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第5章 プルーラル・カントリー(多元の国)


 開店には、まだ2時間ほどある。〈Patina〉の店前では、黒塗りの社用車が秋の残照を浴びていた。カウンターの角に、世耕オンタイとネイビーが座っている。

 ふたりの間には、大きめのアイスバケットに氷が満たされ、日本酒の四合瓶が冷やされている。山口県岩国の〈雁木〉スパークリング純米生原酒。タエさんは、午後のあいまいな時間に合わせて、ムカゴの塩茹で、洋梨、そして地元で評判の良いお煎餅屋さんの揚げおかきを酒肴にした。


 世耕さんは、秋葉原の電気街から身を興し、半導体など電子部品を扱う専門商社やEMS(電子機器受託製造サービス)の企業グループを発展させた、立身伝中の人物だ。早いうちに経営を後進へと託し、現在は、働くひとたちの未来を豊かにできないかと、国内外の投資家や経営者と意見を交わしながら、あちこち飛び回っている。


 ネイビーと世耕さんの出会いは、20年以上前になる。当時ネイビーは、実力のある全国の中小企業が手を組みながら発展していけるような、ビジネスマッチングシステムを画策していた。

 たとえば、自動車の精密部品を製造する企業の中には、その基幹技術を応用すれば、医療機器の製造を手掛けられるところもあるだろう。

 しかし、組織が小規模であると、転用のための設備投資や異業種への販路開拓まで、なかなか手が回らない。結果、業績は単一の業界顧客の浮沈や、コストカット要求に左右されてしまう。

 すぐれた中小企業の底力が、下請けとして安価に叩かれるのではなく、価値として認められるために、個々の技術や販路をネットワークしてシナジーを生み出せないか。町工場の界隈では、知り合いの職人同士で仕事を手伝い合うことを〈仲間回し〉というが、ネイビーはそれを、より効果的・大規模な互助システムに仕立てようとくわだてていた。


 同じ総合商社の金融系セクターにいた清野のオッチャンが、手を貸してくれた。

「能美、この仕組みは、地方銀行や信用金庫に実装してもらうとよいわ」

 地域の中小金融は、地域の中小企業と深いつながりを持つ。

 顧客情報は与信管理のデータベースにインプットされていたが、それぞれの得意技や新ニーズを掘り起こし、ビジネスの出会いを生むような建て付けにはなっていなかった。行内に限られて共有していた企業の情報を、他の地域や他行と守秘義務をもって活用することにより、境界を越えた新規機会も見込めるのではないか。

 ネイビーとオッチャンは、当時〈サイロ・システム〉と揶揄されていた商社組織の立て割りの壁も越境し、浮上のチャンスを模索する地銀や信金に話をつけていった。


 ビジネスマッチングを起動した当初から、積極的にコミットしてくれたのが世耕さんだった。それまで彼は、地方に散在するテック系の才能とつながるため、靴の底をすり減らしながら、各地の研究機関やベンチャー集積地区をまわっていた。仕組みを通して効果的に〈仲間〉と知り合い、時には技術提携やM&Aなどの経営手法を駆使しながら、世耕さんは事業の礎を固めていった。




「わざわざ東京のはずれまで、ありがとうございます」

ネイビーは四合瓶を開封し、発泡がおさまるのをゆっくり待つ。うす濁りのスパークリング酒を、ふたつのジングラスに注ぐ。

「明日の朝から、箱根で会合がありましてね。夕飯までに現地へ入ればいいものですから」

「ひとの対話が、リモートからリアルに戻りはじめていますが、お集まりもまた増えていますか?」

「前ほどではないですね。儀礼的な会議や業界団体の集まりなどは、皆さんリモートで良いと感じています。一方で、お互いの背景までしっかりわかり合いながらネゴシエーションすべき場面は、以前よりしっかり時間を使えているかもしれません。リモートだけで構築できる、深い人間関係は、まぁ、ありませんから。むしろ、以前より、人間力が試されるようになっているのかな。ともあれ、オンラインとオフラインを使い分けられるようになったのは、ありがたいものです」

おだやかな表情の紳士が、グラスを目線まで軽く掲げ、乾杯する。

「能美さん、今年も学びの機会をありがとうございました」


 ネイビーは毎年2回、世耕さんのグループにある専門商社で、新規事業開発や時流展望のワークショップを任されている。1回に15人、1か月間で300案を出すプログラムは、〈シートノック〉と呼ばれ、6年ほど続いている。

「当初は、ひとりで何案も出すことに抵抗も受けましたが、とにかく粘って、メンバーの何百案を壁に貼りだすことが、壮観ですし、達成感がありますね。今回は、世耕さんの記憶に残りましたか?」

オンタイは、プロジェクトルーム全面に貼られた300越えのアイデアを、社員とじっくり吟味する日は、必ず参加している。一見、なんともない企画でも、異なる職務担当の視点でみると、普段は発想しにくい意外なヒントが潜んでいる。材料が多いほど、お互い、思わぬ気づき合いも増える。

 このワークショップから、過去に十数件ほどの新規事業企画や新商品開発、協業案件が生まれた。


「これでまた、飛び出したい若手がどんどん出てくるかな」

世耕さんのグループ内にある商社は、いまや事業投資会社の様相を帯びている。

 自身のプランに自社から資金を調達して社内起業する、イントレプレナーもいる。可能性のあるスタートアップを見つけ出し、投資や顧客紹介によって事業を軌道に乗せるために、そこへ経営職として出向していく者もいる。

 そもそもいま就職してくる若者は、定年まで企業に居つく前提で入社しない(定年制が将来あるかどうかもわからないが)。特に商社の場合、5年ほど実地で勉強して、自立する力を磨くために就職を希望するひとが多いのかもしれない。

「そうなると、本業からどんどん、人財がいなくなってしまいますね」

「私は、それでいいと思っているんです。500ぐらいに小分かれした事業体になっても構わないですよ。なかには個人事業主のような立場のひとがいたり。もし、スピンアウトしても、OBとしてつながってくれたりね。そのうち、グループの中にNPOがあっても面白いな」


――大きな国や大きな企業が、必要以上に強欲になると、人間をつまらなくする。もう、みんながわかっていることじゃないですか。規模のチカラと生産性を追い求めてきた大企業は、そこでひとが仕事を愛せるかどうか、未来の人財にとって魅力的な成長の場所になれるかどうか、根本から考え直さなければいけない時代だと思います。


「ふつう、企業の経営者は、大きな本体中心に成長するデザインを考えませんか?」

「もう、真ん中が官僚的にコントロールする時代じゃないでしょう。それに、いまのドメインが今後も主軸であるとは限りません。100億円の柱は10億円の事業が10件に置き換わってもいいですし、そうした中からゆっくり1000億に育つものも出てくるのではないか。スケールを過剰に目的化せず、もっと時間をゆるやかに考える面もないと、技術基盤も組織風土も、熟成しません」

「500の事業体の管理中枢は、どうなりますか?」

「私はAIに期待しています。市場分析やタスク管理などへの導入を進めながら、経営の中核にもAIを実装する流れが本格化するでしょう。経営戦略スキルは、桐の箱にでも入ったビジネス知識の頂点のようにみなされていますが、実は、AIが最も扱いやすい情報領域のひとつです。いずれ、コモディティ化しますよ」


――AIは、500のグループ事業を、人間よりフェアに、丁寧に運営できるんじゃないかな。戦略のジャッジは500人のリーダーが交代で組み合いながら……古代ギリシャの民会とか、身近なところでは、商店会の寄合いのようになれば面白いです。アリストテレスは、ギリシャの都市国家は人口5040人ぐらいが理想的だと言っていたそうですよ……40人って、端数が細かいな。まぁ、会社もあんまり大きくなっちゃあ、全体が見えなくなるんですよ。

 人間は、見えにくいところを軽んじて考えます。AIは、それをしない。


「社会インフラを整備したり、宇宙へ進出するような、大きな仕事はどうでしょう?」

「自前にこだわらず、社内外グループのジョイントベンチャーと考えれば、いいんじゃないでしょうか。規模に合わせて、適財が適所にその都度集まればいい。逆に、いつも大仕事ばかり請け負おうとすると、大きな管理組織を常に維持しなければならない。そのうち、派閥ができたり、真ん中が硬直化するんです」

「それはもう、人間の仕事じゃなくてよいと?」

「ええ。管理業務のテクノロジーへの委託がすすめば、発想と開発と決断が、人間仕事の主な領域となります。もちろん、テクノロジーは注意深く扱う必要がありますけど、私たちは、経済効率のオペレーション奴隷になって働くことから、かなり変われると思います」


「シリコンバレーは、はじめのうち、寄合いコミュニティのような感じがしました」

「そんな気がしますね。投資家が近所のナパ・バレーでワインを飲んでいるうちに、面白いアイデアと出会う。一緒にやろうか。経営の精度を上げるなら、その道のプロを連れてくるよ。そうやって、成功も失敗もどんどん生み出す集散の活力があったんでしょう。稟議なんて、書かなかったんじゃないかな。企業の究極の理想は、ひとが出会うコミュニティになることかもしれないです」

 世耕さんは、大きな組織を受け継いだ経営者ではない。だから、ネットワークとして縦横無尽に相互作用する、中枢が希薄な企業観を思い描くことに抵抗がないのだろう。




 お煎餅は、酒の友になるんですね。揚げおかきをつまみながら、オンタイは言葉を継いだ。

「西洋の組織は、その宗教に似ていませんか。カリスマヒーローが教祖で、布教の販管セクションが教会。そしてブランドファンという信者が垂直に並ぶわけです。

 ところが能美さん。日本も構造的には同じなんですが……我々の歴史の中には、教会と違う、神社がありますよね。

 神社は真ん中に、シンボルではなく〈空〉があります。私たちが拝むご神鏡には、こちら側の現場の風景が映っているんですよ。つまり、民の中に八百万やおよろずの小さな神が隠れていますよと、リフレクトしている。

 これからの経営者は、教祖ではなく、神主のほうがいいんじゃないでしょうか。

 こう、お祓い棒を振ってね、あなたも~豊穣に感謝する~八百万の働き者である~。そうやって、新たな精霊を招いていくんです。西洋のモデルでないほうが、どうも先進的な気がします」

手元の箸を握って振る世耕さんは、社長室で後進に祝詞をとなえていたのかもしれない。

「分業化されたジョブをひとびとに分配するのも、事業者としては常識的な考え方ですが、世の中に善き事業を提供できる八百万を育むことが、もっと重要になってくるような気がします。

 そしてね、その事業コミュニティのインフラには、多様なタレントが生涯にわたって学び合いに来る、ふ卵器のような場所が必要だと思うんです」

「……僕のお手伝いする、学び舎づくりの実験ですね」



 世耕さんや国内外の経営者などが画策している、新しい学び合いのコミュニティは、テーマに〈ヒューマニティ〉を据えている。


・住む土地の環境と人間が、注意深く共生する

・地域の文化と人間コミュニティの、持続的な成熟

・その地域ならではの経済充足と、働き学ぶよろこび


――これまでグローバル経済が取りこぼしてきた、各地で異なる環境文化の中で多様にしあわせになるための知を、改めて掘り起こしてみたいのです。それを学術論述やビジネスモデルといった既定の理論書式ではなく、人間の心持ちや希望として、ごく平らなコミュニケーションで啓発し合う場がつくりたいのです。


 はじめは、既存の大学院など教育機関に寄付講座を開設する案も出ました。専門家が真摯に研究を重ねたアカデミアの底力は、創立メンバーの誰もが認めていますが、権威的・形式的なしきたりの中、人間を客観視した論文や調査レポートを成果とするような思考内に拠点を置くことには、また全員が違和感も持っていたのです。ビジネススクールは、経営管理の職能訓練が存在原点のため、選択肢に入りませんでした。


 我々の考える学び合いは、厳かなものではなく、緩やかで創造的なものにしたい。終わりのない相互啓発にしたい。ボードメンバーは、〈学ぶ〉ということの本来を見直しています。

 ネイビーが参画の依頼を受けた時、世耕さんは、サッカーの日本代表監督が常備していたような小さなノートをポケットから取り出して、そんな話をしてくれた。


 こんなやり取りもあった。

「なぜ、僕なんでしょう?」

「あなたの実績や世の中に対する想いは、もちろん考慮に入れています。なにより大切なことは、あなたは専門家や先生然としていない。話材を選ばないスーパーリスナーだからです。スーパーリスナーというと、単に聞き上手のように感じるかもしれませんが、対話する仲間を信頼でつなぎ、対話を拡張することができる……もっと深いタレンタビリティだと思います」

世耕さんはその役割を、〈nudger:ナジャー/ちょっと肘でつつく、軽く背中を押すひと〉という言葉で表現した。


 スタート時に拠点を構える地域は、5ヶ国。


■カナダのナジャーは、先住民イロコイ族の出身で、アメリカの法律事務所で働いた後、現在は東海岸の故郷で、クラフトアート・スクールを開く女性が務める。

■ポルトガルのナジャーは、航空産業でエンジニアの経験がある男だった。いまは世界中のミュージシャンが音楽づくりのために長期で籠りに来る、広大な農場型スタジオの主だ。

■ハワイで大規模ホテルチェーンのマーケティングに携わった後、タヒチに渡り、ポリネシアの伝統航海術を継承するサーフショップのオーナーもいる。

■コスタリカからは、穀物メジャー企業からエコツーリズムのガイドに転進した科学者夫婦が参画する。


 誰もがFIREを果たした成功者ではない。無名のグローバル・ビジネスパーソンとして、懸命にキャリアを過ごし、ライバルから奪ったり、誰かを排するドライな競争に疑念を抱き、人生の質的な充足を求めて脱出した経緯を持っていた。

 そして誰もが、小さなコミュニティで慕われる世話役だった。


「僕はあまり、サステナブルな暮らしを実践しているわけではありませんが……」

ネイビーが新しい同僚のリストを眺めながらつぶやくと、世耕さんは笑いながら応えた。

「能美さんは、例の中小企業をくっつける仕掛けをロウンチしながら、日本全国にお友達をつくったじゃないですか。あれ、あなたの財産ですよ」

――そうか。大船渡の造船会社、福井の和紙屋さん、燕の洋食器会社……商社マンだったおれには、土地に根を張り、仕事と人生とコミュニティを同化させる事業家たちが、実にうらやましかった。

 おれがつくったのは、ドライなネットワークだが、彼らと直に話していると、〈新しい仕事は酒場で生まれる〉という地方の格言も実感することができた。

 バー&カフェをはじめたのは、きっと、あの時のわくわくする創発感が残っていたからだろう。


 学び合いの拠点選択では、権力やイデオロギーで人間が統制される国々、過剰な金融至上主義や市場原理主義を主導する国々が、意図的に避けられた。

 ただし、創立のボードメンバーたちが驚いたことに、そうした国々の投資家や事業家からも、多額の支援金が集まった。これまで通りの学びや働き方に、潮の変わり目を感じているリーダーも増えているのだろう。

 各地の運営費や人的コストは、そうした支持者による協賛で賄えた。ただし、参加生は1年に8日以上/最低1回、自費で別の拠点を旅して、仲間と対話することが入校の条件となっている。


 この学び舎には、定型プログラムがない。課題の創造こそ、学ぶ者の側にイニシアティブがあるべきだと考えられている。月に2度のブレスト前には、〈地域の古老に、幼い頃のしあわせについてインタビューする〉〈100年後に残したい暮らしの習慣〉〈生まれ変わったら就いてみたい、まだない職業を創案〉といった、平板だが人間として深耕すべき問いが、引き金として出題される。

 参加生は、世界のさまざまな土地で暮らし、仕事も価値観も違う。

 多様な彼らが、ふだんは実務課題として捉えないような探究を起点として、お互いの環境と自身の内心にひそむ、新しい成長や幸福の機会を見つけ合う。そうした人間本来の希求をもとに、世の中に価値ある事業や商品サービスを発想する。競争を起点とする現在の思考とは、プロセスが異なるのだ。


 その発想は世界中の参加者に〈アイデア・コモンズ〉として在庫共有され、誰が協働・実行しても良いオープンライツをもらい合える。

 参加生は原則として、生涯この学び舎に出入りすることができて、つながりを豊かに拡げることになる。各国の拠点は、仮想空間でもリンクしているが、その中で自発的にプロジェクトルームを作るのも、自由だ。

 参加の選抜制度は、まだ確定していない。

 賛同する企業団体からの応募者だけになると、成果を急ぐ、いつものビジネス慣習に巻き込まれる。

この学びのコミュニティは、通常の上昇志向や経済効率思考とは距離を置こうというのが、創立メンバーの一致した考えだった。




 ネイビーはアイスバケットから日本酒を取り出し、二つのグラスに静かに注ぎ足す。

「世耕さん。日本は、こうした活動の拠点としてふさわしい場所なのでしょうか」

「一時は、世界に名だたる経済国と目され、お金儲けの権化のようになってしまった面はありますけどね。私はまだ、この国には、良い芽が残っているような気がします」

世耕さんは、ネイビーに宿題を出していた。

〈1919年にニューヨークで開校された、The New School for Social Research〉

〈江戸時代の私塾、連・講〉について、調べておいてください、というものだった。


―—————————————————————————————


【ネイビーの宿題メモ】


The New School for Social Research


『ニュースクール』紀平英作著

『ジョン・デューイ』上野正道著

https://www.newschool.edu/nssr/

https://ja.wikipedia.org/wiki/ニュースクール大学 より引用と編集


■19世紀末の産業革命によって、労働者という階層が生まれ、次第に働く権利や社会格差などの歪みが深まり、社会は、個人の自由を重んじる自由主義だけでは対応ができなくなっていく。

その結果、起きてしまったのが、第一次/第二次世界大戦と、それに挟まれた大恐慌、ロシア革命、ナチスの台頭だった。

■1919年、激動の真っただ中で、ニューヨークに新しい社会人教育機関が誕生する。

■ニュースクールでは、「各領域での専門化を図り、象牙の塔たる威信を高めようとしていた既存の有名校に対して、閉ざされたエリート的空間よりも、人文社会科学が持つ総合性と実践性を謳い、日常的に市民社会の担い手・知識人であることを目指していた」

「そうした彼らは、試行錯誤があっても、あるがままの観察から得られる経験的知識こそが、世界をつなぐと思い描いていた」

■社会人入学生それぞれは、ひとりの担当教員と話し合いながらカスタマイズした学習プランを立てるなど、対話を重視した自由な学校だった。

■創設に尽力したメンバーのひとり、ジョン・デューイの影響が色濃かったようだ。

「コモン・マン(市井の人々)の哲学者」と評されるデューイは、すでにLaboratory Schoolという子ども向けの実験校を開設しており、学校は「社会生活と連携して子どもたちの創造性を促す、小さなコミュニティ」「教育と文化の相互関係が生まれる場」であり、「知識を吸収する競争より、仲間と創意工夫しながら学び合う」ことを主旨とした教育方針を掲げていた。

■創造性の高い先進的な校風として知られ、アメリカの高等教育機関では初めて、黒人史や女性史の講座を設けた。後に文学・芸術・演劇などのコースも加わり、写真やジャズの講座も先んじて開かれた。

■第二次世界大戦時には、ナチスの迫害を逃れた学者たちを多数受け入れ、「亡命者の大学」とも呼ばれた。

■教授や招聘講師には、ジョン・メイナード・ケインズ、マーガレット・ミード、エーリッヒ・フロム、アルフレッド・シュッツ、クロード・レヴィ=ストロース、ロバート・ハイブローナー、ソースティン・ヴェブレン、ユルゲン・ハーバマス、ハンナ・アーレント、フランク・ロイド・ライトなどが名を連ねる。



江戸時代の私塾、連・講


『小さきものの近代Ⅰ』渡辺京二著

『江戸問答』田中優子・松岡正剛著

『日本問答』田中優子・松岡正剛著

『歴史の読み解き方』磯田道史著  より引用と編集


*「藩校」は、主に武士の倫理や知識を学ぶ場としてあり、立身出世にも影響があった。

*「寺子屋」は、主に読み書き算盤など、実務を教える場であった。

*「私塾」は、儒学、陽明学、国学、蘭学などの有識者が、主に私邸で自由に開講した。


■学びの中心は、「聖人になること(ひとの道をわきまえることによる人格形成)」にあり、その実践として生産、財務、隣り合う地域との困り事など、生活社会の課題が持ち込まれることもあった。

■全国から集まった門下生が5000人を越える私塾もあった。学ぶ者の身分は問わず、階層が混ざり合うところがほとんどで、時には門下生が教える側に回ったり、また、私塾同士が学び合うなど、おおもとにあった陽明学や国学も、そこで混ざり合っていった。

現在の「学校」と比べ、きわめて柔軟な活動をしていた。

■江戸末期に下総(現在の千葉県)で私塾を興した大原幽学という人物がいる。一時は地域で女性も含め100名を越える門下生をもっていた。

彼は学びに討論を取り入れ、熱気を帯びたやり取りが非常に魅力的であったようだ。また実践としては耕地整理や農業を指導した。驚くべきことには、門下生によるモデル村までつくり、江戸期において、人民平等なコミューンを構想している。

幽学は、「ひとの道」を、共創学習と協働事業の同時活動に見出そうとした。

■「連」は、連歌や俳謔の「座」をもとに、絵師や版元、音曲師がつながるようになった、いわば文化コミュニティ。「会」「社」などとも内容が重なり合う。浮世絵という絵画+印刷+出版メディア的なムーブメントは、「連」が発明したものと言われている。

こうした創発型コミュニティが地域にいくつもつくられ、短期的&長期的なプロジェクトのように、メンバーの集散がアメーバのように繰りひろげられたようだ。

■興味深いのは、ある旗本は別名で狂歌をつくり、また違う名前で物書きをするなど、ひとりの個人がいくつもの「連」「会」などに所属し、社会の中で定められた身分だけでなく、制度を外れた組織でも、アバターのように多彩な活動をしていた点。

■「講」は、もともと仏教の布教をするための集まりだったが、神社仏閣巡り(例えばお伊勢参り)がひろがると共に「旅行サークル」のような物見遊山の実態となり、さらに地域では料理教室や互助会のような活動も加えていった。


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 ネイビーは自分のメモから目線を外し、洋梨をほおばる世耕さんを見た。

「僕はずっと、江戸時代というものは、生まれた土地や階級制度に縛られて、お上の圧政と飢饉と百姓一揆ばかりの硬直した社会だと思っていたんですよ。暴れん坊将軍と必殺仕置き人だけが救いみたいな。

 ところが世耕さん、武士や僧侶から農民、町人まで、かなり管理システムから外れて、あれこれ動き回っていたんですね」

「そのようですね。江戸経済の中心は武士の禄高、つまり租税となるお米ですが、後期にかけては、農家では木綿、菜種油、和紙や蝋とか、兼業も進んだらしい。疫病や災害には弱かっただろうけれど、経済システムは鎖国の中で、そこそこ成熟もあったんでしょう。ただ、一揆は多かった。一揆の相手は、100%お上が悪いというわけではなく、金貸しに対する不満も強かったらしいです。

 安定した時代なんて、世界史のなかでほとんど実現していませんけど、一部の江戸期のひとたちが日々のあくせくを離れて、〈人格形成〉に関心をもっていたというのは、そうとう進んだ思考でしょう。ひょっとしたら、現代よりもね」

「アダム・スミスの『道徳論』みたいだな。江戸時代……いままで気にしていませんでした」

「日本は近代で2回、明治維新と第二次世界大戦後に自身の過去を初期化しようとしています。それぞれに国際情勢への対応や贖罪の思いはあるのですが、本当はそれほど遮二無二捨て去らなくてもよかったことまで、否定しすぎたんじゃないかと思うんです。私はその捨てちゃったことのなかに、次の時代につながる芽があるような気がして仕方がないんです」

「しかしまぁ、むかしのひとたちは、よく学びますね。この私塾や連で行われている学びって、出世欲や金銭欲とはまるで違う動機ですよね? いったい、なんなんだ」

世耕さんが、小さくつぶやいた。

「……楽しかったんじゃないですかね」

「……それだけですか?」

「はい。専門家は、もっと合理的で論理的な理由を欲しがるでしょうけど、楽しかったんだと思いますよ。それじゃあダメですかね。あははは」

「身分制度の抜け穴みたいなところもありますね。無礼講というか」

「本来、取り締まるべき武士の側も一緒になって、人格形成や共創を楽しんじゃった。岡山あたりのお殿様は、近江で私塾をやっていた中江藤樹のお弟子さんになってますから」

「身分制度からみたら、滅茶苦茶ですね」

「最高ですよ」




――私が日本という〈場〉について想う、夢物語を聴いてください。

ここはもともと、世界中からヒトやモノが流れ着いてくる大陸の端っこです。中国や朝鮮半島だけでなく、シベリアからも南方の海の道からも、さまざまな流れ着きがあったんでしょう。


 以前から棲むひと、新たに来たひと……われわれの多様な祖先は、あまりにも大量に外から変わったものがたどり着いてくるのを排除せず、むしろ目をキラキラさせて取り入れてきたんじゃないでしょうか。しかもこの地には、金・銀・銅・鉄、それにきれいな水や豊かな森林という資源があった。


 渡来した腕の立つ職人さんたちから見れば、原材料を大陸へと輸入するより、こちら側に来てしまい、故郷では出会わなかったような面白いひとたちとモノづくりを楽しむのもいいかな、という発想も出てきたのではないか。そうそう、イタリア人のシェフが日本の発酵技術に感動して、こちらで店を開くような感じですよ。


 古代の日本には、豊富な資源と、インターナショナルなテクノロジーが結びついたコミュニティが、たくさんあった。当時発達していたお隣の文明に比べて、出遅れていたこの地域に、まるで新しいユートピアをつくるような熱気が、そこかしこに芽吹いたのではないか。


 私たちの体内には、いまだに強い好奇心の遺伝子が眠っているような気がするんです。それは昭和の高度成長期ぐらいまでは、目覚めていた。まだ、ギリギリ、失くしていないはずです。


「国という概念や境界は、あまり気にされていなかったのでしょうか?」

「気にされはじめたキッカケは、たぶん、外圧じゃないかな」

――日本列島の中には、雑多にたくさんのリーダーがいたんだと思います。なかにはもちろん、渡来のローカルトップもいたでしょう。


 ところが、困った問題が起きてくる。日本を外部から〈国〉として見た場合、たとえば、大陸や半島から交渉者が九州に着く、山陰に着く、紀伊に着くと、どうも場所や首長ごとに言うことが違う。幕末のような感じでしょうか。この国との交渉は、朝廷にすればいいのか、幕府にすればいいのか、それとも薩摩や長州とすればいいのか、わからないような状態です。

 それならいっそのこと、対外的な統合マネジメントをつくりましょう。そうしてマンションの自治会や生活協同組合のように、大和朝廷というブランド・ガバナンスが生まれたのではないか……わはは! 乱暴ですかね?

 強制的な往来や、権力争いといった悲劇もたくさんあったでしょうが、私はポジティブに、この国は働き学ぶ〈楽しさ〉を、古来から大切にしていたような妄想をしています。


「この前、リョウコさんが、もう全部、混ぜ交ぜでいいんだと叫んでいました」

「……五色納豆みたいですね。最近ではパクチーまで混ぜたり……ラディカルなんだと思いますよ、本来の私たちは。西洋が来るまで、定義や定型が動的であることに、あまり目くじらを立てなかった」

「創発という面で、デューイの言う〈コミュニティとしての学校〉と江戸時代の〈私塾〉、そしてネット上で話されている〈DAO(分散型自律組織)〉の志向は、けっこう似ていませんか?」

「デューイやニュースクールの時代は、国家統制や、東西の異なる価値観との対立が、非常に強い状況でした。いま、ネット界隈の一部は、ビッグテックの支配に対抗する経済システムのつくり直しを主張しています。私たちは、なにか上のほうから強い管理抑圧がかかった場合、教条的な思想闘争とは違う形で、うまく脱出したり、はみ出そうとするチカラを発揮するのではないですかねぇ……たとえば、江戸期のひとたちのように」

「世耕さんは、そうしたチカラというかポテンシャルが、日本という場には、ずっと溜まっていると信じているんですね」

「はい。古代のモノコトづくり、東山から安土桃山の文化、江戸期のコミュニティ・ネットワーク……この国の歴史には、多元性と創造性が非常にうまく回っていた一面を感じます。世界の中で日本の私たちが生き残るために、そうした日本らしさを捨てることはないでしょう」

「この地のごちゃごちゃが、クリエイティビティの苗床……」

「ええ。価値観の選択ではなく、価値観の混ぜ合いじゃないでしょうかね。そうそう、あなたの店で、若いひとたちが仕事よりも面白そうに本気になっている雑談……なんとなく、それぞれの仕事に啓発を与え合っているような環境も、創造性の母ですよね。能美さん、つまり、私たちが〈学校〉と呼んでいる実験は、そういう場です」

ネイビーには、品の良いジェントルマンのまわりに、いつもの仲間たちが興味津々、集ってくる景色が見えた。


「世耕さん、だいたいわかりました。僕は世界や日本で、ひとびとを混ぜこぜにする、飲み屋のオヤジをやりに行けばいいわけですね。わははは」

「そう考えていただけると、そりゃいいシゴトだな。わははは」




 ネイビーは、旅をはじめる準備に入った。〈Patina〉に集うみんなとも、じっくり話した。

「おれは、店を辞めるんじゃないんだ。ここは、母港みたいなもんだからね。いずれ帰港する」

「ぜんぜん、来なくなるわけじゃないだろ?」

YOさんが、すこし怒ったように訊く。

「ボクのおしゃべり、誰が受け止めてくれるんだろう?」

ジョージが小さな声で言う。

クマくんは声も立てず、昭和のスポ根漫画のように、幅の広いサラサラの涙を流した。

タエさんのひとことが、効いた。

「……みんながいてくれれば、そんなに変わらないんじゃないかしら」




 年が明けて、紺色のシャツを羽織った男は、働き学ぶひとびとの内にひそむ、ヒューマニティを探しに出かけた。





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