触れあう指さき
逃げだすのは──何度目だろう。
かけることばを選べずに水島を追いかけた湯村は、なぜか鷹尾と出喰わして、あわててバス停までもどった。
「なんで、あんなところに鷹尾さんがいるんだ……(心臓に悪すぎる!)」
実は水島のご近所さん、という可能性もあるのだろうか。鷹尾の指が手のなかへすべりこんできた感触は、なまなましく残った。
「変な触れ方して、いやらしいな……」
つなぐわけでも、つかむわけでもない。手のひらに指を這わせる鷹尾に、容易く感情をゆさぶられてしまう湯村は、思わぬ忍耐を強いられた。
「あんなやつにドキドキするな、心臓、しずかにしろ」
子どもじみたせりふを口にして、ため息を吐く。水島の件は、休み明けの月曜日まで保留となった。
地域の古寺で、恒例の年中行事にむけて準備がすすむなか、授業の空き時間に水島へ「夜宮に行かないか」と声をかけた湯村は、ひと息にしゃべった。
「ぼくの地域にある古いお寺で、ちょっとした露店がならぶ、あじさいまつりがあるんだ。水島さえよければ、いっしょに行こうよ。ふたりで浴衣を着るのもいいね」
唐突すぎる誘いだが、水島は「いいよ」と即答した。あたりにいるほかの女子学生が、なぜか一瞬ざわついた。……やっぱりあのふたりって……つきあってそうじゃない? などと云うささやきは、日時と待ちあわせ場所をきめる両者の耳にはきこえていなかったが、やや離れた位置にすわっていた星野は、微かに眉を寄せた。彼女の水島にたいする接し方は、あきらかに好意をあらわれであったが、当人は今、べつの事柄に気が散っているため、それどころではない。あじさいまつりの文脈から、やや無理やりラブレターの件を持ちだすと、水島は少し怪訝な表情をした。
「その話なら、もういいって」
「だ、だめだよ。ぼくにも考えさせて」
「考えるって、なにを?」
「断るにしても、相手は勇気をだして水島に気持ちを伝えたのだから、できるだけ傷つかないように……」
「あのな、湯村。カップル不成立のときは、どっちもつらいだろ。断るほうも、勇気がいるんだ。……湯村の場合はどうだったか、きかせてくれよ」
「どうって、なにが?」
「告白したことないのか?」
「ないよ、そんなの」
「いちども?」
「うん(初恋は、告白するまえに終わったから……)」
「湯村って、そっち側(告白するほうって意味だよ)かと思ってた」
「そっち? 簡単に告白なんて、できるわけないだろ」
「じゃあ、好きなやつはいたンだな」
「じゃあって、云われても……(過去形なのが気になる)」
「とにかく、夜宮はつきあうよ。せっかく湯村が誘ってくれたんだし、行かないとバチが当たりそうだ」
「バチなんて、そんなもの、いったいどこから飛んでくるのさ」
「喩えだろ」脇腹を小突かれた湯村は、身をよじって「くすぐったい」と抗議した。
「でも、浴衣で自転車は、さすがに無理だな」
「ご、ごめん、うっかりしてた」
「おれさ、夏休み中は教習所へ通うことにしたんだ。二輪の免許がほしくてさ。金なら、高校のとき、がんばってバイトで貯めたんだ。湯村は、休みの計画は、なにかあるのか」
「うん、サークルの見学かな……。夏期のあいだ、体験入部を募集しているところがたくさんあるから、申し込んでみようと思って……(悩んだすえ、おためし期間にようすをみようときめた)」
「おれもサークル活動には興味あるけど、時間の調整がどうしても、……な」
語尾をにごす水島に、湯村は「調整?」と首をかしげた。立ち話におよんでいたが、水島は椅子にすわり、小さく息を吐いた。
「ウチさ、ばあちゃんの在宅介護をしているから、かならず家族の誰かがそばにいてやらないとだめなんだ。少し目を離したすきに、ドックフードとかティシュペーパーとか食べだすから、危ないだろ」
会話の流れで、家庭の事情が発覚した。祖母と犬がいて、さらに前者がかかえる病は深刻そうだった。返すことばに悩んでしまうと、水島は苦笑した。
「そんな顔するなよ。外出がむずかしいとか、そういう問題はないからさ。……夜宮は、おれも行ってみたいし、なにも心配しなくていいぜ」
ふだん、授業開始ぎりぎりにあらわれる理由をなんとなく察した湯村は、なにも云えず、小さくうなずいた。動物好きの湯村は、愛犬の名前や犬種をたずねてみたかったが、介護ということばのひびきが重く感じて、興味本位な質問は避けるべきだと思った。星野と交際に発展しない理由も、家庭の事情が原因ではないかという下手な勘ぐりがとまらない頭を、こぶしでポカポカたたいた。
「なにやってるんだよ」
やめろという水島に手首をつかまれた湯村は、じぶんが今、どんな顔をしているのかわからず不安になった。
「湯村」
名前を呼ばれた瞬間、ドキッと心臓が短くはねる。「どこ行くんだよ。授業はじまるぞ」「ちょっとそこまで……」「トイレか? 早くしろよ」「う、うん」あわてて廊下にでると、ホッと胸をなでおろした。水島につかまれた手首が痺れている。いつもは手かげんする水島だが(触れ方がうまい)、今回は指さきに力がこめられていた。言外に示された意図に、湯村は当惑した。
用を足してもどると、いつもどおりの定位置へすわり、水島と肩をならべて授業に集中した。帰りがけ、ラブレターの件は、ひとりで解決するという。湯村は、なりゆきを見まもることしかできなかった。
✦つづく




