第1話 もふもふパラダイス
今日も今日とて、僕は通勤電車の中でスマホを見つめていた。
正確には、画面に表示される愛くるしい動物たちの動画を――だ。
物心ついた頃から、僕は可愛いものともふもふが大好きだった。
暇さえあればこうして可愛い犬猫たちの動画を眺めてニマニマするし、休日はほぼ毎週のようにアニマルカフェに通っている。
職場では同僚のペット自慢をありがたく拝聴し、お裾分け(ペットの写真)をちゃっかり賜っている。
そんなことを繰り返しているうちに、僕のもふもふ好きは同僚たちの間で周知されることになっていた。
だから、度々訊かれることがある。
『ペット、飼われたりしないんですか?』
僕は決まって答える。
『いやいや、僕は眺めているだけで十分ですよ』――と。
……正直に言おう。
僕だって、飼いたい。
いや、正確には飼われたい!
家に帰るたびにもふもふが出迎えてくれたら、それだけでなんでも頑張れる気がする!
是非とも下僕として仕えさせて欲しい!
……でも、いずれ必ず訪れる別れのことを考えると、どうしても二の足を踏んでしまう。
僕が先か、その子が先か。
いずれにしても置いていくし、置いていかれる。
そんな未来を想像すると、悲しくて寂しくてとてもお迎えできない。
――ってダメだダメだ。
手元で可愛くごろんするニャンコの動画を前に、僕はぶんぶんと頭を振る。
こんなことを考えて気分が落ち込むなんて、このニャンコに失礼だ。
至上の可愛いには、僕の最高のにんまり顔を返さないと。
「んふふ、んふ、んふふ」
――などとしているうちに、会社の最寄駅に着き、スマホを仕舞って現実と向き合う。
この瞬間はどうしても憂鬱な気持ちになる。
仕事をしている間は、当たり前だけどもふもふたちの動画を見るわけにはいかない。
だけど、今朝は事情が違った。
「か、かわぃい」
思わず声が漏れ出る。
慣れ始めてきた会社までの通勤路を進んでいると、ふと前から、もふもふがこちらに向かってきていた。
ワンちゃんである。少し遅めの時間だけど、朝の散歩中みたいだ。
飼い主さんをあらん限りの力で引っ張って、元気よく走り出そうとしている。
朝から元気いっぱいなワンちゃんに、頑張る気力をもらえた。
のほほんと。そんなことを思っていた時だった。
「きゃっ、あっ、ポチ!!」
リードが突然千切れ、その拍子に、ポチと呼ばれたワンちゃんが飼い主さんの手を離れて勢いよく車道へ飛び出して行く。
朝。通勤時間ということもあって、車通りは多い。
今まさに、車の影がワンちゃんに重なり――僕は、考えるよりも先に動いていた。
「間に合えっ!!」
鞄を放り投げ、車とワンちゃんの間へ飛び込む。
そうしてワンちゃんを突き飛ばした僕の体は、その反動で車道へと倒れ込んだ。
車が体に覆い被さる中、視界の端でワンちゃんの無事を確認する。
手荒な真似をしてごめんよ。
そんなことを思いながら確かな安堵感を抱くと共に、全身を衝撃が襲った。
そうして僕の意識は一気に暗転し――。
意識を完全に失う間際。不思議なことが起こった。
周囲の景色が陽炎のように揺れたかと思えば、慣れ親しんだ通勤路の光景が一瞬で切り替わる。
「――ぇ」
どこまでも広がる草原。そこに、僕は立っていた。
頭上には澄んだ青い空。青空だというのに、いくつもの流星がとめどなく降りしきる。
遠くにはそんな空を貫く、黄金の大樹が聳え立っていた。
幻想的で、非現実的な景色。
いやそんなことよりも、僕が目を奪われたのは――。
「も、もふもふ天国……」
地上の青々とした草原を埋め尽くす、白や黒、茶や赤などの色とりどりのもふもふたち。
犬や猫、うさぎといった馴染みのある動物ではない。
大きな毛玉だ。
そう形容するしかない。
ただの毛玉ではなくて、パッチリとしたお目目とチャーミングな口を備えていた。
それに先ほどから、地上に寝そべりながらゆらゆらと左右に身じろぎしている。
可愛い。なんの生き物かわからないけど、可愛いからいい。ふわふわで可愛い。
一瞬前の出来事を忘れて目の前の光景に見惚れていると、不意にもふもふたちが左右に分かれ始めた。
慌てて後を追いかけようとして、左右どちらを追いかけるか葛藤して。
そうして身動きが取れずにいた僕の全身に影が落ちる。
「っ!」
見上げた先。もふもふたちの間から一匹の巨大な……二階建ての建物よりも大きな、純白の髭を蓄えた動物が現れた。
背には金色に輝く翼が伸び、堂々たる姿で僕を見下ろしている。
周りの毛玉たちと違い、その動物は形容できる。
ライオンだ。翼を持ったライオン。
「ぁ、ぅぁ……」
あまりの衝撃に、声にならない空気が口から零れ出る。
目の前のライオン(?)は毛並みと同じ金色の目を細め、どこか宥めるように話しかけてきた。
「怯えないで欲しい、人の子よ。我には貴殿を害する意思はない」
「ぅぁ、ぁぁ……」
「……無理もないことだ。我の神気を浴びて、平静を保てる人の子などおらぬ。……直接言葉を交わすためここに招いたのだが、これ以上は貴殿のためにはならぬな」
ライオンさんは残念そうに呻くと、ゆっくりとこちらへ背を向ける。
その拍子にしなやかに伸びたもふもふの尻尾が向けられた。
しゅんと項垂れるように垂れているその尻尾を前に、それまで感動で言葉を失っていた僕は、ようやくその衝動を解き放つ。
「かわっ、かわわ! かわいいいいいいいいいい!!!!!!!!」
「!?」
ライオンさんがびくりと身を震わせて、こちらを振り返ってくる。
なぜだが、宝石のように煌めく黄金の瞳は困惑で揺れていた。
僕はそんなライオンさんの足元へふらふらと近付くと、両手をゆっくりと伸ばす。
そして、下僕として目の前のもふもふへと赦しを乞うた。
「あ、あの、少しだけ、本当にすこしだけ、もふらせていただけないでしょうか」
「もふっ!? ……う、うむ。少しだけだぞ」




