第一章 ムーンキャピタル脱出とポポロ村就職編
それ、コスパ合ってますか?〜一時の感情で婚約破棄する王太子にROIの概念を叩き込む〜
華やかなシャンデリアが眩い光を投げかける、ムーンキャピタル王宮の大広間。
建国記念を祝う夜会の中心で、音楽が唐突に鳴り止んだ。
着飾った貴族たちが息を呑んで見守る中、豪奢な王太子の礼服に身を包んだ金髪の青年が、私に向かってビシッと指を突きつけていた。
「エミリア・シフォンヌ伯爵令嬢! 貴様のような冷酷で可愛気のない女との婚約は、今この瞬間をもって破棄させてもらう!」
王太子アルベルトの隣には、桃色のドレスを着た庇護欲をそそる小柄な男爵令嬢が、彼の腕にすがりついて「殿下ぁ……私のためにそこまで……」と潤んだ瞳でこちらを見ている。
(あー……始まったよ。女性向け作品名物、公衆の面前での婚約破棄イベント)
周囲の貴族たちは「あぁ、可哀想に」「ついに見捨てられたか」などとヒソヒソ囁き合っているが、私の心境は驚くほど凪いでいた。
前世の私は、日本のしがない化学系メーカーに勤める理系社畜OLだった。
連日のサービス残業と理不尽なクライアント要求に擦り減り、疲れ果てて乗った終電の車内。隣に座っていたハイブランドでキメたギャル(後で知ったが、カグヤという名の月の女神らしい)から、「アンタ、人生やり直す? これあげるから」と謎の【ネット通販】というスキルを押し付けられ、気づけばこの非合理極まりない乙女ゲー世界に転生していたのだ。
「聞いてるのかエミリア! 貴様は私の愛するこの子をいじめ、さらには王太子の婚約者という立場にあぐらをかいていた! 私の伴侶に相応しいのは、貴様のような冷たい女ではなく、真実の愛を持ったこの子だ!」
アルベルト殿下が声を張り上げる。
彼が言う「いじめ」とやらは、提出期限を過ぎても書類を出さない彼女に対し、「タスク管理の概念はありますか? ガントチャートを引き直してください」と正論を言っただけである。それを「言葉の暴力」と受け取られたらしい。
私は小さくため息をつき、脳内の半透明なUI(ブラウザ画面)を開いた。
ユニークスキル【ネット通販】。
地球上のあらゆる日用品やビジネス用品、工業製品まで、魔力を消費することで「即時転送(お急ぎ便を凌駕するゼロ秒配送)」できる神スキルである。
『ホワイトボード(折りたたみ式・キャスター付き)』
『水性マーカー(黒・赤・青)セット』
『レーザーポインター』
商品をカートに入れ、魔力決済で購入ボタンをターンッ!と押す。
――ポンッ。
何もない虚空から、キャスター付きの立派なホワイトボード一式が出現した。
広間が「な、何だあの白い板は!?」「魔法か!?」とどよめく中、私はドレスの裾を翻してホワイトボードの前に立ち、黒のマーカーのキャップを外した。
「殿下、本日はお日柄もよく、素晴らしいエンターテインメントをご提供いただきありがとうございます。しかし、実務的な観点からいくつか確認させてください」
「は……? な、なんだお前は。いきなりその板は何だ!」
「現状の整理と、今後の損益分岐点に関するプレゼンテーションです」
私はホワイトボードにキュッキュッと軽快な音を立てて、グラフと数式を書き始めた。
「まず、殿下は『一時の感情(真実の愛)』で伯爵令嬢である私との婚約破棄を宣言されました。しかし、貴方、ご自分が皇太子だという自覚はありますか? そもそもROIの概念って持ってます?」
「あーるおーあい……?」
「Return on Investment。投資利益率のことです。シフォンヌ伯爵家は、我が国の魔導鉱石の物流網の約40%を管理しています。王家が我々と婚約を結んだ最大の理由は、この物流網の安定化と、関税の優遇措置という『リターン』を得るためでしたよね?」
私は赤のマーカーで、急降下する折れ線グラフを描く。
「今回、合理的な理由なく――『可愛気がない』などという主観的な理由で――一方的に契約を破棄した場合、我がシフォンヌ家は当然ながら王家への特恵関税を撤廃します。これにより、王都の魔導インフラの維持コストは来月から約300%高騰。金額にして、年間およそ5万ゴールドの赤字が王家の国庫に直撃します。これ、コスパ合ってますか?」
「ご、5万ゴールドだと……!? ば、馬鹿な、関税など王家の権限でどうにでも……!」
「なりませんよ。我が国は30年前の通商条約で、貴族の商流への不当な王権介入を禁じています。法務部……いえ、法務大臣に確認してください」
アルベルト殿下の顔から、スゥッと血の気が引いていく。
隣にいる男爵令嬢は、私が発する「利益率」「関税」「インフラ維持コスト」という単語が全く理解できず、蚊帳の外で「で、殿下ぁ……? なんだかよく分かりません……」とオロオロしている。
「さらに歴史的観点からも申し上げます。歴史はどうなっているんですか、殿下」
私はレーザーポインターを取り出し、赤い光の点をホワイトボードに当てた。
「建国史第4巻。今から200年前、当時の王太子が『真実の愛』を理由に有力貴族との婚約を破棄した事例があります。結果として何が起きたか。物流が停止し、物価が高騰。わずか半年後に王都で大規模な『パン一揆』が発生し、王太子は廃嫡されました。殿下は、ご自身の『真実の愛』が、国民の暴動と国庫の破綻というリスクに見合うだけの『価値』があるとお考えなのですね?」
「っ……! そ、それは……!」
「まさか、一時の感情と思いつきで、後先考えずにこの場で叫んだわけではありませんよね? 次期国王たる者が、自国の経済と歴史的リスクの試算すら行わずに重大な契約破棄を行うなど……もしそうだとしたら、トップとして完全に無能です」
広間は水を打ったように静まり返っていた。
先ほどまで私を嘲笑っていた貴族たちは、真っ青な顔で私の書いたグラフを見つめ、中には手帳を取り出して必死にメモを取る財務官僚の姿まである。
「え、えっと……その……」
殿下は滝のような冷や汗を流し、言葉に詰まっていた。
完全に論破完了である。これだから、現場の苦労を知らない御曹司(二世)は困る。
「……まぁ、殿下のご意志は確認いたしました。王家からの『一方的な契約解除』として承ります」
私はマーカーを置き、深々とカーテシー(淑女の礼)をした。
「つきましては、婚約破棄に伴う違約金、およびこれまでの私への投資に対する逸失利益の請求書を、後日我が家の弁護士(代理人)を通じて王室財務局へ送付させていただきます。期日までのご入金をよろしくお願いいたします」
「い、違約金……!? ま、待てエミリア! 今の話は……!」
「ああ、それから男爵令嬢様」
私は引き留めようとする殿下を完全に無視し、震える彼女に冷たい視線を向けた。
「殿下を支えるのであれば、最低でもマクロ経済学と簿記2級程度の知識は必須ですよ。真実の愛で国庫は潤いませんので。それでは皆様、お粗末様でした。私はより良い労働環境を求めて、これにて失礼いたします」
私はホワイトボードを【ネット通販】のインベントリ(亜空間)にシュパッと片付け、踵を返した。
(あー、スッキリした! こんなコスパ最悪で非合理な王都、こっちから願い下げよ。さっさと荷物をまとめて、ド田舎でホワイトなスローライフを探そう!)
背後で「殿下! これはどういうことですか!」「財務局長を呼べ!」と貴族たちがパニックに陥る怒号が響いていたが、もはや私の知ったことではない。
私はピンと背筋を伸ばし、大理石の床をヒールで鳴らしながら、悠然と夜会の扉を後にしたのだった。
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