27. 永遠に
透き通った青海原にも似た空をレイダールは眺めていた。
足元には幾つもの切り立った岩盤と、泡立つように纏いついて伸びる白い雲が見渡せる。寄せては返す波のような、どこか永遠を思わせる風景だった。潮の音が今にも聴こえてきそうだ。
神魔界と地上とを別ける境界に彼らは佇んでいた。
よりそって立つシオンとリィザのかたわらにはフレアリカとディーティアが、彼らから少し離れた場所にはコルダーと彼の背後に控える数人の部下たちの姿があった。
皆から離れた高台にひとりいるレイダールの位置から彼らを一望できる。
皆が穏やかな表情でシオンとリィザを囲み微笑んでいた。
死にかけている少女のかたわらで神魔を捨てると宣言し、シオンは躊躇いもなく風切り羽を引き抜いた。邪魔をするな。心はとうに決まっているのだ、と彼は言った。
愛する少女の、駆け抜けるかのような僅かな生命を守るために、自らの永遠ともいえる長い生命の大半をシオンは惜しげもなく投げ捨て、地上人の少女に与えてしまった。
それで満足だ、と少しの憂いすらなく彼は微笑む。
失ったものの大きさを感じさせないくったくのない笑みで、後悔などない、と彼は言うのだ。
納得などしていない。なのに反論したくとも言葉は見つからなかった。
彼の純白の翼が、風を孕んで羽ばたくことは、もはや二度とないだろう。
認めるしかないのだ。認めて、そして祝福して送り出すのが、残された人々に出来る唯一のことのはずだから。
理性は納得せよと告げていたが、心がついていかない。
シオンを神魔界から追放したのは他ならぬ自分だというのに取り残された、捨てられたのだという卑屈な思いにレイダールは捕らわれていた。
族長殺害事件の顛末は例の侍女が証言をしなおし、シオンの無実が証明された。
ダルファスは病死として発表され、カルズは乱心のすえ幽閉となったが、それが真実ではないと一族の誰もが知っていた。
皆が暗黙の了解のような形で納得しているのは、新族長の存在によるところが大きかった。
レイダールである。
「ああ、つまらない。妹だなんてがっかりだわ」
いつの間にやってきたのか、レイダールのかたわらでディーティアが口を開いた。
「シオンのことは諦めることにしたわ。一族の誰かだったら絶対に我慢ならないけど……そうね、あの娘だったらシオンを譲ってあげてもいいわ。我慢してあげる」
「またそんな言い方を」
ディーティアは唇を尖らせつん、と顎を上向かせた。
「なによ、いいじゃない。不本意とはいえ結局はあの娘の生命を救うのに一役買ってしまったんだもの。今更後には引けないわ」
ふとディーティアは真顔になる。心持ち声を潜めて続ける。
「ここだけの話、自分でもなぜあのとき時間を止めたのか解らないの。地上人なんて大嫌いなはずなのに……でも今は、リィザって言ったかしら? あの娘のことは多分そんなに嫌じゃないの……ふたりの子供がいつか神魔と地上人の懸け橋になればいいかも、って少しだけ思ってる。ほんの少しだけよ」
そこまで言って急に我に返ったらしく、ディーティアは頬を赤く染めた。
「ああ嫌だ、何を言っているのわたしったら。シオンに感化されたのかしら?」
ビシッとレイダールに人差し指を突きつける。
「それもこれも全部兄さまのせいよ! 兄さまがしっかりしないからっ!」
「それを八つ当たりと言うんだ」
ディーティアらしい言い草にレイダールは苦笑した。彼女は、やはりこうでなければ。
つまらないともう一度呟いて、ディーティアは何か思いついたのか悪戯な笑みを浮かべる。
「ねえ、兄さま。ふと思ったんだけど、もしかしたらシオンの他にも、まだ知らない兄弟姉妹がうようよいたりするんじゃない?」
「勘弁してくれ」
複雑な面持ちでレイダールは答えた。
「シオンには言ったの? 実は兄弟だって」
「よしてくれ、誰が言うものか」
「そうよね……わたしも言いたくないわ。わたしは今のままがいいもの。あ、シオンよ」
視線を向ければ、その先にシオンの姿があった。翼を失ったことを感じさせない軽やかな動きで地を蹴って、こちらに向かってくる。
「レイ!」
「邪魔者は退散するわ」
ウィンクをひとつ残し、ディーティアが離れていく。
「ありがとう」
「なにがだ?」
「離反を追放にすりかえるのは大変だったって聞いた」
「おまえのためにやったんじゃない。族長として、さっそく権力を行使てみただけだ。うぬぼれるな」
シオンは頷いた。本心はちゃんと解かっているのだ、と言いたげな顔をして。
「なんのようだ?」
「お別れを言いに」
「必要ない。さっさと行け」
にべもなくレイダールは言い捨てた。
「もう会えないと思うと寂しくてたまらない。本当の兄弟のように思っていたから……男の子だったら、レイの名前をもらおうと思うんだ。いいだろ?」
「いったい、なんの話だ?」
「赤ちゃんだよ。もうじき産まれる」
シオンはさらりと言ってのけた。
「なんだって!」
「赤ちゃん……知らなかったの?」
「知るか! そんなこと一言も聞いてないぞ」
憮然としてレイダールは言った。
シオンが離反などと強硬手段に訴えた理由がようやく解った。
「リィザとも話したんだけど、おれが神魔だと村の人たちにはバレてしまってるから、村は捨てようと思う。遠い別の土地に行って彼女と一から始めるつもりなんだ。産まれてくる赤ちゃんのためにも、誰も知らない場所で静かに暮らしていきたい」
静かにシオンは言った。
「だからこれが最後になる。本当にさよならだ」
「……ああ」
「いつまでも元気で」
「もう行け」
名残り惜しいのか、なかなか動こうとしない。
ときおり吹き抜ける微風がシオンの黒髪をふんわりとそよがせてゆく。
手を伸ばせば届く距離だった。
知らず、手を伸ばしそうになる。
手を伸ばし触れて抱き寄せて、プライドをかなぐり捨てて行くなと叫んだら、何かが変わるだろか。
「さっさと行っちまえ!」
少しでも動いたなら、一言でもなにか言ったなら、どんな行動に出てしまうのか自分でも予想がつかなかった。
「レイ! レイッ……!」
身体ごとぶつかるようにシオンが身を寄せてくる。
避ける前に首の後ろに両手がまわされ、強く引き寄せられる。レィダールは息を呑んだ。
頬と頬が触れあう。熱い吐息とともに自分の名が、切なく刻まれる。レイダールはきつく瞼を閉じた。
「シ、オン……」
触れようして伸ばした手を腰の近くでさ迷わせ、手のひらに爪が食い込むほど強く拳を握り合わせる。
レイダールは目を開けた。
シオンの身体をそっと押しやって、静かな声で告げる。
「元気で……もう行け。皆が待っている」
そっけない口調には、けれども隠し様のない想い滲んでいた。
さよなら、とシオンが言い背を向けた。
レイダールは動くことも言葉を発することも叶わず、離れていくシオンの背中を一心に見つめる。その先には眩しいほど澄み渡る青い空が視界の彼方まで広がっていた。
ディーティアやフレアリカ、そしてコルダーとその部下達が立っている。
彼らのかたわらにはシオンとその恋人のために、ひとつづつ用意された輿が出番を待っていた。
彼は愛する者と旅立ってゆく。
一族を捨て友を捨て家族を捨て、永遠ともいえる生命をも捨てて。大切だったはずの全てを振り捨てて、それと引き換えにようやく手にしたものを大切に胸に抱えて。
今はまだ心に痛みを伴うけれど、いつの日か心から祝福できる日がくるだろうか。この胸の痛みがなくなるときがくるのだろうか。
泡立つ感情を押し殺してレイダールは事実だけを受け入れる。シオンの姿を目にすることはもう二度とないだろう。
輿を支える神魔の翼が開き、風に翻った。
コルダーと部下達に伴われ、彼らを乗せた輿がゆっくりと空に舞い上がる。次いでディーティアとフレアリカも白い翼を広げ、ふわりと風に乗った。
抜け落ちた純白の羽根が風に舞い、粉雪のように恋人達に降り注いでいる。羽根は風に舞い散り、くるくると回りながら空に溶けていった。
彼らの姿が遠く小さくなっていく。
やがてその姿は霞んで消え、後には青く透き通った空だけが残された。
一陣の風が吹き抜けた。
レイダールは少し長すぎる前髪をかきあげ、そっと目を閉じる。
瞼を閉じれば今もそこにある。
翼を広げ飛翔する彼の姿がいつまでもレイダールの胸に焼きついている。
混じり気のない純黒の瞳と、艶やかな、けれど少しくせのある黒髪。
純白の翼を広げ彼のもとを飛び立つシオンの羽ばたきが、いつまでも耳を離れない。
永遠に。
お疲れ様でございます。
そして、最後までお付き合いいただきありがとうございました!
やはりラストはハッピーエンドで締めたいわよね、ということでこんなカンジでまとまりました。
若干一名、未練タラタラな人がおりますが、そのうちに誰かが癒してくれると思います。
この話はこれで終わりですが、そのうちにディーティアを主人公に据えて書きたいなあ、とも思っています。←ツンデレ好きw
か、感想とか、批評とかいただけると嬉しいです(*ノ∀ノ)イヤン
読んだよー! の一言でも泣いて喜びます!
それでは、ありがとうございました!




