ベアトリーチャの涙
その店は、ロハン城からほど近い多くの飲み屋が犇めく角にあった。
カウンター8席だけの小さいBARだが中々盛況で、シックな木と白で統一された店内には、大きな花が幾つも飾ってあり、落ち着きの中にも華やかさがある雰囲気がいい店だ。ほとんど男性の客しか訪れず、みんなそれなりに気を使った服装で客層も悪くない。ちなみに彼らのお目当は、その店主が作るスープと、その店主自身だ。
「お会計は、150ソルよ。いつもありがとう。」
「通いすぎだな、俺…。」
「破産しないように、ずっと店に通ってねん〜」
店主は、そう言いながら笑顔でお金を受け取った。決して安くない価格設定だが、客は彼女のこの笑顔も楽しみの一つだ。客によっては「女神の微笑み」と呼ぶ者もいるがその理由は明確だ。
そのBARの店主は、ベアトリーチェという黄金色の髪が特徴の美しく若い女性だった。そして彼女は、この街で女神と称され民から愛される「サーシャ」と瓜二つだ。ただ、それは彼女にとって多少問題が生じるので、普段をメガネをかけて、髪も右肩に束ねて下している。服装も黒のドレスが多い。微かな変装だったが、そんなことで彼女の美しさを隠せる訳がなく、そんな理由で様々な男性客がこの店に足しげく通っている。
「ありがとう!また来てね〜。」
「はいはい、また来ます。」
夜の10時に最後の数人の客を店先まで見送ると、ベアトリーチェは小さくため息をつき、店先にあるランプの火をフッと息を吹きかけて消した。
(最近、めっきり来ないな…。忙しいのかな…。)
と、彼女はそんな事を思いながらふと前を見上げた。そこには月の灯りに照らされた美しいロハン城がある。そしてその城の主は彼女の片思いの相手がいる場所だ。
(ダーリン、今日も私は元気でしたよ〜。)
ベアトリーチェは心で思うとその城に向けて、笑顔で小さく手を振る。(おやすみねん)と、微笑みながら。
「あれ?お店、もう終わり?」
と、そんな彼女に声をかける男がいた。ベアトリーチェは、その声を聞くとパッと明るい顔で振り向き、
「ダーリン!来てくれたんダァ!」
と、嬉しそうにそう声を上げた。そこに立っていたのは、ここロハンの領主アルバと彼の友でフィルファの宮廷騎士ジャンだった。アルバは今日は珍しく黒剣を背中に背負っていないばかりか、大きな袋を抱えていた。
「あ、おまけ付きね。」
ベアトリーチェは、彼の横に立つジャンを見ると赤ら様にガッカリした顔をする。ジャンはその予想された彼女の態度に、戯けながら手を大きく振って文句を言った。
「ひどいっすよ〜、ベアちゃん〜。僕と君の仲じゃないっすか〜」
「はぁ?あんたと私の仲って何よ!?」
2人の言い合いを苦笑いで見ていたアルバは、「まぁまぁ…」とベアトリーチェに言いながら彼女の目を見て、話しかけた。
「ベアトリーチェ。店が終わったんなら、飲みに行かないか?」
「うん、行く!でも、それなら私の店で飲もうよ。まだ、片付けもしてないから。」
「あはは。じゃ、店の片付けも手伝うよ。時間外労働だからな。」
「まぁ、自分の店だからそんなものないわ。入って!ダーリン!」
ベアトリーチェは破顔して、扉をあけて2人を店の中へと案内した。アルバはそんな彼女を苦笑しながらゆっくりと店に入る。別に恋人でもないのだが、彼女は自分のことをダーリンと呼ぶ。それは彼女が生きた500年前の出来事に大きく関係していて、彼女の話をマトモに信じるとサーシャの祖先であるファティ大司祭とベアトリーチェは恋敵で、ともにアルバの祖先であるジルという剣豪を取り合っていたという。ただ、現実はベアトリーチェに厳しく、恋人がファティで浮気相手がベアトリーチェという図式だったらしいが。
「いつの間にこんな店だしたの〜?前は、ただのホステスだったのに〜。つーか、お金どうしたの?」
ジャンはアルバの後に続き、店内に入るとキョロキョロと見渡しながら、そう話し出した。ジャンが前にアルバと共に、彼女のところに訪ねた時はまだベアトリーチェは、店で働くホステスだった。まさか自分の店を出してるとは思わずジャンは目を丸くしたのだ。
「あ?そんなもん、お客様に出して貰ったに決まってるじゃない。私にはそんなお金はないわ。みんなに少しづつお金を出して貰ってやっと手に入れたの。自分の城よん〜」
「ほぉ…。あなたはお金というものを良く理解してますね〜。そりゃ、最近流行りの投資ってやつですね!」
ジャンはすっかり感心したように大きく頷いた。だが、勿論ベアトリーチェにはそんな意識はない。ただ、頭を捻って考えて導き出した必然の答えだった。
「投資?なにそれ?私は、とりあえずお金を出して貰って、出してくれたお客様には料金を安くしてあげてるだけよ。ほら、そうすればみんなお店にいっぱい来れて、私にいっぱい会えるし!」
「それを投資って言うんですよ。まぁ…リターンの種類が違うけど。しかし…よく体とか要求されないね…」
「あはは。そんなこと言ったら、お金まるごと返して出禁にするわ。力づくで来るなら燃やしちゃうもん!」
ベアトリーチェはそう言って肩を竦めた。ただの美人マスターとして暮らしている彼女の正体は、強力な精霊の力を使いこなす魔人のプリンセスだ。500年前に名前を轟かせていた最強の魔人の一人で、今や聖騎士と同じくらいの力があるアルバと神の力を持つサーシャ2人がかりで本気で挑んでもまるで歯が立たない。アルバとジャンが知っている中ではこのベアトリーチェは、現在の世界最強の生物だった。ゆえに、彼女にゆすりたかりなどしても全くの無駄で、むしろ自殺行為だ。
彼女は、カウンターに立つとお酒のボトルを取り出しシャカシャカとアルバの酒を作り始めた。アルバが飲む酒は決まっていて、甘いジュースのような酒だ。ベアトリーチェは、アルバの前につまみを丸ごとドサッと置いて、すぐにグラスを満面の笑みを浮かべながらその横に置いた。
「はい、ダーリン。」
「ありがとう。」
アルバがそうお礼を言うと、ベアトリーチェはその横に座るジャンの方を向いた。
「で?あんたは何?」
「あ、えっとねぇ〜。ウィスキーのロックにします〜」
「100万ソルの奴でいいかしら?」
「ぷっ!そんな酒あるかい〜!」
「私の笑顔つき!」
「僕は君の笑顔なんか見たことないけど〜」
ジャンがそう戯けると、彼女はブツブツ文句を言いながら氷をサクサク削り始めた。中々手際がいいその様子に、アルバは氷を見つめて感心する。まさか魔人のプリンセスが人間界で真面目に働くとは予想外を通り越して驚愕の事態だ。すると、ベアトリーチェは氷を削りながら話を始めた。
「それで?ダーリンはなんで私に会いにきたのかしら?」
「うん?いや…元気かなぁ…と思って!」
「嘘言わない。どうせ精霊人のことでも聴きにきたんでしょ?」
ベアトリーチェは微笑みながらそう答えた。アルバは、自分と対極にいる教団の女神を愛している。なんの用事もなくこの場所に来ることはない…ベアトリーチェはそう思っていた。するとアルバは彼女が作った酒に軽く口をつけると「それはジャンだな。」と苦笑する。ベアトリーチェは、はいはいと軽く受け流し、氷を入れたグラスにウィスキーを注ぐと乱暴にジャンの元へと置いた。
「で?なにが聞きたいの?一つだけなら答えてあげるわ。」
「二つがいいんだけど…。」
「ひとつ!!」
ベアトリーチェは体を前に投げ出して、舌を出しながら顔を顰める。ジャンは驚いて体を思わず仰け反らした。なにせ、フィルファ最強の宮廷騎士総代である彼が全く勝てない相手など滅多にいない。その一人に凄まれたので、ジャンは思わず手を小さく振って体を竦ませた。
「はい〜。実はさぁ、僕の可愛い部下が迷っていたことがあってさぁ〜。」
「なによ?前置きはいいから、とっとと話しなさいよ!」
「魔人と精霊人って…違う人種なの〜?」
ジャンがそう話すと、顔を前に出していたベアトリーチェは一瞬、目を丸くして驚いた表情を見せた。だが、すぐにその表情は微笑みに変わる。彼女は、体を元に戻すとカウンター越しに縦ヒジをついて彼の質問に答えた。
「へぇ…。中々良い所を突いてくるわね。まぁ、大方、魔術師にでも聞いたんだろうけど!」
「ピンポン〜!と、言いたい所だけど、これはウチのモモが導き出した答えなんだ〜。」
「へぇ〜。あんたの部下は優秀ね。驚いたわ。」
「だろ?僕が首になりそうな位、優秀なんだ〜。で?答えは?」
ジャンがそう重ねて尋ねると、ベアトリーチャは顔を斜めに向けて答える。
「それはね…。あのヒステリー女が線引きした…というのが真実かな。」
「ファティ大司祭〜?」
「そう!正解!そもそも全部が精霊人よ。でもその中で姿が醜いものや彼女に協力しなかった精霊人を魔人と呼んだのがはじまり。精霊人にはそれぞれ自分の種族の王がいる。全部で13人。有名なのは、風の精霊人の王ジンや炎の精霊エフリートなんかがそうね。私のパパもそうよ。」
「ほうほう。」
「その精霊人の王の中で、ファティにつかなかった王がいたの。まぁ、簡単に言うと彼女に全部で13個ある「珠」を捧げなかった…という種族ね。「珠」というのは、魔術師が使う「石」の源でもあるけど、彼ら精霊人の王からすれば「命」そのもの。あのヒステリー女はその全てを支配したかったのよ。もちろんファティは精霊人の王など相手にはならないほどの力を持ってた。でも彼女はより完璧な支配をしたかったのよ。」
と、2人の会話をおとなしく聞いていたアルバが、その彼女の言葉に口を挟んだ。
「すると…魔人と精霊人はやはり一緒。だけど、ファティ大司祭に愛されなかったり、刃向かった精霊人を魔人と呼んだ…というのが正解かな?」
「そう!流石、ダーリン!素敵だわ!」
ベアトリーチェはそう感激すると、すごすごとジャンの前から離れ、アルバの目の前に腰掛けた。ジャンは、あからさまなその態度の変化に目を丸くしたが、聞きたいことは聞けた。本当はまだいくつも質問したいことはあるが、おそらくベアトリーチェはもう答えないだろう。
アルバはしばらく自分の前に座った彼女と他愛もない話をしていた。このサーシャと全く同じ外見、声のベアトリーチェにはいろいろと世話になっている。いろいろ語弊はあるが、命の恩人でもある。実のところをいえばアルバは、この魔人のプリンセスと話すのがサーシャの次に好きだった。言葉遣いは大きく違うが、話す内容が非常にサーシャに似ていたからだ。
と、しばらくするとアルバは持っていた大きな袋からガサガサと何かを取り出した。ベアトリーチェが不思議そうに彼の手元を眺めていると、アルバが取り出したのは青いポンチョと白い膝掛けだった。
「これ…開店祝いだ。遅くなったけど…。ほら、ロハンの冬は寒いから。」
アルバがそう恥ずかしそうに彼女にその2つを差し出すと、ベアトリーチェは驚きながらそれを震える手で受け取った。
「いいの…?」
ベアトリーチェは、目を丸くしながら彼を見つめてそう尋ねる。アルバには愛するサーシャがいる。自分にプレゼントなどして怒られないのだろうかと心配になったのだ。
「ああ。ポンチョが俺からで、膝掛けは…サーシャからだ。」
ベアトリーチェはその言葉になぜか感激して、目に涙を溜めだした。アルバはサーシャからのプレゼントを受け取ってくれるか心配だったが、何故か嬉しそうだった。少し意外そうな顔を見せた彼に、彼女はそのポンチョと膝掛けを胸に抱きしめて、やがてゆっくりと体を震わせた。
「なつかしいなぁ…。前はよくジルとファティがこうして誕生日プレゼントをくれたわ。」
そう話す魔人のプリンセスの瞳は涙で濡れていた




