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民と専制  作者: 紺夜はな
March
3/9

焚き付けるⅡ

夜明け前から、町は沈黙の中にせわしない躍動を感じさせていた。日付は二月二八日、灰色の街は相も変わらず静かである。だが、人々は音もたてずに着々を準備を進めていた。まだ暗い中、シャマリャーレでほぼ唯一開店している金物屋は繁盛していた。労働者は武器を作るための金属を買う。長い戦いに備え、誰しもが早朝から秘密裏に動いている。王家を、革命まで油断させておく為だ。

「おばさん。鍍金用の銅を貰えないかな。今そっちで銃の補填してるけど防食しないとなんだ」

カウンターに手を差し出してきた帽子を被った金髪の少年に、女は手元の銅を渡した。

「大事に使うんだよ。金属だって不足気味だからね」

「うん、よく知ってるよ。ありがとう」

ぱっと駆け去った少年を見送りながら、女は考える。珍しい物でもない。老若男女問わず、革命ともなれば皆が協力して働くのだ。向こうでは、まだ幼さの残る少年たちが何やら流行り歌を口ずさみながら銃器の手入れをしている。ジョリーに徴兵された大人たちが持って帰ってきた銃。多くの武器は、誰のものなど関係なしに、こうして金物屋に集められる。そうして補填役に回され、民衆たち全員の間で使えるように分け与えられるのだ。国民皆兵のこの国では、徴兵の経験から、民衆たちは殆ど戦い方を心得ている。金はないが、武器だけは多く残っていた。そこには少女たちも混じり、大人の男たちと共に銃の撃ち方を学んだり、槍で突く練習をしたりしている。疫病で死んだ人間の生臭い臭いが、風に乗ってふと女の鼻を突いた。寒気だった空の空気も、恐らく疫病を媒介する。いつ国王に誰かが殺されるか知れず、はたまたいつ病に侵されるか知れない生活は恐怖だった。すっかり日に焼けてざらざらした顔をしかめ、大きく咳をして肺から汚れた空気を追い出す。

「やっぱり前の時代が良かったねえ。ジョリーはいったいどうしちまったんだろう」

「全くだな」

独り言に賛同が聞こえた。驚いて目をやれば、いつの間にやら、隣に少年が立っている。

「お前もそう思うか。民衆は実に私達の意見を代弁してくれている。姉の言う通りだ」

呆気に取られる女に向かって、少年はいきなり頭を下げる。

「お父様の悪政で、お前たちには迷惑をかけた。だが安心しろ。さっきの金髪の少年を見たか。あれは姉だぞ。明日からは姉の天下だ」

「お前さん、頭は大丈夫かい」

「なんだ、私か?そうだな」

少年はにやりと笑って、頭の帽子を取る。途端に、桃色の長い髪の毛が溢れ出した。

「少し乱れ髪だ。やはり帽子は趣味に合わん」

「あァっ」

本気で腰を抜かした女に、パティフィリーナは笑顔を向けた。

「叫べ。人を呼んでくれないか。姉は民衆に交じって銃の補填作業中で忙しいからな。出来るだけ早くギャラリーを集めたいんだ」

「あんた、王家の皇女だね」

「そうだ」

涼しい顔のパティフィリーナに向ける女の顔が、見る見るうちに憎悪に歪んでいく。人の顔はこうも歪むものかと驚くほどだ。パティフィリーナが頼まなくても、ギャラリーは自然に集まってきた。大人数が活動している証である。パティフィリーナを中心に広がっていく喧騒と怒号の渦は、間も無く、少年たちに交じって銃を補填していたクリスティーナの耳にも伝わった。本当に仕事が早い。妹には、シャマリャーレのどこか繁盛している店にて華々しく正体を明かせと伝えてある。タイミングは自由、もし私が近くにいたら加勢する。場所が合わなければ完全別行動だ。もし身が危なかったら、魔法で小結界バリアを張り、"命を守れ"と。でも、偶然にも私がこんな近くにいるなんて、都合のいいことこの上ない。

「ちょっと僕はあっちを見てくるよ」

「おい、まだ作業途中だろ」

作業場から抜け出して直ぐに場所の目処を付ける。人の波が激しい方に、パティフィリーナがいる筈だ。

パティフィリーナからは走ってくるクリスティーナの姿が遠目に見える。やはり近い距離にいた。効率良く仕事が出来るよう、何となく姉の側を着けてきたが、計画通りである。民衆の波は凄絶たるものがあった。とある屋台の骨組みの上に立って眼下を見下ろしながら、パティフィリーナは怒号に圧倒されかけている。無論、魔力で小結界を張らなければ彼女は既に傷だらけの筈だ。あちらこちらから飛んでくるごみの数々。流石に勿体無さからか銃は撃ってこないものの、これではとんだ風刺画だ。

「パティフィリーナ」

一際大きな声が聞こえ、見れば、人波を掻き分けて喧騒に乗り込んでくるクリスティーナの姿がある。かなり苦労して屋台の近くまで来ると、いきなりひらりと飛び上がって小結界を乗り越える。軽い音を立てて、パティフィリーナの隣に着地する。その芸当に、近くの民衆が軽くどよめいた。

「既に目立ってるぞ」

呆れるパティフィリーナを尻目に、クリスティーナは勝ち気な表情で下を見下ろした。目ではずっと、二年前に自分と目標を同じにした少年、アズレを探しながら。もし彼が、昨日話した通り、リーダーとして革命を起こす気で居るのなら、絶対にこの演説を聞きに来るだろう。しかし、どよめく群衆に混じって、アズレの姿を見分けることは出来ない。ふとクリスティーナは考える。アズレは王族だから、恐らく魔法を使えるだろう。端くれと言うのだから、大した教えは受けていないだろうが。彼は、自分が王族だということを、民衆たちに言っているのだろうか。クリスティーナは骨組みの上に立ち上がって帽子を脱ぎ捨てた。風に煽られた金髪が翻る。

「見なさい。私はクリスティーナ・ライラックだ」

革命には、互いに拮抗する勢力を統率する柱があってこそ起こりうるものだ。今回の場合、片方は上流階級を統率するジョリー・ライラック。そしてもう片方は―。

「あれ、まさか」

「皇女だ。ジョリーの娘だぞ」

「次世代の悪魔が」

パティフィリーナの方は、最近でも何度か民衆の前に姿を現していた。一方でクリスティーナは、二年前密かに外出して以降、両親と一緒でも皇女クリスティーナとして城から出ることがなくなった。それが、数年ぶりに姿を現したのである。

「おい、久しぶりだな。健康そうに育ちやがって、お前の顔見んのは数年ぶりだよ」

叫んだ男に混じって、他の民衆たちも口々に姦しく喚き出す。クリスティーナの登場により、余計に膨れ上がった民衆の怒号は信じられないほど激しさを増した。だが、圧倒されてはいけない。ここで負けたら、始めから終わりなのだ。

「黙って聞きなさい」

枯れるほど声を張り上げ、

「私が、何故今日此処に来たか。あなたたちの革命計画を邪魔するため?権力で蜂起を封じるため?あなた方を捕らえるため?違うわよ」

怒号が僅かに弱まる。クリスティーナは息つく暇もなく叫ぶ。

「私はあなた方の革命に参加するために市井に降りた。信じられないでしょうね。私のことは信じなくていいわ、でもこの気持ちだけは信じてほしい」

民衆たちの間がぴんとはりつめ、それが破れると同時に異様な空気が溢れる。

「おい、お前なんでそれを知ってんだよ」

「まさかジョリーに流したのか」

焦って言う順番を間違え、クリスティーナは言葉を選びなおす。

「ごめんなさいね、勿論流してなんかいないわ。実は二年前からずっと、市民に扮してシャマリャーレに降りて、動向を探っていた。それは、あなた方と同じように、王家へ革命を起こすためよ」

民衆たちは油断なく、二人を睨み付けていた。どこを見ても、憎悪に満ちた白い眼しかない。当然だ。クリスティーナが民衆の状況を知っていながらに、ジョリーを諫める事が出来なかったことだけではない。王家を倒す革命で、その王家の中核を担う人物がなんと寝返ろうとしている。何人かは声を上げた。

「何を都合のいいことを、お前らだけ助かる算段か?」

「信頼できねぇな、さてはクリスティーナの偽物だ。あの引きこもりがいきなり出てくるわけねえ。騙るつもりだろう」

「ふん、煩いな。魔法で小結界を張っている時点で本物だろうが。言ってやれお姉さま」と、不機嫌そうなパティフィリーナの隣で、クリスティーナは苦い笑いを浮かべる。この反応を見る限り、アズレはやはりクリスティーナとの約束を守ったのだろう。

「まあまあ。絶対に落としてやるわ」

王家の跡継ぎが代々受け継いでいるもの、それが、ライラックの紋章の彫られたサファイアの指環である。非常に価値がある一点物で、本物ならば陽光に透かすと深紅に光るのだ。

「証拠ならあるわよ」

指環を嵌めた左手を高く掲げる。背後には朝焼け、白い光に貫かれたサファイアが放つ光は、

「紅い。本物だ」

どよめく民衆に向かって、クリスティーナは表情を綻ばせる。民衆たちの目は憎悪から困惑に変化した。クリスティーナは尚のこと畳みかける。

「こんな証拠が欲しかった?こんなものが指に嵌まってるなんて邪魔で敵わないわ。どうぞ受けとって武器にでもしちゃいなさい、下らない飾り物ですものね」

クリスティーナが放り投げたサファイアに、数人が目の色を変えて群がるのを、彼女は無表情で眺める。

「王家と民衆の隔絶はもう終わりよ。私達は国王の政治に叛意を表明する。身分なんか知ったこっちゃ無いわ。私が憎いなら、今すぐ私を殺せばいい」

「ちょっとお姉さま」

パティフィリーナの静止に構わず、クリスティーナは小結界を指先で破壊する。もう一度反復する。

「殺してみなさい。私が憎いかしら」

驚きからか、民衆は静まり返っていた。もはや滾るような憎悪は感じない。代わりにその目は、クリスティーナが本物とわかっても尚、猜疑に満ちていた。これが、王家に対する民衆の信頼の真実だ。

「許せないわよね、そりゃあ。わかってるわ」

民衆たちは、王が交代してからの七年間、それだけジョリーに苦しめられた。逆に言えばジョリーは、たった七年間で国をここまで腐らせた。そしてクリスティーナは、王家に囲われて生きてきた、引きこもりの、世間知らずのプリンセス。これが世間の共通認識だ。

「今更出てきて何を言うかって顔よね。二年も引き込もって計画を練っていただけで、私は今まであなたたちに何も出来なかった。あなたたちが失ったものを、私に教えてほしい」

ぼろ布のような服を纏ったぼさぼさの頭の男が、冷たくクリスティーナの方を睨み付ける。

「何を失ったか?そりゃ全部に決まってんだろ。疫病で親と友人が死んだ。ジョリーは医療を推進しますとか大法螺吹きやがって、結局こっちにはろくに薬も来ねえし医者も来ねえ。医者は貴族だ、貴族は王家の味方だ。金が無い奴は手当てできませんだとさ。仕舞いに奴等は国外に逃げやがった」

男に続いて、何人もが声をあげた。城に薬を貰いに行った息子を、果物ナイフを持っていただけでスパイだとして捕らえられ殺されたという母親、成人したばかりの妹を徴兵され暴動の鎮静の犠牲にされた兄、父親の病を直すために破産した男。挙げればきりの無い数々の悲劇を、クリスティーナは確かに知っていた。だが身を持ってその憎しみと哀しみをぶつけられるまで、理解っていたとは言えない。クリスティーナは唇を舐めて、自分だけに聞こえるように低く呟いた。

「私だって父親を恨んでいるわ」

おしなべてぎらついた目で見据えてくる民衆に、クリスティーナは静かに口を開く。

「あなたたちが敬愛してくれているジョセフを私は祖父として愛している。皆知っているでしょう、あの人は魔法が使えたわ。そして、私が使う魔法は、あの人直伝よ」

「直伝?ジョリーに教わったんじゃねえのか」

「いいえ。ジョリーは魔法を使えないわ」

さらりと述べられたクリスティーナの言葉に、民衆たちの間にどっとどよめきが走った。さっきから威勢のいい男が喚く。

「魔法を使えないだと。聞いてねぇぞ、シャマランは魔法で治めてんじゃねぇのかよ、今までずっとそうだった」

「治めてないわよ。何故、ジョリーの時代になって徴兵制になったか、考えてみれば妥当でしょう? あいつは、自分自身で国を守る力、つまり結界を張る魔力を持っていない。七年前の戴冠式の儀式は偽物よ。ジョリーはあなたがたには言っていなかったけれどね。暴動が起きたら大変だからって言ってたわ。お爺様は、代々魔力を繋いできた王家からジョリーのような者が生まれたことで民衆たちが不安にならないだろうかって心配していたわ。だからこそ自分が頑張って、国を安泰に末永く治めようとしていたのに」

王家の者が全員魔法を使えるわけではないというこの暴露は、クリスティーナの作戦の内であり、紛れもない事実だった。そして彼女はもうひとつ、決定的な切り札を持っている。

「ジョリーはまだ齢三六。国王にしては若いと思わない?」

民衆たちは怪訝な色を見せた。

「そりゃあ、七年前にジョセフ様が亡くなったからだろう」

「病死したって聞いたぞ」

「ジョリーの弟もその三年前ぐらいに病死したって聞いたが」

「病死?」

クリスティーナは鸚鵡返しに答え、

「あなた達、国王や皇太子が病気だって噂、その時に聞いていたかしら」

「聞いてないね。それはあたしたちも疑問だったんだよ」

「不思議でしょう。国王やその息子の突然の病死、早すぎるジョリーの即位、この裏に何があるか、ジョリーはあなたたちに何一つ説明していないわ」

「どういうことだ」

「王家内の誰かが、お爺様を手に掛けたってことよ。その時まことしやかに流れた話によると、なんと殺したのは、ジョリー自身よ」

民衆たちはわっとざわめいた。信じられないぞ、と叫ぶ声、ジョリーへの罵声が盛大に飛び交い、淀んだ空気がぴりぴりと震える。

「嘘じゃない、これは真実なのよ。もしジョリーじゃない他の王族なら、誰が殺ったかなんて明るみに出してそいつを極刑にすればいい。そうならなかったのは、他ならないジョセフ国王の名目上の跡取りが、地位を襲うために実の父親を殺ったから。おまけにジョリーは、お爺様が後に跡取りにしようと考えていた実の弟も、お爺様の取り巻きも殺していったのよ。自分のもし王家内での、そこまで卑劣な陰謀が国民にばれたら、王家の信頼がた落ちですものね。ジョリーは人を殺してまで権力が欲しかったのよ」

そしてクリスティーナの思惑通り、民衆たちはもれなく声をあげた。

「だったら魔法を使えるお前が治めろよ」

「どうして親殺しのジョリーが冠を被ってるんだよ。魔法を使えるやつが王になるって聞いたぞ。それで結界を国の周りに張って外国から護ってくれるって」

「戴冠式が偽物だったのか」

「そういうことか、奴は自分じゃ治められないから、どうりで私たちを全員徴兵したわけだ。攻められたときに私たちを戦わせるつもりで」

「ジョリーは国を護れないし治められない。あまつさえ肉親を手に掛けた屑よ。なんにも出来ないくせに王座に齧り付いて、あなたがたを苦しめた。だから私が革命起こしてやるってさっきから言ってんじゃない。あいつを殺ってやるわ。そしてお爺様の時代のようなシャマランに戻すのよ」

皇女とは思えぬその覇気とあまりの荒々しさに、民衆たちは息を飲んだ。知っている幼き日の帝国皇女とは別人のような風格だ。実際クリスティーナは、幼少期以降民衆の前に殆ど姿を現さなかった。数年間の空白を経て、成長したクリスティーナに昔の幸福に満ちた面影は無かった―寧ろ、まるで自分達と同じように、苦しみ抜いた後の何か鈍い光を抱えていた。一人の壮年の男が楽しそうに笑いながら手を叩いた。

「いいぞ、いいぞ! どんな甘ちゃんかと思ったらいい感じにでかくなったな」

同じように民衆がわっと沸いた。同時に、盛大な閧の声が巻き起こる。

「うわあ、凄いな」

パティフィリーナは民衆の気迫に思わず息を飲む。彼女は、隣で左手を天高く掲げ上げるクリスティーナを見上げる。きゅっと眉尻の上がった、達成感と解放感に満ちた表情だ。ここまで生き生きしている姉を見るのは始めてではないだろうか。

「私なんか信じなくったっていいわ。ただ私は、あなたたちと自分のために腐った王家を潰す。あいつから冠を取り上げて、私があなたがたを栄華に導くわ。国王に天誅を!」

「ジョセフ様万歳!」

朝焼けを突くようなクリスティーナの声に、数多の民衆の歓呼が反響した。


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