようになった契機となったのだった。
後日、レイリーリャがこの契機について振り返る時はいつも、恐怖で血走る両目を見開く顔と、吹き出物と拭き取られていない汚れで汚い尻をしたゴブリンの姿が、嫌でも心の中に甦ってしまうのだった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
わたくしも嬉しいです。
街にある本屋が減少し、棚に陳列された本の背表紙を眺め、興味を感じる本を手に取って読んでみるような事は減ってしまったように感じます。
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そうしていただけると、この作者の心が嬉しさで大爆発したようになり、これからの物語を創る励みと自信になります。




